谷川俊太郎著『ひとり暮らし』より
(一)文体について
<スタイルという言葉は、分かっているようでよく分からない言葉である。美術のほうでは様式といい、文学のほうでは文体という。例えば一篇の小説を読むとき、私たちはその筋を追い、描写を楽しむ。だが同時に私たちは意識するしないにかかわらずその文体をも読み取っていて、それは筋や描写よりもずっと曰(いわ)く言い難いものである。だが私は一篇の小説の真価はその文体にこそ表れると信じている。ではその文体に表われるものとはいったい何なのだろう。うまい言葉がみつからないが強いて言葉にするなら、それはその作家の生きる態度とも言うべきものだろうか。>(「私」中の<私の「ライフ・スタイル」>)
(二)社会に潜む「寂しさ」について
<私はこの時代を理解するキーワードの一つに、「寂しさ」があるのではないかと密かに思っている。日本はかつてなかったほどに、一人一人が孤立し始めているのではないか。大家族はもう昔話だし、核家族という言葉さえ聞かれなくなったくらい家族は崩れかかっている。私もその一人だが独居老人が増えているし、結婚を願わない若者も多い。会社もすでに擬似家族としての機能を失いつつあるし、都会では隣近所も見知らぬ人ばかり。私たちは帰属出来る幻の共同体を求めて携帯電話をかけまくり、電子メールで埒もないお喋りに精を出し、ロックコンサートに群がり、居酒屋にたむろし、怪しげな宗教に身を投じる。………> (「ある日」中の<十一月三日[金]>)
私は読書中に、付箋をつけたり、傍線を入れたりをよくする。
特に、付箋をつけた部分は、再度読み返すことにしている。
『ひとり暮らし』を読んだ際にも、たくさんの付箋をつけた。その中で、私も同じ思いを抱きつつ、この著者のように理路整然とは伝えきれないことを、私のメモとして、また私のブログを読んでくださる方にも紹介したくて、二点について引用した。
(一)文体について
<スタイルという言葉は、分かっているようでよく分からない言葉である。美術のほうでは様式といい、文学のほうでは文体という。例えば一篇の小説を読むとき、私たちはその筋を追い、描写を楽しむ。だが同時に私たちは意識するしないにかかわらずその文体をも読み取っていて、それは筋や描写よりもずっと曰(いわ)く言い難いものである。だが私は一篇の小説の真価はその文体にこそ表れると信じている。ではその文体に表われるものとはいったい何なのだろう。うまい言葉がみつからないが強いて言葉にするなら、それはその作家の生きる態度とも言うべきものだろうか。>(「私」中の<私の「ライフ・スタイル」>)
(二)社会に潜む「寂しさ」について
<私はこの時代を理解するキーワードの一つに、「寂しさ」があるのではないかと密かに思っている。日本はかつてなかったほどに、一人一人が孤立し始めているのではないか。大家族はもう昔話だし、核家族という言葉さえ聞かれなくなったくらい家族は崩れかかっている。私もその一人だが独居老人が増えているし、結婚を願わない若者も多い。会社もすでに擬似家族としての機能を失いつつあるし、都会では隣近所も見知らぬ人ばかり。私たちは帰属出来る幻の共同体を求めて携帯電話をかけまくり、電子メールで埒もないお喋りに精を出し、ロックコンサートに群がり、居酒屋にたむろし、怪しげな宗教に身を投じる。………> (「ある日」中の<十一月三日[金]>)
私は読書中に、付箋をつけたり、傍線を入れたりをよくする。
特に、付箋をつけた部分は、再度読み返すことにしている。
『ひとり暮らし』を読んだ際にも、たくさんの付箋をつけた。その中で、私も同じ思いを抱きつつ、この著者のように理路整然とは伝えきれないことを、私のメモとして、また私のブログを読んでくださる方にも紹介したくて、二点について引用した。