ぶらぶら人生

心の呟き

早くも水仙の花

2011-11-30 | 身辺雑記
 水仙の花が目立ち始めた。
 昨年に比べ、ひと月早い開花である。
 気温のせいだろうか。
 今日も、11月の最後にしては暖かい。
 水仙の花には、寒風が似合うのだけれど。

         

             


 今日は、歯科医院と内科の検診を同時に済ませた。
 T医院の側には、今年も皇帝ダリアが咲いていた。すでに盛りは過ぎていたけれど。
 いつも楽しみにしている盆栽の姿はなかった。
 その代わり、活け花があちこちに置いてあった。看護婦さんによって活けられたものだろう。

      
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小春日和

2011-11-29 | 身辺雑記
 ギボウシの葉が、黄色くなって、地を這い始めた。
 だらしない眺めだ。
 切り取っておこうと庭に出てみると、先日吹き荒れた強風が、庭を汚している。
 側溝には、崖を刈ってもらった折の枯れ草が、吹き寄せられてたまっている。
 意を決して、片付けをした。
 大きいゴミ袋二個分の枯れ草を集めた。

 汗ばむほどの陽気。裏口の寒暖計を見ると、21℃。
 あさってから師走というのに!

 目をあげると、隣家の屋根の上に、晩秋の空が晴れやかだった。

         
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柿が咲いたね

2011-11-22 | 身辺雑記
 今年は、柿の生り年らしい。
 あちらこちらで、豊作が目立つ。

 「柿が咲いたね」
 遠い昔、幼い姪の言ったことばを、今年も思い出す。
 語彙の乏しい幼子は、感覚的な捉え方をする。
 花ではないから咲くという表現はおかしい、などと思うのは大人の世界だ。

 子どもの表現には、巧まざる詩心がある。
 姪に倣って、柿が咲いているな、と私も思いながら、実だくさんの木を見上げた。
 
 柿の実は、山里に似つかわしい秋の風情だ。
 華やぎの中に、かすかな寂しさがある。
 柿の実の明るさが消えるころ、冬の足音が聞こえてくる。 

      

 27年前まで住んでいた家の跡には、かつて屋敷があった証のように、1本の常緑樹が残っている。
 夏、黄色い花を咲かせるカンナの群生している側に。
 その家にいた頃は、多忙な勤めの時期であり、木の存在をあまり意識しなかった。

 先日、歩道から、その木を眺め、赤い実をつけていることに気づいた。
 艶やかな濃い緑の葉に、多数の赤い実が乗っている。
 赤い実をつけることも知らなかった。
 多忙は、折に在るものを見えなくするらしい。
 植物に無関心だったわけでもないのに。
 老いは暇を与えてくれる。そして、見えてくるものもある、ということらしい。

 クロガネモチの木?
 樹木の本を調べて、そうかもしれないと思ったが、自信はない。

      
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戦前派・戦中派・戦後派

2011-11-19 | 身辺雑記
 昨日届いた赤旗の日曜版(11月20日号)の<ひとインタビュー>に、安野光雅さんが登場された。
 <想像は創造につながる>の見出しで、氏の来し方(現在85歳)や芸術への思いが語られていた。
 『絵本展』(現在は、福岡県立美術館で開催)が、巡回中とのこと。

 文中に、

 <1945年に召集され、香川県へ。19歳の初年兵は「教育」という名のいじめや食べ物の少ないことに苦しみました。>
 
 と、語っておられた。

 安野光雅氏(1926年生まれ)の若き日には、戦争に翻弄された苦悩の日々があったのだ。
 氏に7年遅れて、この世に生を受けた1933年生まれの私は、幸いにも、戦時下の不幸な体験を最小限に留めることができた。

 昨日のブログに取り上げた赤瀬川原平著『個人美術館の愉しみ』にも、たまたま、安野光雅氏について書かれた文が載っていた。(第36話 津和野町立安野光雅美術館 <昔の教室のある美術館>の中に)

 <…(安野光雅氏は)終戦の年の四月、陸軍船舶兵として召集され、終戦後の九月に復員している。戦中派のぎりぎり最後の世代に入る。>

 と。

 赤旗日曜版でご本人の語られた話に符合している。

 <戦中派>という表現のところで立ち止まり、今では、<戦前派>は勿論、戦中派の生存も少なくなっていることを思った。
 今や、<戦後派>中心の時代さえ、過ぎ去ろうとしている。
 戦後派を意識している人も、少なくなっているのが現状だろう。
 もはや、現存の多くの人にとって、戦前派・戦中派・戦後派の語は、死後化しているのかもしれない。
 
 私は、12歳で終戦を迎えた。
 幼少時は戦中であり、ちょうど物心つくころ、敗戦とともに世の中は一変し、戦後の日々がスタートした。
 私の場合、戦中派とはいえないし、完全な戦後派でもない。
 その両者の過渡期を生きたというのが、一番当たっているのかもしれない。

 個別の存在は、生きる時代を選べない。
 そして、人はみな、自らが誕生した時代と無縁には生きられない。
 それぞれの時代背景は異なる。が、それぞれの影響下で、人は生きていかざるを得ないのだ。

 安野光雅氏の戦時下の話から、そんなたわいもない、至極当然のことを考えていた。



 午後、雨の止み間に、庭に下りた。
 赤い南天の実が、雨滴を留めているのを眺めるために…。

      
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『個人美術館の愉しみ』(赤瀬川原平著)

2011-11-18 | 身辺雑記
           

 11月6日(日)の朝日新聞、《著者に会いたい》の欄に、上記の本が紹介されていた。
 先日、山口に出かけたとき、文栄堂の、新刊紹介の棚に、その本を見つけ、迷うことなく求めた。

 赤瀬川原平氏の本は面白い。
 同氏は、尾辻克彦のペンネームで小説も書かれる。
 『父が消えた』では、芥川賞を受賞された。(1981年)
 その作品が、作者との出会いであった。
 最近も、小説を発表しておられるのかどうかは、よく知らない。

 その後、面白く読んでいるのは、赤瀬川原平名で出版された本ばかりである。
 『老人力』『四角形の歴史』など。
 今回求めたのは、『個人美術館の愉しみ』(光文社新書)。
 10月20日に上梓されたばかりの新刊書である。
 (表紙カバーの写真は、「DIC川村美術館」)

 45の個人美術館が紹介されている。
 早速、拾い読みを始めた。
 訪れたことのある美術館を拾い出し、赤瀬川原平の筆では、どのように記されているのかを楽しみながら。

 この本の中に登場する美術館で、二度以上訪れたのは、以下の美術館。
   
   足立美術館・香月泰男美術館・ウッドワン美術館・津和野町立安野光雅美術館
   ひろしま美術館・大原美術館

 一度しか訪れていない美術館は、

   植田正治写真美術館・神戸市立小磯記念美術館・台東区立朝倉彫塑館
   長崎市野口彌太郎記念美術館・根津美術館・丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

 である。

 上記12の美術館については、私自身が訪れているので、赤瀬川原平氏の目の付けどころに、より関心があった。
 着眼も、表現も、さすがにうまい。
 昨年訪れ、上京の際には再び三度(みたび)訪れてもいいと思った根津美術館についてなど、その雰囲気が実に巧みに描かれている。その筆力に感心し、共感の思いを深くした。

 読み残しの33話に登場する美術館については、いつか訪れる機会があるかどうか?
 それは分らないが、味読の楽しみはある。

 今年は、大きな災害の年となり、旅も見合わせてきた。
 (春、四国を旅して、猪熊弦一郎美術館などを訪れて以来…)
 
 が、12月には、一度上京し、美術館巡りも楽しんでこようと考えている。 
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初冬の花(皇帝ダリア)

2011-11-17 | 散歩道
 時折、思いがけぬ便りの届くことがある。
 長く生きてきたので、その間に接した様々な人が、ふと懐かしんで届けてくださる手紙などは、とても嬉しい。

 近年は、電話やメールでの通信が多く、はがきや手紙はとみに少なくなった。それだけに、どうでもいいダイレクトメールのなどの郵便物に混じる、心のこもった便りは、得難いプレゼントのように思える。
 (この季節は、年賀欠礼のはがきも混じる。今年は例年より多い。知己の親族が高齢になっておられるせいかもしれない。)

 思いがけぬものと言えば、先日、B4より少し小型の封書が届いた。
 発送元は最高裁判所である。
 開封するまでもなく、中身は想像できた。
 なんとなく億劫でそのままにしていたが、手続きに期限があるかもしれないと思い、今日しぶしぶ開封した。

 <裁判員候補者名簿への記載のお知らせ>である。
 分厚い封書には、DVD付きの『裁判員制度Q&A』が入っていた。
 裁判員は、有権者から無作為に選ばれるらしいから、私に白羽の矢が立っても不思議はない。が、その割合は、大体のところ、8500人に1人だという。
 籤に当たることなど皆無の私が、候補者に選ばれるとは!
 

 選任手続きの調査票が添えてあった。
 はて? と考える。
 国民が裁判に参加する制度の意味あいを、理解できないではない。
 が、今なお、この制度の是非については、疑問を抱き続けている。

 選出された裁判員にかかる、心身への負担はかなりなものであろう。
 高齢の私には、責任を果たせる自信がない。

 そこで、辞退を申し出ることにした。
 <平成24年1月1日現在、70歳以上の方は、辞退できます。>との項目があり、救われた気分であった。証明書類も必要ないとのこと。
 上記の項目にチェックを入れて返信すれば、裁判員候補者名簿から除外されるのはありがたい。
  
 月末が提出期限である。
 急ぐ要はないけれど、今日はとてもいい天気なので、投函をするためポストまで歩き、ついでに散歩を楽しむことにした。


 今年も、皇帝ダリアの咲く季節になった。
 目的の一つは、Hさん宅の庭に咲く、その花を見ることであった。

 高々と伸びた茎の先に咲く花は、青空に映えて美しい。
 花の周囲には、蜜を求めて、大小さまざまの虫が飛んでいた。
 動植物の、ごく自然な営みが、静かに繰り広げられているのだった。

      

 秋陽の注ぐ道々に、小菊が咲いていた。
 色が異なるだけでなく、その姿も少しずつ異なる。
 穏やかな風景の中を、楽しんで歩く。
 晩秋の日差しが心地よく…。

    

    

    


 海の見えるところまで歩いて引き返した。
 夜には雨になるとの予報が出ていて、早くもお天気は崩れる気配であった。
 水平線がおぼろで、高島も霞んでいた。、

          

          
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緑濃く

2011-11-15 | 身辺雑記
 先日、例年通り、同級生のHさんに崖の草刈りをしてもらった。
 その折、H夫人のヨウちゃんが、溝掃除をしたり、崖裾の植物を片付けたりしてくださった。
 庭の手入れをしてもらったので、狭い庭が広くなった。

 清々しい気分で、整えられた崖や庭を眺めている目に、緑が飛び込んだ。

 枯れ枯れの季節にも、濃い緑の葉を伸ばす植物がる。
 水仙もそうだが、水仙以上に群生して力強いのが、萬珠沙華の葉である。(写真)
 華やいでいた赤とクリーム色の花が絶え、いつしか茎も姿を消した後、気づけば、威勢のいい緑が広がっているのだ。
 水仙は、これから花の季節を迎えるが、萬珠沙華の花は、来秋を待たねばならない。
 不思議な習性である。 

         

 妹が一昨年植えてくれたスミレが、季節はずれの花を咲かせた。(写真)
 こちらは、暖かな小春日和を本物の春と勘違いしたに違いない。

         
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祈りの彫刻家・船越保武

2011-11-10 | 身辺雑記
 11月6日の日曜美術館(NHK)で、<船越保武の彫刻の世界>(再放送)を見た。

 穏やかで崇高さを湛えた表情の作品が目立つ。彫刻家自身の高貴な魂、祈りの心から生まれたものであろう。
 特に聖女像や女性像には、見る者の心を清めてくれる作品が多い。

 「長崎26殉教者記念像」や「原の城」などを見ながら、かなり以前、福岡県立美術館で、船越保武の彫刻展を見たことを思い出した。
 その折求めた図録が、美術に関する書棚にあった。

 <信仰と詩心の彫刻六十年 船越保武の世界>と題する展覧会。
 1993年の12月に開催されたものである。

 冊子の中に、入場券も挟んであった。(写真 図録と入場券)
 改めて、図録の作品を心ゆくまで眺めた。

 図録の表紙を飾る作品は「N嬢」(1973年作)。
 入場券の作品は「聖セシリア」(1980年作)。

          
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11月の庭 (赤い薔薇)

2011-11-08 | 草花舎の四季
      

      

   

 昨日、草花舎に出かけた。
 今、入り口に、赤い薔薇が咲き誇っている。
 光の揺れる庭を歩いた。
 百日紅の梢の先には、青い空が広がっていた。
 気まぐれの晴であった。
 帰途には小雨にあったのだから。

 今、草花舎ではキリム展が行われている。
 今回は、眺めるだけに留めた。

 実に久しぶりに、スーザンさんに会い、一緒に食事した。
 スーザンさんは、とてもルンルン気分で、心晴れやかでいらっしゃる。
 いいことがあるのだ。
 末永く、お幸せでありますように!
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恵みの水

2011-11-06 | 身辺雑記
 朝、起床してすぐ、水道が止まっていることに気づいた。
 水洗トイレの不具合かと思ったら、水道が原因であった。
 
 生憎の日曜日。
 しかし、水なしでは生活できないので、すぐ水源地に電話してみた。
 が、復興には時間がかかり、結局一日、不自由した。

 近所のNさんが、雨の中、ポトルに入れた水をプレゼントしてくださった。
 親戚に出かけて、もらってきたからと。
 人の思いやりをありがたく思う。
 早速、朝のコーヒーをいただいた。

            

 間もなくして、妹夫婦が、家から水を運んでくれた。
 まずはトイレを流すことに使い、さっぱりする。
 大きいやかんに入れて運んでくれた水は、飲み水として大事に使う。
 公民館で、給水が行われると緊急連絡があった。
 義弟が空になった容器に水をもらってきてくれた。
 人のお世話になってばかり。

 妹が便利な小道具を見つけたと、草抜き用とブラシをプレゼントしてくれた。

        

 今日は一日、洗顔をせずに過ごした。
 夕方6時近くになって、水道は復旧した。
 入浴が可能となり、ありがたく湯船につかる。
 水は、いつもあるものとして暮らしている。
 一日だけではあったが、水道の使えぬ生活は、不便極まりなかった。

 被災地の方々の、長期にわたる非日常の不便さは、想像を絶するものであっただろう。
 改めて、災害の不便に耐えて過ごした人々の生活を思う。
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