気温が上がるのは遅れるので、これは気象台での値だが、午後の1時で、6.5℃。
最低気温はいまのところ、マイナスの3.2℃なので、約10℃上がったことになる。
いま、PCの横にある、温度計は、12℃くらいを示しているが、いつ上がったかは不明。
朝は、目がしょぼしょぼしていたが、1℃ということにした。
道は残る雪、融ける雪、もちろん凍っている。午前9時過ぎ、危なそうだが出かけて来たが
やはりツルッと行く。舗装されている道をよく見ているが、それがもう融けている水なのか
あるいは薄い氷なのか、わかり辛い。
朝の細い月、土星かも知れない明確に明るさがわかる、点状の輝き。
ただ、このときも、わずかに雲はあったと思う。まったく雲がなかったら、どのくらいまで気温は
下がったか。
朝起きて、午前6時を20分くらい過ぎていたと思うが、新聞を抜き取って、外の様子を見ようかな
というところで、そうゆうことをやるときではないと考えを変えた。いえの中へ。いつも電球を消すのを
忘れるが。蛍光灯も年代もので、電球だけは新しく、これは自分でも交換できる。何十年か使っている
ゼットライト。古いもので、スイッチも擦り切れている。でも電球は輝く。
1月26日。日の出前は少なく、日の出の時間も少し早くなって、そっちの画像が増える。
その一。午前7時1分。細い月を見たのは、5時40分を過ぎていた。しかし、起きたばかりで、
まずは眠っている体を起こすことから。それにしても、寒かったな。老いたと思う。
その二。すでに日は出た。7時24分。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。わずかに、日の出の位置は、左側、真東の方角に移動しているような気はする。
その八。
その九。
その十。
いまは快晴の空で、立山連峰も美しく見える。
それにしても、厳しい朝の寒さを感じる。もちろん、若いときもあって、2℃でも、半袖のシャツは着て
いた。が、パジャマは脱いで、まずは800ワットの電気ヒータで、厚めの生地で出来ている、長袖のシャツを
ヒータに被せるように置く。置くかどうか。あるときは置いたかも知れない。もちろん湯気が出てくる。
で、急いで、暖かいと思える長袖のシャツを着て、さらに上に重ね着をする。いつまでそれをやって
いたか。これで、大体もう大丈夫だから、いまは大変である。
もっとむかし、祖父の葬儀のとき、それは冬に近かったような気もするが、「火鉢」はあって足は特に
冷たいから、それで暖めていたら、靴下から煙が上がった記憶がある。もっとも、堂々としていたようで
慌てることはなく、畳に足を置くだけでその煙はなくなった。火鉢という言葉が出て来なくて困った。
いまはコタツの中にいると、やたら眠くなる。
雪道だと、おそらくこの越中の国でも、海に近いほうだと、そこを歩いて滑ることはない。火曜日がそうで
ただ、雪を蹴散らかさないといけない。そうなると疲れる。実際は、轍か、誰かの足の踏み跡を歩く。
今日は、もう凍っているのはわかっているが、日が出ているので、9時過ぎ、いつもの時間に外に出た。
やはり、滑るところはある。長靴でももちろん滑る。日が当たる道は、もう雪もなくなって、また水もなく
乾いている。日陰の道は、そうはいかない。
出かけるときも、注意したが、ツルリとゆきそうになるが、もちろん歩幅を小さくしているので、転ぶ
ことはなかった。こうゆうときは、水のようにも見える凍っているところは歩かないことに越したことは
ない。歩幅は小さくで、乾いているところ、水だと思えるところをよく探して歩く。車も来るが、それは
急ぐことはなく、安全なところで、先にいってもらえば済む。自分のために書いている。
問題は、冷え切った朝の対処の仕方だが、いい方法はなかなかないなー。危ない危ない。
行火はあるけど、違うなー。
最低気温はいまのところ、マイナスの3.2℃なので、約10℃上がったことになる。
いま、PCの横にある、温度計は、12℃くらいを示しているが、いつ上がったかは不明。
朝は、目がしょぼしょぼしていたが、1℃ということにした。
道は残る雪、融ける雪、もちろん凍っている。午前9時過ぎ、危なそうだが出かけて来たが
やはりツルッと行く。舗装されている道をよく見ているが、それがもう融けている水なのか
あるいは薄い氷なのか、わかり辛い。
朝の細い月、土星かも知れない明確に明るさがわかる、点状の輝き。
ただ、このときも、わずかに雲はあったと思う。まったく雲がなかったら、どのくらいまで気温は
下がったか。
朝起きて、午前6時を20分くらい過ぎていたと思うが、新聞を抜き取って、外の様子を見ようかな
というところで、そうゆうことをやるときではないと考えを変えた。いえの中へ。いつも電球を消すのを
忘れるが。蛍光灯も年代もので、電球だけは新しく、これは自分でも交換できる。何十年か使っている
ゼットライト。古いもので、スイッチも擦り切れている。でも電球は輝く。
1月26日。日の出前は少なく、日の出の時間も少し早くなって、そっちの画像が増える。
その一。午前7時1分。細い月を見たのは、5時40分を過ぎていた。しかし、起きたばかりで、
まずは眠っている体を起こすことから。それにしても、寒かったな。老いたと思う。
その二。すでに日は出た。7時24分。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。わずかに、日の出の位置は、左側、真東の方角に移動しているような気はする。
その八。
その九。
その十。
いまは快晴の空で、立山連峰も美しく見える。
それにしても、厳しい朝の寒さを感じる。もちろん、若いときもあって、2℃でも、半袖のシャツは着て
いた。が、パジャマは脱いで、まずは800ワットの電気ヒータで、厚めの生地で出来ている、長袖のシャツを
ヒータに被せるように置く。置くかどうか。あるときは置いたかも知れない。もちろん湯気が出てくる。
で、急いで、暖かいと思える長袖のシャツを着て、さらに上に重ね着をする。いつまでそれをやって
いたか。これで、大体もう大丈夫だから、いまは大変である。
もっとむかし、祖父の葬儀のとき、それは冬に近かったような気もするが、「火鉢」はあって足は特に
冷たいから、それで暖めていたら、靴下から煙が上がった記憶がある。もっとも、堂々としていたようで
慌てることはなく、畳に足を置くだけでその煙はなくなった。火鉢という言葉が出て来なくて困った。
いまはコタツの中にいると、やたら眠くなる。
雪道だと、おそらくこの越中の国でも、海に近いほうだと、そこを歩いて滑ることはない。火曜日がそうで
ただ、雪を蹴散らかさないといけない。そうなると疲れる。実際は、轍か、誰かの足の踏み跡を歩く。
今日は、もう凍っているのはわかっているが、日が出ているので、9時過ぎ、いつもの時間に外に出た。
やはり、滑るところはある。長靴でももちろん滑る。日が当たる道は、もう雪もなくなって、また水もなく
乾いている。日陰の道は、そうはいかない。
出かけるときも、注意したが、ツルリとゆきそうになるが、もちろん歩幅を小さくしているので、転ぶ
ことはなかった。こうゆうときは、水のようにも見える凍っているところは歩かないことに越したことは
ない。歩幅は小さくで、乾いているところ、水だと思えるところをよく探して歩く。車も来るが、それは
急ぐことはなく、安全なところで、先にいってもらえば済む。自分のために書いている。
問題は、冷え切った朝の対処の仕方だが、いい方法はなかなかないなー。危ない危ない。
行火はあるけど、違うなー。