光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

元気って、犬に吠えられる

2007-12-14 19:02:02 | 散策
  怪しげなお天気続きで、ところがどうだろうか。

  どうも、北の方にも、南の方にも、赤道の直下にも行けないという人がいることを、お日様は知っているようで、それまで降らせていた雨を中止させて、青空をしばし復活させてくれる。いやはや、これはありがたい。
  この辺が実に難しいところ。明日は雨など書くと、それに反して、ミゾレが降ったりする。さらに、大風が、北からの風が吹いたりして、かなり寒い思いをすることになる。それで、最近は、多分もしかしたら、明日は雪と書くと、もしかして、「反復もしか」で、晴れ、気温は低くてもいいが、晴れかも知れないという気がして、そうゆうことも考えて、この書き込みをやっている。
  ややこしくなってきた。ただ、ややこしいことを書かないと、お天気もややこしく変化せず、明日は雪ですねなどの一言で終わりにするとホントに大雪になるかも知れない、そうゆう危険性も、このお天気にはあるから、またときに、気分だけでも、いい心地を味わいたいもので、さまざまなことを、かなりいい加減に、ときにこれは嘘というものも、混ぜこぜにしないといけない。この辺りが、限界であって、それは、遠い異国の高原列車に乗ることもままならず、また、極北の地に、見ることのない、太陽風と地球の磁場との競演をただ想像だけする、そうゆうことに、似ている。

  それで、どうゆうわけか、いつものただ歩くだけの時間でもあり、ときに用事もある時間、外に出たが、なんと、雨が上がった。お昼に近くなるにつれて、雨が止み、明るさも普段と変わらなくなって、少し厚めのものを着て、間違えた、重ね着をし、傘はいつもの通り持つが、それを差す必要はなかった。
  水たまりが出来ている。かなり大きなものだ、結構降ったからな。これは、しかし、車には注意する必要がある。しかし、なぜかその車も少ない。雲が薄くなる。これは天気予報が、雪ときどき曇りだから、と思う。薄くなるだけではなく、どうゆうわけか、ポカポカしたものが、体に当たる。周りもさらに明るくなってくる。暗くなったり、明るくなったり、天秤のように動く。この感じがいい。その割合が、あきらかに、明るいというものになっていって、これは、この辺りにある空気が、多分暖かいからだ、ということが思い浮かぶ。しかし、なるべくそうゆうことを考えない方がいい。何かほかの事で、この気象を予知することが重要に思える。

  買い物を済ませて、お店の人と、お日様も出てきて、これでは雪はまだ降りませんねーなどと話しもする。寒いと口もうまくまわらないが、それもない。
  途中、帰り道、周りの植物などを眺めていた。これにも、南からのお日様が当たる。うまくポッと明るくなる。すこし遠くに、ワンちゃんと、飼い主さん。歩いて行くと、どうしても対面することになる。そのワンちゃんの種類はどうもよくわからないが、小さなリボンが似合う。小型犬である。このワンちゃんと、おばさんが一緒に歩いていて、この小さな犬は元気で吠える。なかなかいいことである。にんまりしながら、軽く会釈したかどうか。和やかな光景。これこれ、って、話しにあるように、おばさんは愛犬に注意。
  それから、10分もしないうちに、私は、再びそのワンちゃんに吠えられた。これはホンの瞬間の出来事だったが、角を曲がったら鉢合わせ、「また吠えて、いけません」、と飼い主の方が言った。私は犬には、吠えられた方がいいと思っているが、瞬間だったから、なにも言うことは出来なかった。




  雨が降って、途中から薄っすら晴れて来たから、このハボタンに溜まった水も輝いた。溜まった水は、かなり複雑な状態をしている。光が強いと、キラリなんだけど。




  対照的であるが、こんなタンポポの仲間だろう植物の姿も目に入ってきた。こうゆう細かいものは、どうしても撮りたくなってしまう。得体の知れないもの、をはっきり見たいという気持ちもあるが、それにしても、これはちょっと複雑すぎる。

  これで、バランスもとれて、はて明日はどんな天気か。どう書いたらいいか、わからなくなってしまった。 

水面の反射光・冬(1)

2007-12-14 16:59:27 | 散策
  雪がちらつかないのは、正直ありがたい面もあるが、それで雨が続くと、
  水たまりができ、それがさらに大きくなると、流れが生じる。
  水面があり、水が流れると波がたち、水面に写るものがあって、落ち葉も
  溜まったものが、浮いて移動する。用水の水が動き出した。
  夏のように激しくはないが、雪の変わりに水のかぼそい輝きがある。




  一枚目。暗いのは露光不足。気が付いていない。
  水面の黒い影は、多分カエデ。落ち葉はイチョウ、その他。
  もやっとしているものは、カエデの枝と波のせい。
  波に写るカエデの細い枝のせいかな。


  
  
  風で、波がかなりたって、水面に合焦している。
  波の形はいつ見ても、不思議なものである。魅力的でもある。
  カエデの枯れ葉ははっきりしているが、木の本体はゆがんだ。

  (1)ということは、次もある?。あれれ、疲れそう。

遠のいたもの

2007-12-14 07:16:24 | 散策
  朝のお天気、雨。結構きつい雨。風は弱そうで、穏やかだか、まだかなり暗い。室温10℃、これが下がらない。
  今、一瞬何かを探そうとした。それが、こっち、この画面を振り向いた瞬間にわからなくなった。何を探そうとしていたのか、わからない。

  近くなったり、遠のいたりするものがある。勝手に話しを作る。
  遠のいたもの。それとその反対。でも今日は、遠のいたもの。ケータイ。ケイタイ。携帯。携帯電話。これって無線のやつ。どっかに持っていって、なにかを差し込んでではなく、無線。ただし、電池が切れるとだめ。また、送受するアンテナがそばにないと、これまただめ。そうゆう、ケータイ。何でも出来る、条件が整えば、ケータイ。
  何を探そうとしたのか、気になっていけない。
  ケータイがないと困るだろう。ここの電話は、ホームズの時代からある、黒白の、ダイアル式の電話で、ありがたいのは、停電中も使えることだが、これも相手の電話が、使えないとつながらないから、多分、あまり意味はないか。でも普段、も電池は、電源は要らない。これが多分壊れるときが来るが、これが困る。どうしても電話しないといけない時にそれが起こると考えると怖い。電話も一台買っておくべきだ。わかっているが何もしてない。
  外に出ていて、助けてというときを考える。あるいは急用を思い出した。電話しないと、というときもあるだろう。
  何を探していたか、まだわからない。なんだろう。

  それで、ネットでケータイというのを調べて、その一部のデータは、ここにも閉じ込めたが、それでも、ケータイというのは、申し込む時も面倒なセットがあって、さらにそれを使う時も、かなり高級な事を要求されそうで、すぐにこれを調べるという作業もしなくなった。貸してもらって、それで、月の使用量、違った、使用料が定額、なにをしても、そうゆう時代が来ないか、今でも待ちどうしい。いくらか、というのも引っかかるところだが、あと何時間使えます、くらい出ていれば、慣れれば、問題はないだろう。こうゆうことも、考えることもなくなって、今はケータイは、この言葉は、私にとって意味がないということになる。

  近くなったもの、これは、なにがあるか。それにしても、さっき何を探そうとしたのか、気になって仕方がない。
  でも近くなったものを探さないと。えーっとPCか、PCとの距離は、これは揺れている。どうにも使いよくなったという感じはない。こっちの無知もあるが、振り回されている。どうにか、お金をつぎ込んでいることもあるが、これについて行くので精一杯。まったく。これは、距離的には、月と同じで、少しずつ逆に遠ざかっているかもねー。
  それで、近くなったもの。トイレくらいか。それから、地球の自転軸というのも、気の遠くなりなりそうな時間で、26000年とかいうことになっている、回転していて、今はこぐま座のα星が北極星ということになっている。果たして、地球の自転軸は、この今の北極星に近づいているのかどうか、これもやっぱりわからない。
  何を探しているのか、まだわからない。