Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

その美学には至らない

2019-09-30 | ワイン
ロンドンからの生放送を少し聴いた。録音したので楽しみだが、ユロスキーが指揮したフィルハーモニカーの演奏で、先日も同じブリテンの協奏曲を違う管弦楽団とソリストで演奏していたがこんなに違うのかと思った。何よりもソリストの程度が全然異なった。流石にユリア・フィッシャーと先日のシュタインバッハ―では音楽の程度が違った。管弦楽もそれに合わせたのかフィルハーモニカーの演奏がドイツの放送交響楽団よりも遥かに良かった。

嘗てからの評価されているようにロンドンのフィルハーモニカーはジムフォニカーよりも技術的にも落ちる筈なのだが、音楽的にはユロスキー指揮のそれの方がラトル指揮のそれよりも充実している。ブリテンのあの曲であそこまで内容的に掘り下げられるともはや誰も他の人は太刀打ち出来なくなる。ベルリンではそこまで至らなかったのはソリストと管弦楽団の両方に責任があったとしか思えない。

ここでユロスキー指揮フィルハーモニカーの最後のツアーのプログラムを確かめる。ブリテンはチェロ協奏曲をケルンでやるようだ。ソリストは知らない。コンサートツアーで一番近くを訪れるのはフランクフルトでそれ以外は遠い。ショスタコーヴィッチの11番交響曲を演奏する。生では初めての曲である。それにしてもこの指揮者は、芯から劇場的な感覚があって、ミュンヘンでの活躍が本当に楽しみだ。

シカゴ交響楽団の中継録音を聴いた。ドヴォルザークの新世界を確かめたかった。来年の欧州ツアーに持ってくるからだ。しかしムーティ指揮のこの演奏はが指揮と相まって楽団の不器用な面も垣間見えて良くない。曲想だからと言うのはあっても、チェコフィルが演奏するよりも遥かに難しいことをやって貰いたいのだが、そこまでやろうとしていない。型通りの演奏しかしていないので決してショルティー指揮時代の美学には至らない。恐らくビュシュコフがチェコフィルを指揮すれば大分良くなうのではなかろうか。

確か同じようにフィラデルフィア管弦楽団がアジアツアーに持って行くので先週末に演奏している。中継録音はまだ流れていないが、指揮も違えば管弦楽団ももっと細かなことをやっていると思う。是非中継録音で聴き比べてみたい。

そろそろ暮れまでの音楽お勉強計画を立てたい。「死の街」は総譜もあり、音源もスカラ座のものがあるので、初日に挑む材料は充分だ。あとは、同じ日の「ペネロープ」に総譜があったので、音源を探そう。同じユロスキー指揮で「眠れる森の美女」の準備といったところだろうか。

2016年産ゲルュムペルを開けた。丁度瓶詰め後二年経過で開いている筈だ。開いてはいた、そして飲み頃は始まっていた。杏子系の味は仄かで、まだまだ新鮮だった。初日はジャガイモとレバーソーセージ、二日目は猪のザウマーゲン風と食事にも遜色はなかった。

そしてそれだけにそれほど将来性が高くないので、ちょこちょこと開けて行けばよい。十年どころか五年以内で飲み干せばよいだろう。しかし色が示すように葉緑素が多いので、そんなに簡単に熟成香が出てくるわけではなさそうだ。つまり他の醸造所のものも2016年はそろそろ開けて行ける。



参照:
二流と一流の相違 2018-01-30 | ワイン
スレンダーながら多層的な23歳 2014-10-16 | ワイン

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