ぶらぶら人生

心の呟き

またも訃報 (写真 お寺の前で出会った黒猫)

2008-01-26 | 身辺雑記

 いつもの年は、とっくに賀状を整理し、戸棚に納めている時期なのだが、今年は当選番号(くじ)の点検がまだなので、棚の上に無造作に置いている。
 過日、姪が来たときに、今年は当選番号が新聞に出ていないのか、見落としたのか、いまだに分からず、点検が済んでいないと話したところ、ネットで調べたら? と知恵を貸してくれた。が、急ぐことでもないと、そのままにしていたところ、先日、ATさんから、くじそのものがまだ終わっていないのだと聞いた。
 組織が変わったのだから、すべてが例年通りとは限らないらしい。

 今日の郵便物のなかに、知らぬ土地からの、知らぬ名前の葉書があった。
 はて? と思いつつ仔細に見ると、私の知己の息子にあたる人からだった。
 <父が、昨年の十二月二十五日に他界した>とある。彼からの賀状が届いていなかったことを思い出した。未整理のため不明だが、まだほかにも届かぬ理由の分からない人が、幾人かありそうな気がする。

 病名は記されていないので分からないが、急逝ではなかったのだろう。年賀状が既に書けなかったのだから。
 亡くなった知己は、今年定年を迎える世代のはずだ。が、私が知っているのは15歳の少年の姿である。それ以後会っていないので、15歳のままが思い浮かぶだけである。

 津和野で出会った知己である。
 かわいい彼女を連れて、よく私のところに遊びに来ていた。
 同じ年の彼女であった。
 気後れすることもなく、津和野の静かな町を少年少女は堂々と歩いていたものだった。あまりにもあっけらかんとしていたので、むしろ微笑ましくさえ感じられた。

 私は、二人のその後の人生について、詳しいことは知らない。
 ただ仲良しの二人が、結ばれることはなかった。
 それぞれの道を歩き、それぞれに幸せだったはずである。
 少女の方は、15歳の頃から今に至るまで、姓が変わった後も、賀状だけは届けてくる。

 少年の方からは、永らく音信がなかった。
 が、平成の始め頃、突然電話をかけてきた。
 近況を報じた後、昔付き合っていた少女の住所を知らないかと尋ねた。それが一番知りたいことだったのだろう。
 私は、住所録を取り出して、かつての少年に知らせた。
 それ以来、彼からも賀状が届くようになった。
 微笑ましいカップルだった二人に、歳月を経て、改めて文通があったのかなかったのか、そのことは知らない。賀状の交換くらいは始まったかもしれない。

 かつての少女には、昨秋、長門峡の道の駅で、偶然会った。
 友人の車で、山口から帰る途中だった。
 ちょっと休憩して帰ろうと、広場を歩いているときに、声をかけられた。
 もう孫もいるというのに、15歳の少女の面影を留めていた。
 その頃、既にかつての少年は、病む身であったのかもしれない。
 そのことを彼女は知っていたのかどうか。

 訃報の葉書を手にしたまま、津和野の町並みに少年と少女の歩みゆく姿や、訪問した私の家から帰ってゆく、二人の後ろ影を思い出していた。
 40余年も前の光景なのに、なんと鮮明なことだろう!
 私の心の座席表から、またひとりの姿が消えた。
 が、その二人のシルエットだけは、永劫に消えそうにもない。

 (添付写真 昨日、散歩からの帰り、黒猫に出会った。近くのお寺の前で。警戒しながらも、逃げるでもなく、ふり向いてくれた。) 

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1月23日のあれこれ (写真 湯田温泉の飲泉場)

2008-01-24 | 旅日記

 23日の朝、雨は上がっていた。
 昨日、タクシーで、<セントコア山口>に向かうとき、ホテルへの入り口は、<シャレード>の角を曲がればいいのかと、思った。明日の朝、お天気が悪くなければ、温泉街に向かって歩いてみようと。

 翌朝、私は方向音痴なので、フロントで支払いを済ませた後、
 「シャレードは、右方向に行けばいいのでしょうか」
 と、尋ねた。
 「そうです。髪のお手入れですか」
 と、愛想いい返事が返った。
 「いえ、喫茶店の方へ…」
 と言い残して、ホテルを出た。
 <シャレード>が、喫茶と美容の両方を兼ねていることは知っていた。
 私は、喫茶店をよく利用していた。雰囲気もいいし、コーヒーも美味しかった。まず、<シャレード>のコーヒーを飲み、行動を開始しようと考えたのだった。

 ところが、行ってみると、喫茶店は姿を消し、美容室だけになっていたのだ。最近建て替えられたらしく、装いが新しかった。
 昨夜、『LIFE』で読んだ、<すべては変わる>という真実は、有形無形のすべてのものに当てはまるのだと、移ろうときの変化の速さに驚いた。
 (この日は、後で県立図書館に行ったときにも、書棚の置き換えにより、すっかり雰囲気が以前と異なっており、<すべては変わる>を実感したのであった。)

 山口の町へ向かう前に、先日テレビで紹介していた、<飲泉場>に行ってみようと、温泉街に向かった。途中で、街の人に尋ねながら。
 温泉街の中心どころにそれはあった。
 できたばかりで、真新しい。(写真)
 傍の足湯に、二人の女性が足を浸し、気持ちよさそうに雑談中だった。
 温泉の湯は湧き出しているのに、それを掬いとる道具も湯飲みもない。
 そこで、その横の観光案内所に入って尋ねた。
 小さな湯飲みをすすめられた。一個、百円。
 中には<気>という文字が記してあった。
 「どうぞ、気を飲んでいってください。二杯は飲まれて大丈夫ですから」
 なるほど、そういう試みだったのかと、商いの術に感心した。

 その後、タクシーで図書館に行き、お昼過ぎまで、本を読んだ。
 持参の玄侑宋久著『龍の棲む家』。
 切なくなるような小説だが、これが人間社会の実相なのだろう。ほのぼのとした愛も書き込んであって、それが救いでもある。考えさせられることの多い作品だ。
 帰途の車中も読み続け、津和野に着くまでに読み上げた。

 益田に向かって、船平山の駅を列車が出ると、長短六つのトンネルを通る。
 すると、津和野盆地の家並みが見えてくる。
 帰途の津和野は、雨模様であった。
 読み終えた本を膝に乗せ、いつもの習いで、盆地の町を見下ろす。
 と、遥かな土手に傘を上下に振る人影が、豆粒のように見えた(気がした)。
 あれは、本物の人影であったのか、それとも私の幻覚であったのか…。

 私の誕生日の旅は、こうして終わった。

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湯田温泉 <セントコア山口>にて

2008-01-24 | 旅日記

 22日の午後三時半、雨は完全に上がっていたので、懐古庵から、駅通りの道を街に向かって歩いた。
 文栄堂に立ち寄って、本を眺めた。
 玄侑宋久の『アミターバ 無量光明』は、山口駅に着くまでに、車中で読み上げた。
 カバンの中には、未読の本が二冊ある。
 本を求めれば、荷物を増やすことになるから、ただ見るだけにしようと思いながら、加島祥造の新しい本が目に入り、手に取った。
 昨年、上京の際、三省堂で入手した『求めない』は、人気の本らしく、どこの書店にも、山積みされている。その山の横に、また一山詰まれた本が『LIFE』<書・画・文>であった。
 『求めない』と同じく変形版である。『求めない』よりは少し大形。
 『求めない』を読んで、実に多くの感銘を得ながら、卑小な性は改まらない。生き方が急に楽になったというものでもない。それなのに、この本も、読めば心が救われるかもしれない、と思ってしまう。
 手にすると、レジに向かっていた。

 文栄堂を出たところから、タクシーで、<セントコア山口>へ行った。(写真)
 荷物を部屋に置いたところで、メールが入った。
 友人からの誕生日を祝すものだった。
 <七十代に入り、五歳になりましたね。>
 とある。<五歳>を切り離して考えれば、実質は変わらなくても、若やいだ気分が感じられる。不思議なものだ。
 精神年齢は、まるで五歳だな、と自嘲する。
 浴場が混み合わないうちに入浴し、その後、お礼のメールを打つことにしようと、地下の温泉に下りた。
 (四時過ぎと、朝六時と、二回入浴した。二回とも、女性用の浴室を独り占めできた。当日は満室と聞いたのに、ひどく贅沢な気分だった。)

 夜、『LIFE』を読んだ。

 書「濁った水は
   そのまゝ静かに
   しておくと
   いつしか澄んで
   いる

 文<私たちは誰でも、しじゅう困ったり悩ん
    だりする。そんなとき、そこから無理に
    逃れようとせず、静かに待っているのだ。
    不安が抑えられなければ不安なままでい
    い。「これからもっと悪くなる」と考え
    たっていい。ただ、いまは濁っていて
    も、いつかは澄んでくる――この真実さ
    え信じていたら、私たちのいまの生き方
    が静まる、そして楽になるのではないか。


 書「すべては変る
    ということだけは
   永遠に変ら
        ない

 文<社会のひとは変らないことで安心する。
    「お変わりありませんか」と挨拶するの
    は、相手が変らずにいることを願って
    のことだ。社会も国家も、変らずにゆ
    くことを願っている。でもね、すべては
    変化するんだ。その方向に心を据えると、
    気持ちが揺るがなくなるよ。道徳でも愛
    情でも、ときとともに変わる。「すべて
    は変わる」という真理を肝(はら)に入れると、
    人生の嘆きや悲しさは、ずいぶん軽くな
    るよ。だって本当の真理なんだから。こ
    れは英国の作家、ジョナサン・スウィフト
    の言葉。


 引用すればきりがない。私へのプレゼントとして、二つを書き止めておこう。
 そのとおりだと思う。しかし、その真理への到達は、なかなか容易ではない。
 そこで、人々の悩みは尽きないのだろう。だが、謙虚に自省をしたいと思う。

 『LIFE』を読み上げて、部屋の灯りを消した。

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山口 懐古庵の庭 2 (白い椿)

2008-01-24 | 旅日記
 懐古庵の庭で、22日、ピンクと白、二種類の椿に出会い、昨年はどうだったのだろう? と、気になった。鮮明に記憶が蘇らないのだ。
 そこで、ただ今、昨年1月のマイピクチャを開けてみた。ピンクの花の写真はあったが、白色の椿はなかった。
 見落としたのか、咲いていなかったのか。
 今年の白椿をカメラに収めた。(写真)
 蕊の黄色い花粉を花びらにこぼしていた。

 日時が同じだからといって、植物は同じ姿を見せるとは限らない、その当たり前のことを確認し、自分で首肯した。
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山口 懐古庵の庭 1 (ピンクの椿)

2008-01-24 | 旅日記

 山口線の途中から雨になったが、山口に下車したときには、傘は不要だった。
 懐古庵のお庭に、品よくピンクの椿が咲いていた。(写真)
 それを眺めに外に出た。
 昨年の今頃は、椿に魅せられ、目にするごとに樹下に立って眺め、カメラに収めていた。
 昨年も、同じ日に懐古庵を訪れているのだから、この椿は目にしているのかもしれない。しかし、仔細が思い出せない。今日の美しさで咲いていたかどうか?
 とにかく一期一会だ。
 今年の花は、去年の花ではない。
 若木の前で、淡く楚々と咲く花を愛でた。

 懐古庵には、二人の若い店員がおられる。物静かな人たちである。
 私は、そのひとりに、携帯のアドレス修正のやり方を見てもらった。
 ひとりで扱うことに自信がないのだ。
 保証人から、それで大丈夫ですと言ってもらえると、安心する。
 人に教えを請うことに恥ずかしさを覚えなくなったのは、自分の限界を悟ってからだ。若いときには、なんでもこなせるような思い上がりがあったのだが……。

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山口 懐古庵にて

2008-01-24 | 旅日記

 1月22日、誕生日の午後、特急おき号で、山口に向かった。
 特別な日くらいは、日常から脱出したい気持ちになって。
 誰かに拘束されるわけではないのに、生活臭の染み付いた家にい続けると、それなりに私自身の生活に縛られている気がする。
 抜け出すには、旅しかない。
 昨年も、旅に出た。今年より気力があったようで、一泊多く、湯田温泉と博多に宿泊した。九州国立博物館で、「伊藤若冲展」が開催されていたので、それを観、大宰府天満宮にもお参りするという旅であった。
 
 今年は、湯田温泉に一泊のみ。
 よく見知っている土地柄なので、温泉に入り、ホテルのもてなしの料理をいただくという非日常の生活の他は、読書に時間を費やすことを目的に。
 カバンに三冊の本を入れて出た。いずれも玄侑宋久の本。

 大寒中というのに、山峡にも雪はなかった。
 車中は、『アミターバ 無量光明』の続きを読む。
 日原の辺りで、携帯の着信音がなった。
 開いてみると、友人からメールアドレスの変更を伝えるものであった。
 器械に弱く、即座にアドレスを修正できない。
 そこで、ひとまず、送られたアドレスに返信を送った。

 眼下に津和野の町が開けてきた。
 山口線の沿線で、唯一、本から目を離して眺める町である。
 四年間を過ごした町でもあり、ただそれだけでもない懐かしさがある。今でも、この町には友人知己が多い。盆地を眺めて通る旅人に、具体が見えるわけではなくても、なんだか目を凝らして、町の一部始終を眺めて通る。
 冬のくすんだ町だが懐かしい。

 山口では、懐古庵で、一休み。
 お抹茶をいただく。(写真)
 目の前に活けられた小さな水仙の黄を眺めながら。

 懐古庵のお菓子を一箱求め、それに私が常用している整腸剤を一瓶添え、安来の妹宛に発送を依頼した。昨秋の軽い脳出血以後、万全ではないという妹の体調を案じながら。

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小さな旅に出かける前に

2008-01-22 | 身辺雑記

 今日は75歳の誕生日である。
 実年齢より若く見えると言われれば、悪い気はせず、年齢をあえて公表せず生きてきた。ブログを書くにあたっても、職業を伏せると同時に、年齢も伏せてきた。ただ、老いの身であることは、偽らずに書いてきたけれど。

 正真正銘の75歳。しかし、ホヤホヤの。
 昨日、市役所の保健課で後期高齢者医療の受診証を受け取り、75歳になったのだと自覚させられた。
 「四捨五入すれば80ですからね」
 と言えば、
 「そんなことは言わないでください。まだまだお若いのですから」
 と言われる。

 昨日、ふと、四捨五入というのは、こういう場合に使うべき用語ではあるまいな、と思った。そこで、辞書で確かめると、
 <省略算で、求める桁の次の桁が4以下の時には切り捨て、5以上のときはこれを切り上げること。>とある。
 したがって、私が79歳を半分以上過ぎたときに用いれば、おかしくないのだろう。

 それはともかく、どこまで生きられるか。
 のらりくらりと生きてゆこう。

 今回は、不思議な誕生日だった。
 実は、昨夜、就寝前に、中天に輝く満月を見た。昨夜は、私にとっての大晦日であった。
 今朝、目覚めて、障子が明るんでいるので、何時だろう? と時計を見た。
 三時であった。起き出して外に出てみた。
 西よりの空に場所を移して、昨夜来の満月が、相変わらず輝いていた。
 今日は、私にとってのお正月である。

 誕生日と満月が重なり、お天気にも恵まれて、それが眺められるというのは、一生涯のうちに、そうしばしばあることではないのでは?
 私は、その不思議に遭遇した。
 非常に謙虚な気持ちで、月の向かって合掌していた。無心であった。
 こんな洗われた気持ちになるのも、珍しい。
 我意に頼らず、何か大きな力にすがる思い?!
 あるいは、これも老いの兆しかもしれない…。

 とにかく、<いい誕生日だ!>と、ひとり呟いて、月を仰いだ。

 今朝は、友人知己、妹などから、電話や携帯メール、パソコンメールなど、かなり届き、返信に追われた。
 それでも、それは大変うれしいことである。
 昼過ぎの列車で、小さな旅に出かけることにしている。
 その前に、今日のブログ、二編をしたためた。

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1月22日(火)の新聞より

2008-01-22 | 身辺雑記
 ※ 1面
 日本画を革新、文化勲章受賞
 片岡球子さん死去 103歳
  関連記事
    26面 文化
 信念貫いた情熱の色彩 
   片岡球子さんを悼む   平山郁夫 日本画家
 <歴史上に名高い人物像は、色彩も豪華絢爛とした画面で迫力があった。また、富士山の連作も個性豊かで、原色のモザイクのように山や花を造形化した作品は力強く、人々に強烈な印象を与えていた。
 さらに、裸婦像も色彩豊かに、構成も動きのある解釈で、80代、90代と年齢に関係なく、若々しい感性で表現していた。>

 ☆ 平山郁夫氏の追悼文(上記)は、片岡球子の絵画評として、誰にも受け入れられるものだろう。それにしても、あの強烈な個性は、どこから生れたものだろう。私は個展を見たことはないが、幾作品かは見てきた。好みから言えば、そう好きなタイプの画家ではないが、あの精神力には圧倒される。

   23面  生活
 ※ CM天気図 天野祐吉
      取扱説明書の怪
 <それで思ったのだが、(テレビ画面の説明では、言葉はなくても、使い方の<感じ>がなまなましく伝わってくるのに対し)商品の取扱説明書に足りないのは、この<感じ>だ。操作感だ。くわしく説明さえすれば、それでわかるってもんじゃない。「わかる」というのはリクツだけでなく、感覚のモンダイでもあるのだ。>
 
 ☆ 同感。使用方法など、読めば書いてあるでしょ、と言われても、専門用語を含む難解な文章には、本当にお手上げである。
 私の年代では、説明書が理解できないために、自分が愚かに見えていやになる人もいる。器械に弱いというよりも、あの文章の難解さに辟易して、携帯、パソコンを使いたがらない人も多いのでは……。

 (写真 道端のマユミの実。どんどん弾けている。)
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街へ (写真 列車より見た遠田の海)

2008-01-21 | 身辺雑記
 街へ出る最大の目的は、定期の歯科検診を受けることであった。
 が、このところ、しばらく街へ出ていなので、ついでに所用も済ませることにした。友達と会って、食事をすることも約束していた。

 歯科検診は予約済みで、11時からと決まっている。それまでに諸々の仕事を片付けようと、早めのバスで出かける予定だった。が、バス停の近くまで行って、友達へ手渡す品物を忘れてきたことに気づき、途中から引き返した。
 その結果、予定のバスには乗れなくなり、駅に行って列車を待った。
 意外に待ち時間は少なく、寒さがこたえることもなく助かった。
 待合室で、読み止しの『アミターバ 無量光明』(玄侑宋久著)を開き、数ページを読んだところで、列車が入ってきた。

 津田駅を発車して間もなく、車窓に海原の開ける場所がある。
 白波が、小気味よく折り重なるように立っていた。冬らしい海だ。
 急いでカメラを取り出して、窓越しにシャッターを切った。
 車内の蛍光灯まで写ってしまった。(写真)

 書店で本を受け取り、歯科医院へ。
 歯科検診の結果はまずまず。インプラント周辺の状態もよく、磨きもいいとほめられた。次期検診を二か月先に予約した。
 会う約束の友達に、診察が終わったことを電話すると、すぐ車を回してくれた。

 先日の電話では、新しいお店に行こうとの話だったが、新年最初の食事処としてはどうかしらと友達が戸惑い始め、別のところを捜すことになった。
 行くべきところが定まらないまま、格好な食事処を捜して、車で街を巡った。月曜日の今日は、休業の札を下げているところが思いの外多かった。
 結局は、二人にとって初めてのお店「とみ」に入ってみることになった。
 私の近所の人が経営しているお店で、それが分かっているだけに、昼定食の評判の良さを耳にしながら、かえって出かけにくく、避けてきた。今日は二人だし、友達も行ったことがないというので、入ってみることになった。
 家庭的な懐かしい味で、気取りのない料理だった。お値段も手ごろ。
 
 その後、市役所へ出向いた。保健課から今月中に手続きに来るよう通知をもらっていたので。
 友達も付き合ってくれた。
 今日は74歳最後の日。
 明日からは、<後期高齢者>の仲間入りをしなくてはならない。
 その手続きをし、保険証の交付を受けてきた。
 <後期高齢者>と言われると、随分お年寄りになった気分にさせられる。
 いよいよ先がない感じだ。
 ない感じではなく、実際に残生は少ないと言うべきだろう。
 一夜が明けて、ことさら新たな75歳の人生が始まるわけでもない。
 しかし、明日の誕生日には日常の場jから離れ、自ら誕生を祝し、これからの生き方も考えてみようと思っている。

 市役所の用が済むと、友達と「ロン」に行った。コーヒーを飲みつつ語り、その後、写真展をのぞき、さらに「サンジェルマン」で紅茶とケーキを取って話し続けた。
 夕方のバスで帰宅。

 今日から大寒。
 寒中は寒中らしく寒く、吹雪が視界をかき消すくらいに荒れてくれると嬉しいのだが……。大寒生まれのせいか、雪が恋しい。 
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「蝉氷(せみごおり)」

2008-01-20 | 小さな記録簿
 「蝉氷」とは、初めて耳にする言葉だった。
 今日の「天声人語」の書き出しに、
 <東京郊外にある我が家のスイレン鉢に、きのうの朝、うっすらと氷が張っていた。持ち上げれば、ぱりんと割れそうだ。こんな氷を、透明なセミの羽に似ていることから、「蝉氷(せみごおり)」と呼ぶ。はかなげな名のとおり、日が高くなるころには解けてしまった。>
 と、記されていた。

 「蝉氷」? =「薄氷」の表現として、理解はできるけれど……、と思いながら、手元の辞書を引いてみた。私が知らないだけで、一般的な言い方だろうかと思いながら。
 辞書にはなかった。語彙数の多い、「日本国語大辞典」も引いてみたけれど、そこにも出ていなかった。
 歳時記の「氷」の欄に、やっと「蝉氷」を見つけることができた。
 俳句の季語として、使われるのだろう。
 同じ薄氷なら、過日のブログにも書いたが、「薄ら氷(うすらひ)」という言葉の方を私は好む。ただ、「蝉氷」は冬の季語になっており、「薄ら氷」は春の季語に入っている。
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