ぶらぶら人生

心の呟き

2017年大晦日

2017-12-31 | 身辺雑記
今年最後の一日

昨日に続いて、ボイラーの業者が来てくださった。
リモコンが取り替えられると、
たちまちうまく作動した。

年末なのに、業者の方は、私の不便を考え、
手を尽くしてくださったのだ。
申し訳ない思いである。
人のお世話になってばかり。

入浴ができることになって安堵する。
(朝は、ホテルに泊まることも考えていたのだが。)

午後、少し念入りな掃除をする。
平素怠けているので、あれこれしなくてはならないことが多く、
ぐったりと疲れた。
それでも、無事に一年が終えられたことに
感謝する。
なんだか見えない力に支えられているような気がする。

入浴前に、家の外を少し歩く。
今朝は、雨で明けたが、
午後には日差しものぞいた。
穏やかな年の瀬である。


落日前の西の空。




広場とその崖に咲く水仙。


東の空は明るく、烏の影も見えた。
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リモコン操作、うまくゆかず

2017-12-30 | 身辺雑記
12月30日
4時半に、業者がボイラーの取り付けに来てくださった。
ボイラーもリモコンも、
簡単に取り付けられた。

ところが、リモコンに不具合があり、温度設定がうまくゆかない。
32度以上に上がらないのだ。

業者は、リモコンに不備があると判断され、
今日の仕事をうちきられた。
あたりは、寒々とした夕暮れとなって。

今晩は、入浴を諦めざるを得ない。
場合によっては明日も。
困ったことだと思いつつ、
玄関の戸締りをする。

宵の空には、お月さまが冴えていた。



今日は、座敷の仏壇と床の間を整えるだけに終わった。
もう一日、明日があると思うと、すぐ怠け心に負けてしまう。
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昨夕、本が届く

2017-12-30 | 身辺雑記
12月24日の朝日新聞に、
[2017年ベストセラー]の記事が掲載されていた。
(20位まで)
第1位は、佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』。
それは、すでに読んで、ブログにも感想を書いた。

4位に、
『“日本一楽しい” かん字ドリル
うんこ
かん字ドリル
小学1年生〜6年生』




があり、これは面白そうだと思い、早速アマゾンへ注文。
ついでに、2位の
『ざんねんないきもの事典』
8位の
『続 ざんねんないきもの事典』も。



28日の朝、注文した本は、
翌29日の夕方には届いた。

早速、『うんこ かん字ドリル 1年生』を開き、
遠い昔の1年生にもどって、漢字の練習をした。

これは面白い。
こんな学習法を、よく思いついたものだと感心した。
一ページに、漢字一字をとりあげ、
やさしく解説された辞書の要素と
練習帳の要素をあわせ持っている。

この本は、老女にも面白い。
例文には、みな<うんこ>が入っている。
一字について、三つの問題が挙げてある。
その例文には、みな<うんこ>が使ってある。
よく、これだけたくさんの文例が生み出されたものだ。

<うんこ>なんて、尾籠すぎるだろう、と忌避したくなる人もいるだろう。
でも、大人が読んでも、ユーモアを感じて、ひとりでに頬が緩む。
面白がりながら、ひとりでに漢字力がつくのだから、嬉しいことだ。
筆順、美しい字形、音読み訓読み、語彙や使い方も学べる。
小学生にはいうまでもなく、漢字に興味のある大人にも、
楽しめる本である。

<うんこ>は、日々の健康観察としても役立つ。
色彩、硬軟、形体など、気にする人は多いのでは?

子どもは、もっと単純に、<うんこ>が嫌いではなさそうだ。
楽しみながら、80の漢字がひとりでに覚えられたら最高だ。

『ざんねんないきもの事典』はまだわずかしか読んでいないが、
こちらも、知らなかった<生きものの世界>を楽しめそうだ。
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寂しい実(ジャノヒゲ)

2017-12-29 | 身辺雑記

裏庭で、ジャノヒゲの実を見つけた。
ひっそりと、か細い葉の茂みに隠れているので、
目にしたときには、
<見つけたぞ!>と、
大きな発見をしたように嬉しい。



昨日、近所の人に、ロウバイのひと枝をいただいた。
キッチンのテーブルの上に置いて、しばしば眺めている。
ほのかな香りがいい。
花色も美しいが、枝ぶりが少々冴えない。
部屋が暖かいので、開花が早い。








今日は、買い物に出かけてきた。
お正月に備えて。
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落日と宵の月(家の周辺で)

2017-12-28 | 身辺雑記
12月27日
草花舎にいる間に、
灯油のボイラーを扱う業者から電話があり、
4時の約束だったが、予定より早く訪問したいという報せであった。

急いで帰宅する。
父親の仕事を手伝い始めて間のない若者が、点検に来宅。
油漏れの箇所は見つかったが、2001年の製品なので、部品がないかもしれない、
父と相談して返答するとのことだった。

そのあと、ついでに家周りの見回りをする。
と、斜め前のMさんに会った。
歩み寄って話をする。
<私が不在がちなので、話す人がいない>と嘆かれる。
団地には、80歳以上が少ないのだ。
寒さのなか、しばらく立ち話をする。

再び、落日の景を見に出ると、近所の小学生(男の子二人)から声をかけられた。
「今、何時ですか」と。
スマホを手にしていたので、
「さて、何時かしら?」
と言いつつ、3人で、時間を確認する。
4時57分であった。

子どもたちは礼を言って、家の方に走った。
5時には帰るように言われているのだろう。


5時の空。
雲の周囲に余光を放って。

日暮れて、近所のTさんが、回覧板を届けてくださった。
『小・中学校だより』ほか、数枚の伝達内容を読んだ。
『小学校だより』で、
近所の5年生<美宙ちゃん>の絵が特選に選ばれているのを知った。

2年ほど前、道端で遊んでいた少女の一人が、
「きれいな小石」
と言いつつ、私にピンク色の小石をくれた、あの少女だ。

妹の<彩夏ちゃん>は、自ら自己紹介をするような積極的な少女だが、
お姉ちゃんの名前は、つい最近まで知らなかった。
どんな絵を描いたのだろう、と想像しつつ嬉しくなる。

回覧板をHさんに届けたいあと、凍てつく空に半月を見た。



今日は、河口の部屋を出て以来、たくさんの人と話をした。
と、思っているところへ電話が鳴った。
仕事の都合で、アメリカのアリゾナ州に転居する甥からであった。
甥は単身で、すでに仕事先に出かけていたのだが、
いよいよ一家で引っ越すことになったのだ。
妻と4歳の男の子と。
「言葉は何語?」
と、尋ねると、4歳児は、
「英語」
と、答えていた。
すでに英会話を習っているのだとか。
明日大阪を発つという。
……………。
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窓の外

2017-12-27 | 身辺雑記
なぜだろう?
撮影した写真が、みな消えてしまった。
どうすればいいのだろう?
思案のあげく、
「アルバムが表示できないのですが…?」
と、音声で尋ねた。
すると、するするするっと、写真が出てきた。
やれやれと安堵。

昼間に撮った写真も現れた。
が、修正や加工を施す機能は
現れてくれない。
(私の指が余計なことをしたらしい。)



遥かな風景の中に、
並木が見える。
あの辺りには、
ニセアカシヤがあったはず。
しかし、黄色い実がなっているように見える。
栴檀?
気になるけれど、
この寒さでは、散歩は無理だ。
暖かくなる日を待って、
並木まで行ってみよう。



左手に見えるのは高島。
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寒い一日

2017-12-27 | 身辺雑記
12月27日

終日、気温上がらず。
寒い寒い一日。

朝、河口の部屋を出て、
タクシーで、ドコモショップへ。
(途中、銀行へも立ち寄ってもらい…。)

スマホの写真撮影に関することと、
アルバム写真の編集の諸問題について相談する。
対応してくださったのは、
初対面ながら、優しく親切な方であった。
誰でもそうであろうけれど、
老いた身には、人の優しさが格別嬉しい。

スマホの不具合は故障ではなく、
私の指がいたずらしたらしい。
いつもと異なる画面になったとき、
あるべき画面に直す方法も教えていただいた。

ドコモから、再びタクシーを呼んで帰宅。
妹からチョコレートが届いていたので、
早速、お礼の電話をする。
コートを着たままで。

帰宅後、すぐエアコンをつけたのだが、
一向に温まらない。
氷室の中にいる感覚である。

寒さしのぎに草花舎へ出かけることにした。
昼食を兼ねて。

しかし、草花舎も開店直後だったので、
まだ冷え冷えしていた。
今日は、格別の寒さらしい。
一旦脱いだコートを再び着て、
昼食をいただいた。


パンとコーヒー


デザート




ロウバイが活けてあった。

家のロウバイは、蕾も小さくて、
開花の気配は微塵もない。

草花舎で、元教師のT氏に会う。
業者の二人と話しておられた。
90歳を超えておられるのに、
元気そうだ。
挨拶すると、
「100歳時代だから、元気で過ごしましょう」
と、威勢のいいことを言われる。
90を超えると、100歳の風景が見えるのだろうか。
私には、卒寿はもちろん、米寿の風景すら描けない。
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『薔薇は生きてる』

2017-12-26 | 身辺雑記
昨日、
山川彌千枝著『薔薇は生きてる』
を読了。



この本は、2008年に創英社から刊行されたもの。
326ページの本。
(最初に刊行されたのは、1933年、火の鳥社から。
以来、他の幾社からも刊行されている。)


この本との出会いは、すでに、以前のブログに書いた。

どこまでも空を見ながら駆けていった、なんていいきもち、でもゆめだった

大岡信さんの『折々のうた』で、少女の歌に出会い、その遺稿集のあることを知ったのだった。

美しいばらをさわって見る、つやつやとつめたかった、ばらは生きてる

遺稿集の題名は、この歌から採られたものだろう。
1917年1月8日に生まれ、1933年3月31日に逝去、という薄命だった少女が書き残した命の呟きや叫びが、[小品(散文)・短歌・日記・手紙]に区分され、まとめられている。

特に、日記を読むと、大変な読書家であり、感受性が豊かで、文才にも恵まれていることが如実に伝わってくる。
絵を描くことも好きで、画才の面でも秀れた少女だったようだ。

小児結核という不幸な病が少女を襲い、長い闘病生活の中で、そうした才能や感覚をいっそう花開かせた一面もあるだろう。
恵まれた家庭環境に育った少女である。(父親は、本人が6歳のとき逝去されてはいるが、9人兄妹の末っ子として、伸びやかに成長。)
少女の母は、歌人の山川柳子さんで、『火の鳥』の同人だったという。

少女の夭逝を悼み、少女の書き留めていたものが、遺稿集として『火の鳥』に掲載され、衆目を集めることになったようだ。
病魔に苦しみ、短い生涯のなかで、心に行き来する思いを書き残した山川彌千枝さん。
その思いが、後世に伝えられたことは、亡き彌千枝さんにとっては関わりのないことである。
が、利発な少女を失った家族にとって(そして、多くの読者にとっても)、活字や絵を通して、後世に伝えられることは、彌千枝さんの魂が永劫に生きることであり、ありがたいことである。

母親の影響であろうか、歌もたくさん詠まれている。
上掲の歌のほかで、印象深く読んだ歌を引用しておく。

落ちるよにすばやく鳥の大空を斜めに飛んでゆくすばらしさ

ほそいしんの鉛筆で書くきもちよさ細いきれいな線が出てくる

先生の聴診器がゴムくさい、カーネーションの花がゆれてる

ベッドを窓ぎわに寄せて空を見た、私は空の大きいのを忘れていた

はきたる血、目の前にして看護婦のおどろいた顔じっと見つめる



現代は現代で、医学の力の及びがたい難病も多いようだが、昭和20年代までは、肺結核が人を死に至らしめる怖い病気だった。
明治から昭和にかけて、結核に倒れ、薄命だった著名な作家や歌人は、枚挙にいとまがない。
思い浮かぶままに列挙すれば、石川啄木、正岡子規、樋口一葉、国木田独歩、立原道造、八木重吉、堀辰雄、北条民雄etc。

私も、昭和26年に、肺浸潤(結核の序の口のようなもの)を患い、半年以上病臥した。
パスという新薬が効いて、命永らえることができた。
私の子供時代には、結核で隔離されている人は珍しいことではなかった。
それだけに、怖さを覚える病であった。
そして、肺浸潤を患ったことは、若き日にも、その後の私に、かなりの影響を与えた。
5年先の人生を想像することができない人生を生きてきた。

しかし、区切り目を絶えず予想しては、それを通過し、今は84歳。
笑止千万。
今では、終わりの見えないことに、かえって不安を覚える始末。

前回、家に帰るため、朝、施設の前でタクシーを待っていた。
そこへ、デーサービスに出かけられるYさんが、ヘルパーさんと一緒に4階から降りてこられた。
「気をつけて、いってらっしゃい!」
と声をかけると、Yさんはニコニコしながら、ヘルパーさんに、
「この人、(ここで)一番幸せな人」
と、紹介された。

私は、その言葉に、ふと、わが身をふりかえさせられた。
杖もつかず、自由に行動できるのは、<一番>は別にして、幸せなことなのだろう。
山川彌千枝さんの死の年(1933)に始まった私の人生は、脆弱なまま、いくばくもない余命をなお保っているのだ。
明日のことはわからないけれど。

(書く文章も、あっちへいったり、こっちへきたり、よろよろである。)
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晴れ間のぞく

2017-12-25 | 身辺雑記
12月25日
朝食後、読書に熱中。
最近、目が疲れやすい。
活字の見え方が、
白内障の術後のようには、鮮明でない。

眼に疲労を感じると、椅子から立ち上がり、
風景を眺めたり、
体を動かしたりする。
一度は、
階段の昇降運動もしたり……。

171段の昇降運動は、
150段を過ぎたあたりから
(帰りが昇りなので)
少々呼吸が弾んでくる。

部屋に戻る前、
廊下に立って、日本海の白波を眺めながら
荒い呼吸を整えていると、
一年前、入居のときお世話になった
Oさんが廊下を歩いてこられた。
5月ごろ、退職してケアマネジャーの仕事に転向され、
今日は、その関係の用事で、
4階の、とある部屋を訪ねてこられたのだった。
懐かしい思い!

C7号室のNさんが本を借りにこられ、
たまゆら話す。
冬をテーマにした漢詩の本を目敏く見つけられ、
漢文の話もする。
「ほんの少し勉強したの」
と、話される。
Nさんが、女学校で学ばれたのは、
まさに戦時下。
昭和16年から20年の春まで。
山を開墾したり、勤労奉仕に出かけたりの
青春時代だったのだ。

文庫本だし、内容的にも関心があるかもしれないと、
高井有一の『この国の空』を
前々回、河口の部屋に戻るとき、持参していた。
しかし、今日までお会いすることもなかったのだ。



時折、窓の外に青空あり。
窓外に出ると、
白い高浪の景とともに
轟音も耳に届き、
荒々しい冬の眺めである。




5時前、廊下の南側から、
落日を眺める。(上2枚)
今日の落日は、河口の部屋にいて眺める
今年最後の落日となるだろう。


<メリークリスマス>カードの添えられた
今日の昼食膳。
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妹に会って

2017-12-24 | 身辺雑記
妹の一家に、諸事情があって、
お正月には会うことができない。
そこで、今日、イオンで妹に会った。

お店の中の休憩所で。
コーヒーを飲みながら、須臾の対話をした。

姉妹で会うことを知っていたのか、
甥の子の彩ちゃんが現れた。
両親と買い物に来ていたらしく。

お正月には会えない彩ちゃんにも、
お年玉を妹に託すつもりだったが、
思いがけず会うことができたので、
直接、手渡す。
甥夫婦にも会うことができた。

妹と別れたあと、
私の買い物をする。

厚手の毛布を求めた。
河口の部屋は暖かいので、
今まで薄手のものを重ねていたが、
もう少し厚手の方が、
気分的に、より温もりが感じられるだろうと、
新しい毛布を求めたのだ。

今日は風が強く、
帽子を被ることができないほどだった。
そこで、防寒用に毛糸の帽子も求めた。

さらに、カランコエの小さな鉢と。
河口の部屋に、
花の鉢は置かないことに決めていたのだが……。
昨冬も、カランコエは、
私の、比較的長い不在にも耐えてくれたので。
蕾もあるので、開花を楽しもう。



帰りはタクシーを利用したが、
行きは手ぶらなので 、バスで出かけた。

強風のバス停に立って、
眺めた河口の風景。

鳥の大群が、
隊形を変えながら、
水面近くに下降したり、
空高く飛翔したり、
実に気ままであった。






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