ぶらぶら人生

心の呟き

「蝉氷(せみごおり)」

2008-01-20 | 小さな記録簿
 「蝉氷」とは、初めて耳にする言葉だった。
 今日の「天声人語」の書き出しに、
 <東京郊外にある我が家のスイレン鉢に、きのうの朝、うっすらと氷が張っていた。持ち上げれば、ぱりんと割れそうだ。こんな氷を、透明なセミの羽に似ていることから、「蝉氷(せみごおり)」と呼ぶ。はかなげな名のとおり、日が高くなるころには解けてしまった。>
 と、記されていた。

 「蝉氷」? =「薄氷」の表現として、理解はできるけれど……、と思いながら、手元の辞書を引いてみた。私が知らないだけで、一般的な言い方だろうかと思いながら。
 辞書にはなかった。語彙数の多い、「日本国語大辞典」も引いてみたけれど、そこにも出ていなかった。
 歳時記の「氷」の欄に、やっと「蝉氷」を見つけることができた。
 俳句の季語として、使われるのだろう。
 同じ薄氷なら、過日のブログにも書いたが、「薄ら氷(うすらひ)」という言葉の方を私は好む。ただ、「蝉氷」は冬の季語になっており、「薄ら氷」は春の季語に入っている。
コメント (4)
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雨の日曜日  (写真 アマリリスの球根)

2008-01-20 | 身辺雑記
 今朝は、集会所の掃除に出かけた。
 今月は、私たちの班が当番月である。
 生憎、朝からの雨。
 外掃除は無理だろうなと思いながらも、草取りの道具を持って出た。が、地はぬかるんでいて仕事にならない。
 さすがに冬の季節。
 草の伸びは遅く、草抜きをしなくても、見苦しくはなさそうだった。
 みんなで、室内の掃除だけをして解散。

 帰宅後、朝食。
 NHKの新日曜美術館を見終わったところへ、Tさんから電話があった。
 来訪を告げるお電話であった。
 玄侑宋久に関するブログを書いたので、Tさんは、ご自分の蔵書を早速届けてくださった。『御開帳綺譚』 『龍の棲む家』 『多生の縁』など。
 私自身がアマゾンに注文した2冊の本は、注文の翌々日には届き、早速、『中陰の花』は読み終わった。今朝から2冊目の『アミターバ 無量光明』を読み始めている。
 これに加え、Tさんからお借りした本を読み上げれば、玄侑宋久の世界が、かなり身近なものになるだろう。
 作家、玄侑宋久は現役の僧侶なので、その作品は独特な世界である。
 いずれ稿を改めて、作品については書く予定でいる。
 読書は、読者がどういう心理状態に置かれているかによっても、あるいは年齢によっても、受け取り方はかなり異なるように思う。
 私は、いい時期に、玄侑宋久に出会えたと思っている。

 Tさんからは、いつものことながら、立派な大根やチーズなども、いただいた。
 私が、元気のなさそうなブログを書くので、気にもしてくださった様子。
 いつもお邪魔するばかりだったが、今日は、私の部屋に上がっていただき、ゆっくりと、多方面にわたるお話をした。
 そのうち、水仙の里へも、一緒に行こうと、誘っていただいた。
 海辺へ向かって下りる勾配の急な細道は、一人では不安がある。
 昨年は、お天気に誘われ散歩がてら出かけたが、ひとりだったので、入り口のところで引き返した。さらに下った場所に、水仙が一面に広がり、<水仙の里>の見所があると分かりながら。
 Tさんと一緒であれば安心して、海原を見下ろしながら、下ってゆけるだろう。

 一番下の妹から、小包が届いた。
 開けてみると、セーターが入っていた。私の誕生日を祝して。
 当日は、それを着て、小さな旅に出かけよう。

 今日はしつこい雨が降り続く。
 どうやら散歩は諦めるしかないようだ。


 先日、クロネコから、例年通り、アマリリスの鉢が届いた。
 まだ球根のまま、鉢の中に眠っている。
 そこには、葉や茎、花などの命が宿っていそうには見えない。
 その名は「ピコティー」(写真 左)と「レッドニンフ」(写真 右)である。
 ささやかながら、育てる楽しみを味わおう。 
コメント (2)
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