Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「音楽の都」の現代音楽祭

2020-11-09 | 
マウスの電池を交換した。二年間保証で前回まではその宣伝文句は確かだった。しかし今回は調べると一年少ししかもたなかった。理由は分からない。最低一日一回はオフにする。以前よりは小まめに切ることはなくなったが、その前も一年半と二年半から一年短くなっている。そして今回は更に三ヶ月ほど短くなった。次は一年もたないか?キーボードの方はあまり変化がなさそうだ。機能やソフトウェアーに関しては満足している。もう三年、十年間程使えるのではないかと思っている。

デスクから籠り部屋に移動するとマウスなどの手垢などが急に気になって来る。自慢のマニュキュアー落としで清掃した。特にキーボードは掃除すると未だに最初と同じストロークの感じが活きていて、新品の時とその機能が全く衰えていない。マウスとのセットの製品だけれども中々お買い得だったと思う。

ヴィーンモデルンの映像が出ている。ロックダウンで無人で演奏されたようだ。開幕はグバイドリーナ特集で、その中心にべートーヴェンイヤーの為の誕生日へと依頼曲第一部プロローグ「神の怒り」などが全三曲演奏されたようだ。Es muss sein, Es muss nicht sein.と対語にして後半をいいたかったようだ。

ヴィオラを管弦楽が伴奏する協奏曲は、この年配のヴェテラン作曲家でなければ無理な編成ではなかっただろうか。経験豊かな作曲家であるから今後どのような機会に再演があるかなども考えられている筈なのだが、シニトケとかショスタコーヴィッチとかが脳裏にあるのだろう。ヴィオラをタメスティが弾いて、伴奏をオクサーナ・リニヴ指揮の放送管弦楽団が受け持っていた。

非常に不経済な作品で1996年作であるからバブル期の創作なのだろう。まさしくNein, es muss nicht seinで、ロックダウン最中にこうやって演奏されているのは偶然とは思われない。まさしくこのような大掛かりなことは不要という事を自嘲しているような曲に聴こえてしまう。

肝心のプロローグは、ベートーヴェンとショスタコーヴィッチから引いているようだが、一体第二部はどうなるのだ?あまりそこが聴こえてこない。これはこれでこの機会に演奏されてとても自嘲的だ。彼女が四十代の時から何度も文字通り顔を見合わせているが、昔の方がよかったのではないかと思う。元々老け顔であり、声の調子は若いが、もう九十歳前である。

この音楽祭はクラウディオ・アバドが始めたように思うが、今回の楽曲依頼はクラスター事件を起こした市立芸大と共同となっている。恐らく支配人がそこの教授なのだろうが、「音楽の都」の現代音楽祭としてこの芸術的な質はどうだろうか。

週明けは暖かくなりそうで、晴になっても放射冷却も無く、朝から摂氏7度で昼に14度まで上がりそうだ。週明けから二週間ほどはそれ程には冷えそうにない。不凍液もまだ要らない。早朝ランニングもショーツ一枚で可能だろう。早起きして軽く一走りしたい。



参照:
通信社のインタヴュー記事 2020-10-01 | 女
胸がきゅんとなる 2020-11-07 | 女
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