ぶらぶら人生

心の呟き

無事の越年

2010-12-31 | 身辺雑記
 年賀状を投函したあとに、2通の年賀欠礼の挨拶状が届いた。
 1通は知人のご母堂の死を、もう1通は、私より一回り以上年下の知己の死を、面識のないそのご主人から知らされたものであった。
 その死を知らせてくださった人にとっては、言葉に表しきれない哀しみの年の瀬であろう。

 私は、なんとか無事に越年できそうである。
 今年最後の日になって、掃除をしたり、カレンダーを取り替えたり、お節の真似事をしたり……。
 慌しく一日を過ごした。

 夜になって、歳時記を開き、次の句を拾った。

   ゆく年のゆくさきのあるごとくゆく    鷹羽狩行
   年惜しむというはわが身を惜しむなり   福原十王

 来る年をどんなふうに生きることになるのか皆目分からないけれど、今年の私より少し進歩できれば嬉しい。


 今日は朝から気温の変化がなかった。わずかの雪が消え残る、寒冷の大晦日であった。
 先日、花壇に植えたイベリスの白い花が、雪の白に埋もれたままに…。


          
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12月の庭 (日がさしたり、雪が舞ったり)

2010-12-26 | 草花舎の四季
 スーザンさんと一緒に、今年最後の食事をするため、草花舎に出かけた。

 空が晴れたと思うと、はらはらと雪が舞った。
 予報では、吹雪になるとのことだったが、むしろ心地よい午後であった。
 重い雲間にのぞく青い空も、思い出したように舞う雪の子も、冬らしくていい。

 今年最後のひと時を、草花舎で憩わせてもらった。
 ピアニストのグレングードルが、夏目漱石の『草枕』を愛読し、自分にとってのバイブルだといっていた旨、過日、Tちゃんから聞いていた。
 スーザンさんへクリスマスプレゼントして、Tちゃんは『草枕』を用意しておられた。
 そこで、Tちゃんと3人で、『草枕』について話したり、スーザンさんが最近読まれたという川端康成の『雪国』などについて話した。
 

 写真は、日差しの注ぐ草花舎の入り口と窓辺のノイバラの実。

             

             
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クリスマス寒波

2010-12-24 | 身辺雑記
 クリスマス近くになると、寒波がよくやってくるらしい。
 今年も、日本列島が、冬の嵐に見舞われた。
 午後は風が強まり、荒模様になるとのことだったので、お昼前、郵便局に出かけた。
 空にはまだ、晴れ間があった。(写真)

          

 道の辺に、今年初めて水仙が咲いているのを見た。(写真)
 年の瀬と水仙。
 と言えば、毎年、水仙の束を届けてくれた同級生のMさんを思い出す。
 自宅の畑で育てた出荷用の水仙を惜しげもなく大きく束ねて、持参してくださった。それは、匂いの束でもあった。
 今年は、本当にたくさんの同級生や知己とのお別れがあった。
 思い出してみると、その最初のお別れがMさんだった。

          

 家の山茶花は花をつけないものと思って、ろくに眺めてもいなかった。
 今日、2本の木が、それぞれ数個の花をつけてくれているのに気づいた。下枝に控え目に。

          
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12月の庭 (雨、降りつづき)

2010-12-21 | 草花舎の四季
 郵便局へ行った帰り、草花舎に立ち寄った。
 1日に訪れて以来、久しぶりであった。

 お昼時を過ぎていたので、コーヒーだけいただいた。
 来客が幾人かあった。
 Yさんや顔見知りの人と話しているうちに、<統合失調症>という病気が話題となった。
 かなり厄介な病気のようだ。
 
 窓外の雨を眺めながら、私は非常に仲良しだった旧友を思い出していた。
 彼女が死を選んだ原因は、なんだったのだろうか? と。
 高校1年のとき、山陰本線のトンネル内で、自死した。
 私は、彼女の親しい友達のひとりだった。
 東京から転校してきた彼女は、秀才であった。その上、努力家でもあった。
 将来は医師になるのだと、勉学の取り組みも群を抜いていた。
 遺伝的な悩みを持ち始めたのも、医師になるための勉強をしている過程での気づきであり、自らの未来に絶望することにもなったのだと聞いている。
 私や親しかった友人に当てた遺書があったようだが、衝撃を与えてはと父親が渡すのを拒まれ、そのまま目にすることはなかった。
 別れの前に誘われて一緒に写真を撮ったり、彼女の好きな詩を和紙に書いたものをプレゼントされたりしたのに、それが何を意味するかを不審に思うこともなかった。何かにつけ晩生(おくて)だった私には、彼女の懊悩や決断を予測し寄り添う力がなかった。

 彼女が、将来を捨てねばならないと決意した、遺伝的な病気とは、なんだったのだろう?
 <統合失調症>という難儀な病気について考えているうちに、遠い昔の、親友の哀しい死とその原因を考えていた。
 
 病気は、誰の身にでも襲いくる。
 ウィキペディアで調べているうちに、高村光太郎夫人の智恵子の病が、<統合失調症>であったと知る。
 また、現代アートの旗手・草間彌生も、若き日、その病気を病んだひとりである、と。

 
 ひと時話した後、雨の庭に出た。
 ナンキンハゼの白い実を見上げた。
 ネズミモチの実も、黒紫色に熟していた。
 季節はひとりでに巡ってゆく。         


         
  
                   
 
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いただいたシクラメン

2010-12-21 | 身辺雑記
 昨日、山口に行き、夕方帰宅した。
 途中、暮れ色の空に月影を見たので、荷物を置くと玄関に回った。
 と、入り口のドアの下の方に白っぽいものが見えた。
 なんだろう?
 幾分薄気味悪く思いながら、動きのないことを確かめて、ドアを開けた。
 
 白いビニール袋に入っているのは、シクラメンの鉢であった。(写真)
 書き置きも留守電も入っていなかったけれど、鉢の包装からスーザンさんからの贈り物だと分かった。
 花のプレゼントは嬉しい。
 花の白は、好みの色でもある。

 今日、お礼にスーザン邸を訪れた。

 (お月様は、おりしも、東の山の端を離れたところだった。)
            

              


 昨日は、山口行きの途中、濃霧の中を走り続けた。
 遠景どころか近景も、霧の中に沈んでいた。
 濃霧体験のナンバーワンは根室。それに劣らぬ深い霧だった。しかも、相当長い距離にわたって乳白色に閉ざされた。
 津和野で生活していた4年間にも、2メートル先の人が見えない濃霧を体験した。

 こうした思いがけない自然現象との出合いも、心楽しい。
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12月のお月様

2010-12-20 | 身辺雑記
 12月のお月様は、冬の天候に左右され、見えたり見えなかったり…。
 曇り日で見えなくても、戸外には薄ら明かりのある日が多かった。
 夜空を見上げて、庭に佇んだ日の月影を留めておこう。
 皆既月食の夜は生憎の曇り日で、天体ショーを見ることができなかった。
 日本の大方の地で観測が不能であった。
 テレビの画面に映し出された北海道のそれを眺めた。ひととき、お月様は本来の色を失い、朱黒色に見えた。

         12月10日

         12月14日

         12月18日

         12月19日

         12月20日 
         (山口から帰り、玄関先で眺めた月。)
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「数え日」

2010-12-19 | 身辺雑記
 そんな言い方があったのかと、辞書を確かめた。
 今日の朝日新聞の<天声人語>の冒頭に、

 《今年もそろそろ「数え日」と相成る。年内も指折り数えるほどになった日々をいい、せわしい気分はいっそう募る。そしてここ数日、列島は師走の厳しい寒波に包まれた》

 と、書かれていた。

 「数え日」の意味も文中に記されている。

 この月を終われば、年が改まるというだけで、12月には特別な感慨がある。あと旬日と思えば、年末までにしておきたいことのあれこれが思い浮かび、何となく気忙しい。
 あと幾日と数えてしまう。「数え日」とはそういうことらしい。
 最近は、季語としても扱われているようだ。
 俳人には、なじみある言葉なのであろう。

 ついでに歳時記を開いてみた。
 なかなかいい句が多い。
 天声人語にもあったとおり、当地でも、15、16日には雪が舞ったし、17日も冷たい雨の寒い日だった。ところが、昨日来今日にかけては、いい天気になった。
 特に今日は気温も上がり、一片の雲もなかった。
 夕方になって、隣家の屋根の上に、空に向かって伸びる雲を見た。(写真)

    数え日の山のまぶしき日差しかな  茨木和生

 歳時記には、今日のために詠まれたような句があった。

               

 残りの日に、こうした穏やかな冬日和を期待するのは無理だろう。
 溝掃除だけしておこうと、身支度をして外に出た。
 崖の草刈りのとき、きれいにしてもらったけれど、そのあと放置してきたので、溝のあちこちに枯れ葉が、吹きたまっていた。
 溝掃除は、私にとっては、少々重労働だった。

 
 一昨年、妹が植えてくれたスミレの葉陰にも、吹き寄せられた枯れ葉が絡まっていた。
 手で、そっと取り除くと、紫色の花が一つ咲いていた。(写真)
 
        

 こうして、「数え日」の一日が終わった。
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<ポンちゃん>の死

2010-12-17 | 身辺雑記
 水槽が空っぽだった。
 どうしたんだろう?
 病院の待合室の長椅子に腰掛け、診察を待ちながら、スッポンモドキの不在を訝った。
 診察室に入ると、
 「スッポンモドキは…?」
 と、挨拶代わりに、先生にとも看護婦さんにともなく尋ねた。
 すると、
 「あれは、昨日死にました。これくらいの大きさになるはずでしたが…」
 と、先生は、両手で成長の形を示された。

 スッポンモドキが、水槽で飼われ始めたのは、いつ頃であったろうか?
 何度か、ブログに写真を載せた。
 始めの頃に比べれば、かなり大きくはなっていたけれど、私より早く、突如、姿を消そうとは思ってもいなかった。
 あるべきものが、そこにない寂しさ!
 「鶴は千年、亀は万年」と言われ、両者は長寿でめでたいものの象徴とされるけれど、スッポンモドキの寿命は、そんなに長くないのだろうか?

 いつも餌を与えておられた看護婦さんに、診察室を出たところでお会いした。
 容易に受け入れ難い、スッポンモドキの死について話した。
 「そうなんですよ。ポンちゃん、死んでしまったんです」
 と、悲しそうだった。
 <ポンちゃん>という名前があったのを知った。
 スッポンモドキのポンちゃん。

 空っぽになった水槽から、大きな水槽に目を移した。
 そこには、幾種類かの熱帯魚が、いつものように泳いでいた。
 あるものはゆったりと、あるものは忙(せわ)しなく。
 小さな藍色に赤い線のある魚がグッピーだと思う。
 喫茶店などの水槽で、よく飼われていた。ずいぶん昔の話だが…。そのとき、グッピーという種を覚えた。
 熱帯魚の管理は難しいのか、今はほとんど見かけなくなった。
 病院に置かれた水槽の熱帯魚たちは、みな元気そうに泳ぎ回っている。
 小さな世界でも、それなりに生と死が繰り返されているのかもしれないけれど、私には分からない。

          

          

 水槽の横に、ナデシコに似た花があった。
 造花? と思いながら、花や葉にそっと手を当ててみた。
 本物である。
 「他にも、変わったコスモスがありますよ」
 と、看護婦さんは、もう一鉢を持ってきて見せてくださった。
 花びらが長く、ひらひらしている。
 いずれも、患者さんが育てられたものとのこと。

                

          


 最近の体調について、先生が尋ねられたので、前回の診察日の帰りに起こった異常を伝えた。
 胸部の痛み。
 その後、異常は起こっていない。
 先生の指示で、心電図とレントゲン撮影のあと、診断を受けた。
 今までも、心電図には、異常が出たり出なかったり…。それは、20年以上前からである。
 急な動作のあとに、強い痛みが胸に走るのは、勤めているときからあった。
 ひと月前の体験は、それとは異なるものであった。
 重い荷物を抱えてタクシーに乗った途端に、痛みが胸を襲った。何とか我慢できる程度のものではあったけれど、それが家に着くまで20分近く続いたのだった。
 先生は やや考えられた後、
「舌下錠を出しておきましょう」
 と、言われた。
 初めての薬をいただいた。<ニトロペン舌下錠>。
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「独楽」と「独歩」

2010-12-16 | 身辺雑記
 友人から電話があった。
 「BS2」
 一語の連絡。
 「はい」
 と、一語を返して、BS2を出した。

 男前列伝という番組の再放送が始まっていた。
 歌舞伎役者の市川亀治郎が、美術館を訪問し、画家の熊谷守一の生き方を紹介する番組であった。
 上京の際、<熊谷守一美術館>を訪れたばかりである。
 いっそう興味深く見た。
 若い市川亀治郎という人にも魅力を感じた。

 <独楽>は、守一の生き方であり、<独歩>は亀治郎のそれである。
 共通するのは<ひとりで>ということだ。
 <独楽>も<独歩>も、口には易く、実践は容易ではない。
 
 下の写真は、晩年の熊谷守一の写真と守一の言葉<独楽>を記した、番組最後の画面である。

         

        
 数日前、やはりテレビで、<ホキ美術館>のことを知った。
 写実絵画専門の美術館として、千葉に開館したばかりの美術館だ。
 番組を見ながら、一度訪れて見たいと思った。美術館も、所蔵作品も魅力的である。
 紹介された幾人かの画家の中で、知っているのは野田弘志だけだったけれど…。
 
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初雪舞って

2010-12-15 | 身辺雑記
 寒くなった。
 今朝は、雪が舞った。
 たまたま、裏庭に出たとき。
 セーターに雪が止まった。
 「初雪!」
 と、声に出して、嬉しくなった。
 寒いけれど、ほどほどに降る雪は嬉しい。

 このところ、ブログを書く気になれない。
 かといって、読書や他のことに熱中しているわけでもない。
 空しい思いにかられながら、これが老というものだろうかと空を仰ぐと、昼過ぎの窓にも、雪が舞っていた。積もる心配などない、雪の子である。

 昨日の午前は友人の訪問を受け、午後は妹夫婦が、北海道の親戚から届いた鮭と数の子を持ってきてくれた。
 濃い紅色の花を咲かせる秋明菊の苗も持参し、前庭に植えてくれた。(写真)
 来年は、白い秋明菊の横に、彩を添えてくれるだろう。

            

 一昨日の夕、ベルが鳴った。
 続いて、「スーザンです」という声が届いた。
 長い間、スーザンさんにもお会いしていなかった。
 草花舎にも永らく行っていないので、無事か否かを案じてくださったようだ。
 久しぶりのスーザンさんが、とても美しく見えた。
 化粧という身だしなみさえ怠って、無為の時間を過ごしがちな自分との対比で、いっそう輝かしく見えたのかもしれない。

 今日は、初旬の旅のブログをやっと書き終えた。
 未定稿なので、明日読み直して投稿しようと考えている。
 と同時に、生活のリズムも取り返したい。
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