光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ダイズと夕日

2006-10-10 19:07:15 | 散策
  気温は上がる。風は、そよ風。
  晴れると、日中は北風が吹く。これは、決まりきったことで、多分そうなると思っていた。なんだか、木の枝も揺れる気配はないし、どないなっとるねん、と言いたくなる。気温は上がっても、風は吹くとは、天気予報ではいってなかったか。そうゆう事のようだ。
  ふと、小春日和という言葉を思い出した。これを、『大辞林(第二版)』で引いてみる。なるほど、あるいは、知らなかった、という事はある、それ以上はない。あとは、第三版の発売を待つのみである。これは、楽しみである。
  さっさと次にゆかないと。昨日、東に見える高峰の、雪を頂いた光景を見て、山はもう冬の季節に入っていると思った。なかなか見ることの出来ない山の風景、夏は特に見えることは少ない気がする。逆に、冬、平地で雪がチラホラする、その時の方が、北アルプス、剱岳、立山、薬師岳はよく見えるかも。さらに、どっかり平地にも積雪がある、そうゆう時期のある日、忘れていた太陽が顔を出す。そのときの山々の姿は、これは、格別である。去年もそう思った。今年は、どうなるか。
  冠雪した山の写真を撮って、もと来た道を戻りつつ、なお山を撮りつつ、周りの風景も撮ってみる。これまた、あまり見かけない場に出た。ダイズ畑だが、ちと違う場景である。



  やけに、美しい緑に包まれている畑。そこに、こげ茶色か、黒と言っていい何かが刺さっている。これが、刈り取り寸前のダイズである。こんなきれいなダイズ畑見たことない。芸術品である。あとは、この日の夕日、日没。



  山の端に沈もうとする太陽である。少し上に雲があり、そこから、太陽が顔を出して、しばらくして、山に沈んでゆく。すでに、半分以上、山の下に沈んでいる。直接太陽光を見ないよう、端に寄せた。左側に、建物があって、今後、山に、地平に沈む夕日は、ここからは撮れない。それにしても、見た目と全然ちがう。それも、楽しい。    

剱岳冠雪

2006-10-09 19:10:35 | 散策
  朝は、快晴であったが、地上近くには雲があった。東の、毛勝三山、剱岳、立山辺りも雲に隠れている。西の方も同じで、妙な天気といえばそのとおりである。
  午前中は、おとなしくしている。特別、何処かにゆくとか、大掃除をするとか、衣替え、いや夏物をしまって冬支度をする、そうゆう気分でもない。寒くなったら、そのとき考えればいいのである。全天候対応型の生活、一つの押入れに、いろんな物が入ってるので、適宜取り出して、対処する。何とも、他人様にはとてもじゃないが言えない生活である。
  でも、食べ物は買わないといけない。いつもの道を歩いてゆくが、もしかしたら、”剱”の顔が見えるのではと期待する。安全と、歩く事を両立させる、そんなことは出来ないが、そう思える道の中間点で、久しぶりに、たっぷりと雪を頂いた白馬岳を見る。ほぼ真東、県境、遠い、しかし完璧な冠雪である。事故が起きた後だけに、少し目が下向きになる。その右に剱岳が見えるが雲がぎりぎりのところまで来ている。早足になる。スーパにいって、買い物をちゃんとやって、挨拶をして、急ぎ足で、でもコースをたどる。
  カメラを持つ。もしかして、もう少しよく見えているかもしれない。より早足で、道は分かるが、状況は分からない方へいってみる。なるべく、建物やら、電線が入らないところ、見晴らしがよくて、絶景が撮れるところ。これらのうち、一つでも満足するところで、車に気をつけて、用水に落っこちないよう気をつけながら、これまた、適当にカメラのボタンを押した。よかったのは、最初だけだったが。


  
  たぶん、一昨日かその前後に降った雪を頂く剱岳。初冠雪かも知れない。剱岳は、非常に分かりやすい。どう見ても、天辺が頂上である。



  こちらは、剱岳の右側に広がる、人口に膾炙する”立山”で、その説明は、少しややこしい。3000mを越す頂、大汝山がある。前方に見えるまだ黒い山は、大日岳、奥大日岳だと思う。以下も同じく推定。その後ろの峰々が、剱岳からの稜線の続きで、中央が、ここは立派に冠雪している、真砂岳、大汝山、雄山がある峰だと思う。久しぶりに、雄大な山々を見る。

コスモスも倒れる風

2006-10-07 19:11:22 | 植物・花(秋)
  午前中に、電気ヒータの掃除をして、スチーム用の水も入れておく。
  まだ、そんなに寒くはないが、雨風が、おさまったかと思うと、またひどくなる。しつこいな、誰の性格に似たのだろう。雨がしぶきになる。なかなかのものだが、昨日からこの調子なので、さすがに、嫌気がさす。ゆっくり降って欲しい。
  電気ヒータを押入れから引っ張り出した。ニクロム線で発熱するもの。発熱面を反対側に向けてしまっておいたのだが、しっかり綿ぼこりが付いている。確か、少しはきれいにしてしまったのだが。埃は、波のようにまわり込んで反対側にまでくっ付く。そうゆう訳ではなく、空気自体が埃で一杯である、そうゆう事でした。
  いつになったら、小康状態になるか、頻繁に右やら左の空を見る。お昼前、ようやく、風、雨とも弱くなり、雨は止む時間もあった。ちょっとでも体を動かさないと、というあまりよろしくない考えがある。脅迫観念。そこまではいかないが、幸い西北の空から雨雲が切れて雨はしばらくは止みそうである。
  少し厚めに着て、サカサカ歩いた。いつものようにじっくり周りを眺める余裕はないが、自然とコスモスが一斉に倒れている風景が目に入る。まーこれも自然の一状態である。また、天気が回復してくれば、立ち上がるだろう。何便だかわからない、ANAのB777が、雲に見え隠れしながら上昇してゆく。この天気じゃ、大変である。
  それで、もうコスモスの写真を出すこともないだろうと思っていた。思っていたが、一番いいのは、やはりコスモスしかない。”コスモス繚乱”とは、こんな言葉あるのかな、言い過ぎだが、これだけたくさん咲いているところは、そうはない。



  残念ながら、ここのコスモスも、もちろん、倒れていた。

半透明な虫とシビトバナ

2006-10-04 19:15:57 | 虫、その他
  怪しげな天気である。秋の空ではない気がする。入道雲の小さいのが出ていたり、もはや田んぼに水はないはずだが、遠く立山連峰、剱岳、毛勝三山を眺めることが出来ない。西側の、小高い山、石川県境の山々は見える。能登半島の一部も。高い山は、見えない。近くにいても、自然は人の思うようにはならないものである。
  歩くと日が出ていることもあって暑い。北風がさほど強くない。衣替えではなく、夏に戻ったスタイルで歩く。でも、コスモスは満開、同じようなことを書いているが、そのとおりなのである。サツマイモが掘り起こされる。モクセイ(木犀)と思われる木を見つけた。キンモクセイである。北風だから、匂いがこちらには来ない。
  松の木が一列に並んで植えられている。少し前は、やけに緑がきれいだった。ここだけではなく、他のところにある松を見てやけにきれいな緑だ、と思ったところだが、何故か、急に枯葉が目立つ。おかしいな。前方から見て、そこを通り過ぎてから、振り返っても見る。やはり、枯れている。しかもひどい。どうなってるんやろ、庭木のきれいに剪定された、しかしやはり枯れた松を見て、深呼吸する。

  かなり昔に、確か消しゴムのような、少し透明な、小さな虫を撮ったことを思い出した。それを、探す。ずいぶん昔に撮ったと思っていたが、実際は9月の半ばである。シャキッとしてないので、そのままにしていた。でも、奇妙だし、面白いかも。



  建物の壁のモルタル。ここに、よく虫は留まる。ただ、これを撮るのは難しい。ファインダなしのカメラでマクロを有効にしている。オートである。(手動で液晶を見て、米粒くらいの虫にピントは合わせられない。)。どうしても、壁にあってしまう確率が高い。それにしても、透き通っているようで、そうでもないようで。結局なんじゃらほい、で終わりだ。もう一回探したが、もういなかった。
  マンジュシャゲ(曼珠沙華)については、たくさん撮っていて、きれいなものは紹介した。この花が、マンジュシャゲ、ヒガンバナ以外に、シビトバナ、トウロウバナ、ステゴバナとも、もっとたくさん呼び名はあるだろう、呼ばれるのは何故か。それはわからないが、この花の、美しさを誇ったその後というのも、やはり出さないといけない。



  もう少し、ひどい、なんだかわからない状態のものもあるが、ある程度形を保っていた方が、想像力が働きそうである。これを見ると、さすがに、少し怖い。昔むかし、明かりもなかった頃、夕暮れの時にこの花を見てしばらくすると真っ暗になった。その結果、色々な、ちょっと怖い名前がこの花に付けられた、そうゆう気がする。