ぶらぶら人生

心の呟き

いたずらの正体は?

2022-02-28 | 身辺雑記
 散歩から帰って、窓辺に立つと、空にいたずら書きがしてあった。
 広い広い青空に、このいたずらを試みた正体は、何?



 




 

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高津大橋と白鳥

2022-02-28 | 散歩道
 鴨島大橋を過ぎると、高津大橋が見え始める。
 あそこまで歩けるだろうか?
 対岸に白鳥の姿をさがしながら、高津大橋へ向かって歩き始めた。


 



 途中、散歩帰りの男性に、大橋までの距離を確かめてみた。
 500〜600m ぐらいだろう、と教えてくださった。
 特別、疲れも覚えず、到達した。ささやかな達成感あり。

 橋の名前が平仮名で書かれていた。
 「たかつおゝはし」と。
 架橋の年月日を調べるのは忘れて引き返した。
 


   




  近くから見た高津大橋

 




 バスの道を挟んで向こう側は工事中であった。
 工場の煙突がほぼまっすぐに立ちのぼってている。


 




 午前中、高津の友達から、今年も白鳥が来ている、と電話をもらった。
 午後、早速白鳥に会えることを念じて散歩に出かけたのであった。
 しかし、なにしろ川幅が広く、行きにはその姿を見ることができなかった。

 帰途、思いがけぬところで、白色の動きを感じた。
 中洲を取り払った名残の土の上に。烏もいて、戯れているのか喧嘩しているのか?
 やがて、白鳥は川に入り、ゆったりと移動を始めた。
 少し川下へ向かって移動したあと、対岸の方へ向きを変えてまっすぐ進んでいた。
 塒は向こう岸にあるのだろう。
 友だちの話どおり、3羽の白鳥の群れであった。



 




 水鳥や烏も、春日和を楽しんでいるようであった。




 




 



 高津大橋まで歩けたこと(3キロ余り)、白鳥に会えたこと、春日和に恵まれたこと、
万事めでたし!


 ※ 三度目にして、この投稿は受け付けてもらえるだろうか?


 
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散歩日和

2022-02-27 | 散歩道
 昨日に続いて、今日も散歩に出かける。
 風の穏やかな、散歩日和。
 春遠からじ、と思いつつ眺める風景だが、まだまだ冬の名残りが強い。川土手の草むらは一面の枯れ色である。草色に変わるのは、いつであろう?



 

 
  右手遥かに見える白い建物が、私の住む施設。
  悠々自適とも思える軽やかな浮雲を眺める。




 


  川面に遊ぶ水鳥。
  私は日ごろ、Facebookの<鳥見(鳥情報交換)グループ>の写真を拝見させてもらい、羽色の美しさや体型の多種なことに驚かされ、楽しませてもらっている。
 私の鳥知識は、非常に狭く浅い。
 カラス、スズメ、トビ、ツバメ、ヒヨドリ、ウグイス、ホオジロ、キジ、フクロウ、ウ、ツル、ハクチョウ、ホトトギス(声のみ)、カモ、シラサギ、アオサギ(ここまではすらすら思い浮かんだが、手が止まってしまった。
 鳥情報では、鳥図鑑を見ているかのように、いろいろな鳥を楽しませてもらえる。

 望遠鏡を持参しているのだが、持ち重りするので、散歩には持ち歩かない。拡大して見確かめたいものは結構多いのだが……。
 上掲の水鳥の様子も、肉眼では、細かい観察はできにくい。




 


 高津大橋の見えるところまで足を延ばした。その下まで行くのは、今日も諦める。




 

  
  高津大橋側から見た鴨島大橋。


 川沿いの道から逸れて、初めての道を歩いてみた。
 散歩の折、人に会うことは滅多にないのだが、土日には、幼児と若夫婦、その他親子の姿を見かけることが、たまにある。
 今日は若い父親と幼児(女の子)に出会った。
 私は、道で会う人ごと、「こんにちわ」と挨拶する。たまには、無言の若夫婦もあるが、大方の人は挨拶を返してくださる。
 今日出会った若い父親からも、気持ちよく「こんにちは」の言葉が返った。
 あどけない女の子は、ほぼ同時に、「アッ!」と言いつつ、地面にしゃがみ込み、すぐ立ち上がった。
 「何がいたの?」と尋ねたが、恥ずかしそうにもじもじしていた。その仕草も愛らしい。
 幼児にとっては、大発見!? だったのかもしれない。アリでもいたのだろうか?
 幼い子どもには、この世の全てが目新しいのであろう。
 ささやかな出会いを通して、少しずつ知恵づいてつくのだろうな。
 若き父親も、慈愛に満ちた表情で、子どもの姿を眺めておられた。

 (散歩の副産物としての頼もしい光景であった。)


 今日は、妹と甥に、買い物をしてきてもらった。不足の必需品のほか、果物やお菓子、ヨーグルトやヤクルト、卵など。
 3度の食事は提供されるのだが、お決まりのものしか口にできないと、次第に心が寂しがる。何か満たされぬ思いになってくる。決して、大食家ではないのだが、果物が欲しい、目先の変わったお菓子が食べたい、ゆで卵が食べたいなどと、卑しい思いがつのり、精神的にもおかしくなる。
 しかし、もう大丈夫。蜜柑がある、苺がある、林檎がある、お菓子も種々あると思うだけで、なんだか不思議なほど、心にゆとりが生じるのだ。
 
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ジンチョウゲの花を確かめに

2022-02-26 | 散歩道
 前回(2月18日)の散歩で見かけたジンチョウゲの蕾が、そろそろ開花しているかもしれない、そう思いつつ、散歩の目的地を、そこに定めた。
 しばしば歩く道ではないので、家の位置をはっきり覚えているわけではない。
 花が咲いていれば、すぐ見つかるだろうと思いつつ、東に向かって歩く。

 鮮紅色が庭先を明るくしていた。まだ大方は開花寸前であったけれど。


   




   




   以下は、朝と夕の空模様。



 




 




 





 


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津田医院 へ

2022-02-25 | 味わい深い表現
 定期検診を受けに津田医院へ行ってきた。
 寄り道はできないので、タクシーで、まっすぐ行って、まっすぐ帰ってきた。

 順番待ちの時間が思いのほか長く、換気のためであろう、待合室は幾分寒かった。
 気力喪失の日々が続いており、待ち時間、持参した本を読む気になれず、生花を眺めたり、窓外の空を眺めたりして、診察を待つ。



    




    




    


 先生の話では、検死を必要とするような(私の隣室のOさん同様の)死が、最近多いと話しておられた。
 施設の先生も私の主治医の先生も、突然死は、そう珍しいことではないようにおっしゃる。が、私にとっては今なお、やはり唐突な死であり、心のなかに、いまなお説明し難い重苦しいものが、冬雲のように存在する。


 
 上記のような個人的な心情とは関わりなく、一日には終わりの時がやってくる。
 落日は、今夕も美しい。



 




 



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陽は昇り、陽は沈み…

2022-02-24 | 身辺雑記
 朝曇りのため、日の出は見られなかったが、7時過ぎ、権現山の上空に、久々の朝陽を見ることができた。

 落日の位置も次第に北寄りに移動し始めた。
 海上に沈む夕陽を眺められるようになるのは、3月末からであろうか?


  




 



 今日は、午後からは全く気力なし。
 何にもする気が起こらない。

 突然の電話に、私との関わりが、ふと思い出せないことが折にある。が、今日の電話のMさんは、私の記憶が薄れない程度の間を置いて、思い出したように電話をかけてくる人である。でも、前回からの間隔は、5、6年は空いているのではなかろうか。
 58歳になったという話に、私が歳をとるはずだと思った。
 東京からの電話であった。
 当地にはお母様が健在という。いつか帰っておいで、とは言ってみたが、コロナ禍では動きも取れず………とのことであった。

 [補足 この稿、投稿した意識のないまま、書きかけの文章が投稿状態になっていた。恥ずかしいかぎり。ただいま、少々補足して正式に投稿。]
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『人間は哀れである』

2022-02-23 | 身辺雑記
 19日(土曜日)の新聞を見て、Amazonへ注文した本。
 東海林さだお著『人間は哀れである』

 早速読了。
 久しぶりに、心をくすぐられる楽しい読書であった。
 東海林さだおさんの作品に接するのは、漫画も含めて初めてである。



  

      紹介記事と文庫本『人間は哀れである』


 人間は哀れである、そう言われてみると、する事なす事考えることから体の造作まで、哀れならざるはなし、と思えてくる。東海林さんの観察眼や思考スタイルが確かに的を射ており、思わず微苦笑させられる。揶揄されていても、確かに! と、苦笑して認めつつ、同時に悲哀の気持ちも湧いてきたり……。
 東海林さんというのは、すごい個性的な人だな、と思う。
 本もしっかり読んでおられる。人間観察の土台が揺るがない。

 閉ざしがちな心、このところのモヤモヤした沈んだ気持ちを、吹き飛ばしてくれた一冊。

 平松洋子編で、お二人は西荻窪に住み、こころの通い合う同志でもあるらしい。
 最後の対談にも味がある。
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2022年2月22日

2022-02-22 | 身辺雑記
 今日は、2022年2月22日。
 2揃いの珍しい日。

 朝、新聞を手に取って、一面の記事を目で追うと、天声人語の下の広告欄に、猫の写真や猫という文字の入った本の紹介がずらり。
 猫本広告特集!? と、思いつつ見ていると、広告の中央に[2月22日はネコの日]とある。気づくと、テレビでも報じていた。



  


 最近は、いずれの日にも、[○○の日]という定義づけ(こじつけ)が、なされているのだろうか。
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心の整理

2022-02-21 | 身辺雑記
 人の死という思いがけないことに遭遇すると、心の整理が、なかなか完全にはできにくいようだ。

 が、午前中に、息子さん夫婦が2度目の片付けに来られ、お会いする機会があった。互いに多くは語らなかったが、お悔やみと、3年にわたってお世話になったお礼を言うことができ、一応の区切りがつけられた感じがする。

 さらに、午後、部屋の掃除中、廊下のソファで本を読んでいたところ、施設の先生が私に気づいてやってこられた。隣人の突然死に遭遇した私の気持ちを察してくださって、Oさんの場合、そう珍しい死ではなく、老人にはよくあることなので、あまり気にしないように、と。そして、家に帰れるようになったら、少し家でゆっくりしてください、ともおっしゃってくださった。私自身、それが一番よいことに思えるけれど、コロナ感染者ゼロの日が続かなければ、外出の許可は出ない。いつのことになるのか?

 しかし、今日はOさんの家族の方に会えたこと、先生から助言をいただいたことで、少々こころの修復が期待できそうだ。



    山襞に残る雪。
    (自室より)


 




 




   重い雲と落日。
   (廊下より)


 


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『樹木希林さんからの手紙』

2022-02-20 | 身辺雑記
 下掲の『樹木希林さんからの手紙』は、前回読んだ『樹木希林 120の遺言』についで、C3号室のOSさんが、貸してくださった本である。

 樹木希林さん関連の本では、これが一番読み応えがあった。
 というのは、手紙の贈られた対象が、市井の若者である場合が多く、そこに綴られた文面に、樹木希林さんの素顔、心の底に潜む本心が、素直に表現されているからであろう。

 人と人との絆をとても大切にする人である。


    


 筆書きの墨字に味わいがあるし、自画像にもおどけたような妙味がある。
 ガンを患いつつ、このように強く生きられた姿に非凡さを感じた。
 あまりにも立派で、私など、真似のしようがない。
 演技の優れた個性的女優さんという捉え方を超え、人間としての、素のままの魅力を感じた。

 京都の<何必館・京都現代美術館>の館長・梶川芳友さんとの交誼も、印象的だった。
 

 この本の内容は、樹木希林さんの亡きあと、放映されたのであろう。
 NHK『クローズアップ現代+』『知るしん』制作班 によって編集されたとあるから。
 私はどちらかといえば、テレビを視聴することが少なく、放送されたことも全く知らなかった。が、私にとっては、活字本を読むことで、いっそう味わい深く受け止めることができたのかもしれない。

 北大路魯山人の「坐辺師友」という言葉にも出会ったり、「日日是好日」という言葉を味わい直したり……。

(まとまりのないまま、擱筆。)

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