ベーム指揮「サロメ」を通した。演出はそれほど観ていないが、音楽は良かった。LPでカラヤン指揮のものを持っていて、ベーム指揮のそれは知らなかった。1974年のウニテルの制作だ。なによりも若いテレサストラータスが歌っていて、映像を見ても顔がよく分からない。演技は流石に上手い。歌は声が意外にルル程には合っていない。指揮者との相性もあるかもしれない。
Richard Strauss: Salome (magyar felirattal)
音楽は、カラヤンの録音を何回聴いていても分からないところが沢山ある。それでもヴィーナーフィルハーモニカーがお家芸の誤魔化しで上手く奏するものだから、たとえベーム博士が振っているとしても音符が錯綜するところはそれで流れてしまう。冒頭のクラリネットの細やかなパッセージや風の音の部分ではなく音楽的に重要なところも出てくるので、ペトレンコ指揮では徹底的に音化されるだろう。ベーム指揮の楽劇を聴くと分かってくるのは、効果のためと主題動機からの重要なアンサムブルの両方があって、そうした重要なところでも振り切れていないところがあることだ。但し楽曲自体が最終的に収斂するところが決まっていて、どのような劇場でその長さからも比較的上演可能となっているのであろう。
兎に角、初日の生中継を聴いてみるしか、何とも言いようがない。録音の技術的なチェックを兼ねて昨年の「オテロ」初日の録音を流してみる。復活祭でメータ指揮で聴いた耳からすればいくら頑張っても劇場では管弦楽のやれる限度は明らかだ。そしてメータ指揮のヴェルディもミュンヘンでやった時とは桁違いによかった、そしてその「オテロ」はバーデンバーデンの上演の方が優れているところが幾つもある。それは昨年の「パルシファル」でも同じで管弦楽の表現としては到底ベルリナーフィルハーモニカーの演奏には及ばない。しかし歌手陣やそのアンサムブルではやはりミュンヘンでの上演は程度が高い。
何時もの様にキリル・ペトレンコが劇場でどんなに完璧な音化を目指しても限界があって詮無いことだと思う反面、歌手や合唱そして演出を含めた総合的な表現としての完成度に繋がる行為としてはやはりああしたオペラ上演実践となるのだろう。それは必ずしもキャスティングの問題ではなくて、各歌手にとことん厳しい反面最高のパフォーマンスを引き出す指揮者の能力によるようだ。奈落からの音が団子となって、適当に歌手が合わせる時点で表現の可能性が無くなる楽曲は少なくない。
今回の新制作のキャストは主役のサロメだけでなくて、ヘロデ王、ヘロデアスのシュスター、ナラボートのブレスリックなど、上の映像よりもいい配役になっている。先ず初日の中継は映像が無くとも可成りいい演奏になりそうだ。始めてミュンヘンの劇場で体験したのが、デュビリー指揮の「サロメ」でその演出も良く覚えていない。今後もメインレパートリーになる今回の制作の成功を期待したい。
お昼ごろにサイトを覗くと八枚以上残席が放出されていた。一時間ほどで殆ど売れた。平土間真ん中の11列の最上席は二人組であってもプレス席とか劇場の持っていた席だろう。流石に初日だけあって、ロージェやバルコンの最上席は出ていない。当日のお知らせで出かけようと思えばミュンヘン近郊在住者ぐらいでないと難しい。
朝、寝過ごしてしまった。バルコンで横になったら深く眠入ってしまい、零時過ぎに気が付いたからだ。そこからふらふらしながら、翌朝のクヴァークの準備をしてお茶をリットル冷やしておいた。二リットル以上飲んでも足りなかった。夜中にトイレに立ったかどうか、それほど排出の必要はなかった。森の中も涼しくは無かったが、風が吹いて、陽射しもそれほど暑くはなかった。徐々に盛夏を超えていく感じがした。今晩は夕食に火を使えるだろうか。
参照:
水分補給を忘れずに 2019-06-27 | 生活
早起きのお得な朝 2019-06-26 | 生活
Richard Strauss: Salome (magyar felirattal)
音楽は、カラヤンの録音を何回聴いていても分からないところが沢山ある。それでもヴィーナーフィルハーモニカーがお家芸の誤魔化しで上手く奏するものだから、たとえベーム博士が振っているとしても音符が錯綜するところはそれで流れてしまう。冒頭のクラリネットの細やかなパッセージや風の音の部分ではなく音楽的に重要なところも出てくるので、ペトレンコ指揮では徹底的に音化されるだろう。ベーム指揮の楽劇を聴くと分かってくるのは、効果のためと主題動機からの重要なアンサムブルの両方があって、そうした重要なところでも振り切れていないところがあることだ。但し楽曲自体が最終的に収斂するところが決まっていて、どのような劇場でその長さからも比較的上演可能となっているのであろう。
兎に角、初日の生中継を聴いてみるしか、何とも言いようがない。録音の技術的なチェックを兼ねて昨年の「オテロ」初日の録音を流してみる。復活祭でメータ指揮で聴いた耳からすればいくら頑張っても劇場では管弦楽のやれる限度は明らかだ。そしてメータ指揮のヴェルディもミュンヘンでやった時とは桁違いによかった、そしてその「オテロ」はバーデンバーデンの上演の方が優れているところが幾つもある。それは昨年の「パルシファル」でも同じで管弦楽の表現としては到底ベルリナーフィルハーモニカーの演奏には及ばない。しかし歌手陣やそのアンサムブルではやはりミュンヘンでの上演は程度が高い。
何時もの様にキリル・ペトレンコが劇場でどんなに完璧な音化を目指しても限界があって詮無いことだと思う反面、歌手や合唱そして演出を含めた総合的な表現としての完成度に繋がる行為としてはやはりああしたオペラ上演実践となるのだろう。それは必ずしもキャスティングの問題ではなくて、各歌手にとことん厳しい反面最高のパフォーマンスを引き出す指揮者の能力によるようだ。奈落からの音が団子となって、適当に歌手が合わせる時点で表現の可能性が無くなる楽曲は少なくない。
今回の新制作のキャストは主役のサロメだけでなくて、ヘロデ王、ヘロデアスのシュスター、ナラボートのブレスリックなど、上の映像よりもいい配役になっている。先ず初日の中継は映像が無くとも可成りいい演奏になりそうだ。始めてミュンヘンの劇場で体験したのが、デュビリー指揮の「サロメ」でその演出も良く覚えていない。今後もメインレパートリーになる今回の制作の成功を期待したい。
お昼ごろにサイトを覗くと八枚以上残席が放出されていた。一時間ほどで殆ど売れた。平土間真ん中の11列の最上席は二人組であってもプレス席とか劇場の持っていた席だろう。流石に初日だけあって、ロージェやバルコンの最上席は出ていない。当日のお知らせで出かけようと思えばミュンヘン近郊在住者ぐらいでないと難しい。
朝、寝過ごしてしまった。バルコンで横になったら深く眠入ってしまい、零時過ぎに気が付いたからだ。そこからふらふらしながら、翌朝のクヴァークの準備をしてお茶をリットル冷やしておいた。二リットル以上飲んでも足りなかった。夜中にトイレに立ったかどうか、それほど排出の必要はなかった。森の中も涼しくは無かったが、風が吹いて、陽射しもそれほど暑くはなかった。徐々に盛夏を超えていく感じがした。今晩は夕食に火を使えるだろうか。
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