ぶらぶら人生

心の呟き

コーヒーの木の本葉

2006-10-31 | 身辺雑記
 毎朝、水遣りをしながら、どんな形で本葉が出てくるのか、楽しみにしていた。
 やっと昨日、双葉と交差するように、本葉が二枚、対葉(植物の専門用語だろうか?マニュアルにあった言葉。広辞苑には出ていない)して出てきた。
 (写真。縦に二枚見えるのは、すでに出ていた双葉。その上に、左右に対葉して見える小さな葉が本葉。)
 「育て方」のマニュアルによると、これから先は、30日ごとに二枚ずつ葉が出てくるという。
 気の遠くなるような話だが、根気強く見守ることにしよう。
 本葉を見たとたん嬉しくなって、肥料を施した。「適量を…」とある、その加減がよく分からない。やりすぎは植物のためによくないだろうと、控えめにやっておいた。
 
  
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ハウス栽培

2006-10-30 | 身辺雑記

 連日、好天が続く。
 昨日のオペラ観賞の余韻に浸りながら、ぼんやりと午前の時間を過ごしていたら、若い知人から電話がかかってきた。
 「お天気がいいので、海を眺めながらのお食事は如何でしょう?」と。
 暫時思案の末、せっかくのお誘いに従った。
 私が、朝食をさっき終えたばかりと告げたところ、お店の昼食タイムは二時までなので、できるだけ遅い時間に参りましょう、とのこと。

 車での迎えが一時、それから海の見える丘に向かって出かけた。
 行き先は、レストラン ボンヌママン“ノブ”。
 日本海を180度見渡せる丘に、このレストランはある。
 平日だが、海側の席は、お客でいっぱいだ。今日は、ほとんどが女性客である。
 ここのシェフは、よく知っている。物腰柔らかな、好人物である。
 生まれて四か月になるという可愛い女児のパパでもある。
 フランス料理の腕もいい。
 よく外食をする習慣のある私は、時折食事に出かけたいお店なのだが、私の住まいからはいささか遠い。車を使わないと無理なので、車を持たない私は、今日のように人のお誘いに乗じて出かけるしかない。
 したがって、今年になって二度目の来店である。

 食事の後、せっかくの機会だから、少しドライブしましょうと、知人に誘われた。
 行き先の一つが、<開パイ>。
 「国営農地開発パイロット事業」の略語だろうと、教えてもらった。
 知人の従兄弟が営んでいるトマトハウスがあり、見せてもらった。(写真)
 農業については、全く無知な私なので、ハウスの中に入って驚いた。食品売り場に、年中並んでいるトマトが、こうして作られるのかと。温度や水の管理など、すべて機械操作で行われている。農場というより、工場といった方がよさそうだ。
 私は昔、農業は楽しいだろうなと思っていた時期がある。そこには物を生み出す創造の喜びがあるに違いないと。心を注ぎさえすれば、きっと報われもするだろうと。
 しかし、農業も容易なことではないようだ。小さな畑に、家族が食するだけのものを作るだけでは、生きてゆけない。それを金銭に換え、生活費を得るとなれば、私の夢想していたような楽しみ方では、どうにもならないだろう。
 お化けのようなトマトの木がハウスの中に列を成して栽培され、知人の従兄弟は、広いテントの中を収穫中だった。知人が呼びかけても、なかなか声が届かぬほどの広さ! 
 一日が、トマトと共に暮れてゆく生活らしい。
 その他の野菜ハウスも見せてもらった。
 バラなど、花作りのハウスもあるようだった。
 見学によって、未知の世界に触れ、大いに楽しんだうえ、新鮮なトマトや野菜をたくさんいただいた。
 開拓された広い農地は、みなうまく生かされているのだろうか。知人の次男は、農地を買って、十年ほどメロンなどを作っていたが、今はサラリーマンに転向したとの話。土地さえあれば、何とかなるといった生易しいものではなさそうだ。

 開パイを後にして、パンジーやビオラなど、季節の花を栽培している人の家にも案内してもらった。
 家の花壇の、貧相な草花を思い出し、寒い季節に彩を添えてくれるビオラを買い求めることにした。幾色か選んで。種類が多くて、これと決めるのに時間がかかった。
 花選びは、暮色の中での作業になってしまった。
 海を眺めながら帰途に着くと、沖には漁火が賑わっていた。

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今日はオペラ観賞

2006-10-29 | 身辺雑記
 今日は、グラントワの大ホールで、モーツアルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」が公演された。錦織健プロデュース・オペラVol・3として。(今までに「コシ・ファン・トゥッテ」や「セビリアの理髪師」が、プロデュース公演されているようだ。)

 日々が田舎での生活で、なかなかオペラに接する機会がない。特別なオペラファンならば、田舎住まいであろうと、時空を超えて、観賞を楽しむ人もあるのだろう。
 が、私には、それほどの熱意はない。
 それでも機会があれば、ぜひ生演奏を聴き、舞台を観たいと思う。

 今回はいい機会だった。
 現田茂夫指揮・オペラハウス管弦楽団による演奏。
 演じ歌う人は、「日本オペラ界の最高のキャスト」とあるが、その世界について無知なため、同県人の錦織健さん(ドン・オッターヴィオ役)しか知らない。
 存分楽しませていただいたのを機に、その他の歌手の名も心に留めておこうと思う。ドン・ジョバンニ役の大島幾雄、レポレロ役の池田直樹、騎士長役の三浦克次、マゼット役の志村文彦、ドンナ・アンナ役の大倉由紀枝、ドンナ・エルヴィラ役の澤畑恵美、ツェルリーナ役の足立さつき等。

 無類の好色漢ドン・ジョバンニの女性遍歴ぶりが存分に演じられ歌われ、最後には自分の殺した騎士長の亡霊によって地獄に突き落とされ、哀れな最期を迎える、というドラマティック筋書きだが、単純といえば単純なお話を、優れた歌唱力と演技力で楽しませてくれるのだから、オペラは面白い。
 語れば、二、三十分で終ってしまいそうなお話を、オペラでは二部仕立て、延々三時間をかけて楽しませてくれる。そのオペラの魅力を心ゆくまで堪能した。
 ドン・ジョバンニの従者・レポレロのコミカルな演技がしばしば笑いを誘った。
 本間公(ほんまいさお)の著書「思いっきりオペラ」(宝島社)に、
<オペラは舞台総合芸術ではあるが、究極のところは歌唱によるドラマである。つまり、歌唱(声)で聴き手を納得させなくてはならない。……>
 と、書かれていたことを思い出し、私には、歌唱力の細やかな差など、聞き分ける力がないこと、それができたらオペラが更に楽しくなるだろうことを、しみじみ思った。
 が、とにかく目と耳を通して至福のときが得られたので、今日は幸せな一日だったといえる。

 「ドン・ジョバンニ」は、モーツアルト31歳(1787年)の作品。
 志鳥栄八郎の「不滅の名曲はこのCDで」(朝日新聞社)によれば、
<台本ができるはしから曲をつけていったが、……有名な序曲だけは初演の前日になってもできあがらず、その晩わずか四時間ほどで書き上げられたいうエピソードが伝わっている。>とのこと。
 天才モーツアルトにも、隠れた苦労はあったらしい。
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空を見上げて

2006-10-28 | 散歩道
 散歩の途中、一生のうちに、そう多くは見られそうにない立派な虹を見、さらに、その虹を越えて南に向かう渡り鳥の群を見て以来、空の気配が絶えず気になり始めた。
 気象状態から、虹のかかるはずはないと分かっていても、空の彼方を渡る鳥の姿の方は、この広い空のどこかに、確実に存在する光景ではあるまいか、と思ってしまう。しかも、あの日のように、白銀に輝く鳥の群が。
 一度の僥倖に恵まれて、その僥倖の再来を念じ待つ様は、おめでたさにおいて、中国の故事「守株」に出てくる農夫に似て、愚かしい話だなと思いながら。
 
 そうは思いながらも、ここのところ、私は散歩の途中、しばしば空を見上げているようだ。心の隅で、白銀の鳥影を追いながら。
 
 今朝は、裸木の向こうの空に、遊び戯れているかのような雲の塊が、ほどよく点在しているのを眺めた。
 鳥影ではないけれど、その雲の姿も、これはこれで捨てがたい。(写真)

 (早々に裸木になった樹木はなんだろう? いつも歩く道の側にある木なのに、どんな葉をつけていたかも思い出せない。来春の芽吹きの季節を楽しみに待つことにしよう。)
 
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小さな黄花にも

2006-10-27 | 散歩道

 散歩道のあちこちで、タンポポは、今なお、球形の冠毛を風にそよがせている。
 あの軽やかな綿毛は、わずかな風が吹けば、やがて空中に漂うだろう。同じ場所にまた、と思うが、目に留まるのは、前日に見たものではあるまい。

 今朝は、タンポポとは違う草花の冠毛を見つけた。(写真)
 冠毛そのものが、タンポポよりは小さく、芯の黒さが、タンポポより濃い。
 花はそれぞれ、自らの大きさに似合った冠毛をつけるらしい。
 茎の下の方には、黄色い小さな花が咲いたままだ。それもやがて冠毛にかわり、風に吹かれて、また地に返ってゆくのだろう。そして、新しい命を芽吹かせるのだろう。
 
 自然の営みは、ひそやかだが確実である。

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眼福の半日

2006-10-27 | 身辺雑記

 好天に誘われて、街に出た。
 用事を済ませた後、グラントワへ。

 かなり前から開催中の、「スポーツウェアの革命 もうひとつの20世紀ファッション」展をのぞいてみた。
 スポーツにもファッションにも興味のない私にとっては、始めから、無縁の展覧会のような気がしていた。パスポートがあるので、ちょっと覗いてみようといった気分で入館した。
 ひとわたりゆっくり観るのみ。偶然だろうけれど、会場には私一人。
 知らない分野でも、いろいろな人が独創的な仕事をしていることに感心はしたが、それ以上特に感動なし。

 むしろ、その他の展示室が面白かった。
 展示室 A  (近代の冒険 島根の美術)
 島根県出身、または島根県に関係のある風景を描いた作品が展示してあった。
 その作品は、島根県立美術館、または島根県立石見美術館所蔵の作品だけなので、今までに観ている作品もあるような気がした。
 が、13人の作家のうち、はっきりと名前を知り、過去に作品に接しているのは、4人のみだった。
 中尾彰・山崎修二・香月泰男・牛島憲之の4氏。
 これらの画家の作品は、一目見て作風からその作者を想像できた。初めて観る作品もあったけれど。
 中尾彰・香月泰男氏の作品は、今までに相当親しんできたし、画家としてだけでなく、文章家としても尊敬している。
 山崎修二氏は恩師である。人を先生付けで呼ぶことを好まぬ私だが、美術を習った師なので、修二先生としかいえない。当時、山崎姓の先生が三人居られたので、それぞれ名前で呼んでいた。
 《二人の少女》は、私が生まれるより前に描かれた作品であることを知って、思わず生没年を確かめた。1910~2001年とある。
 先生の若き日の作品ということだ。
 師の三枚の絵の前に立っていたら、ギョロリとした両眼で見返されているような気がした。そうして、「どうだね? 僕の絵は……」と、尋ねられたように思い、おずおずと移動した。
 美術の成績は、一応優をもらってはいたが、絵は、決して得意ではなく、先生に接近することはしなかった。近づきがたい師でもあった。
 ただ今思い出すと、やはり懐かしさはある……。
 今一人の牛島憲之氏。
 今年の三月、九州に旅したとき、熊本県立美術館で、たくさんの絵に接した。作風が独特なので、今回も、<あ、あの人……>と、思い出せた。何枚か絵葉書も買ったはずである……。色調や構図が気に入っている。
 知らない画家のうち、好き嫌いは別にして、小泉清氏の、絵の具を厚塗りした、強烈な描き方の、二枚の絵の前では、しばらく足を止めさせられた。

 展示室B (版画の多様性―木口木版画)
 木口木版画については知らなかったので、成る程とうなずき、作品を鑑賞。
 知っていた画家は、平塚運一氏一人。
 面白く思ったのは、柄澤斉氏の『方丈記』。
 余分なものを完全にそぎ落としたような作品。小林敬生氏の複雑綿密な作品とは対象的な作風。
 添えられた方丈記の文を読みながら、佇んで考える。目と頭が忙しく活動!

 展示室C (デュフィとアールデコ)
 大方が、ウラル・デュフィ(1877~1953)の作品。幾何学模様あり、花模様あり、動植物の取り合わせあり、観ていてとても楽しかった。

 展示室で楽しめたので、来館の意義は十分だった。

 グラントワへ出かけたもう一つの目的は、多目的ギャラリーで開催中の、「野崎千俊個展」を観ることだった。
 同郷の画家であり、その妹のA子さんとは同級生という縁もあり、出かけてみた。
 <風を感じて…>というサブタイトルは、絵の雰囲気に適したものであった。
 風景画がいい。特に水の表現は巧み。水の飛まつまで細やかに描かれていた。

 この会場では、A子さん外、同郷の人に多く出会い、多数の人と、幾年ぶりかの対話をした。

 眼福の半日を、楽しく過ごすことのできた今日だった。
 バスを待つ間、喫茶室に入る。コーヒーをおいしく飲んで帰宅。

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「藤田嗣治」展と『藤田嗣治「異邦人」の生涯』

2006-10-26 | 身辺雑記

 広島県立美術館で、「藤田嗣治」展を観たのは、九月の半ば過ぎだった。
 そのとき求めた『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(近藤史人著・講談社文庫)を読みさしにしたまま、日を重ねた。先日、松江に向かう車中で、やっと読了した。

 世界的な大画家でありながら、藤田嗣治は、生存中、日本画壇においては不人気だったようだ。
 その原因は、何にあるのだろうか。
 この書を読み終えた後にも、なお、この点については疑問符が残った。
 自画像に見られる独特なスタイルや生涯に五度も結婚を繰り返すなど、かなり奔放な人生を送った画家ではあるようだ。そうしたことが嫌われる原因だったのか?
 また戦中には、積極的に戦争を素材とした絵画に取り組み、戦後、画家仲間の顰蹙を買った面もあるようだ。当時、戦争画を描いた画家は藤田嗣治だけではなかったにもかかわらず。

 1949年、藤田嗣治は居心地の悪い日本を後にした。そのとき63歳。まずアメリカに滞在し、翌年フランスに渡っている。
 1955年、フランスの国籍を取得。再び日本に帰ることはなかったらしい。
 日本人でありながら日本に安住を得られず、異邦人さながらに生きた画家。
 フランスにおいても、国籍を取得したとはいえ、本質的には異邦人であり、複雑な思いの中で生きるしかなかった画家。
 近藤史人氏が、表題に<「異邦人」の生涯」>としている意味がよく分かる。その胸中を思うとき、常に満たされぬものがあったのではなかろうか、と思える。
 
 人間は誰も、自ら自分の生きる時期を選ぶことは不可能だが、1886年~1968年を生きたこの画家の生涯は、戦争とのかかわりが深かった。
 画家自身も、1939年9月の日記に、次のように書いている。
<私ほど戦争に縁のある男はいない。1913年パリに来て一年目に欧州大戦争にぶつかり、日本へ帰れば日支事変にあい、5月パリに来て、この9月には又戦争に出くわしてまるで戦争を背負って歩いている男だと、W君に言われて成る程そうだと自分で思った。>(近藤史人著『藤田嗣治「異邦人」の生涯』P245より)
 この後も、1945年の敗戦まで、藤田嗣治は、<戦争を背負って歩く人>であり、更に戦後は強烈な非難さえ浴びなければならなかった。
 この時代をもし生きなかったら、などという仮定でものを考えるのは、無意味なことではあろう。だが、戦争に大いに翻弄され禍された人間の一人であったことは間違いない。

 戦争画という特殊な絵はのぞいても、長い画家人生の中で、画風にかなりの変遷があることを、この度の展覧会で初めて知った。
 多くの作品の中から、好みの一点をということになれば、戦後の代表作「カフェ」(1949年)を選びたい。カフェに座る女性は、かつてエコール・ド・パリの時代、藤田の色として好評を博した「乳白色の肌」で描かれた女性である。ただ、表情は憂いに沈んでいる。目の描き方に特色がある。晩年、多くの子供を描いているが、目はすべて「カフェ」の女性と酷似している。
 自画像の多くも、決して陽性な顔ではない。表紙カバーの自画像は、1929年の作品だが、当時はパリの寵児であった人にしては、どこか暗い影がある。
 藤田嗣治の一枚の絵には、「カフェ」にしても、この「自画像」にしても、背景や近景に様々なものが描かれているのも特色のようだ。テーブルの上を見ても、それぞれに小道具が細やかに描かれてる。

 人は一般的に、他人に対しては結構厳しい。誰も、生きてゆくうえで、毀誉褒貶はまぬかれない。
 それを考慮しても、依然、藤田嗣治の、日本画壇での不人気の原因は、よく分からない。
 結局、藤田嗣治という人物が、体質的にも人間的にも、日本人の枠を大きくはみ出していたということなのだろうか。
 没後の評価については、よく知らないが、展覧会の絵を観る限り、興味のある画家であったし、画才を感じる画家でもあった。
 画家としては成功を納めた人といえるのであろう。
 が、一人の人間としてはどうなのだろう?
 最晩年は、カトリックの洗礼を受け、「一生の終止符を打つ仕事」として、礼拝堂を建設、そこにフラスコ画を完成したといわれる。
 そこで初めて、心の平穏が得られたのかもしれない。
 しかし、華やか生涯にもかかわらず、なんだか寂しげな境涯に思える。
 私は、そこに引かれるのだが……。
 私は昔から、順風満帆の人よりも、どこか翳りのある人に関心があるようだ。

 近藤史人著『藤田嗣治の「異邦人」の生涯』は、実に精細に調べて書かれた本で、画家の生涯を知る上で、大いに参考になった。

 (写真は、近藤史人著『藤田嗣治「異邦人」の生涯』と入場券)

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朝顔の末路

2006-10-26 | 散歩道
 初夏から初秋にかけて、目を楽しませてくれた朝顔も、枯れ姿となった。
 中学校のテニスコートのフェンスに伸び上がり、威勢よく花を咲かせていたのだが……。
 ものには終末があるからいいのかもしれない。
 永劫に続くものが必ずしもすばらしいとは言えない。

 緑の葉も、紫を基調とした花々も、今はすべてなくなった。
 茎だけは枯れ色になりながら、フェンスの金網に絡まったままだ。
 花は実となり、その実も大方は地に帰ってしまったようだ。
 茎も老いてぼろぼろかと、折り取ろうとしてみたが、なかなか折れるものではない。
 強靭さを失わないまま立ち枯れた姿も、また美しい。(写真)

 こんなものに美を感じるのは、神経が少々異常だろうか?
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地面に、蔦の紅葉

2006-10-25 | 散歩道
 散歩中、足元にこんな秋を見つけた。(写真)
 地面を這って、小さな蔦が、形よく色づいている。
 歩道に蔓を伸ばして。
 踏まないように、そっと歩む。
 
 
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虹と渡り鳥

2006-10-25 | 散歩道
 早朝の四時半、配達された牛乳を取り入れるため玄関に出たとき、見上げると満天の星空だった。
 今朝は散歩ができる、そう思いながら、今日の新聞を読んだ。
 途中、戸外に激しい雨音がして、耳を疑った。さっきの星空がうそのようだ。いよいよ時雨の季節がやってきたらしい。

 六時前、庭に出てみると、怪しげな空模様だ。
 一昨日は早朝の旅立ちのため、昨日は暴風雨のため、朝の散歩を取りやめた。今日も中止ということになると、折角身についた散歩の習慣が崩れてしまいそうだ。
 風の心配はなさそうなので、傘を持って出かけることにしようと、身支度をした。

 すばらしい朝となった。
 海岸に向かって坂を下っているとき、西の上空に鮮やかな虹が出ていた!
 視界のきく場所ではないので、半円の一部しか見えなかったが、消えうせないうちにと心を焦らせながら、カメラに収めた。(写真)
 右の片足は、海に届いているのだろう。そう思うと、ひとりでに海岸に向かう足取りが、速くなった。虹は、<はかなく消えるもの>との意識があるので、悠長に構えることができない。

 海辺に立って、半円の虹を存分眺めることができた。
 こんな立派な虹は、初めてのような気がする。
 今朝に限って、磯辺に誰ひとりの人影もない。私ひとりが、たまゆらの自然の美を独占しているのはもったいないような気分になった。浜辺の人たちに呼びかけたい思いだが、七時前の磯辺の家々は、まだひっそりしている。

 虹の右端は、高島の西半分に足を下ろし、島のその部分だけを虹色に染めている。
 沖に浮かぶ高島は、天候によっては島影を見せない日もある。今朝は幾分不鮮明ながら、海上に姿があった。島の東側にある灯台は、島影とは不釣合いなほど、鮮やかな白に輝いている。灯台がこんなふうに見えるのは珍しいことだ。
 虹と海と高島と。
 壮大で静謐な、不思議な光景を見ている思いだ。
 半円の虹は、はかなく消える気配がない。
 幾度も目の位置を変えながら、海から西方の山に向かってかかる虹を眺め続けた。
 幾度目であったか、半円の左端に目を向けたとき、白銀の鳥の群れが、虹を越えて西に向かう姿を目撃した。一列に並んだ鳥影は、白く淡い光の連なりのようにも見えた。
 虹と渡り鳥との一瞬の融合、偶然が生み出した、こんな贅沢な光景を見る機会はめったにない。ぼんやりと眺めるだけでは、見落としかねない、渡り鳥のかそけき飛行の姿だった。
 なんという僥倖!
 こうした風景との出会いも、一期一会の縁といえるだろう。
 生きながらえれば、これから先にも、虹との出会いはあるだろう。しかし、今日と同じ虹に再び会うことは絶対にあり得ない……。

 携帯のカメラでは、その眺めをうまく捉えることができなかった。私の心に焼き付けておくしか仕方がない。
 今朝の虹は、簡単に消えうせそうにないので、幾度も未練がましく見返りながら、私は帰途に着いた。
 急な坂を上り、私が勝手に、「トランペットの丘」と名づけている場所にたどり着いたときも、虹の一方は高島の西側にあり、もう一方はといえば、私の帰り行く家のあたりに足を下ろしていそうに思えた。
 が、海から離れるにつれて、虹は次第に薄れていった。
 虹に見とれて、海辺での深呼吸を忘れたことに気づき、歩きながら、なんだか幸せな気分で、朝の空気を思いきり吸った。

 「虹」は季語としては、夕立の多い夏のものらしい。
 今朝の虹は、季節を冠して「秋の虹」というのだろう。
 どの季節にも虹は立つ。したがって、「春の虹」も「冬の虹」もある。
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