ぶらぶら人生

心の呟き

『こころの匙加減』

2022-11-30 | 身辺雑記
 著者の高橋幸恵は100歳の精神科医。
 100歳の著作を読むのは、篠田桃紅以来である。
 100歳という長寿の方は、今は相当な人数いらっしゃるはず。が、自らの著作を通して、自分の思いを発信できる人は、ずいぶん限られるのではないかと思う。



      
 


 そうだ、大事なのは<匙加減>だ、肯く。

 ★ 生き方の匙加減
 ★ 暮らしの匙加減
 ★ 健康の匙加減
 ★ 人づき合いの匙加減
 ★ やさしさの匙加減

 匙加減とは、うまい発想! だと思う。
 突き詰めて考え過ぎると、息苦しくなるばかり。
 以下は、作者の言葉。

 人生山あり、谷あり。
 しんどくつらい時期は
 「今はトンネルの中」と思えばよいのです。
 前向きな気持ちで心を満たせるよう、
 自分で匙加減ができる人を目指しましょう。

 「日常のあらゆることを、できる限りほかに頼らずに自分の力でやる」という方針を立てる。

 未知のことに取り組むのも大事。
 80歳で「水墨画」を習い始めたり、90歳から「数独」を趣味として始めたり…。

 生身の人と一日一回は話をしなければだめ。
 挑戦の要素を大事にすること。
 何歳になってもチャレンジ精神が必要。
 よく歩くこと。
 使わないと機能はみるみる低下する。
 大きな声で歌う。  etc

 「尤も至極」と思うことばかり。
 ただ、この作者のように実践できないのが私。
 匙加減に気をつけながら、自分を自分から見捨てないで、できることを楽しんで生きたいもの。

 この本の発行は、2016年9月16日となっている。今も、ご健在なのであろうか?


 ※ この本は、施設の移動図書で借りたもの。

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スイセン 咲く

2022-11-29 | 身辺雑記
 大塚は、強風の朝だった。
 ただ、<朝から雨>という予報は当たらず、陽が差し、暖かい朝でもあった。

 タクシーで帰宅してみると、強風は家の周囲でも吹き荒れたらしく、広範囲にわたって、ロウバイの葉が、吹き飛ばされていた。
 地面の落ち葉を見ると、ロウバイの葉は意外に大きく、掃き寄せると大変な量となった。裏口のコンクリート上にも、掃きにくい砂利の上にも、黄葉した葉はところ構わず散り落ちている。せっかく掃き集めた葉が、折からの風で、また撒き散らされたり……。

 帰宅は、予定外の仕事で始まった。
 しかし、考えてみると、激しい雨の降る前でよかった。濡れ落ち葉の処理は、もっと大変だっただろう。

 前庭にもまわってみた。が、裏庭ほど汚れてはおらず、安堵する。
 庭の隅にスイセンが咲いていた。11月の開花は早い方であろう。今から咲いたら、地元の行事<スイセン ウォーキング>のころには、見ごろを過ぎるのではあるまいか? など、余計な心配をしてみたり……。



     



 マンリョウの実は、紅白ともに無事であった。


     




     



 外の用を済ませ、台所で、まずお湯を沸かしてコーヒーを淹れた。
 そのころから、奇妙な音が気になり始めた。が、その正体が分からず、そこらに置いているタイマーや温度・湿度計などを手にとって眺めたり、電池を取り替えてみたりしても、不思議な音は止まない。
 危険信号でありそうな気はするが、発信源がさっぱり分からない。
 湯沸かしは無事にできたので、ガスコンロには関係なさそうである。が、音は、コンロの元栓あたりから聞こえるような気もする。

 即刻、M燃料へ電話した。ガスコンロの下辺りで、奇妙な音がしているのでみてほしい、と。
 早速、来てくださった。

 あっけなく、音の原因を見つけ、
 「これですね」と言いつつ、天井についている感知器を指さし、私の食卓用の椅子に上がってそれを外された。
 と、たちまち、音が止まった!
 犯人が、天井にいようとは?!

「取り替え必要の合図です」
 と言いつつ、また日を改め、私の在宅時に、新しい感知器を持参するからと伝えられた。 
 一件落着。

 落ち葉掃きに加え、音の正体捜しに、ああ疲れた! といった感じであった。
 洗濯機を回し、冷めてしまったコーヒーを飲みつつ、25日以来の溜まった新聞を読む。

 日帰りの帰宅時間は、慌ただしく過ぎた。
 予約のタクシーが到着した午後4時には、激しい雨となっていた。

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月齢4の月

2022-11-28 | 散歩道
 明日からは雨となり、次第に寒くなるらしい。
 窓外には、青空が広がり、今日は晴天である。少しだけ歩き、<月齢4>の月をさがしてみようと、外に出た。

 入り口を出て驚いた。意外な強風である。これは河畔には出られないと判断し、しばしば訪れる桜並木の小径に向かった。

 途中、足を止め、空を仰ぐと、薄い雲の漂うその上に、淡く白い月があった。
 月齢4の月である。



     




     昨日に続いて、サザンカに会う。
     今日は、白いサザンカの花。民家の庭先に咲いていた。



    




 桜並木の小径を進み、カラスウリを確認。
 一本の桜の木を、カラスウリの蔓が、完全に覆っている。桜のために、蔓ごと処分されることはないだろうかと、心配する。
 他の桜の木は、既に花芽をのぞかせている。蔓に絡まれた桜樹は、花を咲かせられないのかもしれない。それはそれで残念だし、可哀想だ。

 少し色づき始めた実をカメラにおさめる。



     



 たくさんの実をつけている桜の木の、そばの土手の、手を伸ばせば簡単に届く位置に、やや色づいたカラスウリを見つけた。
 蔓を引っ張ってみると、意外と簡単に、実一つを切り離すことができた。
 持ち帰って、壁にかけておく。
 暖房の部屋で、どんな変化を見せてくれるだろうか。



     




     小径を歩いている私の長い影。


     


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サザンカ咲く

2022-11-27 | 散歩道
 好天は明日までらしい。
 外に出られる間は、つとめて戸外を歩くことにしようと、今日も午後の散歩に出かけた。

 サザンカが咲き始めていた。私の腰丈にも及ばない小木が2本。花数は結構多い。蕾もたくさんついている。
 


    




    




    



 久しぶりに海辺へも行ってみた。
 だが、磯の香が届いた途端に、くしゃみが出た。海辺は、少々空気が冷たいらしい。そして、老いの身体は、気温差に敏感でもあるようだ。

 高島と魚待ち岬を眺めて引き返した。


    




    



 海辺の風景を眺めたあとは、磯伝いに歩いて帰る予定だったのだが、くしゃみ一つで諦め、元の道に引き返す。


 ザクロは、その実を4個だけ残し、葉も大方は散って、初冬の風情となっていた。


     




 熟しきらず、枝先にぶら下がるザクロ。


   




 最後に、河畔の風景を眺め、今日の散歩を終了。

    



 夕方、隣室のOさんから、カワラナデシコをいただいた。(下掲の写真)
 河原に下りて、採って来られたようだ。
 私は、手すりのないコンクリートの階段を下りるのが怖い。しかし、Oさんは、私より数歳若く、果敢に下りられた様子。

(あの河原の叢は、草花の宝庫かもしれない。)

 幾年ぶりに見るカワラナデシコであろう?
 草刈機の普及で、野の花を見ることが少なくなって久しい。

 私の知るカワラナデシコは、その花色が、もう少し淡いピンクだったように思う。
 ネットで調べてみると、濃淡はいろいろらしい。

 カワラナデシコに添えてくださった、白い小さな花は、ヒメジョンであろうか。
 いただいたまま無造作に花瓶に挿して楽しんでいる。


     


 今日は、画家であり詩人でもあった故人・中尾彰の『人生』の一部を読んで、その表現



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晩秋の景を眺めながら

2022-11-26 | 散歩道


 理由はよく分からないが、朝から積極的な取り組みが、何一つできない。無気力千万。


 こんな生活をしていては、老女がますます老女になってしまう。
 風もなく、気温も高めの様子、気力を奮い立たせて、散歩に出かけた。

 以下、立ち止まって眺めた植物や風景。


    この黄葉は、ヤマブドウ?


    



 カラスウリの熟す日が待ち遠しい。
 周囲の落葉が進み、カラスウリを見つけやすくなった。その数、20個はありそうだ。


   ぶら下がるツルにカラスウリ


     




       イヌビワ

    
     




    空き家の壁を覆う紅葉のツタ

    



      アベリアの類?
   (アパートの庭先の花壇に、地面を這うように咲いていた。)


    



       ネリネ ?

     



   大根がたくさん。漬物の準備?


    




    高津川河畔の花壇とベンチ


    



     カワウ、のんびりと


    




      鴨島大橋と青野山
    

    



 久々に、4000歩をわずかに超える散歩となった。というより、自らを鼓舞して歩いた結果である。
 途中、一瞬立ちくらみが起こった。折よく傍らに垣根があったので、それに縋った。
 低血圧になっていたのかもしれない。朝からの無気力ぶりも、血圧の下がり過ぎが原因だったのだろう(?)
 私は高血圧症という病名をもらっているが、一方、起立性低血圧症の診断も受けており、時折、突如血圧の下がることがある。今日は、その症状が起こっていたのだろう。

 しかし、散歩から帰った後は、すこぶる元気である。
 お隣のOさんが、夕食前に、貰い物のお刺身のパックを持ってこられ、半分お皿にうつしてと言われ、遠慮なくありがくいただいた。大変なご馳走にも満足。

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美容室へ

2022-11-25 | 身辺雑記
 久しぶりにバスに乗る。
 美容室へ行くために。
 バス停に着いてみると、待ち時間があり過ぎるので、散歩のつもりで、次のバス停まで歩く。(平素の散歩コースの一つで、歩きなれた道である。)

 見慣れた樹木(センダン)の前で、立ち止まった。
 春夏秋冬眺めてきた樹木に、違和感を覚えた。枝の先端が、妙に白い。
 なぜだろう?
 
 
     




     




 美容室の予約時間は14時である。
 イオン前でバスを降り、時間の余裕があつたので、イオンの2階に上がり、<2023年の日記帳>と<錐>を求めた。
 お正月まで元気でいられるかどうかさえ、全く自信はないけれど、新年を迎えられた日のために、備えだけはしておきたいという思いがあって。
 日記帳は近年同じ形式のものを使用している。数に限りがあるので、早めに求める習慣になっている。
 錐は鋏ほど使用度は高くないが、折に不便を感じる。

 用を済ませて、美容室までの1000歩を歩く。昨日、慌ただしい一日を過ごした疲れが残っているらしく、軽やかに歩けない。足の運びがスムーズにゆかない。あの老女、大丈夫かしら? と、人の目に映るのでは? と思うほど。


 帰途、和菓子屋に寄ってお菓子を買って帰つた。
 帰りはタクシーで。


 
    ★     ★     ★      ★      ★  



 朝の景。写真では分かりにくいが、向かって左側に、直線的な、力強く伸びた光線が見え、いつもとは異なる、日の出前の光景であった。

   
 


       6時25分


    廊下から眺めた夕景

    


                16時57分


    


           上掲と同時刻 高所の雲



       山側の景

    


      16時58分


      海側の夕焼け

    


      17時11分
      


          山側は、日暮れが遅い感じ。
     白い線状の雲。


 [今日は、格別、雲の美しい日であった。
 タクシーの車窓から見た雲は、芸術的でさえあった。カメラに収められなかったのが残念!]


    


      17時18分

 山側の家並みは、夕陽の名残りをとどめて、まだ明るい。
 夕暮れは、海辺の方からやってくる感じである。    

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津田医院 へ

2022-11-24 | 身辺雑記
 9時、タクシーで施設を出て、定期検診を受けに、津田医院へ行く。
 すでに診察を待つ患者でいっぱいだった。昨日が、休診日だったせいであろうか。

 待ち時間中に、題名と写真だけを入れているブログ「最近読んだ3冊の本」に、文章を添え、投稿を完成。

 その後は、水槽の熱帯魚を眺めたりする。群れるのが習性なのであろうか? 一尾だけで行動する姿は見られない。


    




    




 診察を終えると、タクシーで帰宅。
 昼前になっていた。
 早速、クリーニングを開始した後、コーヒーを淹れる。
 施設のコーヒーが品切れし、昨日も今朝も、コーヒーなしだったので、格別おいしい。

 一休みの後、庭に出て木々を眺める。落葉樹の大方は、ほとんど葉を落としている。アンズの木だけが、多少多めに葉を残している。
 
 ナンテンの実は、完全に赤くなっていた。
 今年の無事を嬉しく思ったが、よく見ると、上の方の実は、すでになくなっている。ヒヨドリの餌となるらしいのだ。日を経ず、マンリョウも、なくなってしまうに違いない。
 山林が伐採され、獣も鳥も、食糧難の状態に追い込まれ、平地で餌を求めざるを得ないのだ。
 

     



 郵便物と、たまっている新聞を取り出して部屋に戻る。
 年賀欠礼のハガキが一通届いていた。早くも、そんな時期になったことを、改めて思う。
 新聞受けに溜まっていた5日分の新聞を読む。「天声人語」を切り抜いて、施設へ持ち帰る。


 4時、予約していたタクシーで、施設に戻った。
 途中、空がにわかに曇ってきた。雨粒が、フロントガラスに打ちつけられた。

 自室から眺める空も暗い。不気味な雲塊を見ていると、権現山の西麓から虹が立った。が、脚の一部しか見えない、出来損ないの虹である。


    



 もう一方の脚を探すと、防風林の上に、うっすらと立っていた。
 

    



 その虹は、ほどなく消えてしまった。
 廊下に出てみると、陽はすでに沈み、雲の多い夕焼け空となっていた。


    



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最近読んだ3冊の本

2022-11-22 | 身辺雑記
       歌集『月を酌む』

        三上益子 著


     



 従姉妹の益ちゃんから、歌集『月を酌む』が届いた。
 早速、歌の数々を読ませてもらった。
 平凡な言い方だが、いい歌が多い。
 読むものにとって、自己が語られない歌は面白くない。この歌集には、作者にしか味わえない、自己体験の悲喜交々が、短歌という形で語られている。
 散文表現では、感動につながりにくい世界が、短詩系の短歌という形式で語られるとき、かえってしみじみとした感動が得られるのは、不思議なことである。
 一冊にまとめられたことで、作者のさりげない日常の断面からも、人柄が浮かび上がる。
 会ってお祝いをしたり、歌について語り合ったりしたいが、コロナの第8波が心配される今、それもできないのが残念である。


 

     『死に方がわからない』 

                   門賀美央子 著


     


 朝日新聞11月12日(土)の読書欄で紹介された本。
 紹介の見出しは、<独身、子なし 望む道筋をつける>であった。

 作者にはそれぞれ個性的な文体がある。この作者はお若く、(最後まで我慢しながら読み終えたが)派手なおしゃべりを聞かされているような文体が、私の性に合わなかった。
 文体の傾向も、時代と共に変化するのはあたりまえのことと思いつつ、読む楽しさは半減された。私が過去の人になりつつあるということだろう。

 内容面では、生きている間だけでなく、死後にまで、身近な者に迷惑をかけなくてはならないことを、より辛く自覚させられた。




     『反応しない練習』

                 草薙龍瞬 著


    


 この本も、同上の読書欄で紹介された一冊。

 見出しは、<いまある「苦悩」への処方箋>であった。

 常に平穏な心を抱き続けて生きるのは、なかなか難しい。特に老いを重ねた今は、心身のままならぬこともあって、心の波立つことが多い。
 何も私だけのことではあるまい。
 この本が多くの人に読まれること自体が、自分自身の心のあり方をもてあまし、訝ったり、肯定できなかったり、もやもやしたものを抱えている人が多いからであろう。
 <メンタルトレーニング>の本はずいぶん読んできたが、そう簡単に自分を変えることはできない。
 この本で紹介されたブッダの考え方(教え)に基づいた生き方、考え方は、大いに参考になる。
 題名にある、他人や周囲の人々の言動に<反応しない練習>は、気持ちを軽くしてくれるだろう、と頷きつつ読んだ。しかし、即効薬ではない。自らの努力なしに、私自身を変えることはできない。 
 日々精進を怠らないこと!




 今朝6時、カーテンを開けると、東の空に、下弦の三日月があった。
 写真では、鋭い眉型をした美しい姿を撮ることができなかったが、月のあるあたりだけは雲がなく、今朝の私に、鮮明な月影をプレゼントしてくれた。

    

    
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河畔の花壇

2022-11-21 | 散歩道
 今日も、散歩に出かけた。
 暑からず寒からず、歩きやすい天候のせいもあるが、最近、心臓の不具合や首筋の不快な怠さが落ち着いているせいもあって、気分良く歩ける。

 施設の周囲を巡る、幾通りかあるコースの一つを選んで歩く。
 最近は、桜並木の<土の小径>が気に入っていて、今日も、まず並木の終点まで歩き、家並みの道を抜け、広々と開けた平地から川土手に出るコースを選んた。

 人影のない土の小径を歩くときには、背筋を伸ばし、頭よ、空に届け! とばかり姿勢を意識して、速歩を試みたりもしながら……。

 川土手に出てみると、つい最近まで無表情だった花壇が明るんでいる。
 大塚の自治会によって、花の苗が植えられたばかりであった。
 これから冬にかけて、もっと逞しく、美しく育つはずである。
 


    




    




    




 <お お つ か>と、地名を象って、花苗の植えられた花壇もあった。
 これは、私の知る限りでは、初めての試みのように思う。

 寒くなると、川風の強い日もある。
 穏やかな冬日和を選んで河畔を歩き、花壇の花を楽しませていただこうと思っている。

 花壇のそばには、足を休めるベンチも置いてあり、一休みできるようにもなっている。

 河畔の道には、折々、ランキングを楽しまれる人影もある。そうした人たちの目にも、安らぎの花となるだろう。


    



       河畔の眺め

    


 鴨島大橋近くでは、左岸に向かって、襞状の波が打ち寄せていた。川の表情は、日毎に変化して見飽きない。


    


 川面の一部には、雲間から漏れる光彩もあった。

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ツリガネカズラを探して

2022-11-20 | 散歩道
 「この花はなんでしょう?」と聞かれ、Google lensを当ててみると、「ツリガネカズラ」と、出た。  
 蔓性で、天高く、伸び上がるらしい。
 散歩道にあるらしいのに、私は気づいていない。
 そこで、午後の散歩は、その花を探して歩くことにした。
 暖かい午後である。空全体が怪しげな雲で覆われ、雨がポツポツ落ち始めた。コートのフードをかぶったが、ひどくなる気配はなかった。

 歩道から少し高手の、事務所風の建物の庭に、その花を見つけた。幸い、入り口に男の方が立っておられたので、許しを乞うて花を眺めたり、写真を撮らせてもらったりした。
 毎年、咲いていたのだろうけれど、近づいて眺めるのは、今日が初めてである。
 ノウゼンカズラの朱色もいいが、このツリガネカズラの華やぎもいい。


     




    



 帰途、畑の畔に、タンポポの美しい冠毛を見つけた。


     



 隣室のOさんから、ツリガネカズラの一枝をもらった。夕方、散歩に出かけ、私用にも、もらってきたくださったのだ。
 早速、花瓶に挿す。
 顔を近づけると、ほんのりと甘やかな微香が届いた。



      


   
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