ウェブログがあるから書く。
何か書くためには、その辺にほどほどの問題が転がってないといけない。
職業として、執筆されている方は、問題が起こる事を願っている。
何か、難しい問題はないか、受験生はそれを欲している。
わざわざ小さい問題を起こして、それがあたかも自然に起きたようにして、それについて、一言ゆう。どこかで、聞いたり書かれたりしたこと。
何か、ほどほどの問題があると、それにむかって出来ることはないか考える。確かに、そうゆう事をやっている。低い山に登ってみよう、何故そんなことを考えたのだろうか。それからは、それが当然のことに思える。それで、何をやるかというと、山のことを紹介している雑誌を購入する。色々なものが、低山を歩くのにも必要だ。休みの日に、初めて登山のショップが集まっている、ある繁華街に行く。それで、ズボンとか、リュックとか、古いねー、靴とかを買う。電車の中で、大きな荷物を持っていても、さらにちょっと恥ずかしそうな顔をしていても、まわりは無反応だ。
でも、そうゆう”いい感じ”の時間は長くは続かない。あるとき、変調が起きる。ほどほどに生きていれば、皆そうゆう経験をするわけだが。それが、どうゆう方向に向くかは、誰もわからない。そうゆうことを意識しだすと、ホントに何かに取り憑かれたようになる。
こうゆう話をするために書いているのでは、なかった。パソコンと関わっている限り、常に、新しい製品が出てくるし、システムの変化もあって、それが、なんだか分からないうちに、流れに乗ってしまう。そうゆうことの繰り返しをして来た。今は、先にこっちから、まだまだ問題のありそうなものに手を出そうとしている自分がいる。これが、どうゆう方向にゆくか、何かプラスに働ければいいが、泥沼にはまる危険もある。ここが、踏ん張りどころで、他にやることはある。
ナンテンの実について、結構、写真を出した。今年は、花が咲くところを見ることが出来た。今は如何にいい色の実がなってるかが、最大の興味だ。が、早くも、真打登場みたいなものを見つけた。ナンテンの実を見ると、なぜか埼玉の越生を思い出す。たまたま、梅園まで歩いていて、ナンテンとも知らずその実の美しさに少々感動した。歩いていると、そうなるようである。
何か書くためには、その辺にほどほどの問題が転がってないといけない。
職業として、執筆されている方は、問題が起こる事を願っている。
何か、難しい問題はないか、受験生はそれを欲している。
わざわざ小さい問題を起こして、それがあたかも自然に起きたようにして、それについて、一言ゆう。どこかで、聞いたり書かれたりしたこと。
何か、ほどほどの問題があると、それにむかって出来ることはないか考える。確かに、そうゆう事をやっている。低い山に登ってみよう、何故そんなことを考えたのだろうか。それからは、それが当然のことに思える。それで、何をやるかというと、山のことを紹介している雑誌を購入する。色々なものが、低山を歩くのにも必要だ。休みの日に、初めて登山のショップが集まっている、ある繁華街に行く。それで、ズボンとか、リュックとか、古いねー、靴とかを買う。電車の中で、大きな荷物を持っていても、さらにちょっと恥ずかしそうな顔をしていても、まわりは無反応だ。
でも、そうゆう”いい感じ”の時間は長くは続かない。あるとき、変調が起きる。ほどほどに生きていれば、皆そうゆう経験をするわけだが。それが、どうゆう方向に向くかは、誰もわからない。そうゆうことを意識しだすと、ホントに何かに取り憑かれたようになる。
こうゆう話をするために書いているのでは、なかった。パソコンと関わっている限り、常に、新しい製品が出てくるし、システムの変化もあって、それが、なんだか分からないうちに、流れに乗ってしまう。そうゆうことの繰り返しをして来た。今は、先にこっちから、まだまだ問題のありそうなものに手を出そうとしている自分がいる。これが、どうゆう方向にゆくか、何かプラスに働ければいいが、泥沼にはまる危険もある。ここが、踏ん張りどころで、他にやることはある。
ナンテンの実について、結構、写真を出した。今年は、花が咲くところを見ることが出来た。今は如何にいい色の実がなってるかが、最大の興味だ。が、早くも、真打登場みたいなものを見つけた。ナンテンの実を見ると、なぜか埼玉の越生を思い出す。たまたま、梅園まで歩いていて、ナンテンとも知らずその実の美しさに少々感動した。歩いていると、そうなるようである。