光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

高いところに咲く、ムクゲ

2007-07-27 19:09:05 | 植物・花(夏)
  暑い一日である。ここの温度計は30℃を指している。今日は、熱中症に気をつけなければならなかった。何しろ、もう真夏だというのに、夜は、毛布をかけていないといけない。それで暑くない。朝の気温は、高くて25℃。それが、なぜか今頃になって、気温が上がる。やりきれない感じ。
  きのう、カマキリの話しを書いていて、どうして”カマキリの斧”と言う言葉が辞書にないのか、私がちょっと細かいものを見るときは、『大辞林第三版』を使う、少し焦った。それから、一日たってカマキリは蟷螂とも書くから、いつも漢字を横に並べている、その、”とうろう”を調べると、ちゃんと、蟷螂の斧が、とうろうの項にあった。もっとも、カマキリの鎌が蟷螂の斧に変わっても、その話しがどうかなるわけではない。カマキリの鎌でかえってよかった。
  コロコロ断片話。小型のセミが、道路に背を向けているのを見る。これは、きのうか一昨日か。すでに、物質と化していて、これはもしかしたら、ニイニイゼミかも知れないと思った。アブラゼミにしては、小さすぎるし、色はもう少し薄い茶色だ。クマゼミを小さくしたのが、ニイニイゼミであるような感触を持っていたので、これはちょっとネットで確かめようと思った。まずは、ニイニイゼミを見る。すんなりそれである、とも、思えない。クマゼミを探す。これも、子供の時に捕まえたものとちょっと違う感じがした。しかし、ニイニイゼミと、クマゼミは似ているかというと、答えは、いいえで、私が昔見たと思っていたニイニイゼミはなんだろうか。でも、舗装された道路で標本になっていたセミは、やはりニイニイゼミのようだ。
  この暑さにまだ体が慣れていないから、今日は最短コースで辺りを一回りしてきた。まずは、スーパにゆく。新鮮な野菜が必要である。それから、体を慣らすことも必要で、帰りは、少し長めに歩いた。熱中症というのは、どのようなものか、それこそ正確にはわからないが、暑いときに、ちょっと無理をして体に熱を溜め込むとこれは大変なことになる。
  何度か、そうゆう状況で、まずは意識がはっきりしなくなるような、また体に力がはいらなくなる、そうゆう風な状態になった。その当時は、紫外線の事を気にしていて、放熱の事は考えてなかった。暑いのに長袖ってな格好でいた。今思うとそれが、熱中症のような気がする。どうにか、目的とするところについて、休む事ができた。最近のお店は、冷房の設定を28℃くらいにしてるらしい。これは、いざというときは、やばい気がする。それなら、風のあるビルの陰で、体を冷やすのが一番のように思う。

  背の高いムクゲが多い事を書いていて、またその花を時々撮るが、高いからか、風で揺れるし、どうも私がそこに近づくと、花が閉じている事が多く、ほったらかしにしていた感じがして、少しあわてた。



  花は、早いものは、7月の半ばから咲いていたような。これも、ちょっと雨が降りそうな、そんなときに撮ったものだ。



  同じ木に咲いたもの。
  この辺りで見るムクゲは、純白か、中央が真紅で花弁の先にゆくにしたがって白になるもの。それと、この花のように、花弁が桃色のものの、三種があるようである。純白は一度登場した。その後も撮っている。中央が真紅、周辺が白と言うのが一番見事な気がするが、それがなぜか高すぎたり、遠すぎたりで、うまくゆかない。

アサガオの咲いている場所

2007-07-27 07:26:21 | 散策
  朝の天気、曇り。ちょうどいい感じ、風は弱く穏やか。室温25℃、まーまー下がる。
  巨大な入道雲のようなものが西の空にあって、あわてて開けていた窓を閉めた。きのうの夕方の事。いかにも、電気を持っているといった感じもした。帯電している感じが窺われた。雷がなってよかった。風も冷たくなった。しかし、雨は降らない。わからないものである。南から、東から、街の中央に入ると、晴れていたというメールがラジオで紹介されて、つまりは、その人は土砂降りのずぶ濡れ状態にあった。車の中だが、なるほど。そうゆうことか、ちゃんと理屈にあっているようだ。
  さらに、少し過去に戻ると、むっとする状況の中を歩いていて、これはフヨウであると決めてしまった植物を見るが、やはり花はまだ咲かない。蕾も、ちょっと見当たらない。その脇にある、別の小さな植物は赤い花を付けていて、しかし、どうも葉っぱの様子が、フヨウではないようで、問題は宙に浮いたままだ。
  貧血気味の、黄色味が足りないヒマワリは、強い光を受けて、たくさんを花をつけているが、うなだれている。やっぱりちょっとおかしい。が、なんと言う事でしょうか。その後ろに、いつこんなものがというような、濃い黄色、ヤマブキ色、本物のヒマワリ色の、ヒマワリが、ガオッと吠えるように、一輪こっちを睨んでいる。知らなかった。気が付かなかった。でも、やっぱり大きくなっていたのだろう。でも、ちょっと奥まったところにあって・・・。
  それで、さらに少し歩くと、ようやく、普通のアサガオが見えてくる。こうやって、順に記憶をたどると、出て来ないものが出てくる場合がある。そのアサガオは、道の、進行方向は北、左側のお宅の、道路きわきわのところにあった。いつもはなぜか、右側を歩いているが、暑いから、日の当たらないほうを歩いたら、大きくその花は開いていた。やっぱり、本物の、昔ながらのアサガオはいい。
  もう一つ、これは、少し道から入ったあるお宅の玄関、それも東向き、のところに、張られたひもにクルクル巻きつきながら、半分は想像、アサガオは咲いていた。
  アサガオ、それも、昔ながらのアサガオは、やはり東向きに咲いている。つまり、朝に日が真正面に当たる方向である。だが、お昼過ぎになってすでに日影ではあるが、アサガオは咲いていた。どうして、あのようにクルクルっとうまくしぼんでゆくのか知らないが、やはり、アサガオは、ちょっと日影のところで、ひっそり咲いているのがいい。夏休みの絵日記もはかどるというものだ。