光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

味が薄すぎるような、はっきりしない空と雲と。

2017-04-08 13:50:56 | 散策
  「どうでもいい」はまずいけど。それなりに、耳に、目に、入ってくるものはあって、

  恐らくそれ以上のことはわかるはずはない、というのが、いつも思っていること。

  富山に気象台はあって、その場所もわかるが、観測されている値は、その場所のもの。気象台と

  いわれるものはそこしかない。

  いまのところ、寒くもないし、少し身体を動かすと、なんとなく汗ばむような気もして、それなら一枚

  脱がないとと思ったりもする。どの辺が汗ばんでいるか、こんな気温で、靴下を履いている。

  足首より先、冬は感覚はなくなるようだが、今ごろ血の循環がよくなったのか。


  朝からあまり変化のない天気で、それならそれで、いつもの空。

  空があってよかった。外に出れば、今日は風もないので、スイセンはきれいに咲いているようである。

  押しなべて花日和。

  ただ、その花の位置は、かなり低い。スイセンの花の中をのぞくに、少し無理がある。

  スズランスイセンの花も咲いているが、花は下を向いている。知らなかったがここのいえにあった。

  鏡がいるな、その花の中を見るために。

  鏡、これがないとよくわからない、という場合も増える。


  棚があって、本棚もあって、そこが満杯になると、床に置くしかない。板の間。廊下もあるなー。

  その床に、紙のものが多いが積まれてゆく。床に寝転がっていい暖かさなので、そうゆう姿勢で、床に

  置かれているものを見る。紙と、綿ぼこりは仲良しだが、静かに動かすと、ゴミが動くのもわから

  ないくらいである。赤ちゃんがハイハイしている。その位置よりも少し高い。ネコの目、大体そんな

  高さかな。いろいろ出てくる。これからは、床にごろりで、それで低い位置に積まれているものの、一つ

  ひとつを見ないといけないときがあるかも知れない。この方法で、ここにあったのか、という発見

  があるので。


  むかしは気にしないで、ポイ置きしたところ。


  で、今日の空。朝。




  その一。少し北向きの、西の窓。この窓に垂直な方向は、真西よりも少し北側。




  その二。これまで見えなかったものが、見えるようになるが、この時期だけかな。




  その三。




  その四。朝の7時30分過ぎで、短い時間でほどほどに、ボタンを押している。




  その五。南向きの窓。この窓も、真正面を向いて外を見ると、真南よりも少し西向きの方向に。法線と

  いう言葉、本以外で見ない。

  そこに見える、雲は少し違った。7時35分。




  その六。




  その七。




  その八。モノクロモードに変換。

  
  ある年齢に達して、本能の一つ、食欲を満たすために、何か作って食べないといけないと無意識で思うが

  どうも、時間がたつにつれて簡単なものばかりになっている。概して薄味。これがどうゆうわけか

  変わるかも知れない。味がしない、それはないが。


  母が生きていたとき、ご飯を炊かないといけなかったが、これがなかなか面倒で、またそれだけの面倒を

  見ればいいということはなく、コンロの火をつけて、そこを離れるときもあったような気がするが

  紙にいつ火をつけたか書いて、消す時刻までももちろん書いた。途中で吹きこぼれるものはある。

  しかし、焦ってはいけない。こうゆうメモはいまでも、たぶん探すと残っているのではないか。


  今日は、久しぶりに眠っているなと思う時間は長かった。だが、最低の日常に戻すのにも時間がかかった。



細かい雨、薄い霧かな、鳥の声、新芽。

2017-04-08 07:14:05 | 植物・花(春)
  気象庁のアメダスを見ているが、湿度100%。飽和している。

  どうゆうことか、なかなか実際がわからないが、鼻にも目にも、喉にも気管支にも

  いいような。ぼさぼさの髪も、「テグシ」で一応きれいになる。自分で思っているので

  間違いはない。髪だけの話だけど。


  白い薄い煙のようなものは、霧。湿度100%だからあり得る。

  瓦が濡れているところがあるが、これも不思議はない。

  鳥の鳴き声、これだけあれば十分かな。

  モズに、オナガに、ヒヨドリに、キジ。

  今ごろ、スズメを見る。


  4月7日、新芽、うっすら緑。



  きのうの朝。






 
  エゴノキの細い枝に、新芽がわかる。




  瓦。



  よくわからない天気。

  明るくなってきた。