ぶらぶら人生

心の呟き

「6月みそかは年の臍」

2014-06-30 | 身辺雑記
 先日来、6月の暦を眺め、残り日数が少なくなるにつれ、今年の半分は、無事に終えられそうだと思っていた。
 ついに<尽日>となった。
 今朝、朝日新聞の『天声人語』を読んでいて、題名の言葉「6月みそかは年の臍」に出会った。
 なるほど、<今日は、年の臍>なのだ! と。

 お臍は、身体の中心にある。
 一年の中心は、今日である。

 なんとか半年を無事に過ごした。
 後半の半年が、同じ調子で生きられるという保証は何もないけれど、今までどおり、「とりあえず今日を生きる」ことにしよう。

 昨日、のど自慢で、98歳の老女が出演し、「星影のワルツ」(? 聞こうとして聞いていたわけではないので、記憶違いかもしれない)を歌っておられた。
 98歳に、驚いた。
 何というお元気さ!
 上手に年を重ねられたのだろう。
 私も、命ある間は、自立の日々を生きたい。
 そのための、ささやかな努力はしてゆきたい。


 木斛の小さな花が咲き始めた。(写真 上)
 葉陰に、隠れるように、藪柑子の花も。(写真 下)
 いずれも小さな花である。

 木斛は、幾年ぶりかに蕾をつけたので、日ごと開花を待ち続けた。
 藪柑子の花は、その気で探さないと見落としてしまっただろう。
 赤い実よりも、花の方は、気づきにくい。

 私の好みは、藪柑子の花だ。
 花の風情が、実に奥ゆかしい。

           

           

紅富士・赤富士

2014-06-29 | 身辺雑記
 版画家の水津保美さんが来宅。
 最近の版画作品<富士山>の写真を3枚いただいた。

 下の作品(写真)を手にし、
 「赤富士ね」
 という。
 「実は、紅富士です。赤富士と呼ばれるものとは、違う季節の…」
 とのこと。

 <紅富士>は、初耳である。
 (私が知らなっただけなのだろう。)

 近く開催される県展に出品予定の、この作品は、<紅富士>。


            


 <紅富士>という語について、辞書や歳時記を調べたが、出ていなかった。
 水津さんやPCの説明によると、晩夏から初秋にかけて見られる<赤富士>ではなく、他の季節、やはり太陽によって赤く(紅く)彩られる富士山をさすようだ。
 水津作品は、残雪のある季節の<紅富士>なのだろう。


 <赤富士>についての説明を、以下の本でたどってみた。
 解説文は三者三様ながら、意味は大同小異である。

 広辞苑

 
   太陽の光を受けて暗赤色に色づいて見える富士山。
   晩夏から初秋の早朝に多く見え、葛飾北斎の「富岳三十六景」の一つとしても名高い。<季・夏>

 日本国語大辞典

   晩夏から初秋にかけての早朝、ほんの二、三○分の間、裏富士が真っ赤に見える現象。
   雲や霧の濃淡と朝日の微妙な兼ね合いによるものといわれる。《季・夏》
   古稀春風<富安風生>「赤富士に露滂沱たる四辺かな」

          ※ <赤富士>は、上句より新季語として認められたのだそうだ。
            富安風生は、明治・大正・昭和をに活躍した俳人。(1885~1979)

新日本大歳時記

   赤富士というと葛飾北斎の版画の印象が鮮やかに目に浮かぶ。
   これは暁方(あけがた)に見られる現象で、雲や霧の濃淡によって、わずかな時間太陽が富士を
   照らし出し、一瞬山肌が紅色に染まる。山梨県側から見た赤富士はことに絶景である。(能村研三)
  
   赤富士のぬうつと近き面構へ  富安風生  
  
    (句例の一つとして、上記の句を挙げている)

 富安風生の句は、二句とも、赤富士を印象的に描いている。

  
 久しぶりに、持ち重りする「日本国語大辞典」を書棚から取り出して、勉強した。


 下の写真は水津作品。
 左は、赤富士だろう。
 右は、初夏の富士山だろうか?
 

   

時至りて

2014-06-28 | 身辺雑記
 時至りて、花は蕾み、時至りて、花開く。

 自然の摂理に感心しながら、今年も、裏庭に咲いてくれた桔梗を眺める。

 
       
          6月26日の蕾                翌日開花


 前庭には、ムラサキシキブ・シロシキブの花も咲いた。
 みな、時宜を得て。


             

下から上に

2014-06-25 | 身辺雑記
 小さな発見、と言えば大げさすぎるけれど、ギボウシの花は、下から上に向かって咲く一日花であることに気づいた。
 翌日はしぼみ、翌々日には、そのまま落花する。
 そして、上へ上へと咲いてゆく。

 ギボウシの種類は多いらしいので、すべてがそうであるかどうかはよくわからない。
 少なくとも、わが家のギボウシはそうだ。
 花瓶に挿している花を見ていて、気づいたことである。
    

               

           


 木斛の蕾は、まだまだ開く気配がない。


          

野には、野の花

2014-06-24 | 身辺雑記
 昨日、郵便局と草花舎へ出かけ、その往復の途次で、昼顔と沖縄月見草を見かけた。
 前者は、思いがけぬ場所の、雑草の中に咲いていた。
 後者は、毎年目にする場所に、今年も咲いていた。

 どちらも、優しい淡い色合いがいい。
 自己主張をしない花である。
 野の花は、自分の出番が来れば、人目など気にもせず、そっと咲く。
 見られるも良し、無視されるも良し、と。


            

            


 昨日は、夕方、疲れをもて余しぎみだった。
 最近は、<話す>ことで、ひどく疲れる。
 昨日は、楽しい語らいだったにもかかわらず。

 楽しいとか楽しくないとかは、あまり関係なく、おしゃべりは、相当なエネルギーを必要とすることなのか?
 昔は、大きな声で語る元気があったのだが。
 今は、静かな対話にさえ疲れる!

 留守中、二つの電話が入っていた。
 どちらも、こちらからかけなおさなければならない電話であった。
 しかし、急用ではないので、明日、元気に話せるときにしようと、今朝になって電話した。

 一つは、ソコロシステムズのTさん。
 来月の来宅日の打ち合わせ。

 もう一つは、50年来の知己。
 伝言が入っていたので、要件は分かっていた。
 グラントワでの催しものに参加する気はないかという話だった。
 近況を語り、出かける気はないけれど、時間が許せば、自宅へお寄りくださいと伝える。

6月の庭 (サンドイッチをいただいて)

2014-06-23 | 草花舎の四季
 郵便局からの帰り道、草花舎に立ち寄った。
 昼食の予約をせずに出かけたので、Yさんに作っていただけるものをいただくことにした。

 サンドイッチとコーヒー。
 出かける前には、全く食欲がなかった(朝食が遅かったこともあって)が、草花舎で作られたパン生地がおいしく、多めの量なのに、残さずいただいた。


        


 紫陽花は、一週間前より、さらに美しさを増していた。
 前回たくさんの写真を載せたので、今回は2種にとどめる。
 

   

 初めて目にする花が、庭にも、花瓶にもあった。
 その名を聞いて覚えようと思う意欲が、最近薄らいでいる。
 聞いては忘れる虚しさが、そうさせるのかもしれない。
 そんな意欲の低下現象は、いいことではないのだろうけれど。

             

   


 <三木俊治 彫刻展>は、昨日で終わった。
 当然、三木先生は東京にお帰りになっているものと思っていた。
 その先生が、やって来られた。
 今晩は、YさんやTちゃんたちと、夕食を共にされるのだろう。

 三木先生、Yさん、私の3人で、しばらくお話をした。
 先生は、芸術家としても人間としても、充実した人生を生きてこられたな方なので、話題も豊かである。
 話の尽きることがない。

 植物の名前は忘れても、人に接して、心に注がれたものは、そう簡単に忘れることはない。
 食事が、体の支えになるように。
 いい話は、心の滋養となって残る。
 (具体的に記録する根気がないのは残念だけれど。)

 Yさんに、ジャガイモ(馬鈴薯)をいただいた。
 添付写真の左側、小さい方の二つが<インカの目覚め>、右側の大きい一つが<十勝こがね>というのだそうだ。
 ジャガイモの種類もいろいろらしい。
 味わって、いただくことにしよう。

 ものの名前、命名の由来なども、今日の話題の一つであった。

           

お見事!(子ツバメ)

2014-06-22 | 身辺雑記
 Sさんから、お葉書(下の写真)をいただいたのは、もう一週間ほど前である。

 葉書に添付された写真は、Sさん宅の子ツバメたち。
 巣の中に、溢れんばかりだ。
 見事な数である。
 小さな巣の中に、こんなにたくさんの雛が育っているのを、未だかつて見たことがない。
 眺めているだけで、心がほのぼのする。

 でも、親ツバメは、さぞ大変だろう。
 毎時、休む暇もなく、忙しく働いているのだろう。
 ツバメは、子育てを放棄したりはしないだろう。
 どんなに忙しくても。

 親ツバメの二羽が、交互に餌を運ぶごとに、巣は、突如にぎわうに違いない。
 口を大きく開けて、餌をねだる声で、騒然となるに違いない。
 親は、依怙贔屓はしないのだろう。
 しかし、ちょっと数が多い。
 果たして公平が保たれるものかどうか。
 オレは無視されていると、いじける子ツバメはいないだろうか。
 多分、親ツバメの勘は冴えているのだろう。

 
 今日、Sさんにお便りを書いた。
 その返信が届くころには、巣は空っぽになっているのだろう。
 みな、無事に、巣立ちの時を迎えて。

  <補足>  Sさんは、10年前、PCの手ほどきをしていただいた恩人である。
        たくさんのことを教えていただいたのに、現在のWindows8・1では、
        活かせていないことが多い。写真や図形の挿入など。
        まだまだ勉強しなくてはならないことばかり。 


          


 昨夜は雨が降った。
 今朝、ギボウシの長い茎が地面に倒れていた。
 その花茎を切りとり、花瓶に挿した。

 花弁をのぞき込むと、思いのほか神秘的であった。
 花弁の内部にも、花固有の美が、潜んでいるようだ。(下の写真)

        
                       

吉野弘の詩

2014-06-21 | 身辺雑記
 読売新聞のコラム「編集手帳」に、今年1月に逝去された吉野弘さんの詩が引用されていた。
 『同類』と『恥』の二詩。

 
  <脳も胸も、その図(はか)らいも/凶器の隠し場所>『同類』
  <心に耳を押し当てよ/聞くに堪えないことばかり>  『恥』

 東京都議会で、意見を述べる女性議員に、男性議員がヤジを飛ばしたことが、ニュースとなった。
 その件に関し、コラムニストは、「言葉の凶器」と嘆いている。

 潔く名乗り出ればいいものを、どうやらその気配はない。
 議員の質にうんざりだ。卑劣極まりない。
 それは、都議会全体の、恥ずべきことでもある。

 二つの詩は、コラムニストの心情を述べるために、引用されたものである。


 「編集手帳」を読んだ後、分厚い詩集(吉野弘さんが他界された直後に求めた『吉野弘全詩集』 )を開き、引用詩の出所を確かめた。
 詩集『陽を浴びて』(1983)のⅤ部<漢字喜遊曲ほか>の中に、二詩を見出した。

 二詩のほかにも、下記の短詩など、なるほどと思うものが並んでいた。

   忌むべきものの第一は
   己が己がという心     
『忌』

   若いほうへと
   気も向くさ        
『惹』

   人の為とは偽りさ
   荀子『性悪説』に曰く
   「人の姓は悪、その善なるは偽りなり」と
   人為を施した為人(ひととなり)は偽りということか  
『偽』

   馬と蚤との対決
   騒然!          
『対決』

 などなど。
 戯言のようでありながら、真実が潜んでいて面白い。

 詩集を開いたのを機に、『陽を浴びて』の全詩を読んだ。

 <夕方かけて><円覚寺><或る声・或る音><樹木><或る位置><四つ葉のクローバー><過ぎ去ってからでないと><多摩><紅葉>etc、
 私好みの詩や味わい深い詩句が多かった。


            ▼  ▼  ▼  ▼  ▼  ▼  ▼  ▼  ▼  ▼  

 雨が降りそうで降らない。
 朝の庭を歩くと、ナンテンの地味な小花が、かなり開いていた。

 紫陽花は、その日その日で、少しずつ色を変えて楽しませてくれている。
 3本ある紫陽花のうち、1本(一番若い木)は、花の咲く気配がまるでない。
 その花も、一番好きなので残念だ。
 枯れたわけでもなさそうなのに。

 ガウラ(白蝶草)は、元の株が枯れ、今年はもうだめだと思っていた。
 が、砂利の中に落ちた種が芽生え、諦めていた花を咲かせてくれた。
 ありがたい。
 除草を怠けていたことが、幸いした。

 花壇のランタナも、ぼつぼつ咲き始めた。
 

            

   

   

街へ出て

2014-06-20 | 身辺雑記
 三つの用事のために、街に出た。

   合銀で、生活費おろし。
   М商店で、メロン代金の支払いと2階のレストランで昼食。
   美容院で、髪の手入れ。

                  レストランの花
          

         

   

               日替わり定食(高菜入りピラフ)
               食後のコーヒーもいただいて、
               800円は、安すぎる!
               デザートの西瓜は、私にとっては初物。
             


 今年も、親戚や友達に、当地産のメロンを送ることができた。
 その代金の支払いも、今日済ませた。

 メロンを届けると、特に友達は、私の無事を喜んでくれる。
 それぞれの老い具合は、よくわからない。
 6人とも、声の張りは変わらない。
 無事を喜ぶ。

 ただ、ひとりの友達と話しているとき、なんだか話がうまく通じず、?と思いつつ、
 「耳が聞こえにくくなったの?」
 と、尋ねた。
 すると、
 「ごめん。今、持ち直してくれたから」
 と、友達は笑っていた。
 ご主人の介在を感じさせる言い方であった。

 親機か子機かは分からないけれど、その友達は、受話器を逆さまに持っていたのではあるまいか。
 滑稽な話である。
 互いに80歳を超え、思いがけぬ<とんちんかん>が、多くなっているのだ。

 「今日も、お茶(茶道)に行ってきたの」
 と話す友達に、認知症などあるはずもないけれど、互いの行動には、若い人から見れば、間抜けたことが多いはずだ。
 ふと受話器の持ち方を間違えるなど。

 互いに、いつか機会を作って会いましょう、と言いつつ、実行することはなく、歳月が過ぎてゆく。
 みな、互いを気遣いながら、長時間を共にするエネルギーを失いつつあるのだろう。
 私など、電話で話をするのさえ、その時の体調によっては、疲れてしまう。
 梅雨のせいか、また帯状疱疹の患いの跡が、びりびり騒いだり、気力が湧かなかったり…。

 美容院にゆき、カットとスシャンプーをしていただいた。
 パーマやカラーをやめたのが3月。
 今なお、完全な白髪にもならず、手入れを怠っているかのようで、落ち着かない。
 私の気持ちを察して、思いっきり刈り上げてくださった。

 すべてはお任せなのだが、家に帰り鏡の前に立って、ちょっとびっくり。
 長い髪でも、5センチ?
 耳も、三分の二が、のぞいている。

 私は、なぜか耳の形が嫌いである。
 人の耳も自分の耳も、頭部の中では、一番見たくない部位である。
 髪の長さは、耳たぶの下部だけ見えるくらいが好みである。
 しかし、今は、髪の色調を第一にカットしてくださったのだから、仕方ない。
 それに、髪型や長さを主張したわけでもないし、F美容師に不満など持ってはいない。

 それどころか、仕事の後、Fさんから、来月の20日をもって、退職すると伝えられたときには、無念さを隠せなかった。
 転職なさるという。
 その理由も、職種も分からない。
 確かなことは、次回から髪の手入れをしていただけないことだ。
 残念だが、人にはそれぞれの事情があるのだから、仕方ない。
 Fさんはおしゃれな人で、そのファッションも楽しかった。

 こういう別れのあることは、全く想像していなかった。
 私が、美容院にゆけなくなる日がいずれ来て、当然のごとく、Fさんとのお別れの日が来ることは、心のどこかで考えていたけれど。

 買い物をして、タクシーで帰宅。
 ひどく疲れた。

私への<おもてなし>

2014-06-17 | 身辺雑記
 一昨日、草花舎で、久々にSさんにお会いし、いろいろお話したことは、15日のブログに書いた。
 自らは、「120歳現役」を志し、悩みを抱えて生きている人々に対しても、可能性を引き出してあげようと、心の在り様をサポートしていらっしゃるSさんは、自分のために食事を作るのが面倒だという私に、自分への<おもてなし>だと、ちょっと視点を変えればいい、と話してくださった。
 「私自身へのおもてなし?」
 「そうです。自分が楽しくなるように、心を込めていろいろ<おもてなし>をするのです」

 なるほど、と一応は納得。
 「続かないと思うけれど」
 と、私。
 「三日坊主でいいと思いますよ。また思い立ってやればいい」
 と、Sさん。
 あくまでも柔軟な思考の仕方だ。

 とりあえず、昨日、私へのおもてなしを実践してみた。

 私は、料理が下手だし、好きでもない。
 が、私の喜びそうなものを、今日ある食材を使って、とりあえず3食作ってみた。
 Sさんが、スマホに食事内容を記録なさっていたのに倣い、粗末な<おもてなし>をカメラに収めた。


        

      ご飯・卵の目玉焼き(炒めたピーマンをそえて)・味噌汁(シイタケ、ニンジン、ワカメ、モロッコ豆)
      ママカリ酢漬け・煮豆・小皿(ラッキョウ、紫蘇漬けのニンニク、紀州産のスイート小梅、漬物)

        

      パン(半枚、リンゴジャム)・果物(ミカンとリンゴ)・ヨーグルト・ヤクルト400・プレティオ・紅茶

        

      ご飯・焼肉(玉ねぎ、ピーマン、馬鈴薯を添えて)・蕗の煮物・ママカリ酢漬け・煮豆・小皿(内容は、朝食に同じ)


 <補足>

 昨日は、ちょうど食材の端境期。(特に野菜不足)
 今日は、街に出かけ、S眼科で診察を受け、買い物もしてくる予定である。
 昨日よりは、バランスのいい、<私へのおもてなし>が、出来るはずだ。

 煮豆は、一年中、朝夕食べることにしている。
 これだけは、自分で、いつも煮ている。

 産地から取り寄せているもの。
 スイート小梅(和歌山の梅翁園から)
 仁多米(奥出雲から)

 配達してもらっているもの。
 牛乳。
 ヨーグルト・ヤクルト400・プレティオ。

 ママカリ酢漬けは、<ポプラ>で、出来合いを求めたもの。酸味の苦手な私だが、ママカリの酢漬けは、程よい酸味で思いのほかおいしかった。