光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

めまぐるしい天気の変化、花粉症に閉口し、寒気で震える

2015-02-27 13:48:02 | 散策
  少し白いもの、それはやはり白かった、雪が降った。


  今は風とかはさほどひどくない。突風もない。風はもう少し詳しく書くと、午前中10時過ぎごろまでは

  かなりひどく、ガラス窓が揺れた。開いている戸が勝手にバターンと音をたてて、閉まった。

  この音、昼間はなんとも思わないが、夜だと耳の感度が上がっているというか、小さい音もわかるので

  何かあったかと不審に思うくらいだが、そんなはずはないと、頭で打ち消して朝が来る。

  やはり何も変化はない。



  やっぱり人の五感というもの、時間で変化している。もっとも暇でと言うわけでないと思うが

  眠っている夜に、あるものの感度は上がる。日中そんなことを気にしている暇がない、というとき

  何の反応も感じない。結構いいように出来ている。

  だから日曜などの、病院も休みだというとき、風邪かな頭が痛いと思ったりもするのだろう。



  で、寒気だが、これはやはりきのうよりも今日の午前も遅めはなかなかのもので、暖房のあるところとの

  温度差がひどい。これだけ気温が違うと、感じるものは不快感で、それでもこうゆう新鮮な空気も必要と

  なお少しだけであるが、台所の戸、これは網戸の部分が開閉できるので、少し開けている。


  横長の20インチのTVを見ている。これは4:3の画面だと、14インチくらいのおおきさにしか感じない。

  この中に日本地図がすっぽりと入って、天気予報を見ている。

  列島の細長い国も、やけに小さい。その小さいところが区切られて、北陸があって、さらに小さく富山がある。

  ここに何万人の人が住んでいるのかな。

 
  新幹線も開通する。で差出人は富山のかたですね、とかいうDJさんはいるが、そういえば新幹線が出来るの

  ですね、金沢まで2時間半くらいですか、となる。もっとも番組は、NHKは渋谷で作られているから、

  投稿した人もギャフンとなるが、音楽番組でもある。


  「金沢、いいですね、食べ物が違いますから」、こうゆう褒め言葉というか社交辞令はまー、オトナと呼ばれる

  年齢になると、口からぽろっと出てくるが、金沢が日本全国である地位を占めていることも物語るが、

  ここさえ入れ替えれば、応用はどこでも出来て、聞いている人間としては、新幹線に興味はないな、と

  思ったりもする。温泉街が近くなりますねーも、わからないでもないが、石川県の温泉のことを

  言っていて、ご当地富山と関係はないようであるがー。でも宇奈月温泉はどうかなー。



  TVの小さい列島の地図を見ながら、さて自分、私がこれまでいったところはどことどことどこだ、と

  考えたりする。生まれは神奈川だが、小さいし。

  で、大阪は堺も思い出深いが、今もわからないというのは、やはり都内か。わからないと言うよりなにが

  どこにあるか、その絶対的な位置が頭に入らない。

  絶対音感のほうがまだあるかな、これは適当だけど。


  最初は関東は、千葉の松戸に住んで、で千葉のことはまったく知らない。ただ松戸の街も大きいし

  国道2号線は近かった。

  常磐線は、たぶんだが東北本線の支線で、でも線路の数は地下鉄もあったので、多かったと思う。

  もっとも滅多に、珍しい電車とかディーゼルを見ることがなかった。会社とかにいっていたからで、

  夜はさすがに、上野の駅にまで行く気にもなれなかった。

  もっとも昔の話で、それでも鄙びたところもある松戸の街、というか田んぼもあれば丘陵もある

  ところを歩いていると、本当に鄙びた感じが残っていて、新鮮だった。田舎はいい。


  で、これもときどき出てくる言葉だが、山の手線はもともと丸いというか切れ目がない。端っこがない。

  始発駅が終着駅でもあって、エンドレスである。この線の列車に乗っていると、どこで降りても同じ

  ような風景が思い浮かぶが、これくらいどこがどこかわからないところはなかった。


  結局知っている駅と道、そこから外れるとどこに行くか、いるか、わからない恐怖はずっとあって、

  今でもときどき地図を見るが、またどこを歩いたかも忘れているが、絶対的な地理間、距離感、

  位置の感覚が出てこない。

  うまいこと造ってあるなという気もする。


  私が当時歩いたところは私鉄沿線が多く、これはある意味街中を無視していたということと同じ。

  今ごろもう少し「中」を歩くべきだったと思うが、どうゆう感覚を持ったかは、想像は出来ない。

  ただもちろん、山の手線の界隈を知らないこともなく、ある場所はこれまた雑然としていた。


  整然という感じもなく、モダンさもなく、これも印象深い。

  簡単にいうと、東京の街、丸いところの中はどうも、なにがなんだかわからないところ。

  永遠に理解不可能なところという印象である。


  ダークマターか、あるいはブラックホールか、これまた全然勘違いなことを書いた。



  花粉症が午前中これまた厳しく、今はなんだか頭がボー、これはいつもだが。


  朝のお天気、時系列。




  その一。午前6時台。明るさ、あー春の感じはあった。




  その二。




  その三。この赤い色もいいな。




  その四。




  その五。


  しばらく時間はあいて。




  その六。




  その七。




  その八。




  その九。滅多やたらと、明るくなっては暗くなるというのが交互に続いた。結構神経に来る。


  雪か雨かの境界辺りだが、どうなるか。




きのうの余熱の暖かさ、しぐれ空だが、穏やかな朝

2015-02-27 07:00:54 | 散策
  天気、しぐれ模様で、晴れ間とわずかに冷たい寒気と、赤い色をした雲が同居している。


  きのうの午後の気温の急上昇は、気象台のアメダスを見ての話だが、実際に感じるものは

  なかなか暖かさまではつながらないもの。

  10℃を超えて、13℃を超えて、15℃を超えて、これくらいになると

  ようやく少し心地のよさを覚えるのは確か。


  これが、2月の22、23日の天気で、あのときの気温は数値的にはもう忘れたが

  体感としては間違いのない暖かさとして記憶されている。

  春一番でフェーン現象。



  きのうの午後、暖かいということにして、普段出来ないこともやり、これで少し体も清潔になったと思ったのだが

  出てくる暖かい水、お湯のありがたさと心地よさは、さすがに10℃を少し超える気温は

  寒気に変わってしまう。


  もっとも、外で雪というとき、さすがにこの時期でもシャワーだが、決心がいる。


  夜に南風が入った。

  少し雨もガラス戸を叩いた。

  また大荒れの天気かというと、実際はそうゆう風に、ここではならなかった。

  逆にまだこの時期の夜としては、高い気温のまま風が吹いていて、それゆえ余熱があって

  さほど寒くはない朝を迎えて、この後本当に雪が降るのか、どうもわからない。

  怖いのは明日の朝のほうかなー。


 
  雪がないと、荒涼。




  これは緑も花も多いところの、マンサクの様子。




  こっちは暗めで。




  マンサクの花を頭に思い浮かべる。




  自分の頭の中のような庭、荒れほうだい。ここに雉がいる。


  日の出の時間。