光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

12月の雨

2007-12-29 07:19:32 | 散策
  朝のお天気、雨風。西か、西南西の風がかなり強く、窓をたたいている。笹が大きく揺れて、少し気味が悪い。室温12℃、これは暖かい。
  暖かくて、目覚ましのベルがなるまで眠っていたが、悪夢に近く、これも自分で作っているとなると、いやになる。せめて夢くらい、面白いものであって欲しい。思い出というものも、意識がはっきりしているときは、例えば、ここの書き込みには、自分の都合の悪い事など書くことはないが、ときに自動的に、頭から、脳裏からにじみ出る失敗の思い出というのもあって、何とかならないか、と思う。あまりにも、はっきりし過ぎているのだ。

  きのうの夜、PCのモニタとのにらめっこは止めて、耳はTV、目は、ある雑誌を眺めていた。歌番組、歌いたい歌、人気の歌が、次々と流れてくるが、知らないものもある。あるところだけ知っているが、最初の方は知らないものも多い。TVの画面をときどき見るが、ここはお客様になった、タレントの方やら俳優さんが出ているけど、いつカメラが来るかわからないから、うたた寝も出来ない。今度いつカメラが来るか、長い時間待っているというのもかなり苦痛だろうな。って、そういえば、楽な仕事はありませんと、明快にいうおじいさんもいて、これには襟を正される思いだ。楽な仕事はない。確かに、加えるなら、楽な遊びもまたないという気持ちにもなる。
  雑誌の方は、ぎっちり写真、それと細かい文字の説明文で、かなりしょぼついた目でこれを眺めるのも疲れる。この雑誌を作るのに何百枚の写真が使われているか、200ページあって、そこに5、6枚の大小の写真があるとすると、それだけで、もう1000枚になってしまう。そうか、今はファイルの時代、しかし最後は、写真と付き合わさないといけないような気がするが。これを間違いなく張り付けるのは至難の業。楽な仕事はない、確かにそのようで、しかしその雑誌を見るのも楽ではない。写真雑誌はおそらくアート紙を使っているだろうから、やけに重い。これが溜まると、また大変なことになる。似たような雑誌が2、3あると、それこそ2、3ヶ月で、持つのも大変になってくる。

  雨の話しだった。12月は雨で始まって、今も雨だが、12月の雨、今思い返してみると、そう悪くはない。空っ風が吹くよりはいいようだが、これも結果論か。秋に、農薬で枯れた草を刈ったので、ほぼ裸の状態の盛り土がある。ここを雨がたたく。土は、水とともに流れてゆく。小さい崩壊の様子があちこちである。

  思いついたことを、そのまま書いてみた。この雨は、一体いつ止むのか。

暖かな、灰色の空

2007-12-28 18:57:34 | 散策
  きのうの天気予報ではあまり気にならなかったのですが、それどころでもなかった感もあったのですが、朝の予報で、14℃くらいまで気温が上がるようなことをラジオで聴いて、おやまーどうなっているのでしょうと、嬉しいような、勘違いかも知れないという気もしました。
  弱いフェーン現象が起きているようで、しかし、もう午前から雨になってしまって、その暖かさは実感されるほどではありません。もう少しいうと、大した雨ではなくて、アメダスの記録をみると、ずっと降水量はゼロです。それにしても、この時期の南風というのも、ちょっと考えられないもので、この反動の寒冷前線というのも、あまりはっきりしたものではなく、曇りの灰色の天気が、今日、明日と続くようです。問題は、31日、大晦日の辺りからですが、はたしてどんな天気になるのでしょうか。

  毎度のように歩いています。体調も少し回復、ってことにして、食べ物を買いにいきます。自給自足?、そうゆうこともやっている方もおられるのでしょうが、どこの話しという感じです。お店の方も賑やかで、お正月のお飾りやら、それから年越しそばなども、所狭しと並べられています。そばは今日買って、それを食べてもいいので、でも、年越しそばって、日々書いていることからおわかりのように、そうゆう慣習もないので、ただ、おそばは好きで、今でも無論食べます。ただ、お米も食べないといけないし、それから、パンも、お餅も、さらにカボチャもと色々あるので、まだ買うところまではいきません。年内は、ずっと営業予定で、もしかしたら、そのおそばを買うかも知れません。お昼に食べるためですが。

  この忙しいときに、まさにそのときに、荷物を配達に出す方がおられる。もちろん、非難しているのではなく、まことに結構な事で。この調子でお客さんが増えると尚のこと嬉しい。何しろ、お店がなくなってゆくので、困っています。食べるものは一番大切ですが、その他昔はそれほど困ることのないよう、お店もあったのですが、多分そうだったと思うのですが、車社会があらゆるところを覆ってしまって、公共交通機関、昔は電車も走っていたのですけども、って、そんなことを書いている場合ではありませんでした。

  ちょっと重いキャベツやらミカン、それにヨーグルトをどっこいしょと置いて、それにしてもこんな程度のものを運ぶのに、あー疲れたというのは、何と無様で情けないことか。しかしこれも自業自得、どうしようもありません。まったく。
  と言うことで、ラジオで、金曜日となると、少し触れたお天気ですが、31日の、大晦日の日がまずは大雪の最初のピーク。平野部での積雪の最高が、30cmということのようです。いよいよ、大晦日か新年早々、雪かきをやらないといけないということになりそうですが、しかし、まだ3日も2007年は残っているので、やはりどうなるかは、その直前にならないと、わからないという気がします。




  きのうの朝の西の空。快晴で冷えて、さらに、満月を過ぎて、お腹の方が少しへこんだ、お月様が見えていました。空のブルーも言うことなしの色具合です。




  ぐっと、地面に近づいて、今頃、寒空に咲くタンポポ。
  
  ここはかなり広い空き地ですが、ここが雪にうずもれる日も近い?。  

未来・2007年11月

2007-12-28 16:57:29 | 散策
  2007年の10月の後半には、「月」の写真を撮っていて、
  それはなぜか考えたら、ちょうど、JAXAが、月探査衛星
  「かぐや」(SELENE)を打ち上げて、それが月の人工衛星に
  なろうとしていたときであったからだと、合点した。

  ずっと眠っていた望遠鏡が役に立った。カビているが。
  それにしても、なぜ望遠鏡を使って月を撮ろうとしたのか。
  この辺は、今だ謎な面が自分の中にある。

  2007年11月8日、イチョウの木を撮っている。


 
  何度も出したイチョウで、葉っぱが落ちていく様子が多かった。
  これは、長い玉を使っていて、それゆえ拡大した状態で出してみた。
  まだ緑が残っている。




  葉っぱの迫力から、これを選んでみた。
  最初は、もう一回り大きな画像を送信したが、最初のと一緒に送ったからか、
  また、サイズが、ちょっと1Mbyteを超えていたからか、拒否されてしまった。
  一枚だったら、パスしたかも。
  
  大きすぎて、まことに申しわけありません。

ちょい鉄のレール・連結器

2007-12-28 09:38:34 | 鉄道
  年の瀬だとか、追い詰められた、押し迫った感も少しある
  ちょい鉄のレールです。ちょい鉄の気楽さで、

  今回は連結器。
  まー、連結器は、見えるものはいつも撮っているのですが、
  今回は切り離しの様子も見ることが出来ましたので、
  暖めた結果、ここに出すことにしました。



  これは、高山本線を走る、キハ120形の連結器と、その周辺です。
  連結器以外に、人でいうと、血管とか神経の働きをしているものも見えて
  なかなか、好奇をそそる対象です。
  この連結器は、わかりやすそう。あーやって、こうなるかというのが
  わかりそう。

  北陸本線を走る、普通列車には、41X系と45X系があるようで、
  まずは写真を撮るときは、車両番号を押さえてから、他を
  まわらないといけないと痛感しました。
  45X系?の、切り離しをやるところに出くわして、そこに急ぎます。


 
  暗いので、多分露光は、0.3秒くらい、揺れます、ぶれます。
  まだ、くっ付いている。



  左側の車両が動いて、切り離しは一瞬でおしまいです。
  ほぼ無音。



  静止したところ。なるほど。
  交互に連結器が入るようになっているんですね。

  ちょい鉄のレールは、今年はこれで、終わる予定です。
  皆様、よいお年をお迎え下さい。   

しんみりしたお話し

2007-12-28 07:25:48 | 散策
  朝のお天気、曇り。風は、雲の動きを見ていると、南からのようで、しかしさほど強くはない。室温9.5℃、何ともいえない。
  きのうは、いつも早寝だけど、さらに早く眠った。すると、眠気もあってあっさりと眠って今日を迎えたが、さすがに起きる予定時間の前に目があいた。そこで起き上がるかというと、まだ早すぎるので、あとは、ただぼんやりと自然にわいてくる昔のこと、今のことなどを味わっているが、いかにもつまらないもので、その時間は幸いあっという間に過ぎた。
  曇りの朝で、これが穏やかな朝の今年の最後かもと思う。もうかなり明るく、東のアルプスの山々が濃い白い雪をじんわりと輝かせながら、こっちを睨んでいる。神々しいともいえるが、嘲笑しているようにも見える。

  お正月というのも、まったく普段と変わらなくなって久しい。これはしかし自然な流れで、こうなってよかったとも思う。子供のときは、お正月は楽しいものであったが、ある年齢を迎えるともういい加減いやにもなってくる。暦というのも、なぜ1月1日を、太陽があんなに中途半端な位置にあるときに定めたのか、不思議でもあって、これは別に大きな問題ではないが、その不思議さは増す一方である。ちょうど、冬至のときを1月1日にするといいと思うけれど、これには無論ふかい理由があるのだろう。春分点が歳差運動で少しずつずれているのも、関係していそうだが、これもあやふやな感想である。

  現実問題として、いろいろなところがお休みになるというのも、困ったもので、これは年齢とともにその不都合さは上昇する。病院もお休み、金融機関もお休み、その他多くの仕事をされる方もお休みとなって、そうゆうときに、この年末年始というときに限って色々な問題が起きる、というのも事実で、この予想がはずれることを願っている。
  冬の怖さは、やはり日本海側ではそれを強く感じる。雪に慣れたといっても、年々雪の量は少なくなって、一気に降られると、陸の孤島になってしまう。それより、雪の重さで建物のあるところが崩壊する可能性はいつもあって、これに対処するには、人間の手で、その雪を下ろすしかないが、どうゆうわけか、やけにやりにくいように出来ている。本来なら、ある程度の傾きを付けておけば、もう少し雪を落としやすく出来るのだが、すでに、もう出来上がっている以上、それに人が合わせないといけなく、難儀する。こうゆう悩みのない人もいる。
  このようなことを、もう眠くない頭で考えているというか、何度も反復してわいてくるものを、味わっていると、やっぱりしんみりとなってくる。もうどっかの穴に逃げ込みたい気にもなる。

  この先、春という期間がやってくることを待ちどうしく思う。この繰り返しが待っているだけの単調な生活というものを考えると、これは、もしかしてお正月は、多いにはしゃがないといけないか、という考えにもたどり着くから、不思議だ。

霜は、氷である。

2007-12-27 18:54:08 | 散策
  何度か、霜が降りていて、近視で老眼で、乱視でもある私は、その霜の正体を見たことがあるが、それは無論水で出来ているものだろうけど、実体というものを見たと言い切る自信はなかった。こんなものは、なくても一向に問題ないのだが、いっとき、その美しさを垣間見た気もして、しかし、わざわざ機械を持ってきて、拡大することもなく、その美しさは、言葉で十分であると思っていた。
  この考えは今も変わっていないが、なぜか今日は、わざわざ、この正体を確認して、静止画に保存した。

  きのう眠れなかった理由というのを考えてみたが、ふとその時間帯は、お昼のタモリさんのTVの年末スペシャルの放送の時間であることに今日気が付いた。普段、夜は滅多にTVを見ないので、このことを完全に忘れていて、あれあれ、という気がした。これまで、この年に一度の番組、あるところまでは見ているが、過去のVTRの時間もあるし、最後のいいところは年始にも再放送があるので、それをお正月の楽しみにしていた。今回は、初めて、最初からこの番組を見るのを忘れていたのだが、そのせいで、眠れなかった、とも思った。ただ、思ったが、実際はやはり違うだろう。色々、いらない、忘れた方がいい、拘らないほうがいいものが、たくさん溜まっているからであろう。ストレスやら不満やら。ぼんやりと過ごしているようで、そうでもないようである。

  朝にもどって、ゴミ出しに行く。少し時間は遅れたが、外はかなり寒い。日が出始めるが、まだまだ気温は冷蔵庫なみだろう。すでに体は冷えていて、まー冷えついでに、ゴミ出しに行き、出だしたばかりの朝日に輝く霜を見て、ついに、あるものを持ってきて、それをわざわざファイルに残してみた。どうゆう因果でこんなことになるのか自分でもわからない。でも、キラリと光るものがあって、冷蔵庫より低い外気の中にしばらくいると、ついついふらふらそれに吸い寄せられる、ということも考えられないわけではない。空は青いし、太陽はまぶしいし、・・・
  その後、いつものように過ごしたかというと、かなりしんどい思いをして、年に何度かある、いやーな感触を味わい続けた。あー、おっかない。


  それで、霜というものだが、これが美しく見えるときは、氷がかなり細かいときであろう。これは、どの物体で水が凍り始めるかによって違うようだ。霜柱というものがあるが、これは、土の中の水分が凍って表面にニョキニョキ出てくるもので、霜の出来方とは少し違う気がする。




  ほぼ水平に、霜の降りた植物に日が当たると、この美しさがさえる。もちろん、その内、氷は解けてしまう。でも、日が当たらないと、暗くてうまくは写らないだろう。小さな氷があるところから生長して、粒の大きさにまでなっていくようである。この氷の出来方、簡単ではないようである。



  枯れ草の残る地面では、枯れているものに付くように、氷は出来ていて、これは一枚目より拡大しているが、ざらざらしている感じもよくわかる。

  植木鉢に植わっている植物にも白い粉のような霜が降りていた。これはお化粧に近い感じがした。それゆえ、植物の美しさは一番だが、霜の様子をうかがうには、粒子が小さ過ぎた。

未来・2007年10月

2007-12-27 16:53:59 | 散策
  2007年9月、どうもこれっという記憶はないので
  仕方なく、手帳を見る。最高気温が35℃という日もあって、
  これは記憶もなくなるわけである。9月も暑くて、早く涼しい 
  10月が来ないか、待ち遠しく思っていた。
  雨の極端に少ない日が続いて、そういえば、
  毎日のように雨が降らないと書いていた。

  10月のファイルを見る。ごくごく普通。



  コスモスで包まれたい、と思った人がいるはず。それにしても
  これはかなりすごかった。どうやってタネをまいたのか、
  かなりの量をまかないと、こうはならないだろう。



  初夏から、いつこの植物が花を付けるのか、待っていた。
  これは待った甲斐があった。
  スイフヨウ。

  いずれも10月14日に撮影。

夜明けの子守唄

2007-12-27 07:18:00 | 散策
  朝のお天気、晴れ。快晴、風は弱そう。穏やか。日の出の前の変化が激しい。室温7℃、アメダスの外気温0℃台、マイナスではなかった。
  いつもより早く目があいて、ついていないと思う。少し頭痛もある、原因はわからない。子守唄でも聴いてと思うが、ウトウトしているともう起きる時間に近い。すでに明るい。日の出まで、1時間以上あるが、薄明も過ぎた感じである。金星が太陽に近づいていて、その輝きも少し鈍い。ずいぶんと南に移動している。最も、そこに太陽があるから、当然だが。

  寝つきから悪かった。なぜか、しばらく考えるが、どうもパラパラと雑誌を見ていた。それも最近は目も通さない、PCの雑誌で、時代の繰り返しがある。それを見て、なにか、役立ちそうなものがあるかというと、これはない。それなのに、なぜか心拍が上がっている。どうも、精密機械の写真を見ていて、もう眠るというのに心拍が上がるのは、自分でも理解できない。もう昔に十分そうゆうものは見てきた。その性能が上がっても、実感というものは、10年前と変わらない気もする。
  それからも、心拍は上がったままで、仕方なくじっとしている。その前を考えてみると、なぜか眠気があった。外の温度は寒かったが、もう午後も遅くなると、周りの気温も上がる。さらに欠伸が何度も出た。目のショボツキはないが、なんだかこのまま眠れたら、かなり気持ちはいいだろうと思える。しばらく、ごろんとしていたら、時間はたった。眠ることはなかった。眠気もなくなったが、その後の、もたつく感じが、これがいやだ。無理しても、眠気を我慢するべきだった。

  少し前に、さらに遡ると、私は、かなり寒い道を歩いていた。北風があって、このことはきのう書いたけど、最初に会ったワンちゃんは、段ボール箱に入っていてそこの中にうずくまっていた。天井はあるが風はよく通る、そうゆうところにいる。もう一匹のワンちゃんは、日向にいた。風は、よって感じることはないのだろう、日の光に当たって、完全に居眠りをしている。日焼けが心配になるくらいだ。ワンちゃんにも色々いる。
  その他、ちょっと小型の犬になるが、2匹目のワンちゃんの場所から少し行くと、一ヶ月に一回か、3ヶ月に一回くらい、その頻度で室内で飼われている、ちょっとかわいいリボンも似合いそうなワンちゃんに吠えられる。何を言おうとしているのか、考えてみるが、いつもは家の中だから、やはり普段と違うものが見えると何でもかんでも、挨拶をしたいのだろうか。もし、ここに、大型犬が、登場したらどうだろうか。大型犬でも気のやさしいものもいる。小さな犬に吠えられて、苦笑いをするかも知れない。
  最初に会うワンちゃんはもう7年くらいは見かけている感じになって、犬としては中年であろうか。ときどき、ボソッとした顔で私を見る。この犬が、一番かわいい。

雪の匂いのするとき

2007-12-26 18:56:14 | 散策
  海に近いので、天気がいいと日中は北風が吹く日が多い。これが秋なら、ちょうど体を冷やしてくれて心地よいものだが、これから本格的な冬を迎える、北陸の、今ごろの北風は、冷たい。これは、海に近いほど冷たいようで、海に出てみると、加えて蒸発している、水分やらそれと一緒になった塩分やら、塩化マグネシュームで、少し体がべとつくはずである。ここはある程度、海からはなれているから、その感触はない。しかし、平地といっていいから、この風は、風の道でなくても、かなり強いまま、この辺りまでやって来る。
  飛行機だとどうかというと、今日は幸い晴れであるから視界はきいて、割と楽に、180度ターンをやっているように見うけられた。南側は、県境の山が接近していて、離着陸とも、北へ、あるいは北からということになり、北風の場合、離陸はそのままでいいが、着陸の場合は、最後に北に向かわないといけなく、このかなり高度な技術のいる180度ターンを余儀なくされる。
  最も、もっと怖いというか、難しいものが、これから先待ち構えていて、それは、侵入路が見えないと言っていい状態のときの着陸である。わずかな雲の切れ間を待つため、上空を旋回している。この状態は、普通ではわからないものだが、この冬場でなくても、気象条件の悪いときに、羽田からの最終便が、定刻の午後9時をかなり遅れて、着陸するということもあるから、見当は付く。実際に見ているわけではないが、エンジン音でわかる。さらに、着陸出来ずに引き返すこともあり、その場合、朝一番の定刻便より、早く、侵入、着陸体勢に入って、あー、きのうは最終便は降りることが出来なかったのか、と思うと同時に、ご苦労様といいたくもなる。

  何だか雪を、ここの辺りでは見ることをなく過ごしてきたが、週末あたりから、寒気が入り、いよいよ本物の雪が舞うような気配である。年末年始と重なる。

  今日の風というのも、私はあまり気にしてなかった。最も、朝が1℃台で、しかしこれが例年並という、いくら晴れでもそんなに気温は上がるはずもなく、やっぱりという感じで、北風の冷たさを味わいに外に出た。先に、少し書いておくと、ラジオでは、アナウンサの方は、コートは要らないくらい暖かでした、という言葉を発したので、広くて狭い、反対か、地球を感じ、さらに、同じく読まれたメールは、今日は暖かでポカポカして気持ちいいお天気です、というから、さらに地球の、ある地域の広さを感じた。それに反して、なんて寒いんだろうと思うのは年齢のせいか、フトコロのせいか、それとも実際に寒いせいか、全部だろう。
  派手な色のウインドブレーカを着ても、暖かくはなく、寒さに慣れる日だと思って背中を丸めた。無事用事も済まして、それで、やっぱり寒いが、一体雪はどうなるのか、お正月は雪景色になるのか、など考えている。ある広場から先は、もう何もないといってよく、港に近いところが見えているが、そのあたりに来て、遠い海とその先に見えるものを想像する。どうも雪は見えない。当たり前だ。雪の匂いはどうか、それも残念なことにない。最も、まだ今日はお日様が出ていて、少しは暖かく、その広い景色を見渡せるところで、深呼吸も出来たのだが、これが、ホントに雪がしんしん降るようでは、もう鼻も手で覆わないといけなくなる。
  雪の匂いは今のところない、と思う。これに、油の匂いなどするようになったら、それこそ世の中おしまいということになりはしないか。

  年末、年始は、荒れ模様、さて、鉢に植えてある植物はかろうじて生きているから、これをあるところに移さないといけない。それはいつか。




  朝の東の空。CCDには、肉眼ではわからない色々な色が見えていて、この色の大きさが魅力である。こんな大きいキャンバスはないと思う。




  セイタカアワダチソウ。23日の撮影だが、今日はこの「白いもの」が、強い風に乗って、いよいよ宙を舞い始める。そうゆう光景は、見るのが初めてのような気がして、この植物があたりに繁茂する理由もようやくわかった。

未来・2007年9月

2007-12-26 17:00:56 | 散策
  2007年の7月から、ライトレールに出会うことが出来た。
  ライトレールに会いにいっているような感じもあった。
  何が起こるかわからないもので、夢だけはいつまでも持っていたい。

  そのとき、お隣の、富山地方鉄道、さらにJRへといく可能性は
  あったかどうか、これはまだ曖昧だったが、遠くからは眺めていたから、
  その後の予想は出来たが、
  書けるのは、ここでは、ここまで。

  2007年の9月、少し秋らしい感じもする9月18日。




  タテハチョウのうち、アカタテハ、ヒメアカタテハは、
  ずいぶんと撮っていて、
  この辺りに多いチョウでもあることが、推察された。
  このチョウと花はよく似合う。

  秋のコスモスではなくて、菊に近い仲間?。



  蕾の数は、無論、有限だけど、無限に近い数があるようで、
  これは楽しい。実際、これらの多くの蕾は、すべては
  多分咲いてはいないのではないか。
  写真だと一気に秋だけど、実際はどうだったか、はっきりしない。