朝一走りで疲れた。眠くて仕方がない。時計は電池が空になっていたので、万歩計で走った。寝起きが悪く、寝坊したので早く終えたかったが、結構時間を掛けた。習慣になっているので疲れが残ることは無いのだが、眠い。
面白い記事が出ている。ドレスデンのシュターツカペレの支配人が辞任する話だ。既にザルツブルクでの決定発表前に突然の発表だったようだ。夏の間に画策していて、ヴィーンのシムフォニカーの支配人への渡りを付けていた。
22年間支配人を務めていたヤン・ナストは語る。そもそもの難しさは座付管弦楽団が長きに亘って管弦楽団として独立したIDを確立していった構造上の問題で、その発展も終わりに達したとしている。我々外部から見ても、彼の仕事であったシノポリ指揮でのシュターツカペレ公演でも座付としての問題点が明らかであった。恐らく歴史的には1930年代のベーム博士が指揮していたころの演奏が技術的にも頂点だったのに違いない。
2001年にベルリンで指揮中に亡くなったジョゼッペ・シノポリが生きていれば、2013年から音楽監督としてゼムパーオパーから現在のベルリンのフィルハーモニカーのDCHのようにネット中継されていたという。興業的にも管弦楽団としても大きな可能性を逃したことになる。
そのあとを繋いだ先頃引退したハイティンクは年齢を理由に短期的な予定で、そのあとを受け持ったルイージとは今度10月からのヴィーンでともに活動するようだ。そして、この支配人がティーレマン抜きでもザルツブルクの復活祭に出たいとした張本人でもある。そして数時間内にはザルツブルク州がそれに反応した、「ティーレマン無くしてシュターツカペレも無い」と。
この背後事情は大枠の契約書内容とは別に興味あるところだったが、これである程度理解できた。ティーレマンは在任期間中に七人ものアシスタントを変え、その契約の権利として年間四つの公演と二つほどのツアーのプログラムを定めていたが、支配人との合意が充分に取れていなかったとなる。そこで経済的な損失があり、スポンサー問題になってきているようだ。要するにVWの関係だ。
その状態を称して、シュターツカペレがコンサートを開く意味が問われていて、「理髪師」か「ギゼレ」でも演奏した方が価値があるのではないかの議論が必要になって来ているという。つまり今のようなことならば座付楽団として仕事をした方が価値があるだろうという事だ。
実際にティーレマン指揮のコンサートはドイツ国内では精々千人を超える程しか集客力が無い。だから極東まで行ってコンサートをするとなると、もう管弦楽団の方には割りが合わないという。そしてナストは、「シェフがいない時、合わせて六年間が一番いい成果が出た」とハッキリ言う。要するに通常の管弦楽団とは比較できない。
そしてヴィーンでの抱負として、若い人の管弦楽団であることと、ヴィーナーフィルハーモニカーとは違って公共的な支援を得ているというのだ。フィルハーモニカーは商業的で企画に限界があると断定する。これは我々フィルハーモニカーファンにとっては意外な見解で、そもそもアマチュア―楽団であるから金儲けだけで、それ以上には箍が嵌められていても自己制御可能なものと思っていた。
勿論シュターツカペレの商業的な方針を考えるときにはやはりヴィーナーフィルハーモニカーが参考になるという事なのだろう。そして、ティーレマン指揮のシュターツカペレは最早興業的な価値が無くなったという事でしかない。実際にザルツブルクも二三年先を見ればもう駄目だと語っていた。どんなに毎年日本へとツアー公演をしても全く割に合わない。
参照:
卒業宣言をする価値 2019-09-18 | マスメディア批評
多様的に活発になること 2019-09-24 | マスメディア批評
面白い記事が出ている。ドレスデンのシュターツカペレの支配人が辞任する話だ。既にザルツブルクでの決定発表前に突然の発表だったようだ。夏の間に画策していて、ヴィーンのシムフォニカーの支配人への渡りを付けていた。
22年間支配人を務めていたヤン・ナストは語る。そもそもの難しさは座付管弦楽団が長きに亘って管弦楽団として独立したIDを確立していった構造上の問題で、その発展も終わりに達したとしている。我々外部から見ても、彼の仕事であったシノポリ指揮でのシュターツカペレ公演でも座付としての問題点が明らかであった。恐らく歴史的には1930年代のベーム博士が指揮していたころの演奏が技術的にも頂点だったのに違いない。
2001年にベルリンで指揮中に亡くなったジョゼッペ・シノポリが生きていれば、2013年から音楽監督としてゼムパーオパーから現在のベルリンのフィルハーモニカーのDCHのようにネット中継されていたという。興業的にも管弦楽団としても大きな可能性を逃したことになる。
そのあとを繋いだ先頃引退したハイティンクは年齢を理由に短期的な予定で、そのあとを受け持ったルイージとは今度10月からのヴィーンでともに活動するようだ。そして、この支配人がティーレマン抜きでもザルツブルクの復活祭に出たいとした張本人でもある。そして数時間内にはザルツブルク州がそれに反応した、「ティーレマン無くしてシュターツカペレも無い」と。
この背後事情は大枠の契約書内容とは別に興味あるところだったが、これである程度理解できた。ティーレマンは在任期間中に七人ものアシスタントを変え、その契約の権利として年間四つの公演と二つほどのツアーのプログラムを定めていたが、支配人との合意が充分に取れていなかったとなる。そこで経済的な損失があり、スポンサー問題になってきているようだ。要するにVWの関係だ。
その状態を称して、シュターツカペレがコンサートを開く意味が問われていて、「理髪師」か「ギゼレ」でも演奏した方が価値があるのではないかの議論が必要になって来ているという。つまり今のようなことならば座付楽団として仕事をした方が価値があるだろうという事だ。
実際にティーレマン指揮のコンサートはドイツ国内では精々千人を超える程しか集客力が無い。だから極東まで行ってコンサートをするとなると、もう管弦楽団の方には割りが合わないという。そしてナストは、「シェフがいない時、合わせて六年間が一番いい成果が出た」とハッキリ言う。要するに通常の管弦楽団とは比較できない。
そしてヴィーンでの抱負として、若い人の管弦楽団であることと、ヴィーナーフィルハーモニカーとは違って公共的な支援を得ているというのだ。フィルハーモニカーは商業的で企画に限界があると断定する。これは我々フィルハーモニカーファンにとっては意外な見解で、そもそもアマチュア―楽団であるから金儲けだけで、それ以上には箍が嵌められていても自己制御可能なものと思っていた。
勿論シュターツカペレの商業的な方針を考えるときにはやはりヴィーナーフィルハーモニカーが参考になるという事なのだろう。そして、ティーレマン指揮のシュターツカペレは最早興業的な価値が無くなったという事でしかない。実際にザルツブルクも二三年先を見ればもう駄目だと語っていた。どんなに毎年日本へとツアー公演をしても全く割に合わない。
参照:
卒業宣言をする価値 2019-09-18 | マスメディア批評
多様的に活発になること 2019-09-24 | マスメディア批評
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