ぶらぶら人生

心の呟き

8月 (AUGUST) 終わる

2023-08-31 | 身辺雑記
 8月が終わる。
 なんとか無事な日々を重ねて、酷暑の8月を過ごすことができた。

 辰濃和男著『文章の書き方』の再読を始める。
 

    


 著者は、朝日新聞の「天声人語」(1975〜1988)を担当された方でもある。


 「文は人なり」ということばがある。が、この本では、「文は心である」という考えに基づいて、筆者の考えを展開しておられる。
 優れた文章例を具体的に示しながら。
 味わいのある文章には、書く人の内面にあるものが、ひとりでに顔をのぞかせるものだということであろう。

 ブログに、日々の思いを綴り続ける以上は、一文ごとに、野に咲く花のような、さりげない魅力のある表現を心がけたい、と改めて思う。ずいぶん難しいことではあるけれど……。
 
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吾亦紅と飛行機と

2023-08-30 | 身辺雑記
 Tさんが、ベランダで育てておられる吾亦紅(ワレモコウ)の花を見せてもらった。
 わずかに色づき始めた吾亦紅。
 どこか、もの寂しげな花である。


    



 夕食後の自室に、轟音が届いた。
 <あっ、飛行機!>と、慌ただしくベランダに出る。
 が、機影は、たちまち海辺の方向に飛び去った。
 羽田空港に到着するころには、あたりはネオンの街となっているだろう。私も空の旅人になりたいな、と思う。そして、今ならまだ、ネオンの街を歩けそうな気がする。


    

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帰宅 サルスベリの木の麓に

2023-08-29 | 身辺雑記
 帰宅後、家の周りを一巡。
 変わりごとなし。
 サルスベリの木の麓に、小さな茎が伸びて、花が咲いているのに気づいた。

 現在、花をつけている木(前回、帰宅した折に撮影し、その日のブログに投稿)も、私が植えたものではない。知らぬ間に、空き地に芽吹いて、ひとりでに大きく育った木である。
 サルスベリは、どこにでも育ちやすい木なのだろうか?


    


 午後4時半まで家にいて、不在中の新聞を読んだり、洗濯をしたり、新聞に掲載されている数独3問を解いたり……、今日は万事、スムーズに予定をこなすことができた。

 老いの日々は気まぐれで、たまには今日のように、快調な日もある。

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楽しい読書

2023-08-28 | 身辺雑記
     深代敦郎(1929〜1975)
      『天声人語』


    




    



  最高の知性派の一人と評判だった記者・深代敦郎の『天声人語』を読み始めた。
 1973年2月〜1975年11月までに執筆されたものから選り抜いた作品で構成されている。
 目次は、世相・社会・政治・経済・若者・戦争・国際・日本と日本人・人・人生・文化・自然・歴史の13項となっている。

 私が最初に開いたのは「日本と日本人」であった。ついで、「人」「人生」と読んだ。
 とにかく文章が輝いている。理性的だが堅苦しさはない。朝日新聞記者・深代敦郎の知性、感性が、日ごとのコラムに光彩を放っている感じだ。

 現在も、天声人語を読んでいる。
 読みをさらに深めたり、筆記力の低下を防ぐ狙いもあって、<天声人語ノート>に書き写しもしている。
 が、<これはうまい!><着眼がすばらしい!>など、心の踊るような、感動的な文章には、なかなか出合えない。
 
 
 深代敦郎の才筆の冴えは格別なのであろう、と改めて感じる。
 未読のエッセイを読むのが楽しみである。

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外出(美容室へ)

2023-08-27 | 身辺雑記
 午後、美容院室へゆき、デトックス、洗髪、カットをしていただく。
 行きはタクシーを利用したが、帰途、イオンまでの道のりを歩く。わずか1000歩の歩行ではあるが、苦痛を感じることなく歩けて、ホッとする。

 リンドウとカーネーションのセットを求めてくる。
 久々に、気分転換のひとときとなった。




    


  

  [追記] 今日の赤旗日曜版に、北海道の野付半島の写真が載っている。
 幾度かの北海道旅行で、根付半島を訪れたことがあり、掲載の写真を眺めて、曾遊の旅を懐かしんだ。
 トドワラの、立ち枯れて残るトドマツの光景。ナラワラの、同じく立ち枯れて残るミズナラの光景など、荒涼とした風景との出会いであった。
 半世紀以上経って、その立ち枯れのトドマツ、ミズナラの数も、さらに減っているのだろうか?
 
 当時の北海道は、夏の避暑地であった。が、今年は格別の猛暑、当地よりさらに高温の日もあった様子。

     

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朝の空・夕べの空

2023-08-26 | 身辺雑記
 一向に暑さの衰える気配がない。
 空の表情は日々異なるけれど、晩夏の気配や初秋めく雰囲気はまるでない。

 それでも、変化のある空や山並み、さらに河口や海上の風景は、折々の表情を楽しませてくれる。


    雲の多い、朝焼けの空。

    



     帯状の重い雲と落日。

    


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市議選 期日前投票日

2023-08-25 | 身辺雑記
 午後1時半から、階下へ降りて、市議選の期日前投票をする。
 車社会となって、当市の駅前周辺は、すっかり寂れたしまった。かつては、かなり人の動きのある街であったのだが……。
 駅前どおりの道幅が広げられ、歩道幅も、ずいぶん拡張された。が、時折、駅前に行ってみると、歩いている人がいない。とぼとぼと、老女の私が歩いているだけ、ということがほとんどである。動きのあるのは、駅前通りを走る車だけ。
 昔(昭和30年から40年にかけて)は、本屋があり、喫茶店もいくつかあって、その日の気分で、勤務後のひと時をくつろぐことができたものだったが……。
 今は、駅前が、ずいぶん殺風景になった。
 少々、市政に携われる人が変わっても、寂れゆく街が、かつての華やぎを取り戻すことはなさそうな気がする。
 地方の市は、何処も似たりよったりの状況かも知れない。それでも賑わいだけでなく、住み良い街になるよう、多少の期待をこめて、人を選ぶ。

 夕食後、廊下から夕景を眺めたが、美しい夕陽は眺められそうにないなと思って、部屋に戻った。昼間、かなり激しい雨があり、その名残をとどめた空であった。

 と、Tさんから電話。
 夕陽が綺麗ですよ、との誘いであった。 
 南廊下から、今日の夕陽を眺める。
 夕焼け雲が、一面に広がって。
 

    



 「あっ! ✈️!」
 と、子どものように機影を喜ぶ。
 だが、スマホカメラにおさまるのは、小さな羽虫ほどの姿である。


    



 拡大しても、機影と言われれば、そうとも思える程度である。

    




 今朝は、雲が多く、輪郭のすっきりしない朝陽であつた。

    

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津田医院と帰宅

2023-08-24 | 身辺雑記

 朝食後、施設から津田医院へ行き、8月の診察を受ける。
 先月、採決した血液検査の結果について、説明を受ける。
 腎臓に関する数値が、かなり高めであったが、年齢からして、許容の範囲らしい。
 老いの身体だから、検査すれば、あれこれ問題点は見つかるだろう。痛いところがなければ結構だと、思うことにしている。

 このところ、物事への熱中度が、極端に下降気味である。これは、病院でなんとかしていただけることではない。
 意欲低下病に、現在見舞われている。
 そのうち、やる気が出てくるだろう、と思っているのだが、果たして希望どおりになるかどうか。
 いつの日か、恢復不能に陥るだろうな、とは思いつつ、見通しのたちにくい日々を生きている。


 診察を待ちながら、眺めた水槽の熱帯魚?
 大小の違いはあるが、同種の魚が、狭い水槽のなかを、ただ泳いでいる。
 楽しいの? と、尋ねてみたくなる。
 魚の方も、覗き込んで眺めている老婆を、なんと思っているのやら?

    

 

    



 珍しい色のバラ。
    



 待合室のバラを撮っていると、「お久しぶりです」と、声をかける男性があった。
 咄嗟に、どなたか思い出せなかった。
 「土田のSです」と言われ、即座に思い出した。
 私が、<花づくり名人>と称していた人である。
 ブログを始めたころ、カテゴリーの一つである「散歩道」に、Sさん宅の庭の花を、しばしば紹介させてもらった。
 「足がすっかりダメになって……」と言われた。見たところ背筋も伸びて、お元気そうに見えたけれど、よく働かれる人だったので、過労が足に溜まってきたのかも知れない。
 歳月は、ひとりでに人を老いさせる。

 診察後、帰宅して洗濯したり、溜まっている新聞を読んだり。
 ひととき完全な自由を楽しんで、夕方、施設に戻った。
  
 広縁に置いているポトスとオリヅルラン。
 枯れずに育ったくれている。




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『知的ヒントの見つけ方』

2023-08-22 | 身辺雑記
 著者・立花隆は、私と同世代だとなんとなく思っていたが、私よりは7歳も歳下であった。戦前生まれという共通項はあるけれど。

 文藝春秋に掲載されたエッセイがまとめられた一冊で、2018年の刊。
 本のカバーにもあるとおり「知の巨匠」という表現が、作者にはぴったりである。
 歯に衣着せぬ小気味のいい文章で綴られた一冊。(詩的な味わい深さは、乏しいけれど。)



     



  
     今日の朝陽と夕陽。

    



    

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カラスウリの実を探して(昨夕の桜並木の小径)

2023-08-21 | 散歩道
 夕食後、カラスウリに関心のある3人で、桜並木の小径へ行ってみた。
 花から実へと変化する、そのプロセスを確かめたくて。
 落日後なのに、暑さは一向におさまっていなかった。汗が流れる感じは全くなかったのに、部屋へ戻ってみると、衣類は、びっくりするほど濡れていた。


 結局、目的は果たせなかった。
 カラスウリの実に、素人が気づけるのは、熟すのを待たなくてはならない、ということだろうか?

 途中、ヘクソカズラの花やその実に出会えたことが、今日の収穫。

     
      ヘクソカズラの花

    



     ヘクソカズラの実

    




     畑の隅に咲いていた花

 Google lens を当てると、ハツユキソウだと教えてくれた。違和感を感じない名前であるが、正しいかどうかは、よくわからない。


    




 アケビの実に、変化はまだ感じられない。
 成長の気配が、全くなく……。

    



 
    昨年のカラスウリの名残。

 花が実に変化するプロセスを見確かまめたいのだが、今日も、望みはかなわなかった。
  
    




 道端で摘んだ花を、花瓶に挿した。


    





      今朝の日の出。

  この時期、私の部屋の真正面に昇る。

    




       今日の落日。

 夕陽は、朱色から赤色に変化しつつ、水平線に沈んでいった。

    




    




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