ぶらぶら人生

心の呟き

睦月、最後の怠惰な日

2008-01-31 | 身辺雑記
 ただ今、夕方の五時半近く。
 今、初めてパソコンを開き、ブログを開けた。

 病人ともいえないのに、まるで病人のような一日を過ごした。
 朝の食事や洗濯を済ませた後、姿勢によっては右坐骨にかなりの痛みを感じた。これはダメだな、と思い、ATさんに電話した。
 お天気がよければ、唐音の水仙を一緒の見に行く予定になっていたのだ。
 家の中や廊下を歩く程度は問題ないのだが、立ったり座ったりの動作には、日頃にない不自由さと痛みを感じるのだった。
 唐音の<水仙の里>へ下りるには、かなりの急坂を上り下りしなくてはいけない。どうせ出かけるなら、もっと体調のいい日にと考え、今日出かけるのは取りやめにしていただいた。

 原因は一昨日にあった。
 台所の床に落ちたゴミを拾おうとして、身を屈めた。そのとき、腰に痛みが走った。即座にバンテリンを塗っておいた。
 昨日は、右の坐骨の辺りに多少の違和感を感じてはいたが、大したことはなかった。町に出て本屋により、注文しておいた<広辞苑 第六版>を受け取り、友人の車で運んでもらったりした。
 帰宅後も、友人との語らいを楽しでいる間、悪化の気配は感じなかった。
 しかし、夜になって、別の友達から電話があり、椅子に座ったまま、不自然な姿勢で話し込んだのがいけなかったのかもしれない。
 入浴後には、完全に悪化しそうな気配が感じられたので、薬箱のなかにあった、使い残しの<はり薬>を、痛みの箇所にはって休んだのだった。

 そして今朝、椅子に座る姿勢が難儀なので、とにかく今日は、ベッドで安静にしていようと、ついに終日、怠惰な一日を過ごした。
 ひとりの友人には、そのことをメールで知らせておいた。
 そして、立ち上がらなくてもいいように、携帯も、子機も枕元に置いて。
 昼前、初めて聞く出版社から、平山郁夫の絵画の見本を送りたい、との電話がかかった。買う意志のないことを伝えたが、それでもかまわないから見てくれという。
 見本を見れば、気が変わって求めたくなるかもしれない、そんな人を当てにした商法であろうか。

 その後、今朝メールを送った友人から、病状を案じて返信が届いた。後で電話すると記されて。
 今晩はご飯を炊かなくては、と思いながら、障子が翳り始めたことに気づいた。
 そこへ、友人から電話があった。
 時間を尋ねると、四時半とのことだ。
 仰向けになったままで、友人と話した後、やっと起き出した。
 炊飯器をオンにした後、せめて怠惰な一日について、あらまし書いておこうと、パソコンの前に座った。

 横臥の時間に読んだのは、玄侑宋久の『御開帳綺譚』のみ。<綺譚>の語が示すとおり、世にも珍しく面白い小説であった。21年ぶりの御開帳にあたり、その準備段階から当日に至るまでの話だが、そこに登場する人物たちの生き方に心を奪われてしまった。玄侑氏の筆力で、登場する市井の人たちが、人間を考えさせる生きた存在として描かれている。

1月30日(水)の新聞より (写真 草花舎の小梅)

2008-01-30 | 身辺雑記

 ※ 2面  ニュースわからん

 ダボス会議とやら いったい何じゃ
  環境や経済…「世界の今」語る場
   今回のダボス会議の主なテーマと参加者
        サブプライム問題や世界経済
          ・サマーズ元米財務長官
           ・国際通貨基金(IMF)のストロスカーン専務理事
       
       ・投資家のジョージ・ソロス氏
               ・渡辺金融相
               ・クドリン・ロシア財務相

        地球温暖化や貧困問題
           ・ゴア前米副大統領
           ・播基文・国連事務総長
           ・ブレア前英首相
           ・福田首相
           ・ロックスターのボノ氏
           ・米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長
          
エネルギー問題
           ・米エネルギー省のボドマン長官
           ・カタールのアティーヤ・エネルギー産業省
           ・甘利経済産業相
        
テロ対策や安全保障、中東情勢
           ・ライス米国務長官
           ・ムシャラフ・パキスタン大統領
           ・カルザイ・アフガニスタン大統領

 
☆ 福田首相が、<ダボス会議>に出席というニュースを見ながら、ダボスとはどこにある地名で、どんな会議なのだろう? と、疑問に思っていた。
 気になるので、三日前、地理に詳しい友人に、ダボスはどこにあるのか尋ねた。自分で調べようとはせず、聞くが早し…と。
 <スイスの、アルプスの北にある町>だと教えてもらった。
 それから、地図帳を開いて、確かめた。
 三冊の世界地図を取り出して。

 地図帳には、<ダボス>または<ダヴォス>の表記で出ている。索引から調べるには、統一されている方が便利だなのだが、発音に忠実であろうとすれば、<ダヴォス>になるのかもしれない。
 老いの身には、地形の色分けや複雑な約束事によって成り立つ地図上に、地名を探すのは容易なことではない。老眼鏡をかけ、さらにルーペで拡大して、やっと、ダボスを見つけて、安堵した。
 
 <ダボス会議>については、私ばかりでなく、よく分からないな人が多かったようで、今日の記事となったのだろう。
 紙面には、簡略な地図も添えてあり、一目瞭然、スイスの東部にある町と分かるようになっていた。
 ダボス会議の歴史も分かった。
 71年にできた「欧州経営フォーラム」が出発点で、参加の広がりにより、87年に「世界経済フォーラム」と名を変えたらしい。 これはスイスの公益団体が毎年1月に開く総会で、開催地がスキーリゾートのダボスであるところから、ダボス会議と呼ばれるのだということも理解できた。
 何かを決める会議ではなく、話し合い主体のものらしい。
 出席者は、世界の著名企業の経営者や政治家、学者などでなりたち、時には異なる分野で活躍している人たちが、コーヒーを飲みながら、気軽に意見交換ができるという、かなり自由な雰囲気もあるらしい。
 今年は、大小230を超える会合に、約2500人の参加者があったという。
 地球温暖化問題における日本の取り組みをアピールするという目的もあって、今回は、このダボス会議に福田首相も出席し、意見を述べたことで、いっそう目立つ政治記事となったようだ。
 今まで、全く関心のなかった会議だが、各界の人たちが集まり、自由に考えを述べ合う場というのは、世界に山積する諸問題を、諸国の人々がともに考えるという意味で、意義ある会議だと思った。

 今日は、ダボスの位置を教えてもらった友人の来訪を受け、一緒に地図を眺めながら、その会議の意義を話し合ったりした。
 と、友人は、スイスの東隣を指し、ここには、「リヒデンシュタイン」という小さな国があるのだと教示。私にとっては、まるで未知の国の存在であった。
 
 私の持つ地図帳の一冊、『今がわかる時代がわかる世界地図』(2005年版)を調べてみた。ドイツ人の名前さながらの、この国「リヒデンシュタイン」は、人口3万人で、母国語はドイツ語とあった。
 夢のある国なのだろうか、苦難の道を喘いでいる国なのだろうか?
 地図の上からは何もわからない。
 
 ダボス会議のおかげで、思いがけず社会科を勉強する日となった。

 (写真 草花舎の小梅。1月28日撮影。)


1月の庭 (初めてのクリスマスローズ)

2008-01-29 | 散歩道
 草花舎の庭に、幾種類かのクリスマスローズが群がっていて、葉を力強く伸ばしている。昨日、庭を散歩し、その第一号の花を見つけた。葉色に近い薄緑の花。(写真)
 春の足取りの音が、ひそやかに聞こえてくる気配であった。

展示と活け花

2008-01-29 | 草花舎の四季

 展示室に、ガラス作品、陶芸、キリムなどが置いてある。
 その隅の活け花が、その部屋の雰囲気に和んでいた。
 優しいピンクの椿と紅梅の小枝。(写真)

 そういえば、食事の後にいただいた韓国風ケーキのお皿にも、紅梅の小さな枝があしらってあった。それをいただいて帰ることにし、そのことわりを言うと、さらに、すぐ開花しそうな蕾のついた小枝を分けてくださった。
 草花舎のお庭に咲き始めている紅梅の小枝である。
 持ち帰って、花瓶に挿したが、今日はまだ、蕾が固い。


マレーシア風カレーライス

2008-01-29 | 草花舎の四季

 昨日、草花舎へ出かけた。
 先週はその機を逸したので、久しぶりであった。

 昨日、運ばれたのは<マレーシア風カレーライス>であった。(写真)
 Tちゃん特製の料理とのこと。
 辛すぎないかと聞かれたが、いわゆるカレーのルーの辛さではなく、ピリッとした香辛料の辛味は、むしろ口にさわやかであった。美味しくいただいた。
 デザートのヨーグルトには、柚子のジャム(キャラメル風に煮込んだもの)が、添えてあった。これもTちゃん作とか。さらに余分に韓国風のケーキまでご馳走になった。みなTちゃん手作りのものだった。

 本棚から、辺見庸の『いまここに在ることの恥』を取り出して、拾い読みした。
 その中の一篇、「名残の桜 流れる花」という文章が心に沁みた。巻末を見ると、かつて東京新聞の夕刊に掲載されたものとのことだ。わずか4ページの随想だが、そこには、篇見庸さんの人生とその父との係わりも書き込まれていて、奥行きのある文章であった。隅田川と川土手の桜が自然景として生きていて。
 辺見庸の作品は、芥川賞の受賞作品『自動起床装置』(1991年)のあと、『もの食う人びと』を読んだくらいだ。じっくり読みたい作家の一人なのだが……と思いつつ、日々の時間は駆け足で過ぎてゆく。
 あれもこれもと、あんまり欲張らず、ささやかでも、生きてあることの喜びを、日々味わって生きたいとの思いが、次第に強くなっている。


1月29日(火)の新聞より (写真 草花舎の小梅)

2008-01-29 | 身辺雑記
 33面 社会
 ※ 鹿・熊・岡… やっと常用漢字に
      府県名11字を承認

 ☆ 現在の常用漢字表(1945字)に、表外字とされている漢字の中から、11字が加えられる案が、文化審議会国語分科会で承認されたそうだ。
 「阪」「熊」「奈」「岡」「鹿」「梨」「阜」「埼」「茨」「栃」「媛」の11字。
 いずれも府県名に使われているもの。
 結構なことだと思う。
 だが、文部科学相に答申するのは2010年の初めごろとか。
 日常的になじみの深い漢字は、もっと拾い上げてもいいのでは、というのが私の考えである。

 ☆ その他、ガソリン税率の問題(「つなぎ法案」)や、大丈夫かしらと心もとなさを感じる大阪府知事(橋下さん)のことなど、紙面は賑やかである。
 なりゆきの気になる問題は多い。

 (写真 草花舎の庭の小梅。古い幹から新しい緑の枝が伸び、それにも花が咲いていた。)

「今日という日の……」 (写真 草花舎のコップ)

2008-01-28 | 身辺雑記
 朝、日めくりカレンダーをめくる。すると、
 「今日という日の再びきたらざることを思え」
 という格言が記してあった。
 ダンテ(1265~1321 イタリアの詩人 「神曲」の作者)の言葉。

 当たり前の真理を、<うん>と肯いて読む。
 今日という日は、再びあるはずがない。日々は、行く川の流れの如く過去となり、再び元には返らない。そのことをわきまえながらも、また今日のような日が引き続きあるかのような錯覚に陥りがちである。そのことによる怠慢を戒めたものだろう。
 さればとて、格別、今日をどう生きようと努めるわけでもないのだが……。

 昨日は、同じ睦月生まれの友人と、遅ればせながら、誕生日を祝い合った。
 手土産のケーキでコーヒーを飲み、私は、合銀からいただいた、炊き込めば簡単に出来上がる赤飯をふるまって。
 簡素なお祝い。
 
 今日は、友人を送った後、新聞を読んだ。
 一紙面に、<年賀はがき・切手の当選番号>が出ていたので、点検かたがた年賀状の整理をし、片付けた。
 下2けた 37 64 が、各一枚ずつ当たっていただけ。
 いつものことながら、籤運には恵まれない。
 早速、他用もあって、郵便局へ行った。
 お年玉切手シートをもらって、その足で草花舎へ。(別記、次回ブログで)

 今、私は喪服に着替えてパソコンに向かっている。
 五時前には家を出て、葬儀場へ出かけるために。
 同じ町内の老女で、昨日亡くなられた人の通夜が、今夕行われることになっているのだ。

 このブログを書き終えぬうちに、近所の人から通夜への誘いがあり、中断して出かけた。
 外は、冬の夜の氷雨となった。
 宗派の異なるお別れの通夜は、かなり趣の異なるものであり、弔いの形について、あれこれ考えさせられた。

 かくして、<今日という再びきたらざる日>を終えたのであった。
  

 (写真 草花舎で出された、お水の入ったコップ。底の模様が、水面にも浮き出し、二重に見えるのを、なんだか不思議な現象のように眺めた。) 

「ドッペルゲンガーと呼ばれる現象」

2008-01-27 | 小さな記録簿
 「ドッペルゲンガーと呼ばれる現象」も、玄侑宋久の『アミターバ 無量光明』の中に出てきたものである。末期がんの女性が、幻覚のように見た光景について、上記の表現が使われていた。
 患者に、その意味を聞かれた慈雲(患者の娘婿)は、次のように答えている。

 『私も道場で経験があるんですが、……ふとした時に、まあ体がしんどい時なんかが多いそうですけど、もう一人の自分が見えちゃうんですね。ドッペルゲンガーっていう言葉は、もともと『分身と行く』っていう意味らしいんですが……」
 その後に、言葉を換えて、
 「……結局、幻覚みたいですね」
 とか、
 「脳の錯覚です」
 といった言葉で説明している。

 上記の説明で、「ドッペルゲンガーと呼ばれる現象」は大体理解できたが、広辞苑でも調べてみた。

 「ドッペルゲンゲル」で、出ていた。(ドイツ語)
 (ドッペルゲンガーとも)と、補足されている。
 意味は、①生き写し。分身。
       ②自分の姿を自分で目にする幻覚現象。
 と、あった。

 (写真 1月22日、山口の懐古庵の庭で撮った斑入りの蕗の葉。冬というのに、威勢がいい。)

<尖痛>と<疝痛>

2008-01-27 | 小さな記録簿
 玄侑宋久の『アミターバ 無量光明』に、<尖痛>という言葉が出てきた。
 末期がんを病む女性を襲う痛みの表現であった。
 なるほど<尖痛>ね、と思いながら、どんな痛みかを想像した。多分、錐のように先端の尖ったもので突き刺された時に生ずる、ひどい苦痛を伴う痛みだろう。しかし、私自身は、<尖痛>という言葉に出会うのは初めてだった。
 そこで、すぐ辞書を調べた。
 同音で<疝痛>は出ていたが、<尖痛>はなかった。
 <疝痛>には、<はげしい発作性の間欠的腹痛。腹部内臓の諸疾患に伴う症候で、胆石症発作・腎石発作・腸閉塞などに際して現れる。>と説明してあった。

 痛みには無縁でありたい。
 心の傷みも、身体の痛みも、できるだけ避けて通りたい。
 上記小説の主人公の病状表現として出てきた<尖痛>は、<疝痛>と同じ意で遣われたのか、玄侑氏の造語なのかはよく分からないが、痛みの性質をよく伝えている熟語だと思う。
 私は、<尖痛>のおかげで、<疝痛>という言葉についても知ることになった。

 (写真 1月25日朝の土田海岸。)
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海の表情

2008-01-26 | 散歩道

 1月24日の朝は、荒れ模様の天気だった。
 それでも、海辺の道を歩くことはできた。

 海風が空中で笛を吹いていた。
 私の心の悲鳴であるかのように。

 突堤に波が砕けていた。(写真)
 飛沫が高く上がっては鎮まっていた。
 激しさの反復。

 ただ歩く。
 海の表情を眺めるために。
 何にも考えないために。