光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

冬の街が輝くとき

2007-12-19 18:55:12 | 散策
  薬局に入ったときに、他にお客さんがいなかったので、少しほっとする。年の瀬かどうか、わからないところだが、混んでいるより、すいている方が気分は楽だ。それで、ホンの少しの時間で、必要とするやり取りは終わって、風邪などひいていませんかという言葉に対して、ありがとうございます、幸いその気配はありません。で、今年はこれでおしまいなので、また来年お世話になると思いますが、よろしくお願いします、みたいなことを、少し、言葉を変えて返答に変えた。もうそうゆうことも言っていい、あるいは言わなければいけないときなのか、ピリッとしたものがないからわからない。
  
  外は、幸い晴れている。きのうの天気予報はどうだったか、また、明日の天気のことをどう書いたか、それも忘れた。ここは、歩くしかない。右足の痛みは残っているが、いちおう、おまじないに、試供品の痛み止めを塗っていて、そのせいか、また道がかなり平らなこともあるのか、痛みはない。ちょっとこれだけはやっておかないと、というものもあるし、この晴れのお天気はありがたい。
  みちみち、忍ばせているミニカメラも取り出している。街路樹からきのうの雨の残りが落ちてこないか気がかりだか、もう葉も落ちて枝しかないから、その心配はなかった。東南の空にまだ低い太陽があって、その辺りに少し雲がある。周りは、かなりな交通量もあるので、車密度みたいなものも写す対象になると思って、一瞬だけボタンを押す。その先に信号が見えていて、ある人は走ってきた。私は、しばらくは普通に歩いて、無事信号が青のまま、道を横断できた。

  右か左か、これは手で示すのが一番だが、進行方向に向かって、右にある歩道を歩く。大体500m、正確にはわからないが、そのくらい。南北の交通量は多いが、東西は少なさそうだ。周りに、高層建築物が見えてくる。明るいが暗い。影に入る。
  反対側を見ると、見事な、日に照らされた、明るい光景がある。こちらの方もたまには撮っている。でも、この冬の街の感じというのは、逆光でないとその雰囲気は伝わらない。500mなら7、8分で通過できるはずだが、実際はもうちょっとかかる。目の前に、お馴染みの、小型の2両編成の車輪が見えない、地面を這っているような感じの路面電車がゆく。もう追いかけない。慌てることはない、それは、終着駅について、そこにしばらく止まっている。しかし、その車輌に見かけない、あるいは新しい何かのデザインがあるようで、そのことは識別できた。

  折り返しの、いつもの電車が走ってくる。少し、余裕がある。それが見え始めて、それを見送る。その先に、ちょっと変わっているデザインのものは止まっている。用事を先に済ませることに。不思議と、ここも空いている。よかった、すぐに終わって、さてどうにかうまくいったようだと思って、そのいつもの、ライトレールの終着の駅に行くと、あれまー、なぜかそこには、影も形もなく、ただ、冬のやけに明るい太陽に照らされた、平面だけが残っていて、記念に、主役のいない駅というものを撮ってみた。ちょうど、お母さんと子供さんが、同じようなことされていたが、どうも電車はなかってもよかったみたいで、子供さんをお母さんが撮っていた。これまた、冬の微笑ましい光景である。こうゆうのは、まだ短い期間しか、瞬間に近い時間しか、その場所にいたことはないが、初めてである。


  外は晴れで、かなり明るいが、街の風景も、何度も撮っているのですが、たまには出してみようと、後から出来具合を見たのですが、最初は、それがどこにあるのか、わからないように、写っていました。




  雲がかかっていても、太陽の光は明るすぎてまわりは真っ暗。ここは、画像変換の威力で、確かにこうゆう光景だったというものを取り出しました。黒い高層建築物に向かって歩いています。




  お馴染みのところという方も多いはずですが、ローカルな話しです、これも、オリジナルは真っ黒け。
  しかし、冬という感じは、結構あって、少し全体を明るめにして出してみました。

  冬の街の瞬間です。

未来・2007年2月

2007-12-19 16:33:37 | 散策
  今年が、まだ1月だったとき、
  この時間のファイルも、外部のディスクにのみ在って、って、
  この説明はもう要らないですね。

  2月をかなり荒っぽく、ちょいちょいと見てゆく。
  梅の小さな蕾、それから開花した花。菜の花に青空。
  その他ほとんどのものが、もう春であって、本来なら
  一番寒いはずの季節であるが、そうゆうものを現わすものは少なく、
  この雪の景色しかない。

  2月2日、雪はお昼にはもう止んでいた。



  こんもりした雪の感じはあるが、向こうの空は明るい。
  記憶にあって、たぶん犬のように、少し喜んでいた気がする。
  これで、ようやく冬が来る、とまだ思っている。




  田んぼも全面白くなっているが、その上の空は、真冬の感じではない。
  これで、雪の写真も増えて、ちょっとやりやすくなると
  考えていたようだ。

  今年はどうか、それは、ここには書けない、書いてはいけないことだった。

高価な年賀状

2007-12-19 07:12:41 | 散策
  朝のお天気、小雨か、曇り。風はかなり弱い、少し明るく木々の枝まで見えるが揺れてはいない。室温、先ほど7.5℃、今は8℃。

  数少ない年賀状をチラリと眺める。これはあまりしみじみと眺めるものではない、と私は思う。チラッと、余分なところは、見ないように見る。
  PCを、年賀状作成のためにしか使わない、というメールがラジオで流れたことがある。これをディレクタさんはちらっと見て、真偽はこれはさほど問題ないと判断、それがアナウンサのテーブルに移動する。音はしない。これが読まれたわけである。アナウンサの方もへーっという感じでこれを読む。聴いている私もへーっという感想を持つ。少なくとも、この方は、PCを使って年賀状を作っているということは信じてもいい気がするが、随分と優雅でもあり、フトコロも暖かい方だなとも思う。

  大概の、数は少ないが、年賀状は、PCやら、印刷所の関門、関所を一回は通過していて、直筆のみというのは、かなり少ない。2、3かも知れない。もう2、3回見たけど、あとは出すだけだが、名前にたいして違和感はなく、記憶にあるがが、直筆の数はすぐには出ない。
  印刷しますという広告はここにも入る。やれないことはないが、やらない。PCはというと、これは、喪中の方へのお見舞い用に、へたな文やら文字よりいいと思って、半分は写真にし、それも剱岳!、あとは、それようの言葉を写す。年賀には使わない。ソフトも入っていない。
  今PCで使うのは、ほとんどが、カメラの静止画ファイルの保存とか、それのお化粧で、お化粧は、ここに出すためのもので、そうするとこの書き込み、かなりお金がかかっている。この辺は、気が付かれないところ。もう、メモリの大食いをする、高価なシステムを要求するゲームもほぼ止めた。まともに動かないこともある。あとは、そういえば、このモニタの向こうのお店のページはよくのぞいている。結局、静止画関係と、お店めぐりだけしていることになって、それなら、何もこんな高性能???な機械は要らないな、という気もする。よく考えたら、そうだった。

  年賀状にもどって、大部分は表側、住所、氏名の書かれているほうは、PCを通過している。さらに反対側もPCを使ってというのが、全体の半分は占める。その一枚のコストはいくらくらいになるか、これを様々な計算をして、その結果が出せればいいがそれができないので、勘でゆくと、少なくとも、年賀状本体の値段より高そうで、最高は、一枚1000円くらいはかかっているのではないか、とも思われる。ずいぶんと高価な年賀状を頂いていることになり、ありがたいことだなと思う。PCも、世代交代が激しく、これからも、年賀状の作成にはお金がかかることになるが、その数もだんだんと少なくなってくるものと思われる。