ぶらぶら人生

心の呟き

窓ガラスの虫

2018-08-31 | 身辺雑記
 昨夜、薄緑色の昆虫がいて、窓辺を這いまわっていた。
 小さな、光に来る虫を捕食していたのだろうか。

        

 今日で8月が終わる。
 猛暑続きで異常な夏であった。集中的な豪雨もあった。やさしさのない夏であった。
 が、夜は庭の片隅で、秋の虫が鳴いている。
 まだチンチロリンは鳴いていないが、その声が満ちるころには、老いの身にも、生きやすさが感じられるだろう。

 今晩は、雨が降りそうだ。
 シオンの蕾も、慈雨を待っている。(写真は昨日撮影)

            





思いがけないの出会い

2018-08-30 | 小庭の四季
 昨日、木の実を眺めながら、庭をぶらぶらしていると、シュウメイギクの一本が伸び悩みつつ、蕾をつけているのに気づいた。昨年までの元気はない。一雨あれば、多少は元気を取り戻してくれるだろうか?

         

 シュウメイギクの傍に、見かけない植物が小さな花をつけている。白い実をつける万両同様、鳥が種を運んでくれたのだろうか。名前はわからないが、花が愛らしい。花に比べれば、葉は大らかである。

         

         

         
        うつむいている小さな花を覗き込んで、スマホに収めた。
               片手を花に添えながら。
           花芯に黄色い花弁が見える。(ピンぼけながら)

         
        (今朝、カメラで撮影。少しピンぼけが解消した)


 イヌマキの高い梢に、小鳥までやってきて、私を喜ばせてくれた。枝移りしながら、何かしら啄ばんでいる。
 『野鳥』の本を調べてみたが、よく分からない。メジロやスズメのような小型であった。囀りもせず、屋根の上に飛び去った。

         

         


        
          今朝のノボタン。5個中の1つ。

 家で暮らす時は、部屋を移動したり庭に出てみたり、気づかないうちに体を動かしているらしい。
 腰につけている万歩計が、<3000>近くになっていた。

実の表情

2018-08-29 | 小庭の四季
      花が乏しく、今日は木の実の色づきを見比べて遊ぶ。

             ムラサキシキブの実
        

              シロシキブの実
         

               ナンテンの実
        

              マンリョウの実(赤)
         

              マンリョウの実(白)
         
          こちらの方が、赤より力強い感じだ。

              クロガネモチの実
         

               シロヤマブキの実
         

 ヤブコウジやジャノヒゲの花も咲いていたのに、実を見つけることができなかった。
 熟す季節になって、赤や濃紺の実が見つけられたら嬉しいのだが……。

家で見るお月さま

2018-08-28 | 身辺雑記
 昨夜は疲れていたのに、うまく眠れなかった。
 仕方なく起きあっがって、薬を追加する。

 廊下に出てみると、玄関が明るんでいる。
 十六夜の月である。

             お月さまとヤマボウシ
         

 今朝は10時までうとうとしながら過ごす。
 やっと目と頭が冴え、新聞を読んで起き上がったのは12時。
 家に帰ると不規則極まりない生活となってしまいがち。
 規則出さしく暮らすことの疲れも出るらしい。

お邪魔な話

2018-08-28 | 身辺雑記
 昨日帰宅し、家へ入る前に、家周辺を点検した。
 裏口から前庭に出ようとして、早速、枯れ草に道を阻まれた。
 台風20号は、当地ではこともなく過ぎ去ったと思っていたが、家の周辺では少々強い風が吹いたのだろうか。崖の水捌けの穴に生えていた植物が水不足で枯れてしまい、風に吹き飛ばされたらしい。

               道を塞いだ枯れ草
         

 草丈が2メートルくらいあり、思いのほか根が太い。(3本)
 小さく切って、ゴミ袋に入れるのが大変だった。枯れた花や葉が粉々になって、目や鼻に飛び込んでくる。
 簡単にできる作業ではないと諦め、陽が傾くのを待って再び作業した。サングラスをかけ、マスクをして。
 なんとかゴミ袋二つに収めることができた。
 しかし、ヘトヘトに疲れる。

 崖の水捌け穴には、まだ沢山の草が残っている。今後も枯れ草が飛んで来るだろう。青々として垂れている葛もある。
 毎年、この状態が続くことになれば大変だ。対策を考えなくてはならないのかもしれない。
 
 久しぶりの労働で汗だくになった。その上、埃にまみれた。(私の要領も悪いのだが……。)
 今日は時折変な咳も出る。マスクをする前に吸ったゴミの影響かも?

            崖の穴に生えている草や枯れ草
         

         

         

 作業を終えて、旧保育所へ上がる道をみると、道端にも草が伸びている。管理者は誰かもわからない。実害があるのは私の家だが、どうしたものか?
 その草の中に、すすきの穂が揺れていた。
 坂を登り、その穂を眺める。
 ふと秋を感じたが、猛暑はいっこうに影をひそめない。
              

乾いた庭

2018-08-27 | 小庭の四季
           私の不在中に、新たに咲いていたのは、
             タマスダレとヤブツルアズキ。

                タマスダレ
         

 裏庭に3個の花。
 花壇にも咲くはず、と前庭に回ってみると、花がないばかりでなく茎も葉もない。
水不足で、根まで枯れてしまったのだろうか?

 見つかったのは、穴蜂の穴が数個。追っ払う主の不在を知ってか知らずか、せっせと穴を開けたらしい。産卵の目的であろうか?
 今日も猛暑。穴を塞ぐ元気もない。

               ヤブツルアズキ
         

         

         

 蔓性のヤブツルアズキに気づいたのは、いつのことだっただろう?
 名前を忘れそうなので、スマホにメモしたはずである。以前使っていた<らくらくホーン>の時だったように思う。もちろん、今のスマホにも、その名は記録されている。
 野生の植物は、暑さにも強いのだろう。蔓を伸ばしてあちらこちらに咲いている。
 その傍らにあるホトトギスは枯死の気配。群生しているはずなのだが、一斉に暑さにまいっている。

                  ノボタン
             

  ノボタンも3個。例年に比べ、花が小ぶりである。これも水不足のせいだろうか?

                 追記

           今朝、施設で見た朝6時丁度の空。
         

8月の満月

2018-08-26 | 身辺雑記
 カーテンを閉めようとして、月の出に会う。
 河口の部屋に来るようになって、1年と8か月になる。
 が、月の出に遭遇したのは初めてのこと!
 なぜともなく、めでたきことのような気がする。
 85年を振り返っても、月の出に会うのは珍しいことのような気がする。
 若い時には、お月さまと対話する暇などなかったのかもしれないし、
 関心が他ごとにあったのかもしれない。
 見ていたとしても、今のようにしみじみ眺める気持ちが乏しかったようだ。
 お月さまに限らず、日の出や日没などへの関心の深まりは、
 老いてこそのことかもしれない。
 自然の美しさに出会う機会が残り少なくればこそ、そうしたものへの思いが、
 いっそう深まるのだろう。

 そういえば、夏旅で上林温泉に宿泊したとき、標高700メートルの高地にいて、
 山の端から上る美しい月を眺めた。遠い遠い昔の思い出である。

 (肉眼で見るお月さまは、下掲の写真よりはるかに美しく神々しい。)


               7時6分
             山の端より上る月。
        

        
        

               7時32分
          月の面に、たなびく薄い雲があった。
        

               8時32分
              冴え冴えと輝いて。
         

        8時45分、建物の陰に隠れ、私の部屋からは見えなくなった。
        お月さまは広大な夜空に預け、カーテンを閉める。

 今日は午後、イオンまで出かけ、妹に会ったり、買い物などもした。
 往復とも、タクシーを利用。
 猛暑続きで、戸外を歩くのが怖い。
 熱中症など気にせず、早くのんびりと散歩を楽しみたい。



夕月、今日も

2018-08-25 | 身辺雑記
     水平線上に雲の層が厚く、落日の輝きは見られなかった。

     お月さまは、十五夜に近い形で、東南の空に昇っていた。
     自室の窓辺に立って、眺める。(7時)

         

         

志賀直哉の短編二作を読む

2018-08-25 | 身辺雑記
 『城の崎にて』と『焚火』の二作品を読み返す。
 前者は、1917(大正6)年に発表。
 <1913(大正2)年の体験をもとにした作品>
 後者は、1920(大正9)年に発表。
 <1914(大正3)年の体験に基づいて書かれ、「山の生活にて」の題で発表、のちに『焚火』と改題>

 『城の崎にて』の書き出しは、
 「山手線の電車に跳飛ばされて怪我をした。その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出かけた。」
 で始まる。
 実体験をもとにして書かれた作品である。
 この作品の主人公は<自分>となっている。そして、温泉に滞在中、蜂の死や魚串を刺された鼠が川に投げ込まれ、石つぶてを浴びて逃げ惑う姿を目撃したり、河原を散歩中にイモリを見つけ、投げた石が命中して、殺意があったわけではないけれど、結果的にイモリを殺すことになる。そうした出来事を描きながら、生と死の省察につながってゆく。小説というよりエッセイ風だが、内容としては、深淵を覗き見るような小説である。

 『焚火』の書き出しは、
 「その日は朝から雨だった。午(ひる)からずっと二階の自分の部屋で妻も一緒に、画家のSさん、宿の主のKさん達とトランプをして遊んでいた。」
 で始まり、4人で出かけた大沼で、舟遊びを楽しみ、焚火をしたときの話である。しかし、話の中に、Kの神秘的な体験も折り込まれ、不可思議の世界を味わうことにもなる。

 芥川龍之介は、この作品を「話のない小説」「最も詩に近い小説」「最も純粋な小説」と評したという。

 志賀直哉は、<昭和の小説の神様>と呼ばれた作家である。この度も、二つの小説を読みながら、<小説の神様>と呼ばれて不思議はないと、しみじみ思った。観察力の鋭さ、表現の細やかさなどに改めて感心する。作者の体験に基づくものが多く、私小説的ではありながら、<私>を超えた普遍的なものを感じさせる魅力がある。
 志賀直哉は、発表までに時間をかけて、原稿の推敲を重ねたことでも有名である。上記二編の作品が、体験から作品化されるまでの歳月をみても、よく分かる。

 志賀直哉は人並み外れた炯眼の持ち主なのであろう。感動の連続である。
 もっと具体的に、その感動を細やかに伝えたいのだが、私の表現力が及ばない。

8月24日の風景

2018-08-25 | 身辺雑記
       台風20号の影響なく、穏やかな朝を迎える。

        
                朝の河口


        
               夕映えの河口


            落日、夕月ともに美しく。

        

        

        

        
           南廊下のルーフバルコニーより

        
        
        
            夕月は自室のベランダより