光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

冬の緑

2007-12-11 18:56:50 | 散策
  ずっと暗い天気が続いている。
  雨も少し降って、それから雲も厚くなったり薄くなったりする。どのくらい
  の感じなのか、自分の感じるものもその日によって違うし。変温動物でも
  あり、情緒不安定でもあって、ちょっと自分の予想と違うと、大いに慌てる。
  これはある『本』を見ていたら、まさに自分ことであると認識するのに、
  2、3秒くらいかかったが、この敏感さはまだ残っていた。しかしこれだけ、
  図星のことを書かれると、もんくをつけるより、スリすりしたくなるという
  もので、それにしてもこの本は、発行日が1993年の4月である。一体どうゆう
  日であったか、思い出すことも出来ない。これを買ったのが、それより後で、
  これが書かれたのはそれよりも前だ。

  薄暗い一日で終始して外に出る時もいかにも寒そうな感じがして、まこと
  大冬のときのスタイルにした。が、しばらくして、それほど寒くもなくて、
  ほっとした。何てこともないわい。もうちょっと自分に自信が持てないか。
  持てる時もあれば、持ちすぎることもあるが、それはやはりない方がいい。
  雨が降っているようで、水たまりを見るが、ぽつんという同心円状の波紋は
  ない。  

  赤い色の葉っぱ、黄色のもの、落葉広葉樹の葉っぱは、押しなべてほぼ
  散り終わる。その下はコンクリートやアスファルトである。これが、石畳なら
  と思う時もあるが、その舗装路面が一部賑やかに彩られるのはなかなか
  いいものである。これくらい書いておかないと、植物に気の毒である。
  それから、隙間というものはどこにでもあるが、そこからは、まだまだ
  これからがんばって出てくる葉っぱやらがあるから、その生命力にあやかり
  たいとも思う。

  しばらくすると、からだから湯気が出るようにも思えてきて、これだから、
  変温動物であると、自分でも思う。少し吹いている風も穏やかで、特に
  寒さを感じさせない。おかしなものである。それで、高いところの山々は
  雲に隠れて見えないが、いつもは見えない、やけに低い山々が見えるが、
  しばらくして、もったいない風景、光景のように思えてきた。しかし、
  ありがたいものは、そう長く見ていてはいけないものでもあるから、それ
  以外のちょっと変わった、あるいはいつもと同じものを見て、探して、また
  車に気をつけて、ひっくり返らないように注意して、いつもの道を歩いた。

  冬の緑。冬ねー、どうもまだ冬ではないし、明日は予報だけど今日よりは
  暖かそうだ。寒菊が咲いている。蕾がずいぶん大きくなって、威勢がいい。
  その次、もうちょっと変色が激しい、キカラスウリの巻き付いている
  梅の木の下に、小さく咲いている花。この花は白いが、本体は緑、周りも
  やけに緑が多い。




  ここは、時期の過ぎた野菜などが、ぽんぽん捨てられているところ。よって
  ときにそれがよみがえる。夏の終わりなら、それがまた大きくなって、再び、
  切り取られることにもなる。これも、その野菜の花のようで、違う気がする。




  ぐるっと回って、帰るところは一つしかないが、そこにこの緑があって、
  花が咲いていれば、これはこれとすぐにわかる方も多いと思う。この葉っぱ
  だけのようで少し花もある植物になぜかきれいに、水滴が水玉が出来上がる
  ので、無論雨が降ったからであるが、もう少し大きい水滴が密に出来ている
  ときがあって、それがよかった。しかし、ちょっと危なっかしいところでも
  ある。次の機会を待ったが、今日の雨では、この程度。

  でも、いちおう緑がきれいということで。こうゆうのになかなか目がいかない
  のも事実である。

子供のころの写真

2007-12-11 07:13:22 | 散策
  朝のお天気、曇り。結露がない。風弱く、穏やか。室温9℃、暖かい。
  暖かな冬である。5、6秒目をつむっていると、布団の中で、時計は5、6分進んでいる。慌てて起きる。慌てることなどないのだが、ビクッとする。
  冷たい水で顔を洗う。この水はさすがに冷たい。金柑の酸っぱいのを水に浮かべる。これで、少しは目は覚める。断片的に、ぽっぽっとあることないことが思い浮かぶ。それがまた消えて今度は浮かんで来ないかも知れない。

  バックグラウンドで、何かPCはやっていて、やらされていて、それで、ここに出る文字が現われるまでのラグが出る、変換もかなり遅れる。正体はわかっている。プロセッサを独り占めするソフトの候補は絞られる。まったく何とかならないか。

  やってはいけないと思っていることの一つに、自分で自分の写真を撮ることがある。少し前、2年前、これをかなりやって、精神衛生上よろしくないとわかって、禁止令を出した。自分に。それは長く守られていた。特に、自分の顔を撮る必要もないから。撮ってもらうときは少しは、おしゃれをしないといけないだろう。そんな時はしかしない。自分の顔を撮る。自分のうちの、自分の顔。が、ついにそれをやった。で、そこに現われたものはなにか。
  写真の撮り方を一から勉強しなおさないといけないことがわかった。
  何でか知らないが、顔は写っているが毛がない。毛髪が写っていない。なんでやねん、という感じだが、部屋の中が暗いから、黒い毛はその闇に紛れ込んでしまう。部屋の中は暗い、ということがかなり前から、これをやってわかった。
  もちろん、晴れ上がっている。晴れ上がっているが、やはり少しは毛があるもので、もう少し明るいところへ行く。最後はちょっと下を向く。すると、毛は写るが、どうも顔がおかしくなる。それから、もう一つ、このカメラ、やけに顔が横に広く写らないか。

  子供の時の写真というのがある。紙にプリントされている。ネガはないだろう。それを昔はときどき見ていた。小さい自分と、少し背の高い姉が写っている。昔は姉の方が、いつの話しか、背は高かった。それにしても二人とも足が短い。
  それから随分と時間がたった。姉の格好は昔と変わらないか、少し縮んだ気がする。痩身といっていい。運動靴を履いている。それに比べて、私は太った。それから、顔も丸くなって、毛はなくなってゆく。昔は兄弟に見えて、今はそれはない。だんだん悲しい話しになってゆく。昔の写真を見ると、大体そうゆう風になることになっている。