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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ワイン街道浮世床-ミーム談義

2005-05-25 | 文化一般
やはり、裏情報は床屋で取るに限る。美容室と散髪屋が同じ店舗にあるのが普通なので、若い女性が髪を当たってくれる店のほうが多い。だから豊満な胸元を押し付けられて喜んでいる男性も居るようだが、床屋でローカルな情報を得ようと思えば男性の親爺に遣って貰うのが順当であろう。

特に地方紙などを定期購読していないと、そこに載っている交通取り締まり情報などが入らない。これなどは有用な情報で、大金を節約出来る。しかしそれ以外にも耳寄りな情報を貰う事がある。

今日あたりから暖かくなって来たので、何時ものように散髪に行って、色々と勉強をして来た。実は、そこの親爺に毎年のように先日の「山羊の競りの祭り」の事を聞いていたので、勿論その話となった。

流石に親爺は、過去に旗持ちやブラスバンドなどで26回ほど参加しているインサイダーである。気になっていた「山羊の育ての親が被っているピッケル帽子」について幾らか情報を得た。この大層違和感のあるプロシア風のコスチュームは、プロシア帝政時代の制服という。官報などを字の読めない民に口移しで伝える職業があった。この警官等と比較出来る下級役人の制服がこれである。如何にも偉そうな顔をしたプロシアの官憲は、その当時の社会を映し出す鏡のようで、プロシア文化の片鱗が見えて面白い。そしてこの服装の人物がそれを意識して、敢えて無個性な小人格を演じているようである。

床屋の親爺のいう「伝統という時間の経過で無駄が取れて、事象が結晶化している」という卓見を専門用語無しに断片的にも自分の言葉にしているのを聞いたり、上述のピッケル帽子の親爺が自演する人物描写の基本コンセプトを目の当たりにすると、社会の文化基盤という事に考えは及ぶ。独りの人間が譬えファウスト博士のように生涯懸けて学問を修めても巷の一介の親爺たちにも敵わぬという社会基盤が伝統文化というものかもしれない。当に流行の言葉でいえば地域のミームというものが時間の中で変異、遺伝、淘汰されているという事になる。

労働歌についても面白い話を聞いた。労働歌がテンポを与え仕事を捗らすために唄われ、仕事の単調さを和らげて効率を上げることは承知の通りだ。しかしここのワイン畑の仕事では、更なる効果が期待されたという。それは、リースリング種の摘み取りならいざ知らずゲヴュルツトラミナー種などの摘み取りになると実った葡萄を其の儘食しても美味しいからだ。つまり畑で働くものは、葡萄をワインのために摘んで背中の籠に入れる合間に口の中に放り込んでしまう。だから現場で、摘み手に歌を唄わせて口に物を入れさせなかったという。如何にも、この地方らしい機知に富んだ話である。



参照:
山羊の競り落とされる日(1)[ 暦 ] / 2005-05-19
山羊の競り落とされる日(2)[ 生活・暦 ] / 2005-05-20
山羊の競り落とされる日(番外1)[ 生活・暦 ] / 2005-05-20
山羊の競り落とされる日(番外2)[ 生活・暦 ] / 2005-05-21
山羊の競り落とされる日(番外3)[ 生活・暦 ] / 2005-05-21
山羊の競り落とされる日(3)[ 生活・暦 ] / 2005-05-22
山羊の競り落とされる日(結) [ 生活・暦 ] / 2005-05-23
フィガロの耳寄りな話 [ 音 ] / 2004-12-15
ライク・ノー・アザー [ 文化一般 ] / 2006-04-05
コメント (2)
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