何の変化もないような、そうゆう田舎でいろいろ変化がある。しばらくぶりでその辺りを歩くと、街並みが一変していたり、昔ときどきいった「酒屋」さんが、モダンな洋風のうちに変わって、そういえば行かなくなって久しいが、ずいぶんときれいなので、時代は間違いなく変化している。そうゆう思いを強くする。
しかしごく日常の生活において、変化はないところも多く、これもそれなりに小さな変化はあって、ある木はなくなり、ある木は植えられたりもする。ぽつんと空き地がある。それから、そこに昔はうちがあった、そうゆうところが、平らになって地面だけがある。それから、あまり草の生えない地面があるご家庭の前にあって、いつもうらやましく思う。そうゆうお宅のある部分はプランタがたくさんあっていかにも今頃の花が咲いているのを見ると、嬉しいものだがそれをあまりじろじろ眺めるわけにもゆかない。もしかしたら、花もいいがそこに虫がいる。でも虫といっても、虫好きの人もいれば、また花好きの方は虫をカタキ、敵と思っているので、それこそ変に眺めることも出来ない。私も、人の血を吸う、そうゆう生き物は大嫌いだし、気色の悪いものも見ないようにしている。
そうゆう面ではずいぶんと勝手なものだ。ときにお気に入りのチョウとかがいると、その虫がいる花に感謝して、また育てておられる園芸愛好家の方にも、心の中ではあるが、感謝して、それで知らない風な感じでそこを立ち去る。さほどまだキワモノというかそうゆうのはなく、ごく普通か、少しマイナーなものに興味を持ってそれでも滅多に、その目的とするようなものに出会うこともない。
で、場所の問題がある。花が咲いている、そうゆうところは歓迎する。そっと見ている。それから、空き地とかもある。でも、そのところで、ばっさりと刈られる草は多く、しかし今頃の草は、それゆえか回復の頻度というか、生命力もあって、また弱いものは淘汰もされて強いものが選択的に生き残る。そうゆう、血を引いた植物がまたすぐに、茶色くなった、それは刈られた枯れ草ゆえの色だが、地面から生き返る。よみがえるようでもあって、これはどっちだというと雑草の生命力とか、その花も愛でる、またそこに寄る生き物も、安全なものは歓迎する「たち」の、人だと、これは悲観はしないで済むようで、
例えば、本の2週間くらい前に刈られたという空き地にもうヒメジョオンが花を咲かせている、もしかしたら時間の勘違いがあるかも知れないが、刈られる空き地の新陳代謝はいいようで、またときに珍しい植物も出てきたりもする。幸いなのは、恐らく、除草剤を撒いていないということ、これはなるべくなら止めてという気分である。ここも刈られた、という空き地がここにもあり、ここにあるとあそこにもある。そうゆう連続性はあるようで、その先に何が出てくるか、楽しみ。
よく、昔は、キカラスウリのことを書いた。そこにというか、歩いていたところにあったからだが、その場所も何でか知らないがキカラスウリは出てこなくなったようで、他だと毎年だが、ある場所に出てきている。これは葉っぱもちょっと特殊だし一度見ると忘れない。その場所で、キカラスウリの花も見たが、そこが時間が来ると草刈りが入るからその後に花もなくなって、実の変化というのを見ることも出来なくなってしまう。しかし、毎年今より少し前に、そのキカラスウリの葉は出てくる。ことしも出てきてうまくゆくと花を見ることが出来るかも知れない。これは運を天にまかせる感じがある。いくらかの草の刈られた跡を見て、またまもなく生えてくる、そうゆう草を待ち、また寄る虫も待つ。そうゆう時間がある。
カマキリが小さいのが大きくなるのも事実で、すべてのカマキリが小さいときに蜘蛛に食べられたり、より大きいカマキリの餌になったり、他の何かに食べられたりということはないようで、何かを食べているカマキリの方が多そうな、感じがある。朝の時間、雨も落ちそうなそうゆうときに、やはりアジサイの葉にカマキリはいた。どこからこんな大きいのが出てきた、という気持ちで。
懲りないで、ファインダを眺める。
先に見つけたのが、ガガンボ。翅の色が、虹色に輝いている。ちょっと妙だ。
朝ゆえ、まだ雲の光だから、暗いが、茶色のカマキリがいる。体長は10cmは
あるかないか。これだけ見ると恐竜の歩き方のようだ。
もう一度、ガガンボ。手前がガガンボで、後はというと、
やはりガガンボのようだ。
しばらく、カマキリと格闘する。というか、どうしてもうまく撮れている、
そうゆ確信がなく、時間だけが過ぎて、
今度は、カマキリの位置が変わった。
鎌でがっちり押さえ込んで、のこぎりのような口で、どんなものでも
噛み砕いてしまう、そうゆう口のあたり。
さすがに疲れてきて、もういいと思う。カマキリはほどほどに面白く、
しかしカマキリの顔とかその他は、これで十分だと思う。やりすぎているか。
それに比べると、モンシロチョウなどは、十分にかわいく思えるが、
もともと比較にする対象ではないかな。
このチョウもそばにいてくれるがよく動いて、やりにくい
しかしなかなかきれいなチョウだった。
しかしごく日常の生活において、変化はないところも多く、これもそれなりに小さな変化はあって、ある木はなくなり、ある木は植えられたりもする。ぽつんと空き地がある。それから、そこに昔はうちがあった、そうゆうところが、平らになって地面だけがある。それから、あまり草の生えない地面があるご家庭の前にあって、いつもうらやましく思う。そうゆうお宅のある部分はプランタがたくさんあっていかにも今頃の花が咲いているのを見ると、嬉しいものだがそれをあまりじろじろ眺めるわけにもゆかない。もしかしたら、花もいいがそこに虫がいる。でも虫といっても、虫好きの人もいれば、また花好きの方は虫をカタキ、敵と思っているので、それこそ変に眺めることも出来ない。私も、人の血を吸う、そうゆう生き物は大嫌いだし、気色の悪いものも見ないようにしている。
そうゆう面ではずいぶんと勝手なものだ。ときにお気に入りのチョウとかがいると、その虫がいる花に感謝して、また育てておられる園芸愛好家の方にも、心の中ではあるが、感謝して、それで知らない風な感じでそこを立ち去る。さほどまだキワモノというかそうゆうのはなく、ごく普通か、少しマイナーなものに興味を持ってそれでも滅多に、その目的とするようなものに出会うこともない。
で、場所の問題がある。花が咲いている、そうゆうところは歓迎する。そっと見ている。それから、空き地とかもある。でも、そのところで、ばっさりと刈られる草は多く、しかし今頃の草は、それゆえか回復の頻度というか、生命力もあって、また弱いものは淘汰もされて強いものが選択的に生き残る。そうゆう、血を引いた植物がまたすぐに、茶色くなった、それは刈られた枯れ草ゆえの色だが、地面から生き返る。よみがえるようでもあって、これはどっちだというと雑草の生命力とか、その花も愛でる、またそこに寄る生き物も、安全なものは歓迎する「たち」の、人だと、これは悲観はしないで済むようで、
例えば、本の2週間くらい前に刈られたという空き地にもうヒメジョオンが花を咲かせている、もしかしたら時間の勘違いがあるかも知れないが、刈られる空き地の新陳代謝はいいようで、またときに珍しい植物も出てきたりもする。幸いなのは、恐らく、除草剤を撒いていないということ、これはなるべくなら止めてという気分である。ここも刈られた、という空き地がここにもあり、ここにあるとあそこにもある。そうゆう連続性はあるようで、その先に何が出てくるか、楽しみ。
よく、昔は、キカラスウリのことを書いた。そこにというか、歩いていたところにあったからだが、その場所も何でか知らないがキカラスウリは出てこなくなったようで、他だと毎年だが、ある場所に出てきている。これは葉っぱもちょっと特殊だし一度見ると忘れない。その場所で、キカラスウリの花も見たが、そこが時間が来ると草刈りが入るからその後に花もなくなって、実の変化というのを見ることも出来なくなってしまう。しかし、毎年今より少し前に、そのキカラスウリの葉は出てくる。ことしも出てきてうまくゆくと花を見ることが出来るかも知れない。これは運を天にまかせる感じがある。いくらかの草の刈られた跡を見て、またまもなく生えてくる、そうゆう草を待ち、また寄る虫も待つ。そうゆう時間がある。
カマキリが小さいのが大きくなるのも事実で、すべてのカマキリが小さいときに蜘蛛に食べられたり、より大きいカマキリの餌になったり、他の何かに食べられたりということはないようで、何かを食べているカマキリの方が多そうな、感じがある。朝の時間、雨も落ちそうなそうゆうときに、やはりアジサイの葉にカマキリはいた。どこからこんな大きいのが出てきた、という気持ちで。
懲りないで、ファインダを眺める。
先に見つけたのが、ガガンボ。翅の色が、虹色に輝いている。ちょっと妙だ。
朝ゆえ、まだ雲の光だから、暗いが、茶色のカマキリがいる。体長は10cmは
あるかないか。これだけ見ると恐竜の歩き方のようだ。
もう一度、ガガンボ。手前がガガンボで、後はというと、
やはりガガンボのようだ。
しばらく、カマキリと格闘する。というか、どうしてもうまく撮れている、
そうゆ確信がなく、時間だけが過ぎて、
今度は、カマキリの位置が変わった。
鎌でがっちり押さえ込んで、のこぎりのような口で、どんなものでも
噛み砕いてしまう、そうゆう口のあたり。
さすがに疲れてきて、もういいと思う。カマキリはほどほどに面白く、
しかしカマキリの顔とかその他は、これで十分だと思う。やりすぎているか。
それに比べると、モンシロチョウなどは、十分にかわいく思えるが、
もともと比較にする対象ではないかな。
このチョウもそばにいてくれるがよく動いて、やりにくい
しかしなかなかきれいなチョウだった。
カマキリの顔はホントに怖いですね。
小さくてもカマキリの恐ろしい顔をしてますもんね。
今日は不気味な虫を撮りました。
そんな時は見ているだけでも、どこか痒くなります。
今は、花も追いかけて、それからときに虫をも見ていないと、息切れのするときで、どうにかカマキリさんが出て来て。
しかし、ちょっと寄りすぎました。
最近、TVを見る機会増えて、かわいいネコとか、悲しいイヌの話しとか、多いですね。でも、ネコも、カマキリをくわえたりもしませんか?。
今朝の、SUBARUさんのバッタは面白いものでした。今度はバッタ探しですね。