ぶらぶら人生

心の呟き

<10月尽> (月は東に日は西に)

2009-10-31 | 身辺雑記
 10月が、今日で終わる。
 その月の最後を表現するのに、<~尽>という言い方のあることを、朝日新聞の天声人語を読んでいて知った。
 ひと月が尽きるのだから、その言い方があって不思議ではない。
 <一月尽><二月尽><三月尽>……というふうに使うようだ。
 ただ、語感として、私自身は、そう好きではない。が、その語彙との出会いを記念して、今日のタイトル名に使うことにした。

 夕方5時、白い月が東の空にあると、散歩中の友人から電話があった。
 早速、戸外に出てみた。
 玄関を出たところからは、東の空の見え方が限られる。
 そこで、保育園への坂道を上ってみた。
 月に気づく前に、落日の景に出会った。(写真②)
 その美しい落日に背を向けると、東の空には、山の端から昇ったばかりの白い月があった。(写真①)
 情景は、まさしく<月は東に日は西に>であるが、今は晩秋、蕪村の句にある菜の花の情景とは無縁である。
 ただ夕方の5時という時刻の、東西の景をほぼ同時に眺められたのは、ささやかな喜びであった。
 電話での知らせがなかったら、私はパソコンのキーを打ち続けていたに違いない。戸外に出れば、東方に月が、西方には落日のあることも気づかずに。
 「邂逅」とか「一期一会」とか、そうした出会いは、ことの外嬉しい。  


               ①

               ②

 今晩9時過ぎ、玄関に出てみた。
 夕方には白く淡く東の空に浮かんでいた月が、中天に場所を移して、輝いていた。(写真③)
 生暖かい夜風が吹いていた。
 しかし、明日からは寒波が襲来し、雨が降るという予報になっている。
 満月を眺めることはできないだろう。
 今日の月を愛で、しばらく十三夜(?)の月と対話した。

               ③
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木の実たち

2009-10-30 | 散歩道
 今日の散歩の目的は、土田の浜を訪れて、トベラの実を見ることであった。
 最初の群落では、どの実も黄色く熟してはいたが、赤い実の現れる寸前の姿であった。(写真①)
 海辺を東に向かって歩いていると、殻の割れた実があった。
 私の目にしたいと思っていた、子沢山の赤い実である。(写真②)
 が、まだその数は少ない。折角訪れた私へのサービスとして存在しているかのようだった。
 もし、浜辺の実が同時に熟し、赤い実を一斉にのぞかせたら、見事であろう。
 だが、そんな情景は望めそうもない。
 それぞれの熟し方は、一様ではないのだから。

        ①

                ②

 シャリンバイの実も、葡萄色になっていた。(写真③)
 あまり風情のある実ではないな、と思いつつ木の後ろに回ると、季節はずれの花が咲いていた。(写真④)
 シャリンバイは、夏に咲くはず。温暖な日が続き、咲き時を間違えたのであろう。

        ③
 
                ④

 殻が割れ、四つの赤い実が、灯のように点っていた。(写真⑤)
 トベラのように無秩序ではなく、赤い実は行儀よく並んでいる。
 柾の実ではないかと思う。
 この木は、浜辺だけでなく、散歩の途次のあちらこちらで、多く見かける。

        ⑤

 蔓草であろうか、小さな丸い実を無数につけた植物にも出会った。(写真⑥)
 地味な玉だが、絡まりあって、無造作に存在する様がいい。

                ⑥

 帰路、少し遠回りして、マユミの実も見てきた。
 3メートルほどの距離を置いて、二本の木が道ばたにある。
 一本の木は、まだ葉を茂らせているのに(写真⑦)、もう一本は、ほとんど落葉していた。(写真⑦)
 この違いは、何によるのだろう?
 人間の個性も千差万別であるように、単なる個体差なのであろうか?

        ⑦

                ⑧

 中学校の近くまで帰ると、芙蓉の実が目についた。(写真⑨)
 毎年のことだが、この実の造形的な美しさには、ただ感心するばかりである。あの花の美しさを、中に閉じ込めているかのようだ。

 自然の営みの形は、不思議なことばかりである。

        ⑨  
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散歩道の花々

2009-10-30 | 散歩道
 道々の花が、晩秋のものに変わりつつある。
 山茶花があちこちに咲いている。
 ひとりでに、童謡の<山茶花>の歌を口ずさみたくなる。
 温暖化のせいで、季節感にずれが生じているけれど、この花には、いかにも<焚き火>や<木枯らし>が似合う気がする。
 巽聖歌の歌詞が頭に沁み込んでいるためだろうか?
 
 今日の散歩で、色も花びらの形も異なる、幾種類かの山茶花に出会った。
 その中で、もっとも気に入ったのが、写真①の花であった。
 色の淡さに品がある。

              ①

 ツワブキが咲くと、冬の近づきを感じる。
 散歩の途中、山陰本線を列車が上っていった。それを見送った後、目が捉えたのは、線路脇の崖に咲くツワブキの群生であった。(写真②)
 海岸に沿う山陰本線の脇には、ツワブキの花が多い。
 この花を見ると、中高の6年間、隣のH市に通学した冬の日々を思い出す。

                   ②

 寒風を受けやすい海辺の岩陰に、身を潜めて咲いていた黄色い花は、多分、菊の仲間であろう。直径1センチほどの小菊である。
 可憐な少女が、厳しい試練に、生き生きと耐えている感じであった。

              ③

 市道の脇の花壇に咲いていた、詰草に似た花。
 三種の彩りの花が、みな優しい。(写真④⑤)
 実に、可愛げである。

                   ④
  
              ⑤
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土田の海へ

2009-10-30 | 散歩道
 先日、草花舎で、赤い木の実を見て、海辺のトベラが気になっていた。
 今日は曇り日で、戸外を歩くのに適していると思い、午後、散歩に出かけた。

 海へ降りる道を変更し、荒磯館の駐車場を経て、高みから海を眺めた。
 穏やかな海であった。
 が、曇り日の今日は、水平線がおぼろで、空と海面との区別が定かでなかった。
 
 佇む場所によって、わずかではあるけれど、同じ風景が異なって見え、新鮮な感じがする。
 海の表情は、一日として同じではない。
 今日は今日だけの顔を見せ、海原はこの上なく凪いでいた。

            

            

            

 いつものように、磯伝いに歩いた後、ふっと同級生のY子さんを尋ねてみようという気になった。互いの別れはいつ訪れるか知れないのだから、そんな思いが心をよぎったのだった。
 先日、新聞の死亡欄で、同級生の名前を見て、ひどく動揺した。
 三年前の同窓会で会ったときの印象では、もっとも元気そうに見えた人だったからである。しかし、生きとし生けるものの命だけは、予想の範疇を超えているようだ。まさしく老少不定。
 同級生であっても、すでに鬼籍の人は多いし、今元気だから長命とは限らない。健康不健康が命の長短を決めるものでもないらしい。
 転校生である私は、同級生とのなじみが薄い。が、二年間の誼(よしみ)はあり、会えるときには声をかけよう、そんな思いでいる。
 以前に一度、やはり同級生のMさん(彼も、最近は体調がすぐれず、ベッドの上での暮らしが多くなっていると聞く)と、偶然散歩の途中で出会って、二人でY子さんを訪れたことがある。
 その海の見晴るかせる高手の家を目指したのだった。この急坂は、上り下り大変だろうと思いながら、家にたどり着いた。

 ブザーの位置が分からず、
 「Y子さーん」
 と、潮騒に負けぬよう、声を大にして数度呼んでみたが、返答がなかった。
 生活習慣のせいか、彼女の腰は曲がっているけれど、元気な人である。
 外出中だったに違いない。

 家の前の畑が丁寧に耕され、野菜や草花が育てられていた。
 Y子さんの、土に親しみながら過ごしている日常が偲ばれ、少なくとも私よりは健康そうに思えた。
 家前のキウィの棚には、数え切れないほどの瑞々しげな実が垂れ下がり、思わずほほえましくさえなった。(下の写真)
 

            
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10月の庭 (赤い実の季節)

2009-10-28 | 草花舎の四季
 昨日、草花舎に行った。
 いつもは、月曜日に出かけることにしているのだが、お昼前、Tちゃんから電話があり、スーザンさんからの伝言があった。
 <食事を明日、一緒にできないだろうか>と。

 月曜日は、10時頃から雨が降ったり止んだりの悪天候となった。
 朝のうちはまだ曇り空であった。同級生のHさんが、8時から、崖の草を刈ってくださった。が、10時過ぎ、急に雨が強くなって中止された。

 (実は、日曜日の夕、スーザンさんが来宅、貰い物の新米をすそ分けしてくださったのだった。そのとき、月曜日、草花舎でお食事を一緒にしようと約束した。)

 その変更依頼が、Tちゃんを通してあったのだった。
 雨の中を出かけるのは私も気が進まず、スーザンさんとの食事を一日延ばしたのだった。
 スーザンさんは、30日からフランスに帰国される。
 それに先立つお食事会であった。

 最近、スーザンさんは腰の具合が悪く、<ひまわりカイロ>にも出向かれたという。旅慣れた方とはいえ、道中に不安があるだろう。フランスで、専門医の検診を受けられる予定だと伺った。
 長途の旅が、ご無事であることを祈るばかりだ。
 
 私自身、腰痛は持病だと思っていた時期があるので、その苦痛がよく分かる。
 腰は体の要であり、痛みがあると、たちまち生活に支障が生じる。
 
 しかし、昨日のスーザンさんはいつもどおり、屈託がなかった。不具合は、日々、軽重があるのだろう。
 雑談中、私が、最近体重がわずかずつ増え、お腹にばかりが脂肪がたまると話したところ、スーザンさんは、すっくと椅子から立ち上がり、上着を上げてお腹を撫で、
 「フラット!」
 と、おっしゃっるのだった。
 その動作が、実にスムーズだったので、腰痛が緩和されているのだろうと嬉しかった。スーザンさんのお腹には、余分な脂肪も贅肉もついていない。

 私は昨日、いつものより早く草花舎を引き上げた。
 前日にし残しとなった草刈りや刈り草の片付けに、同級生夫妻の訪問が予定されていたので。
 2時過ぎ、スーザンさんに、しばらくのお別れをして帰宅した。


 食事前、いつものように草花舎の庭を歩いた。
 今は、木の実の色づく季節である。
 入り口には、ピラカンサ(①)が、前庭には、名前を知らない蔓草の実(②)が、秋の色に染まっていた。いずれも赤の輝きが美しい。

 前回のブログに書いた、裏庭の大樹の紅葉は、ますます進んでいた。(③)  


           ①

                  ②

           ③
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崖の草刈り

2009-10-27 | 身辺雑記
 同級生のHさん夫妻が、二日がかりで、崖の草刈りや溝掃除などをしてくださった。平素は一日で終わる作業なのだが、昨日、10時過ぎから雨になり、今日にまたがる作業となったのだ。
 今日も、昼前には抜けるような秋晴れの空だったのに、お昼過ぎには時雨がやってきた。
 草花舎で、スーザさんと昼食を共にした。
 いつもならもっと長居をするところだが、H夫妻が作業に来られるのに備えて、早々に帰宅した。
 10日ばかり、フランスに帰国なさるスーザンさんにお別れをして。
 
 3時前、草刈り機の音がするので外に出てみると、Hさんが崖の上で、昨日し残しの草を刈っておられた。
 間もなく、片付けの手伝いにH夫人も来られた。
 「少しだけど新米を食べて」と、自作のお米を届けてくださった。
 (今晩、早速炊いて、いただくことにした。)
 昨日は、Hさん宅の庭に咲いた花々を持ってきてくださった。(写真)

 急勾配の崖の草刈りは大変だが、片づけも容易ではない。
 刈った草はかき集めて<鳥の巣>に入れては、トラックの荷台に運び、持ち帰って処理してくださるのだ。
 作業が終わったのは、夕翳る時間であった。
 労をねぎらって茶菓を出し、ひと時の語らいをし、来る年もよろしくと、別れたのだった。お互いに、来年があればね、と笑いつつ。

              
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農具の新旧

2009-10-27 | 身辺雑記
 今、裏口に、私のものではない農具が二つ置いてある。
 <鳥の巣?>と<草刈り機>と。

 実は、昨日、同級生のHさん夫妻が、崖の草刈り、溝掃除などをしに来てくださった。ところが、10時過ぎから雨になり、仕事を中断して帰られた。

 道具は置いて帰るから、と言いおいて。(写真)
 昔懐かしい背負い具は、確か<とんのす>と言っていたように覚えている。
 形状から、<鳥の巣>の訛ったものかと思うが、定かではない。
 私の家にはなかったし、背負った経験もない。
 が、鳥の巣状に竹を編んだ道具には、昔の人の知恵が感じられる。
 物が存在し、見慣れてしまうと、創造者の創意の妙も忘れがちだが、なかなか理にかなったすばらしい農具だと思う。そこには、自在に様々なものを入れて背負うことができる。
 背当てや、肩紐なども、なかなか手が込んでいる。
 
 子供の頃、<おいこ>とか、<おいのこ>とか呼んでいた農具もあった。
 こちらは、最近見かけないような気がする。
 漢字で書けば、<負い子><負いの子>と書くのだろう。(地方によっては<荷子>とも言うらしいことをネットで知った)
 <子>は接尾語で、<振子><呼子><鳴子>などの<子>と同じような使われ方なのだろう。

 <おいこ>は、戦時中、小学校(当時は国民学校)の勤労奉仕で背負ったことがある。山から薪を運ぶ作業だった。小柄な身には、<おいこ>が、お尻の方に下がるし、肩紐は肩に食い込むし、生きた心地がしなかった。
 幼子には過酷な労働であった。

 草刈りの道具と言えば、昔は鎌だった。
 今は、利便性の高い草刈り機によって、広範な場所の、繁茂した草が、比較的容易に刈り取れるようになった。
 私には使うことのできない道具ではあるけれど。

 
             

                    
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<文字・活字文化の日>

2009-10-27 | 身辺雑記
 今朝、読売新聞を読んでいて、今日は、<文字・活字文化の日>だと知った。
 そんな日が定められていることを、つゆ知らなかった。
 <読書週間>については知っていたけれど……。

 読売新聞の文化欄に、

 (横見出し) 読書週間「読書とスポーツ」 10月27日は「文字・活字文化の日」
 (縦見出し) 読めば風を感じる

 との見出しで、東京外苑のイチョウ並木をジョギングする増田明美さんと森絵都さんの写真が添えてあった。心弾むような軽やかな走りの写真である。
 その記事の中で、森さんの言葉として語られていたのが、<集中力も結局は体力です>であった。
 <ウーン>と小さくうなりながら、私は読みかけの新聞を投げ出した。
 最近、とみに衰えた集中力のなさは、私の萎えた体力と関係があるのかも知れない、と考えたのだ。
 老いに伴う体力の衰えは、いろいろなものを奪ってゆくらしい。

 先刻、ネットで、<文字・活字文化の日>を調べてみた。
 2005年(平成17年)に、「文字・活字文化振興法」が施行され、10月27日が、その日として定められたのだという。
 もう少し体力をつけ、少しでも長く活字を楽しめる日々を過ごしたいものだ。

 写真は、私の本棚の辞書である。これらをもっと活用しなくてはならない。

             
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身辺小話

2009-10-25 | 身辺雑記
 裏庭の鉢に、白い菊が咲いた。
 確か4年前の秋、白、黄、ピンクの三種の小菊を買ってきて、花壇に植えた。
 札には、<スプレー菊>と書いてあった。
 一年が経つと、小菊が大菊に変ずると、妹から聞いていた。
 果たして、翌年は小さな花壇に不似合いなほど大きくなった。
 そこで、鉢やプランターに植え替えた。
 その後、年々、株が細り、今年は白菊がわずかに咲いてくれただけである。

 仏壇に、一度お供えできるほどの量である。
 早速切り取って、お供えした。
 来年は、この白菊も、黄やピンクに次いで、絶え果てるだろう。

              ①

 昨日、一通のはがきが届いた。
 旧知のSさんからであった。
 以前、絵手紙を習い始めたと、水仙が届けられた。それに次ぐ絵手紙である。
 紅と白の秋明菊。
 自宅の庭に咲いたものを描いてみたとあった。
 絵手紙を添え、安否をたずねてくれる旧知の心優しさが嬉しい。

 私も、わが家の庭に咲いた秋明菊(白花)の写真を添えて、お礼の返信をしたためた。 

                   
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グラントワへ (親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要)

2009-10-25 | 身辺雑記
 以前、あれはいつだったか、高史明氏の話を聞いてみたくて、東本願寺派の<親鸞聖人750回 お待ち受け法要>に参加した。

 (過ぎし日のことが、このところ、たやすく私の記憶から去ってゆく。グラントワで、高史明氏の講演を聞いたのは、9月? と思いながら、手帳を開いてみたが、そのメモが見当たらない。
 ブログにも書いたけれど、それを探し出すのも楽ではい。
 手帳を過去に向かって繰り続けているうちに、6月7日(日)が、該当日と分かった。
 その日に着て出た服装も、空気の感触も思い出せない。
 こうした記憶の曖昧さが、最近、非常に増え、気になっている。)

 そのとき、私は面食らった。場違いな所に身を置いている感じを否めなかった。というのも、私が、<お待ち受け法要>の集いが、いかなるものかを解していなかったからだ。
 高史明氏の話の前後に、宗教行事があって当たり前だということを……。


 10月17日、西本願寺派<石西三組>の主催で、前回と同様の趣旨の法要が営まれた。今回も、私の目的は、青木新門氏の話を聞いてみたいと思っての参加だった。
 ただ、この日の催しが、あくまでも<お待ち受け法要>であって、青木新門氏の講演会ではないことは、事前に理解できていた。
 が、今回の法要は、前回の比ではなく、盛大で、荘厳なものであった。
 私は感動というよりも、戸惑いを覚えた。
 浄土真宗の門徒ではあるが、私の性格からして、どうしても大集団のかもす雰囲気についてゆけないのだった。
 
 グラントワの大ホールに入ったとたんに、まず驚いた。
 入場券を示すと、一階は満席になっているので、二階席にあがるよう指示された。
 そこに集う人の多さ!
 みな篤信の信者なのだろうか?
 「ようこそお参りいただきました」
 という言葉も、しっくり受け止められない私には、やはり居合わせてはいけない場所だったのでは?

 舞台にだけ照明が当てられ、最初の行事が始まった。(写真①)
 <行事鐘>
 <稚児行道・伝供>
 <龍谷聲明(重誓偈作法)>
 が、重々しく進行した。
 こうした宗教行事は、私にとてって、初めての体験であった。
 私の浄土真宗との接点は、家や他家の葬儀・法要ぐらいなものである。
 ただ、父の影響や、私自身が自らの課題として考えたことなど、個人的な関心が全くなかったわけではないけれど。
 会場の明かりを落としたうすら闇の世界で、法要が厳粛に営まれる間、改めて、私の頭は疑問符に満ち、宗教とは、仏教とは、浄土真宗とは、親鸞の教えとは? と、考え続けていた。永久に答えの出そうにもない問題を…。
  
 第二部としては、記念法話(音楽法話 <福間玄猷師とMONアンサンブル>
 )が行われた。(写真②)
 これは、浄土真宗や親鸞の教えを導く一方法として、私には新鮮な試みに思えた。
 5人の演奏者で奏でられる大正琴の音色と、やさしい言葉で語られる法話と、舞台のバックに映し出される、懐かしい風景写真と、音響効果と、それらが溶け合い、心に染み入るものがあった。そして、生きる意味や命の問題を、しみじみと問いかけられている気がした。

 第三部の、青木新門氏の記念講話「いのちのバトンタッチ」は、この会に出席する最大の目的だった。が、残念ながら、心に響くものが乏しかった。(写真③)
 おそらく、聞き手の私に問題があるのだろう。
 すでに読了の『納棺夫日記』の、小説的でない部分、浄土真宗や親鸞について語られた部分に、関心を寄せていた私には、講話の大部分に費やされた枝葉末節(映画「おくりびと」や、知り尽くしている作家たちのゴシップ)には、ほとんど興味がなかった。
 
 時間をオーバーして続く講話にも、うんざりした。
 4時半には、すべてが終わるはずの日程だった。が、講話の終わったとき、すでに5時半を過ぎていた。
 すっかり根気のなくなっている私にも問題がある。
 私は、話が終わると同時に会場をあとにし、タクシーで帰宅した。

 (一週間も過ぎた今、法要の営まれた日の様々の場面を思い出しながら、ブログにメモを留めることにした。数々の問題点を、自らの課題としなくてはならないことをも、改めて思いながら。)


           ①

           ② 

           ③ 
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