Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ミュージカル指揮の意味

2019-01-27 | マスメディア批評
ミュンヘンのオパーフェストの日程を見ていた。今回は二回野外での公開ものがある。いつものオペラと野外コンサートの二本立てということで、来年はペトレンコ指揮の最後の年でどうなるのかとも思った。それよりも発表されたプログラムが示唆するものの方が興味ある。

先ず歌手は、ゴルダ・シュルツとトーマス・ハムプソンが新たに挙がっていて、曲目もガーシュインとブロードウェーミュージカルとなっている。つまりガーシュイン以外にも何かを振るということだ。コルンゴールトかも知れないしほかの何かかもしれない、不案内なので分からない。そして、上の二人を採用したのも気が利いている。私のツイッター仲間ではないか。

そして本当の関心所は違うところにある。恐らくヴァルトビューネは来年もまだ登場しないと思うが、今年のジルフェスタ―コンツェルトはミュージカルプログラムになってこの二人の登場もあり得るかもしれない。そうなれば私もベルリンまで出かける必要はなくなるが、さてどうなるのか。今迄の経験から四月の発表で、コロムブスの卵のように「何だそんなことだったのか」とそれほど捻りがないことが殆どだったので、そのまま行くかもしれない。

「フィデリオ」にもう一つ新聞評が出た。殆ど異常な再演への関心の高さである。短いながらも南ドイツ新聞が報じている。面白いと思ったのは出だしで、「僅かばかりの音で、彼は本当の指揮者だと分かった。強打、そして奈落から湧き起る弦楽の音で、舞台の一人の女の孤独を感じさせた」とまるで日本で活躍のライターが書いているようなそのものの書き様である。なるほど何が起こっているかを報じるジャーナリスト的な視線も感じられるが同時に、吉田秀和から小林秀雄へと遡れるような私小説系のコラムである。名前を見るとヘンリック・オェルディンクとなっていて日本人でも女性でもなかった。若い人かもしれない。NZZやFAZでは考えられない書きようであるが面白いと思った。続いて「クレッシェンドが男装へと着替える女性を下打ちして」と描写を試みる。

しかし次の段落からは、「この再演が容易なものではなくて、ガッティ指揮の時は音楽的に評価できるものでなく、今回も長いレオノーレ三番の序曲からプラスティック板の迷路に佇む主役の女性に付き添い演出の嫌味に翻弄されなければいけなかった」と音楽監督キリル・ペトレンコの最初のフィデリオに期待させられたとしている。「直ぐに緊張感を作り、音色とダイナミックスへの賢いセンスでもって、彼がどんなに音色の魔術師であるかを証明した」と絶賛する。

更に「ペトレンコの強みは、楽員との信頼関係でもあり、二幕の弦楽四重奏132のアダージョでの泣かせてくれて、バカバカしく駕籠に入って演奏していることも直に忘れさせてくれた」とこれまた故大木正興が書いているのかと思ってしまった。歌手の成果にも一寸触れて、最終的にはペトレンコが持って行ったと御馴染の締め方をしている。恐らくこの書き手は音楽ジャーナリストではなく普通の社会記者みたいな人かもしれない。所謂音楽オタクかもしれない。恐らく私が今まで見かけた中でドイツ語で音楽に書いてあるものの中で最も日本のそれに近いものだった。一度ご本人に会ってみたいぐらいに興味深い。広大ぐらいに留学して修士でも取っているのだろうか?

またまたフィンレー氏のいいねが付いていた。ジュリアードでのセミナー中継を紹介したからだが、中々マメで偉いと思う。オックスフォードに留学していた筈で、流石にSNSの使い方やその意味をよく分かっている証拠である。私個人としては現在オペラ劇場関係の話題を扱うことが多いのでどうしても偏るのだが、本来ならば声楽部門とはそれほど関係がなかったのでとても不思議に思う。

兎に角、自身のサポーターのような人を10人ぐらいつけていれば、利害関係なしで無料で広報してくれるのだから、こんないいことはない。そもそもキリル・ペトレンコがメディアの支援を受けずにつまり芸術的に不利になりかねない関係を断つことが可能になったのもSNSのお蔭であることは賢い者は皆認識している。更にそこに公共的な資財を利用出来るようになればもはや商業的な援助は全く必要が無くなる。

ARTEでゲヴァントハウスのブルックナーの七番が放送されるが、既にオンデマンドになっている。放送されるものはもう少し質が高いのかどうか?少なくともMP4自体はサウンドが126kBitしか出ていない。あまり音源としては使えない。



参照:
Endlich er, Kirill Petrenko dirigiert erstmals "Fidelio" an der Staatsoper, SZ vom 25.1.2019
LadyBird、天道虫の歌 2018-07-01 | 女
そこに滲む業界の常識 2019-01-16 | 雑感

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