光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

アカタテハ、突然現われたチョウ

2007-07-09 19:06:44 | 虫、その他
  湿っぽい天気である。朝は、今日は暑くなる感じがしたのだけど、どうも途中で息切れしたのか、ほどほどのところまで暑くはなったが、なぜか曇り始めた。まだ雨にはなっていない。天気予報を見ていても、見なくても、結局のところその時になってみないとお天気はわからない。それでも、やはり気になるから天気情報を見る。
  これが、明日というかなり限られた時間内のものでも、明日になってしまうと、ころりと変わったりする。私の場合だと、きのうのことは忘れているから、多少不可解な気分はするが、こんなもんかで済ませてしまう。梅雨入りのときは、これからは”長雨”はなくなるかも知れないなど書いたし、これが見事にはずれた。こうゆうことは覚えている。でも、一週間前の天気予報はまったく覚えてない。で、明日からの予報は、この先一週間、短くみて4、5日は雨か曇り。それで、気温は低めという事になっているが、はたしてどうなるか。もうすぐ、夏休みだし?、お天気はやはり気になる。
  雨になっても、多少暑くても、なるべく歩く。今日は、きのうのちょっとした不快感はなかった。その日の気分もその日にならないとわからない。午前はパッとしないが、その後少しよくなった、こうなる事は少ないが、無いこともない。多少は、希望が持てる。
  歩いていて、時々ではあるが、ちょっとウキウキどきどきする時がある。別に、そこにお札が落ちていたとか、財布が、とか言う事ではない。小さなことだが、予期しない事はたまにはあって、でもそれも、雨が降ってきた、雷が、さらには、雹が降ってきたとか、マイナスがことが多い。また、時に珍しい虫やらが現われる、その中でも、わかりやすいのは”チョウ”であるが、漢字では蝶、それがふわふわ飛んで来ることがある。こんなこと誰にでもある。
  だが、それがちょうど目の前にある、知らない花に止まったからといって、喜ぶのはまだ早い。大体、さっと消えてしまう。だから、そうゆう場面がやって来たとしても、最近は冷静に対処することになる。多少は、老化はしながらも、もののあり方、真実を見極めることが出来るようになった。でも、それが、予想に反して、さっと消えないで、目の前にある小さな、それもコンクリとアスファルトのほんのわずかな隙間からはえている、よくあるが名前の知らない小さな花が球状になって出来ている花に近づいて、止まったままでいるのを見ると、やはり本性と言うか、本能的なもの、自分そのものが出て、これまでの自分は、消えてしまう。
  ちょっと大き目の、翅は赤みがかっていて、しかしなかなか見ることがないチョウが止まっていて急いでボタンを押した。しかし、チョウもさるものである。



  偶然にも、後からわかったことだが、そのチョウが見られる程度に写っている。家があり、道路があり金属の枠があり、アスファルトも押しのけて咲く花があるところ。でも、このチョウは、もしかしたら、去年も見たかも知れない。いつものように、「昆虫エクスプローラ」さん、他のサイトでも探してみて、これはタテハチョウ科のアカタテハに近いことを知る。ヒメアカタテハもあるが、後ろの翅の一番最後のところに、ちょっとした薄紫の紋様がある。



  さらに、接近したもので、でも全体は写っていない。あまり意味がないようにも思うが、はっきりしているところを切り出してみた。残念なのは、翅の裏側に当たるところのものが、うまく撮れていないこと。これも、チョウの意思しだいで、どうしようもないものだが、



  この角度のものが一枚だけ、翅の裏側の様子が少しだけ窺える。小さい丸い円模様がわからないのが、残念。
  記憶では、このチョウは、去年も見た気がする。すると、この近くに生息しているのかも知れない。そのためには、食草がないとだめだが、割と草は多くある所である。他の皆さんのページを拝見していても、このチョウが出ている。まー並みのチョウという事になるが、やはりこうやって現われるのはありがたいし、気分も爽やかになる。 

捨てられない症候群

2007-07-09 07:30:26 | 散策
  朝の天気、晴れ。雲も多い。湿っぽく、でも夏。風は弱く、穏やか。室温は23℃。暑くなりそう。
  パラパラ、っと手帳を見る。7月か、そろそろ夏休みだな。朝は、5時ころどうしても目が覚める。これは、自然現象だからしょうがないか。この時間に、そとでワンちゃんを連れて歩いている人やら、本格的に歩いている人をたまに見かける。これはまねが出来ない。水筒くらいは持ったほうがいいな、なんて自分のために思う。まだ本格的な暑さを体験してなくて、このまま夏休みとなると、って、私は少なくても、小学生ではなかった。朝はもう一眠りしたい。
  起きる時間が来る。日が出ている。今日は珍しく晴れ、というか、朝から太陽だ。今日は、夢の中で予想していた通り、ちょっとめまいがする暑さになるかも知れない。外を見る。窓を開ける。鳥が遠くを群れを成して飛ぶ。最近は、大型の鳥を見かけことが多い。棲むところがなくなって、この辺りに来ているのか、毎度のことなのか。さて、いよいよ決断の時間が来る。やっぱりここは、ゴミについて、ゴミ置き場と化した、自分の居場所について、書くのが一番いい。
  私は、ものを捨てられない性格である。
  一言で書くと、こうゆうことだけど、このことはずいぶんと昔から書いていて最近はそれがなかった。不思議だ。この話題は、小学校のときの給食のミルクは、”脱脂粉乳”、それも少し甘い、で、そのま**に閉口した、というのと、盛り上がり度で双璧をなすと思う。私は、やっぱりものを捨てられなく、よって、ものは、一定の場所を占め、減ることはなく、またそれは3次元へと増殖する。ものの量は、特に私のいる場所では、有界ではありえないのである。あー恐ろしい。
  これは、私のお腹の出っ張り度とも似ている。これは今のところ現状維持か、あるいは微増。飴玉一個、関西では飴ちゃん、ミニチョコ一個を食べるのをやめたが、減量効果はない。
  ものを捨てられないが、さすがに、それをどうにかして、一定の面積しかない場所に、有効に収納する方法というのを考えることになる。ただ、平面的に部屋の外側から順に並べても、間違いなく、居場所、足の踏み場はなくなる。外堀も内堀も埋められて、ついには空中に移動できるある種の浮遊装置というものが必要に思えてくる。高々、5センチものより高くいれば特に不都合はないのだ。昔、宇宙家族というTV漫画があって、未来人は、スクータのようなもので空を自由に飛び交うことが出来た。これを、ちょっと形を変えれば、上記の浮遊装置など、簡単に出来るはずだが、それから、何十年もたったが、実現に至らない。科学者、エンジニアの皆さんは、どう考えられているのかなー。
  この話題は、広大であり、奥も深く、また単純で複雑で、10分前に思いついた程度では、まずは問題の整理さえ出来ない。ここは潔く初回終了とするのがいいと思う。