Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

限りある貪り取れる目方

2005-05-12 | 生活
欧州大陸は、MKSもしくはSI を計量の単位としているが、実際は昔からの単位を使うこともある。一番馴染みが多いのは、プンドではないだろうか。ラテンのリブラ(lb)から来ている様なので、英国の重量と同じ語源であろう。

これは中世ヨーロッパでは、薬品の計量と違い町ごとに異なっていたので、1854年にドイツ関税協定の際に500グラムに統一されたとある。カール大王の命で、ペニッヒ240個が出来る銀を1プンドとすることから定まる。英国のシリング硬貨は、ペニーと違う価値を持っている事を思い出した。英国のペニーとシリングに繋がっているようだ。

計量法的には、これらの単位を表示などしてはいけないが、使うには便利である。何故ならば一人が食べる量などは大抵の場合、キロに合わないのである。シュパーゲルでも、ザウワークラウトでも半プンド位が食べどころ、買いどころである。四人家族の数さえも減少している。そういえば昔の料理本は、20人ぐらいの料理が基準になっている。誕生日などのパーティー等を考えているからであろう。時代が変わって来ているというのは、このような日常の生活の中に見出せる。

計量の考え方や貨幣価値も結局は、如何に生活に上手く対応しているかだ。そして、その上からの統一は、グロバールな市場に適応する。さて、ここでキリスト教圏で貨幣価値さらに人の才能の定義へと迫る譬え話を聖書に見る。マタイオスによる福音「タラントンのたとえ話」25.12-23またはルカスによる福音「ムナのたとえ話」19.11-27である。「だれでも持っている人は、さらに与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取上げられる。」と言う節は、神学やマックス・ヴェーバーの解説を待つまでも無く資本主義イデオロギーそのものである。その単位TALENTはプンドでもあり、意味するところは才能タレントである。

つまり、マクロ経済もどれぐらい消費出来るかという人々の生活観と切り離せない。貨幣の統一によってユーロ価値が安定して行き、値段の高値安定とともに使いやすくなって来ている。そして、「富める西洋の一人一人はそれに値するタレントを有しているのか」と厳しく問われている。その各々の人間が貪り取れる目方には限りがある。
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