毎年同じころに同じことをしている。昨年9月に購入したNASの容量が一杯になってきた。2TGの容量に倍増したので二三年は大丈夫かと思っていた。その後ストーリミングの動画をコピーするソフトを常用するようになったので、録画が飛躍的に増えて、予想を超える勢いで保存するファイルの容量も増大した。
そこで、ノートブックのHDDを交換したのもその後の11月だった。NASの中にはバックアップが終了した2016年12月までのファイルが入っていた。幸い乍ら壊れたHDDもデータを取り出しだけならまだ使えそうなので、それ以前のファイルのコピーは消去しても構わないと結論した。これで180Gほどの容量が開くので、再びバックアップとしての容量が獲得できるだろう。
同時にHDDに入っていて不要なファイルを消去した。ザルツブルクの「アイーダ」とかバイロイトの「マイスタージンガー」とか、「アンドレアシニエ」などをどんどん消去する。消せなかったのは酷い音楽が流れていた「ティートの寛容」ぐらいだろうか。デジタルコンサートホールのものをNASにアーカイヴに入れてHDDから消し去る。こうしてバックアップすべきファイル容量が削減可能となる。
結局1.8Tの半分以上を消去した。これで、1TのHDDのバックアップは完全に叶いそうだ。ただしHDDの容量自体がそれほど余っていないのでこちらもできる限り早めに整理しておかないとバックアップが済んだところでNASの容量もやはり一杯になる。
序に、NASの外付けHDDもスキャンチェックをしてデフラグを掛けた。一部修正が必要で、更にフラグメーションも7%ほど進んでいた。バックアップが壊れていると用をなさないので、早めに修正しておいてよかった。
タブレットのアンドロイドの方も調子が良い。なによりも改善されたのはパーフェクトヴューワーという画像ソフトで、NASからの呼び出しにストレスがなくなった。その他にもNAS対応のアプリケーションも増えて使いやすくなってきた。二年前とは状況が大分変わってきている。やはりこれは、WLAN内でのコマンド等の端末が主力商品になってきていることと関係していて、ソフトも洗練されて来ているのだろう。音源もタブレットでコマンドを与えておくと、タブレットをダウンさせても音が鳴っているようになった。
NASに必要なファイルを入れておけばPCなどにはファイルを貯めておく必要が無くなり、次期ノートブックなどもHDDからSDDへと移行し易くなってくる。なによりもメカニックなストレージがなくなることで動かしやすくなるのも、ノートブックのドッキングステーション化とは別方向での可能性が高まる。
新聞の文化欄にジェームス・レヴァインの件が触れられている。未成年者へのセクシャルハラスメントだが、三人の一人は17歳のセントポ-ル室内管のベーシストでクリス・ブラウンというらしい。なるほどこのような具体性があると、四月に告訴されたミュンヘン高等音大の校長だったジークフリード・モイザーと殆ど変わらない。パワーハラスメントにもなっている。昨年NYから強制送還されたゲヴァントハウス弦楽四重奏団のシュテファン・アルツベルガーのような単純な婦女暴行とどうしても比較してしまう。新聞にもあるように音楽の世界も芸能界であり、学生として教えを受ける方も、授ける方にも一種の合意があるということになる。何も音楽学生の経験談などを聞いてみる必要もないことだ。その一方で、昨年の写真家のデーヴィト・ハミルトンなどのように自殺へと追い込まれるような大事になるのは、80年代では到底考えられなかったような未成年者保護への意識が厳しくなった世論背景がある。全く好悪の問題ではない。
但し、モイザーやアンスベルガーの数多くの録音を楽しめるかどうかはその罪状や噂とは関係ないだろう。駄目なものは最初から駄目なのだ。因みに個人的には、充分にあるバーンスタインの録音以外にもレヴァイン指揮のも幾つかある。なにも今後ともそれに手が伸びるかどうかは変わらないが、そもそもそれほど有難味を感じているものではなく、最近はほとんど関心がなく元来優秀な管弦楽の演奏録音として興味があったもので、デビュー当時から知っていても生で聞こうと思ったこともない指揮者である。モイザーの録音もご近所のヘルシャーとの録音ぐらいだろう。演奏会もそれを聞いたが、あまり琴線に来なかったこともそうした面の表れともいえる ― その時は健在だった彼の宰相メッテルニッヒのお孫さんと一緒に聞いた。アルスベルガーはその活動からして箸にも棒にも引っかからなかった。要するに演奏実践に全てが表れるというような妄想を持ってはいないが、少なくともまともな音楽をしている人物かどうかが分かるぐらいでないと、聞き耳とは言えないのではなかろうか。音楽愛好家に言うのではなくジャーナリストと称する連中に言いたい。シュターツカペレを指揮したマーラーがどうだったとかいう前に芸術を報じろと、それが仕事である。そうすることで、1980年に逮捕されていたとか、1997年にはミュンヘン政界で話題になっていたとか、ミヒャエル・プレトノフへの言及など要らぬ言い訳を書く手間が省ける。
参照:
つまらない音楽家たち 2016-07-01 | 文化一般
ドナウヴェレという菓子 2016-02-12 | 料理
公共放送の義務と主張 2005-12-24 | マスメディア批評
そこで、ノートブックのHDDを交換したのもその後の11月だった。NASの中にはバックアップが終了した2016年12月までのファイルが入っていた。幸い乍ら壊れたHDDもデータを取り出しだけならまだ使えそうなので、それ以前のファイルのコピーは消去しても構わないと結論した。これで180Gほどの容量が開くので、再びバックアップとしての容量が獲得できるだろう。
同時にHDDに入っていて不要なファイルを消去した。ザルツブルクの「アイーダ」とかバイロイトの「マイスタージンガー」とか、「アンドレアシニエ」などをどんどん消去する。消せなかったのは酷い音楽が流れていた「ティートの寛容」ぐらいだろうか。デジタルコンサートホールのものをNASにアーカイヴに入れてHDDから消し去る。こうしてバックアップすべきファイル容量が削減可能となる。
結局1.8Tの半分以上を消去した。これで、1TのHDDのバックアップは完全に叶いそうだ。ただしHDDの容量自体がそれほど余っていないのでこちらもできる限り早めに整理しておかないとバックアップが済んだところでNASの容量もやはり一杯になる。
序に、NASの外付けHDDもスキャンチェックをしてデフラグを掛けた。一部修正が必要で、更にフラグメーションも7%ほど進んでいた。バックアップが壊れていると用をなさないので、早めに修正しておいてよかった。
タブレットのアンドロイドの方も調子が良い。なによりも改善されたのはパーフェクトヴューワーという画像ソフトで、NASからの呼び出しにストレスがなくなった。その他にもNAS対応のアプリケーションも増えて使いやすくなってきた。二年前とは状況が大分変わってきている。やはりこれは、WLAN内でのコマンド等の端末が主力商品になってきていることと関係していて、ソフトも洗練されて来ているのだろう。音源もタブレットでコマンドを与えておくと、タブレットをダウンさせても音が鳴っているようになった。
NASに必要なファイルを入れておけばPCなどにはファイルを貯めておく必要が無くなり、次期ノートブックなどもHDDからSDDへと移行し易くなってくる。なによりもメカニックなストレージがなくなることで動かしやすくなるのも、ノートブックのドッキングステーション化とは別方向での可能性が高まる。
新聞の文化欄にジェームス・レヴァインの件が触れられている。未成年者へのセクシャルハラスメントだが、三人の一人は17歳のセントポ-ル室内管のベーシストでクリス・ブラウンというらしい。なるほどこのような具体性があると、四月に告訴されたミュンヘン高等音大の校長だったジークフリード・モイザーと殆ど変わらない。パワーハラスメントにもなっている。昨年NYから強制送還されたゲヴァントハウス弦楽四重奏団のシュテファン・アルツベルガーのような単純な婦女暴行とどうしても比較してしまう。新聞にもあるように音楽の世界も芸能界であり、学生として教えを受ける方も、授ける方にも一種の合意があるということになる。何も音楽学生の経験談などを聞いてみる必要もないことだ。その一方で、昨年の写真家のデーヴィト・ハミルトンなどのように自殺へと追い込まれるような大事になるのは、80年代では到底考えられなかったような未成年者保護への意識が厳しくなった世論背景がある。全く好悪の問題ではない。
但し、モイザーやアンスベルガーの数多くの録音を楽しめるかどうかはその罪状や噂とは関係ないだろう。駄目なものは最初から駄目なのだ。因みに個人的には、充分にあるバーンスタインの録音以外にもレヴァイン指揮のも幾つかある。なにも今後ともそれに手が伸びるかどうかは変わらないが、そもそもそれほど有難味を感じているものではなく、最近はほとんど関心がなく元来優秀な管弦楽の演奏録音として興味があったもので、デビュー当時から知っていても生で聞こうと思ったこともない指揮者である。モイザーの録音もご近所のヘルシャーとの録音ぐらいだろう。演奏会もそれを聞いたが、あまり琴線に来なかったこともそうした面の表れともいえる ― その時は健在だった彼の宰相メッテルニッヒのお孫さんと一緒に聞いた。アルスベルガーはその活動からして箸にも棒にも引っかからなかった。要するに演奏実践に全てが表れるというような妄想を持ってはいないが、少なくともまともな音楽をしている人物かどうかが分かるぐらいでないと、聞き耳とは言えないのではなかろうか。音楽愛好家に言うのではなくジャーナリストと称する連中に言いたい。シュターツカペレを指揮したマーラーがどうだったとかいう前に芸術を報じろと、それが仕事である。そうすることで、1980年に逮捕されていたとか、1997年にはミュンヘン政界で話題になっていたとか、ミヒャエル・プレトノフへの言及など要らぬ言い訳を書く手間が省ける。
参照:
つまらない音楽家たち 2016-07-01 | 文化一般
ドナウヴェレという菓子 2016-02-12 | 料理
公共放送の義務と主張 2005-12-24 | マスメディア批評
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