光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

オニユリ

2007-07-21 19:00:16 | 植物・花(夏)
  今日も、あるものを鑑定するTVを見ていた。ここは、直接その放送を受信できないところで、どのくらい遅れて、流れるのか、定かではない。
  それで、ポツポツ来そうで、来ない、梅雨なのかどうなのか、わからない、そうゆうお天気で、毎度ってな感じで歩く。
  ムラサキシキブという名の植物が、唯の一つを指しているのかはっきりしないが、その植物の枝が伸びていて、さらに、小さな花が咲いているのを見た。結構風があって、ほとんど枝は揺れっぱなしだ。これが、そのうち、紫の小さな実を付けるのだろうか。ふと、思う。こうゆう話しをある程度、箇条書きに出来るが、これをやると、明日に結びつくものが?なくなってしまう。あっさりと、オニユリのところにゆくのが、賢明のようである。
  ユリというと、やはりカノコユリですね、そうゆう方も多いだろう。私も、そう言われるとそうですね、と答えそうだ。先に書いてしまうと、カノコユリもネットで調べて、この言葉というか、表現は、非常に便利であるが、ホントかうそか確かめようがないというのも事実、その姿を見た。去年、実物を見ていて、それで、そのカノコユリは、帰って来てわかったことだが、どうももう咲いているようだ。
  なかなか、オニユリにゆかない。オニユリって、なぜ”オニ”ってな言葉が付くのであろうか。確かに鬼はいる、頭の中に。さらに、オニのような人もいる。これは、わかりやすい。そうゆう人を目の当りにしている。これでは、鬼がかわいそうだ。オニのような人の一人に私もいると思うが、ときに涙する。霍乱もする。自分については弁護する。しかし、オニであり蛇でもある人もいる。そうゆう人間が、金棒をふるえばどうなるか、こんな事は、火を見るよりも明らかである。
  なかなか、オニユリにたどり着かない。実際そうであて、いつもの感じで歩いていたが、振り返って、もしかしたら、このちょっとオレンジというか、ダイダイというか、夕暮れ色というか、よくわからないものを見たとき、見たと言うより偶然飛び込んできたとき、これは、オニユリだと、直感した。なぜ、今年は、オニユリを見ないのか、それが不思議なくらいである。様々なユリが今までに咲いていたが、これも最初はすべてオニユリだと思っていたのだ。それで、ようやく本物のオニユリに出会えて、まずはよかった。
  オニユリはここにもあった。でも、消えた。ある条件が満たされれば、それは再び出てくるものらしい。でも、それは、二度と出てこなかった。




  辺りの状況から判断すると、一つの個体から、一つか二つの花が咲き始めたところのよう。これも、朝咲いて、というか開いて、夜には閉じるのかな。空の様子は、これでは、わからないですね。それと、どう撮るかだけど、ミニカメラでは、接写と、全体くらいしか、思い付かない。



  その通りのものを撮ってみました。かなりたくさんなものが植わっていて、この花は、人知れずこっそり咲いている、この言葉もよく出るが、のが、いいのかも知れない、という気もしてきました。  

きょうは、もんしろちょうをにかいみました。

2007-07-21 07:33:22 | 散策
  朝の天気、小雨。風は弱く、穏やか。小糠雨、煙っている?。室温24℃。
  きのうの夜に、細かいことを、こまごま書いたので、朝に、書く事がない。さらに、脳みそをかきまわす。何かあるはず。まず、子供の絵が浮んだ。子供さんは、三つ子で生まれた。皆似ている。そして、しゃべる。お名前は。タモリさんが聞く。や・ま・の。ま・や・。です。よろちく、おね・がいし・ます。これを聞いて、早くも落涙。
  夏の絵日記、夏休みの絵日記は楽しい。まずは、クレヨンを出す。お父さん、お母さんの顔を書く。毎日同じなので、お母さんは心配になって、子供と外を歩く。すると、白いチョウが飛んできて、いや舞って来て、昔は自分もあのようだった、はず、涙する。その、モンシロチョウである。

  モンシロチョウも、まったくといっていいほど、見かけなくなった。アゲハ、ときに黒いのも見る、の方が、よっぽど見る回数は多い。大きいし、目立つし、そうゆうこともあるかな。それで、今日はきのうで、モンシロチョウを、静かに見かけた。このものは、小さい花に止まった。セセリチョウなどは、結構大きい花に止まって蜜を吸う。おおきなチョウほど、小さな花の蜜を吸うような気がする。
  普通、モンシロチョウは、すぐに飛び立つ。しかし、お腹が減っていると、そうでもないようで、近くまで寄って、しみじみ見ていても逃げる気配はない。その翅は、ある所は薄くて、純白だが、胴に近づくにつれて厚みをまし、少し黄色い。外側、淵の翅が一番きれいで、また鱗粉も少なそうである。
  もう一回、モンシロチョウを見た。これはイネに止まっていた。つまり葉っぱに止まっていたのであるが、このチョウもじっとしていた。少し距離はある。葉に止まっているチョウも見かける。雨などの水滴も関係しているかも知れないが、ただ休んでいるともいえる。きれいなチョウで、おとなになったばかりなのかも。
  なかなか、見ることのない、モンシロチョウを2回も見る事ができた。これは幸運。
  夜になった。建物の中は、すでに暗い。それで、黒光りする、ある昆虫があちこちでうろちょろするのを見ることなる。暗躍という言葉が思い浮かんだ。この虫をひっ捕まえる、何とかの箱があるはず。この組み立ても、1分で出来るようになる。まず、自分の手が、箱の底にくっ付いた。まったく、
  それで、朝になって、まず一番にその箱を見る。想像したくない絵がそこにあるはずだった。だが、実際はどうか、どうであったか。悔しいというか、この箱がアホなのか、ジダンダを踏むとはこの事。ある虫は、人より、少なくとも私より高級であることがわかった。そこには、空気がくっ付いていただけであった。
  白と黒の話しになったが、どうも白の話しだけにすればよかったか。

カマキリは、顔である。

2007-07-19 19:05:28 | 虫、その他
  かなり暑くなった。最高気温を見るのを忘れているが、ここの温度計は29℃まで上がった。これでは、普通のお店でも冷房を入れないかも知れない。なるべく電気は使わないことっ。
  暑くなると、どうなるかというと、なぜかよくわからないが、大きな声では言えない事が起こる。おせっかいな事でもあるし、どうしてそうなるの、という疑問も出る。しかし、ここに書く事でもない。
  久しぶりの暑さだから、これはちょっとしんどいかもと思うが、少し前の事は忘れてしまった。覚えていることは書けなくて、と言うより書いてもしょうがなく、なにかいい事があったはずだが、それを忘れている。そうだ、セミの鳴き声が、復活した。耳鳴りか、セミのジージーと言う鳴き声か、判断が難しい日々が続いたが、今日は、結構ジージー聞こえてくる。これは、セミ、ニイニイゼミ。さらに、ラジオのアナウンサは、アブラゼミが鳴いたと言う。気象台の発表と言われたはずだが、まー確かにこれだけ暑いと、アブラゼミも土の中から出てくるだろう。その羽化の状況を思い浮かべるが、一体どのようなものか。
  暑いと思っていた午前が過ぎて、目の前に蚊が来た。偶然ではあったが、私は両の手でパチッとたたいた。それは、分解して、一部は手に残り、一部はシャツにくっ付いた。年代もののYシャツに血と、残りの蚊の体がくっ付いた。この血は誰のものか、など、ぼんやり考えていたら、ちゃんと喰われた跡が赤くなって残っていた。
  外に出て、日は陰っていたので少し安心する。さらに、風は北からのものである。久しぶりに、ミニカメラを忍ばせて、少し早足で歩いた。変わったものは、見た目はわからないが、この辺りはどうか、少し探りを入れてみる。もういい加減くたびれてきた。同じようなものは、もういい。ゆるい北風は、北に向かうときは涼しい。こうして、帰って来たが、この辺りにたくさんある、アジサイの花をしみじみ眺める。普通のアジサイも、もうおしまいであるが、いくらでも、新しい花が出てくる。
  この花を眺めるのは、大体がそこにカマキリがいるはずで、今年のカマキリはどうか、どうでもいい事を考える。アジサイの花は”まあるい”から、雨が降れば虫はその裏側に隠れる。怪しいと思えば、やはり隠れる。これは、テントウムシなども同じで、怪しいものがやってくると、私のことだが、くるりと花の裏に隠れてしまう。その点、小さなカマキリは移動はするが、そこにいてくれたりして、でもこれを撮るのは難しい。なにしろ、小さい。さらにその顔は、なお小さいが、その表情が人を引き付ける。



  第一のコース、普通のカマキリ君。かなりエッジをたてて、輪郭を際立たせている。黒い点が目かどうか、それはこれではわからない。



  第二のコース、ちょっと丸まった、カマキリ君。これが、なぜこんなに丸いのかよくわからない。しかし、いる。第一のコースと顔が少し違うような気はする。カメラは、アジサイの花に合焦しているのは明らかで、やりづらい。



  第三って、このカマキリは、眠っているのかね。上の二つに比べてかなり大きい個体。どうも、目らしきものがない。目を閉じているカマキリなのか。
  3枚とも今日、同じカメラで撮ったもの。最後のは大きかったので、もう少し表情がわかるかとも思ったが、残念。宿題は、簡単には終わらない。

盛り上(下)がる

2007-07-19 07:27:05 | 散策
  朝の天気、晴れ。これは、本物の晴れです。風は弱く、穏やか。室温23℃。
  一体何日ぶりの朝日だろうか。どうも明るすぎる。さらに、日が当たると極端に暑い。
  でも、今日は、盛り下がる事を考えていた。5分考えて、盛り下がっていることに気付いた。盛り下がることが多いのである。
  パソコンは、なんか理屈なくあるとき突然壊れる。壊れると言うのは大げさだけど、まー気分はそんなもの。特に、間違った事をしていない。あるソフトを動かしていて、ある所を押したら、マウスでクリック、画面が止まった。元に戻らない。システムっていうのか、最近のOSは、自分自身を守るために結構な対策を、自分でとっているらしい。そうだと、例えば、今使っているソフトは、止まってもいい。やり直せばいい。でも、OSのレベルでは、特に問題なく、例えばウインドウズの画面に戻っていいはず。そう思うんだけど、 
  止まったまま、画面は。
  電源を入れなおす。すると、問題なく、ウインドウズさんの顔を見るが、なにかがおかしい。出るべくマークが出てこない。パソコンを守ってくれる、あのソフトが働いていない。馬鹿馬鹿しくて、もうこれ以上書く気にもならない。たぶんこれからも、パソコンは、フリーズし続ける。90%は大丈夫だけど、あとの10%は、おかしい、そうゆう状態が、永久に続くだろうね。
  あとは、そうそう、カメラの画像の問題。これが、溜まる。溜まりに溜まって、ついに外に追い出した。そのためには、別個にディスクを買わなければならず、お金はなくなってゆく。新しく求めたディスクもその容量の半分以上をすでに使った。しかし、これは、ただ保存しただけで、仮りですね。ディスクが壊れれば、すべてがパー。もう一台ディスクを買って、合計二台で1セット、なんか人間の体の臓器に似ている、そっちにコピして、これでまーたぶん保存になる。一方が壊れても大丈夫。そうゆう風にするものであるらしい。でもねー、そんなこと出来ると思う?。
  もう昔のものは、全部パッと消してしまうというのも、面白そうだが、いずれそうなるのだが、やはり怖い。ものを捨てられない性格だから、どんな失敗作も、皆保存しないと、気がすまない。いいものだけを選ぶってなことが出来ない。これって、やっぱり”ものぐさ”だったりして。
  やっぱりアキマセン。暑くなってきた。なにしろ朝の5時から、日が当たっている。最近はモヤシ生活をしていたから、この暑さと明るさにまだ適応できない。今日こそ、本当に暑くなる。書いていることは、いつもチグハグ。

背の高い花

2007-07-18 19:14:23 | 植物・花(夏)
  お天気は曇り。風は特にひどくもない。雨雲が、濃い鉛色をしているが、地平のわずか下に、空隙がある。ときどきパラパラ来る。何度同じことを書いているだろう。
  少し前に、背の高い、かつ堂々としたケヤキについて感じた事を書いたけど、どうも20mも高さがあるかどうか、あやしくなってきた。でも10mはある。これは間違いない。だが、15mくらいかも知れない。木の高さの世界一、はわからないから、まー知られているうちで、一番高いのはどのくらいあるのか。ふと思う。いくらでも高くなる木は、これはない、ないと思う。
  それとあまり関係はないが、木は結構高くなって、これは突風が吹くと、ときに倒れる。ほどほどの高さがあるはず、あるいは人と植物が調和のとれた生活をするという条件を付けると、これが一番好ましいと言う、その高さは、決まるのではないか。
  さらに次元は、現実的で、個人的になるけれど、最近の植物は、大きくなる。普段、これはきれいですね、この花は何と見事なこと、など話しをするが、これは、ほどほどの高さの木や花の場合である。管理されているとも言える。でも、人と違うものを、背伸びをしないとわからないものをねらわないといけないという場合がある。そうゆう人がいる。やっぱり、書き込みをやるには、ウェブログに載せるのなら、そうゆうものが欲しくなる。やんわりと、ここが違うんだけど、なんてわかるようなものがあると嬉しい。
  で、どうだろうか。実際の話し、アジサイはこの辺りのかなりのものが、人の背より高くなっている。どうぞ、好きに撮ってくださいとアジサイはゆう。そんなー、と内心思う。昔は小さかったのに。さらに、自分は、ずいぶんと深い雪に埋もれたアジサイを、もう凍っているというところから、どうやら、まーまー大丈夫だろう、というところまで、ほじくり返したのに。
  ムクゲ(木槿)が、また大きくなる。これは、なぜかここにはない。でも、あちこちにあるが、これが背が高い。2mをゆうに越す。空に向かって、その一つになったオシベとメシベを放射している。おーい、と叫んでみるが、聞こえない。
  その点、フヨウ(芙蓉)はどうか、この花は、この辺りにあまりないと思ったが、やはりあった。これは、ムクゲと違って、草に近い。同じように背は高くなるが、その花は下のほうからも咲く。これは、私が見ているものが偶然そうなのかも知れない。でも、低いところだと、簡単に車などの陰に隠れる。
  つまり、ムクゲも、フヨウも、なかなかいいものが咲いているが、残念ながら、なかなかそれをファイルにする機会がない、という個人的な、無念さがある。そうゆう事を言いたかったのでした。ホント、個人的な話しで、申しわけないと思う。



  幸いというか、たまに、ジグザグ歩くと、ときどきおやっというものがある。色々なものを皆さん育てておられる。この花だが、少しエッジを立てると、淵は傷んでいるのがわかる。この長雨のせいであろう。



  こちらは、開いたばかりか。ある花はこっちを向いて、あるものは向こうをむく。特に、なにかあるというわけでは、なさそうな気がする。
  いよいよ、引き出しの中が空っぽになる。

今を生きるお地蔵さん

2007-07-18 07:20:19 | 散策
  朝の天気、曇りか雨。風は弱く、穏やか。室温22.5度。
  深い気圧の谷にいる。谷というより盆地かも。薄い鉛色の雨雲が地上から上へ伸びているかのよう。このお天気がいつまで続くか。
  どうするか考えていて、5分くらい、ふと、きのうなぜか、信号の向こう側にある、向こう側のさらに少しいった所にある、お地蔵さんの近くまでいった事を思い出した。別に、お地蔵さんが呼んだわけでもない。ただ、ここは、ホントに道路のそば。道路の横に、お地蔵さんがある、そう言っていい。さらにゆっくりしたS字カーブを描き始めるところで、危ないったらありゃしない。
  それでも、信号を渡り、さらに3、4m道路の際を歩いて、お地蔵さんに接近する。今回は、2、3m前で止まった。別に意味はないが、車も来なかったが、そこで止まった。お地蔵さんは、私が知っているものでも、この辺りで3つはある。大体が、囲いがちゃんとある。祠とは違うと思う。屋根付である。まずその屋根だが、これは人家のものと同じだった。地震の影響があるのかどうか、屋根瓦が、半分くらいちぐはぐになっていて、へたをすると落ちそうで、しかし落ちないだろう。その囲いは、側面はこれは木製で、昔の家のお風呂場が想像された。どのくらいの年月がたっているのだろうか。
  ここの昔の家の風呂場は、これはただ五右衛門風呂が一つあって、まー洗い場のようなものもあったが、ある所から外が見えたし、板は半分朽ちて、無論真っ暗であった。そんなことはいいとして、この囲いの木製の板に、なにか歴史というものを感じた。懐かしい感じもした。
  たぶんここのお地蔵さんも、中に二体、高さは1mくらいのものが入っているのだろう。そのお地蔵さんは、石でできていて、年齢は100歳を超えているかな。戦前のものだろうな。想像する。花がいけてあった気がしたが、すぐにそこを離れて、さっさと歩き出したからもう忘れた。
  しばらくして、今にもくずれそうな、先ほどのお地蔵さんの囲いの屋根の瓦が思い出された。その感じがなかなかよかった。よく、お地蔵さんが、写真の被写体になる。これはなぜかはっきりはわからない。雪などがシンシンと降るとお地蔵さんは、輝いて、非常に弱い光であるが、さらに、存在感がでる。
  今は夏だし、どうも埃っぽくていけない。先ほどのお地蔵さんの存在を知ったのは、ずいぶんと昔だが、それにしても、なぜ、そこに近づいたのか、やっぱりちょっと不思議である。

梅雨のヒマワリ

2007-07-16 18:54:20 | 植物・花(夏)
  えーっと、地震ですね。私の住んでいる辺りもかなり揺れました。
  なんとなく、ずるずると時間がたつような気がして、それは来ました。最初は、なかなかわからない。でも、その時間、間隔は短いです。一秒で、いや、2、3秒で、これは来たと思います。でも、まーこの程度のものはなんどもあるし、しかし多少は気を引き締めないといけません。で、その最初の2、3秒が過ぎて、これは本物の地震だとわかります。過去の記憶が瞬時に思い出されます。こうゆうことは、普段は忘れているが、やっぱり思い出される。能登沖の地震ですね。手帳を見ると、3月25日であることがわかります。
  それからが、結構長い。能登沖地震のことを思い出すことも出来る。あの時は、自分の体が飛んでゆきそうで、机を押さえた。それに比べると、まださほどでもない。早く止まれ、早く止まれ、早く止まれ、三度くらい言うのは簡単。さらに、能登沖地震のことが鮮明に思い出されてくる。何とかこの辺で止まってくれとお願いをして、10秒かそれ以上たって、どうにか揺れはおさまりました。
  なにしろよく揺れるのである。近くで何の工事か知らないが、地面を掘っていてもガタガタ揺れる。どうもこの建物が信頼できない。でも、他に行くところがない。よく揺れるから逆に安心、そうゆう風に思っていないと。
  ラジオをつけていて、A放送であったが、音楽が流れていてしばらくして、DJさんが、地震がありました、このスタジオも揺れて、私がめまいを起こしたのか、ということをおっしゃっていました。そうなんですね、地震というのは、実際は地面が建物が揺れているわけだけど、自分自身も揺れているように感じるものです。
  この最初の大きな揺れが収まった直後、まずは、頭にミシミシというような緊張が走って、頭痛が始まりました。加えてさらに、また揺れ始めた気がしたので、早くも余震、あるいはさっきの地震はまだおさまっていなかったのか、とも思ったのですが、どうもそれは後から記録を確かめてみても、それはないようで、結局自分自身が自分で揺れたと言うわけですね。それは何か、と言われると何とも説明がしにくいですが。地震というのは、ホント怖いです。
  よりひどい揺れで被害にあわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

  それで、一息ついて、まずは買い物に行って、お店の人とちょっと余裕が出来たのか、いやーこの連休は散々ですねなど、話しをする。さっさと帰って来て、雨は降りそうもないので、いつもとは違う方に、少し急ぎ足でぐるっと回ってみる。大きなヒマワリが見えて来たので、そこまでいってみました。ここは、畑で毎年ヒマワリを植えておられる。その姿をちょっと撮らせてもらった。もう十分大きい。今年は、この時期の気温が低すぎる。だから、なかなか大きなヒマワリを想像する事も出来ないということです。



  ヒマワリの向こう側には人家があって、そっちはうまくぼけているのでなかなか、見た感じは面白いもになった。このあたりは、人の目と写真との大きな違いである。それをそのまま出す手もあったが、やっぱり勇気がない。



  蔓性の植物のように茎が垂れているで、これもおかしい。大きいのは、上の花と同じです。むこうは空なのだけど、連続感がない。ちょっと不思議。

  忘れていました。午後の3時半スギ、3時37分か、大きな揺れを感じた。どうも、午前に感じたのと同じ程度の強い揺れ、時間は短かったが。この先、気象庁の見解どおり、強い余震がありそうで、どうしたもんだか、どうしようもないが、気をつけないといけない、あらためて思います。

文庫の夏

2007-07-16 07:25:29 | 散策
  朝の天気、小雨か曇り。南西の風、弱めで、ときに強い。暗い。室温23℃。
  お天気が悪い。お天気に文句を言いすぎたかも知れない。たぶんそうだ。
  天気が悪いと、読書だ、って、なかなかそうはいかない。ただ、グダグダ過ごすことが多い。新聞になかなか本の広告が載らない。それで、たまに広告が出ると、それは、何とか文庫の100冊というもので、なかなか時宜をえている。この表現はおかしいかも。夏休みだし、もっとも楽しい読書感想文の宿題も、今どきの学校でも、やっぱりあると思うのだけど。この感想文を書くのには、まず本を求めなければならず、したがって友達と時間を約束し、まずは久しぶりの合流に一杯やる。それはないか。喫茶店くらいは、あるような気もするが。
  それで、様々なお話しをするわけ。何何というユニットの、何月何十日のライブで、何々さんは、ちょっと短めのシャツを着ていたけど、あなたどう思う。
  何とか文庫の100冊というものの変遷は激しい。もうわかっている。よって、残念ながらそのタイトルを見ることはない。知らない人が半分以上、いやもっとあるだろう。昔は覚えていたが、今は忘れているものもある。それより、なぜ100なのか。こっちが気になる。87でも133でもいいじゃないか。それこそ1でもいいし。なんなら、1000でもよーござんす。バーンと1000冊、新聞の一面全部使って広告が出たら、これは豪快であり、爽快でもある。こうゆうことしか書けないか、ちょっと寂しい。かなり寂しい。
  本には、読み方があって、その本が書かれた時代の様々な知識を持っていないといけない。また、作者についても、色々知っておいた方がよろしい。そうゆうことを知っていないと、あらかじめ調べていないと、突然その本を見ても読んでも、どうもなんでこうなるのか、疑問だらけになる。本は、ただの一本の木でなくて、林やら森のような、たくさんの木が生えているところの、ある木の枝と、もう一本の木の枝の摩擦のようなもので、その摩擦が互いに引き合っているのか、引力、あるいは、反発しているのか、斥力、その見極めがわからないと、面白くもおかしくもない事になってしまう。これは、どうも、トンチンカンな表現のようだ。
  大概の場合、この涼しさで本を、本の文字を眺めると、目がしょぼつく。脳が拒否反応示す。眠気をもよおす物質が出来る。眠くなる。こっくりをやる。
  本屋さんに行って、大量の本を眺めて嬉しくなって、3冊も購入した。しかし、それらは、閉じられたままだ。

ベニシジミチョウの真紅

2007-07-15 19:11:38 | 虫、その他
  雨は降ったり止んだり、それから、止んだ。ほぼ止んで、ときに雲の切れ間が出る。青く見ようと思えば青い。それに気温が上がってきた。台風の影響はなくなった。しかしこれは晴天に結びつかない。でも、やっぱりもしかしたら、晴れ、という期待はあったのだけど。
  台風は、ある所の全体の気象状況のほんの一部に過ぎない。別の言葉で言えば、熱帯性の低気圧である。ただ、風も雨も強くて被害を及ぼす。でも、やはり気象的に見ると、低気圧があり高気圧があり、高度の差によって風の流れは異なるし、気温も異なる。この変化のもとは、太陽のエネルギで、あとは自然界の法則によって、結果が気象状況となって現われる。台風だけ見ていても、なかなか気象の変化のすべては、わからない。だから、なぜか暖かい風が流れ込んで来るし、もしかしたら、晴れ間がでるかと期待するが、それはほんの少しの時間だけで、また雨が降り出し、北風が吹く。
  その熱い空気が流れてきて、雨も止んだときに、いつものように歩いて来た。久しぶりにムッときた。暑い、これくらいは大丈夫だろうとも思う。さらに風があって、暑さもなかば半減する。特に変わったことはない。日曜日で、静かである。わざわざ、この暑いときに出てくる、そうゆう人もいない。子供さんも、お家の中で遊んでいるみたい。車がときどき走る。青空の向こうに何があるか眺めてみる。この空の色を見るのも久しぶりである。
  それで、あまり変化のないあちこちを眺めていて、まーこうゆう日もあるな。何の被害も出なくて、こうしてプラプラ歩くことが出来る、恵まれている、そう思って、ある所を去ろうと思った。シジミチョウを見ていたのだが、動きが早く、こちらが動いても動かなくても、花に止まったり、また急に移動する。でも、ちょっと橙色の物が、花に止まった。ゆっくりとその花に接近する。珍しくチョウは止まったままだ。さらにゆっくり接近。
  こうゆうことをやっていて、もしそばに人がいると、実に妙に思えるだろう。たまたま、歩いていると、人が体を低くして、なにかを前に突き出して、じわりじわり接近している。止まった。しばらくすると、また動き出す。その先に何かあるかというと雑草以外に何もない。何やってんのかね、まーほとんどの方は、何もないが如く立ち去ってくれるわけだけど。こうゆうことも、想像しつつ、こうゆう事をやっている。冷や汗も出るわけである。
  暑かったからか、ちょっと妙な感じになり、帰路を急いだ。ただ、そう思っただけかも知れない。午後の3時ころから、また雨になった。

  シジミチョウ、名前はわからなくても、草むらなどに行ってみると、割とすぐにわかる。モンシロチョウやら、モンキチョウやらよく名前は知られているチョウより、ずっと多いのではないか。この辺りでもこのシジミチョウはいる。でも、モンシロチョウは見かけない。いないことはないが、すぐにどこかへ移動する。また、花に止まっていても人の気配を感じるとすぐに逃げる。シジミチョウが、この辺りでは一番よく見かけるチョウで、しかし小さい。気付かない。不思議なチョウということになるかも知れない。



  この、ちょっと赤いある所は真紅のチョウは、たぶんベニシジミ。なかなか、撮らせてもらえない。お腹が減ってという時でないと逃げられる。翅の後ろの、真紅といっていい色は、なかなかのものだな、と思う。小さいチョウだし、これに気が付くのはファイルになってという気がする。この翅の表側はどうなのか、



  最初の写真は、もう5、6日前のもので、スカシバガ科の蛾を撮ったときと日付は同じ。もしかしたら、今日、表側をと思っていた。それで、まー暑いけど、ここはちょっと様子をみて、ベニシジミに接近した。なかなか、完全に翅を開いてくれないが、なんとなく思ったより茶色く暗い。もちろん個体も違うし日付も違うけど。こんなものかなって、それは、やはりベニシジミに悪い。
  まー、足したり引いたりすると、好日であったということになりますね。  

光り輝く朝の空

2007-07-15 07:32:46 | 散策
  朝の天気、曇りか小雨。風は弱く、穏やか。ジメジメである。室温23℃。
  静かな夜が明けた。雨は音をたてず降っていた。たぶんそうだ。風も、少しはあったが、なにしろ木々に葉に、葉の中も葉の外も水に包まれているから、その動きも遅い。水滴が、また音をたてずしたの葉に落ちる。繰り返しが起こるが、最後には地面に吸収される。
  セミの鳴き声は、最近朝は、このセミの鳴き声が聞こえるか聞こえないか、興味を持ているが、どうもはっきりわからない。ただ、これをやると、耳が敏感になるのか、耳鳴りがしていることがわかって、どうも困る。で、窓から頭を出して、色々角度を変えてみる。まるで、盗聴器を探してるが如きだが、ある角度になると、少しではあるが、ジーという声が聞こえ、それに大小があること、つまりリズムがある事を知って、やっぱりセミはいるなと思う。この姿形は、残念ながらまだ見かけない。ニイニイゼミの地上での生活は、短いと思うが、ときにこれは鳥に食べられる。
  あるセミの鳴き声が、岩にしみ入ると感じた人がいる。これは、私がどうのこうの言うことが出来る範疇を超えている。一方で、ある物理学の専門家が書かれた本に、粒子は、物質を透過したり、その中に入り込むことはなくて、これは反射すると考えるのが普通だが、これが、波だと、波動であると、ある物質の中に少しはしみ込んでもいいのではないか、そう考えられないこともないという、文があって、しばし考え込んだ。これはどうゆうことか。音波はやはり反射する。こだまがそのいい例だし、どうゆう事をおっしゃりたいのかしばし悩んだ。
  それで、それからな何年かたち、またその本を見ていて、同じところにきた。波動なら、物質にしみ込んでいいというところ。ふとX線写真のことを思い出した。確かに、X線はこれは波である。まー粒子でもあるし波でもあるが、波だとすると、これはその結果が、肋骨が、フイルムに現れて、これは、X線は物質を透過することを認めないわけにはいかない。
  何を考えていたのか。セミの鳴き声だった。東の高い山々のある所は、雲が切れてその頂が見える。そこだけ朝日が明るく照らしている。  
  今はまた山は、雲に隠れより上空の方も明るくなって来ている。久しぶりに、青空を見ることが出来るか、台風で被害にあわれた方々にお見舞いを申し上げます。でも、この先の天気、どうなるかそれもわからない。