Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

聖者のエコロジーシステム

2023-07-08 | アウトドーア・環境
週末は愈々新制作「アシジの聖フランシスコ」の千秋楽だ。正直今から感動している。兎も角なにもかもが感慨深い。音楽的に詰めておかなければいけない所も儘ある。時間的に間に合うか、なんとも覚束ない。それでももう一度の体験でもう一つ深く理解できるようになると思う。学生券が出た為か最後の二回も直ぐに売り切れた。勿論指揮者のエンゲルも最後に賭けてくれると思っている。

そして今80頁規模のプログラムにさっと目を通してみて、音楽的に感じたことも裏付けされたところもあり、演出のコンセプトがヨゼフ・ボイスを通してまたケージの言葉とそしてメシアンの文章も載っていて、聖フランスコへの視線としてとても納得が行く。

二部における巡礼に関しての文章も例えばアルピニズムなどとも対象化していて、なるほどあのそして来る日曜日にも予想される炎天下の野外劇場の厳しさもその意思に含まれている。確かに我々のような人間でも逸早く上部のビアーガルテンに着こうと思えば汗を掻くだけでなくて息も上がった。必ずしも幸福感に満ち溢れている訳でもなく、野外劇場に陣取っても必ずしも到達感はない。日陰に入っていてもそれ程快適さはないからだ。

しかし前回の訪問でよく分かったことは、一部での悲しさはその途上で晴らされることで、まさに巡礼の目的であり、全身で体験することになっている。もはやこのイヴェント自体を冷めた目で客観的に観察するようなアウトサイダーではいれなくなる。そしてこの小冊子には、カトリックにおける巡礼はプロテスタントやユダヤ教にはないと明記されている。

メシアンが批判する「パルジファル」における宗教儀式はこの「アシジの聖フランシスコ」にもない、そして神が啓示することも無い。それが音楽として認知を越えて示される。鳥の鳴き声の三分、四分、六分音をフランス中に取材してピアニストの奥さんの力を借りて採譜したことは、自らバルトークにおける民謡の収集と並べている。

人よりも先のその音楽の囀りは、聖フランシスコにおいては植物へとそして地球へそして宇宙へと語りかけて先が広がる。最早そこには人間の知性もその地球の一部になり、トマス・アキナスの哲学へと繋がっていく。そこには楡に宿り木を枯らす苔もあり、生態系として成り立っている。

ここにエコロジーにおける基本理念があって、同時に新制作「アシジの聖フランシスコ」のにおいて、その視点からこの劇場作品が捉えられているのは、博愛の聖フランシスコのその精神へと遡っているからに違いないからという結論に導かれている。



参照:
聖人の趣の人々 2023-07-01 | 文学・思想
変遷しない社会の危機管理 2012-05-04 | 歴史・時事

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