今年は特に、年賀欠礼のはがきが多い。
逝去のことを知らずにいて、慌てて香典を添えお悔やみの書状を送ったり、そこまでする必要のない人には、電話で哀悼の意を表したり…。
年の瀬を前にして、心寂しいことが多い。
老少不定・生死(しょうじ)無常の思いを深くしている。
Yさんから届いた葉書で、弟Eさんの死去を知った。
15歳の少年時代しか知らないEさんだが、その昔を思い出し、60過ぎの若い死を悼んで、電話した。
その際、晩年を含む生前の様子をYさんから伺い、ガンという病気のせいで、かえって心静かな死が迎えられたのかもしれないと想像した。
Yさんも、弟さんの死を平穏な気持ちで受け止めておられるように思えた。
翌日、Yさんから手紙が届いた。
Eさんの晩年を、もう少し知ってほしかったのだろう。
ペーパー4枚の手紙に添え、Eさん自筆の句と絵が添えてあった。
水平線は
大きな
定規だ
今まだ
ここに
居る
新緑と
一緒に
なりたい
Eさんは、春のお彼岸の中日に亡くなられたという。
上記の句を読むと、余命いくばくもないEさんの心境が、表現の奥にうかがえ、Eさんの心奥に触れる思いである。
老いた私にとっても、<今まだ ここに 居る>は、時に心をよぎる感慨でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/37/d298ab68bb4f84db0f8880ec2b26efbf.jpg)
庭のヤマボウシが紅葉の時期を迎えた。
まだ多くの葉を留めているけれど、不思議と年を越す葉はない。
が、春が来れば、若葉をつけて再生する。
当然のことだが、人の死には、<再生>がない。
思い出として、亡き人を偲ぶ術しかない。
今日で11月が終わった。
10月以来、班長として、同町内の若き入居者とコンタクトが取れず、町内会費を立替えたり、無反応に辟易したりしたが、結局、<空き家バンク>の世話をされた市役所職員が間に入り、支払ってもらえた。そのプロセスの詳細は知らないけれど。
私はまだ入居者に会ったことがない。
今日、町内会長を通して、支払い金(立替え分)を受け取っただけである。
依然として、来月以降のことは分からない。
余分な心労をしないですむようにと念ずるばかりだ。
逝去のことを知らずにいて、慌てて香典を添えお悔やみの書状を送ったり、そこまでする必要のない人には、電話で哀悼の意を表したり…。
年の瀬を前にして、心寂しいことが多い。
老少不定・生死(しょうじ)無常の思いを深くしている。
Yさんから届いた葉書で、弟Eさんの死去を知った。
15歳の少年時代しか知らないEさんだが、その昔を思い出し、60過ぎの若い死を悼んで、電話した。
その際、晩年を含む生前の様子をYさんから伺い、ガンという病気のせいで、かえって心静かな死が迎えられたのかもしれないと想像した。
Yさんも、弟さんの死を平穏な気持ちで受け止めておられるように思えた。
翌日、Yさんから手紙が届いた。
Eさんの晩年を、もう少し知ってほしかったのだろう。
ペーパー4枚の手紙に添え、Eさん自筆の句と絵が添えてあった。
水平線は
大きな
定規だ
今まだ
ここに
居る
新緑と
一緒に
なりたい
Eさんは、春のお彼岸の中日に亡くなられたという。
上記の句を読むと、余命いくばくもないEさんの心境が、表現の奥にうかがえ、Eさんの心奥に触れる思いである。
老いた私にとっても、<今まだ ここに 居る>は、時に心をよぎる感慨でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/37/d298ab68bb4f84db0f8880ec2b26efbf.jpg)
庭のヤマボウシが紅葉の時期を迎えた。
まだ多くの葉を留めているけれど、不思議と年を越す葉はない。
が、春が来れば、若葉をつけて再生する。
当然のことだが、人の死には、<再生>がない。
思い出として、亡き人を偲ぶ術しかない。
今日で11月が終わった。
10月以来、班長として、同町内の若き入居者とコンタクトが取れず、町内会費を立替えたり、無反応に辟易したりしたが、結局、<空き家バンク>の世話をされた市役所職員が間に入り、支払ってもらえた。そのプロセスの詳細は知らないけれど。
私はまだ入居者に会ったことがない。
今日、町内会長を通して、支払い金(立替え分)を受け取っただけである。
依然として、来月以降のことは分からない。
余分な心労をしないですむようにと念ずるばかりだ。