天気予報通り、雨。雨が降り始めて、雨の音は大きいが、
降り方は、まっすぐ。
不思議と風もピタリと止んでいて、雨は大きな音をたてながら
降り続いている。
TVで、明日の天気というのも聞こえてくるが、明日も雨か。
明日も雨のときがあるのか、その辺りははっきりしなかった。
気温はかなり下がって、これはまた春に逆戻り。
ゾッとする。
もうすこし穏やかな天気であれ、という願いも聞き入れられない。
明日の天気は明日にならないとわからないが。
木々の芽吹きの時間から、新緑の季節へと変化しつつある。
朝、まだ蕾のようなシモクレンがその3、4時間後にフンワリと広がっていたり
という時間の単位もあって、それはきっとこの雨でまた花は閉じた。
もうすこし大きな単位で、新緑はっ確実に、新緑を濃くして、
5月には明るい緑色と、それによる木陰も出来るのだろうとか思ったりもする。
日の当たる、木々の今どきの緑色というのは、朝の時間だから!、
そこにあったようだ。いつも逆光で、くすんでいるような緑色を出しているが
この緑は順光で、いかにも屈折してない素直な色がある。
朝の明るい光で、ケヤキの緑は見えているが、透過光で、これまでと同じ。
木の向こうに道は続くので、そっちにいってみることに。
紅葉のときが見事な、カエデ。なんでこちらから撮ることがなかったとか
不思議にも思う。
ケヤキ。きれいな緑色。手前のちょっとくすんだ、茶色いものも別の枝から
出ている同じケヤキの緑。
少し引いてみる。
朝からこうゆうものを見ると元気が出そうだが、何しろ熱気があったから
また予定もしてなくて、なかなかそうはいかない。
少しだけ、木以外の、例えば空の色に注目してみると、こんな色は
なかなか出てこないものだとかしきりに思える。
半ば曇っていて、でも透明感はある。ただの青でない色合いに出会えた。
イチョウのことを思っていて、これがなかなかそのときになると思いつかず
それを忘れていた。緑はすでに出ていて、これはわざわざ逆光で。
こちらから見るという順序の場合が多い。入り口がこちら。
こうゆう景色というか木々のよみがえりの姿を見ると実に羨ましい。
毎年、新しい緑が出て来て、でも秋には散ってゆくのだけど。
こんな色があったのか、とか今これを見て思い直す。デジカメさんの新しい
効用で。今日はかなりこのイチョウの木を、目でも眺めたのだけど、なんだか
思い返しても、記憶は散漫で、少し悲しい気持ちもあるのだが。
雨。
今週は明日は平日で、あさっては休みで、それでその後にも連休が続くから、ちょっと
綿密に計画をたてないと、なんだかあれがないとかとなりそうで少し怖い。そうゆう恐怖
は、これはお正月にもすでに味わったが、食べ物に関して、お正月ようにと思って買った
というのがまだ冷蔵庫の中に入っている。一つだけだけど。
連休は、多くの人にとって嬉しいもののようだけど、私もそうゆう時間を随分と過ごし
たので、それに文句を今さらつけるのはたしかにおかしいが、なんだか不安でもある。
食べ物のこと以外にもある。
かなり昔のことだが、買い物は一週間に一回、まとめ買いをして多くのものは冷蔵庫に
しまってという生活スタイルがあったようで、そのとき自分自身そうゆうことを心配する
身分でもなかったので、それの実際はどうゆうものか知らずじまいである。でも、その
ときは、首都圏に近いところにも棲んでいて、それでものがなくなるとかいう心配も
なかった。トイレット・ペーパと洗剤とコーヒーの粉とが無くなったというのはたしか
1973年の春だったと思うが、それよりも後のことだ。その後に何かが足らないとかなくて
困ったとかいうことがあったかどうか、それも忘れてしまった。でも、国鉄はストライキを
したし、駅から駅への一区間を歩いてということなどはあったようだ。地下鉄の千代田線の、
町屋と北千住との間はずっと電車は傾いてゆっくりと走っていた。それからその辺りはいつも
水が漏れていたような気もする。
それでも、ものがないとかいうことはなかったようだ。
最近というと「お米がない」ということは珍しく、「外米」という言葉を新鮮に聞いた。
今また、買い物難民とかいうことで、連休のときは、若干緊張して、それに気をつけ
ないといけない。こういったことはたしかに、東日本大震災以前でも、それ以後でも
大した心配事でもないというのは事実なのだが、・・・。これが思うようにいかない。
降り方は、まっすぐ。
不思議と風もピタリと止んでいて、雨は大きな音をたてながら
降り続いている。
TVで、明日の天気というのも聞こえてくるが、明日も雨か。
明日も雨のときがあるのか、その辺りははっきりしなかった。
気温はかなり下がって、これはまた春に逆戻り。
ゾッとする。
もうすこし穏やかな天気であれ、という願いも聞き入れられない。
明日の天気は明日にならないとわからないが。
木々の芽吹きの時間から、新緑の季節へと変化しつつある。
朝、まだ蕾のようなシモクレンがその3、4時間後にフンワリと広がっていたり
という時間の単位もあって、それはきっとこの雨でまた花は閉じた。
もうすこし大きな単位で、新緑はっ確実に、新緑を濃くして、
5月には明るい緑色と、それによる木陰も出来るのだろうとか思ったりもする。
日の当たる、木々の今どきの緑色というのは、朝の時間だから!、
そこにあったようだ。いつも逆光で、くすんでいるような緑色を出しているが
この緑は順光で、いかにも屈折してない素直な色がある。
朝の明るい光で、ケヤキの緑は見えているが、透過光で、これまでと同じ。
木の向こうに道は続くので、そっちにいってみることに。
紅葉のときが見事な、カエデ。なんでこちらから撮ることがなかったとか
不思議にも思う。
ケヤキ。きれいな緑色。手前のちょっとくすんだ、茶色いものも別の枝から
出ている同じケヤキの緑。
少し引いてみる。
朝からこうゆうものを見ると元気が出そうだが、何しろ熱気があったから
また予定もしてなくて、なかなかそうはいかない。
少しだけ、木以外の、例えば空の色に注目してみると、こんな色は
なかなか出てこないものだとかしきりに思える。
半ば曇っていて、でも透明感はある。ただの青でない色合いに出会えた。
イチョウのことを思っていて、これがなかなかそのときになると思いつかず
それを忘れていた。緑はすでに出ていて、これはわざわざ逆光で。
こちらから見るという順序の場合が多い。入り口がこちら。
こうゆう景色というか木々のよみがえりの姿を見ると実に羨ましい。
毎年、新しい緑が出て来て、でも秋には散ってゆくのだけど。
こんな色があったのか、とか今これを見て思い直す。デジカメさんの新しい
効用で。今日はかなりこのイチョウの木を、目でも眺めたのだけど、なんだか
思い返しても、記憶は散漫で、少し悲しい気持ちもあるのだが。
雨。
今週は明日は平日で、あさっては休みで、それでその後にも連休が続くから、ちょっと
綿密に計画をたてないと、なんだかあれがないとかとなりそうで少し怖い。そうゆう恐怖
は、これはお正月にもすでに味わったが、食べ物に関して、お正月ようにと思って買った
というのがまだ冷蔵庫の中に入っている。一つだけだけど。
連休は、多くの人にとって嬉しいもののようだけど、私もそうゆう時間を随分と過ごし
たので、それに文句を今さらつけるのはたしかにおかしいが、なんだか不安でもある。
食べ物のこと以外にもある。
かなり昔のことだが、買い物は一週間に一回、まとめ買いをして多くのものは冷蔵庫に
しまってという生活スタイルがあったようで、そのとき自分自身そうゆうことを心配する
身分でもなかったので、それの実際はどうゆうものか知らずじまいである。でも、その
ときは、首都圏に近いところにも棲んでいて、それでものがなくなるとかいう心配も
なかった。トイレット・ペーパと洗剤とコーヒーの粉とが無くなったというのはたしか
1973年の春だったと思うが、それよりも後のことだ。その後に何かが足らないとかなくて
困ったとかいうことがあったかどうか、それも忘れてしまった。でも、国鉄はストライキを
したし、駅から駅への一区間を歩いてということなどはあったようだ。地下鉄の千代田線の、
町屋と北千住との間はずっと電車は傾いてゆっくりと走っていた。それからその辺りはいつも
水が漏れていたような気もする。
それでも、ものがないとかいうことはなかったようだ。
最近というと「お米がない」ということは珍しく、「外米」という言葉を新鮮に聞いた。
今また、買い物難民とかいうことで、連休のときは、若干緊張して、それに気をつけ
ないといけない。こういったことはたしかに、東日本大震災以前でも、それ以後でも
大した心配事でもないというのは事実なのだが、・・・。これが思うようにいかない。