ぶらぶら人生

心の呟き

10月の庭 (椿 妙蓮寺)

2008-10-27 | 身辺雑記
 草花舎の庭に咲いた椿の第一号は、<妙蓮寺>と呼ばれる種であった。
 昨年から花をつけ始めた小木。(写真)
 札には、<紅 妙蓮寺>と記されている。例えば白色など、他の色の妙蓮寺もあるということなのだろう。

 今、あちこちで、山茶花が咲き始めている。
 晩秋から初冬にかけて、山茶花がしばらく目を楽しませてくれ、一足遅れて椿の季節がやってくる。
 山茶花は冬の季語だし、椿は文字の旁が示すとおり春の季語である。
 両者は、花の形も葉の雰囲気も、素人目には似ているけれど、花の咲き時がずれているのは嬉しいことだ。

 妙蓮寺は、季節を違えたのか、この時期に咲く性質の椿なのか?
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10月の庭 (干し棗)

2008-10-27 | 草花舎の四季
 奥庭に行こうとして、母屋の縁を見ると、棗の実が日干しされていた。(写真)
 辞書によると、棗の実は、茶系統の染料にもなるし、強壮剤にもなるようだ。

 棗茶は飲んだことがない。
 どんな香や味がするのだろう?

 今日はスーザンさんと一緒にお食事をし、日本語の勉強をした。
 棗を知らないと言われるスーザンさんに、草花舎の庭に落ちている実を数個拾ってきてみせた。Y さんは、木になっている棗を小枝ごと折り取ってきて、スーザンさんに示された。
 実を食されたが、感想はなかった。格別美味しくなかったのかもしれない。

 私は、遠い昔、子供のときに食べたことがある。舌が覚えている味は、結構美味しかったのだが……。しかし、美味しいものに飢えていた時代なので、舌の記憶をあまり信用はできない。
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10月の庭 (27日のアケビ)

2008-10-27 | 草花舎の四季
 今日、奥庭に行ってみると、アケビは完全に熟していた。
 一つは縦に裂け、中の白い実がのぞいていた。
 表皮は、美しい紫色に落ち着いて……。(写真)

 昨夕来、急に冷え込みがひどくなった。
 草花舎の庭には、八ツ手の花も咲き、晩秋の庭に変わりつつあった。 
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10月の庭 (22日のアケビ)

2008-10-27 | 草花舎の四季
 前記した青アケビの色づき具合を、一週間後の22日に確かめた。
 完熟にはまだ間があり、曖昧な紫色に変わっていた。なんとも中途半端な色合いの、艶のない薄紫色は、決して魅力的な色とはいえなかった。(写真)
 しかし、これも完熟に至るプロセスなのであろう。
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10月の庭 (15日の青アケビ)

2008-10-27 | 草花舎の四季
 草花舎の裏庭でみたアケビのことを、10月13日のブログに書いた。遮るもののない高い梢で実を結び、まともに陽を浴びて完熟しきったアケビは、縦に大きく裂けていた。
 その後どうなっているだろう? と思いながら、様子を見に行ったのは、その二日後の15日であった。
 熟したアケビは、すでに姿を消していた。
 誰の目にも留まらず、ひっそりと大地にかえったらしい。

 あっけなく消えたアケビの位置から目線を落とすと、木の葉の繁みに隠れるようにして、日当たりの悪い木立の中に、それまで気づかなかった新しいアケビを見つけた。色は浅緑で、いかにも若やいだ姿である。またも仲良く二つくっつき合っている。形ばかりは大人並みに成長して……。(写真)
 アケビは、形がある程度定まってから、色づき始めるらしい。

 今後、どんなふうに色づいてゆくのだろう?
 短期間に熟してしまいそうな気がし、草花舎を訪れるときには忘れず確認してみようと思ったのだった。
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「家を<解く>・<解体する>」 (トルコ茶とお菓子)

2008-10-26 | 草花舎の四季

 過日(10月15日)、草花舎で、スーザンさんと日本語会話を勉強した日のことであった。この日のメインは、<~に~を~する><~を~に~する>といった構文であった。「テーブルの上に花瓶を置く」「花瓶をテーブルの上に置く」といった類。

 しかし、話題はしばしば枝葉の雑談となる。
 私が、
 「K さんのところ、家を解かれましたね」
 と、Y さんに言った。
 スーザンさんは、目を丸くして、私の言葉を耳ざとく聞き、
 「いえを とく?」
 と、その意味を尋ねられた。
 話題が、草花舎までの道のりで見かけている光景だと判断されたようだ。
 先日来、時間をかけてK さん宅が取り壊され、柱などの材がまとめられ処理される様子を、草花舎への行き帰りに眺め、後はどうなるのだろう? と、気になっていた。
 K さんは数年前に、老人ホームに入居され、家は空き家となって久しい。後継者もなく、高齢のため、再び帰宅のめども立たず、命のあるうちに家を処理されることになったのだろうか?
 解かなくても、借家にだってなるだろうのに…、など勝手なことを考えたりしながら、作業員の仕事を横目にみて通過していた。
 ところが、15日には、家の周りに張り巡らされていたテントも取り払われ、完全な更地があらわになっていたのだ。
 
 それが、言語表現の問題に発展したのだった。
 <家を解く><建物(ビル)を解体する>
 <解く>という和語と、<解体する>という漢語表現の内包する意味の微妙な違いについて。
 存在していた家を取り払うやり方は、一様ではない。
 K さん宅は、瓦一枚一枚を、柱の一本一本を、大切に解いてゆかれた。
 私の家が20余年前に壊されたときは、具体的に見ていたわけではないが、機械が取り壊し、家はたちまち廃材となったように記憶している。
 一部改築した部分の床柱など、まずまずの材が使われていたような気もするが、それを生かす方法も取られず、見る影もなく形をなくしていったように思う。かなり高額の取り壊し料を支払って。
 K さん宅の場合は、<解く>であり、わが家の場合は、<解体する>という表現が合うように思う。
 <解く>=<解体する>
 と、単純には結べない。二つの語に接点はあるし、意味の重なりあう部分も大いにあるのだけれど。
 英語の場合も、表現は一通りではないだろう。
 内包する意味が微妙に異なる。それを正しく使いこなすのは容易なことではない。

 <解体>は漢語とは言いながら、中国から伝来した古い言葉ではなさそうな気がする。その語が意味する内容から、比較的新しく日本で作られた漢語の可能性が高いのでは……。そんな思いの中で、ふと思い浮かんだのが、「解体新書」(1774年刊)であった。それが<解体>という言葉の使い始めではなかったであろうかと…。
 その場で、電子辞書を引きながら、私は勝手に想像を楽しんだ。
 中国語では、なんと言うのだろう? とも考えた。
 が、私の持参していた新しい電子辞書には、中国語辞典が入っていない。
 そこで、帰宅後、調べてみると、<拆卸(chaixie)>が、日本で用いる<解体>の語に一番近い表現ではないかと思えた。
 現代の中国で、<解体>が、もし同じ意味で使われているとすれば、日本からの逆輸入の形の、新語である可能性が高いと考えられる。
 以上の考察は、あくまで私の乏しい言語知識からの類推に過ぎないけれど……。
 スーザンさんとの勉強で、私自身、日本語について考える機会が思いの外多い。

 K さん宅の裏には、白い花の咲く見事な椿の木があった。それも、家と同時に処理されたようである。Y さんと、それを残念なことだと語り合った。
 以前のブログにも書いたが、故人となった母が病床にあったとき(20年ほど前)、K さんが、見舞いに白い椿を届けてくださったことがある。
 私は、花の後、その枝を鉢に挿して育て、その後、庭師に植え替えてもらった。それが、今はかなり大きくなって、わが家の裏庭にある。
 元の木が伐採されてしまったのなら、なおさら分身を大事に育てなくてはと思いつつ、人の命も植物も、薄命なものだとの思いに駆られたのだった。


 草花舎で、食事の後、トルコ茶とトルコ菓子をご馳走になった。
 T ちゃんが上手に入れてくださったお茶は、美しい紅茶色をしていたのに、写真では、その色がうまく出せなかった。
 お茶、お菓子とも、初めてのトルコ風味を楽しませてもらった。

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「キリム展」最後の日に  (トルコ料理)

2008-10-23 | 草花舎の四季

 草花舎で開催の「キリム展」は、昨日で終了した。
 その最終日の夕方、T ちゃんと一緒に、スーザンさんの日本語勉強の手伝いをした。
 (スーザンさんは、アメリカ原住民について書かれた分厚い本を持ってきておられ、そこに図示された絵柄から、原住民の言語は、日本の語順と似ていたようだと話された。私には、正否を云々する力はないけれど、そういうこともあろうかと思った。
 今日の勉強は、家の中と外。中から外に出る・飛び出す。「飛び出す」と「飛躍する」との違いなど。
 また、<~に~して~する>(椅子に座って見回す)と、いった構文など。
 言葉の学習の進捗は牛歩だが、その間の文化論、振り付け家としての独特な捉え方など、スーザンさんから発せられる枝葉の話が面白い。毎回のことであるけれど。)

 その後、カヨコさん(キリムの提供者)の作ってくださったトルコ料理をいただいた。食材は、この地で入手できるものだが、調理法(スパイスや食材の生かし方)に、トルコ風が潜んでいるようだった。
 美味しくいただいた。
 一緒に食事をしたのは、スーザンさん、<石州和紙会館>勤務の赤星さんと私。ご馳走は、各自の大皿に盛られたトルコ料理。(写真)
 赤星さんは、グラントワ勤務から、石州和紙会館のオープン(2008年10月1日)を機に、つい最近、転職されたのであった。それを記念しての集いでもあった。
 赤星さんは、心身ともに、たおやかな好青年である。
 これから石州和紙とどう関わってゆかれるのか、その前途が楽しみでもある。
 スーザンさんも赤星さんも、草花舎を通しての知り合いだが、今は、三人とも同じ町内の、目と鼻の先に住んでいる。考えてみると、奇縁である。

 途中から、Y さん、T ちゃん、カヨコさんもテーブルにつき、食事と雑談に加わられた。二時間ばかりの、和気藹藹の会食だった。
 スーザンさんと私は、赤星さんの車に乗せてもらって帰宅した。

 浜田市三隅町の中央公園内にできた<石州和紙会館>のパンフレットを赤星さんにいただいた。
 「ぜひ来てみてください」と。
 近いうちに会館を訪れ、古くから石見に根づいた伝統工芸、和紙の世界に触れてみたいと思っている。  

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へまだらけ (小さな柿と花)

2008-10-23 | 身辺雑記

 昨夕は、草花舎でトルコ料理をご馳走になった。
 その際、Y さんにお借りしていたCD(アンドレア・ボチェッリの「アベ マリア」他)をお返ししたつもりであった。ところが、就寝前、空のプレーヤーに 、新たにCDを入れようとして、お返ししたはずのアンドレア・ボチェッリのCDが取り出されていないことに気づいたのだった。
 なんのことはない。Y さんにお返ししたのは、CD不在の、空のケースだけだったのだ。
 なんという間抜けなことか!
 先刻、Y さんに電話し、お詫びを言った。
 まだ中身の不在には気づいておられなかった。

 もう一度楽しんで聞けということなのかもしれない。中身を返し忘れたのは……。
 そう思いながら、このブログを書きつつ、改めてボチェッリの伸びやかで艶のある歌声を聞きなおしている。
 <指揮者は、チョン・ミョンフン(韓国)だった? ように思う。>

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆  

 我ながら驚異と思える失策を演じた。
 今日は午前中に、「ひまわりカイロ」に出かけ、身体の手入れをしていただいた。
 全身がほぐれ、生き返ったような気分になったまではよかったが、頭の芯まで腑抜けてしまったらしい。
 先生はいつものように、駅前まで車で送って下さった。
 M レストラン前での下車寸前に、先生は穏やかにおっしゃったのだ。
 「代金は、今度にしましょうね」
 と。
 吃驚仰天! そして、穴があれば入りたい恥ずかしさ!
 私は治療代を支払っていなかったのだ。
 慌てて、財布を取り出し、代金を支払った。
 大丈夫か知らん? 私は?

 先生はきっと、「代金を~」というのは、言い難いことだったであろう。余分な気遣いまでさせてしまった。申し訳ないことである。

 昨日来、へまばかり!
 固有名詞が思い出せないばかりでなく、悪意なく、人様に迷惑をかけるようになるのではあるまいか。クワバラクワバラ。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

 昼食を食べて帰宅しようと、M レストランに立ち寄った。
 カウンターに、小さな柿のたわわになった一枝と風変わりな花が活けてあった。
 名前を尋ねると、
 「エビモドキ?」
 と、半信半疑の答えが返ってきた。
 「エビに似てるものね」
 と言いつつ、これくらいは覚えているだろうと思いながらも、メモをした。
 <もどき>は接尾語で、<似たような、まがいもの>といった意味であろう。
 帰宅後、ネットで調べた。
 検索のとき、「エビ」と打つべきところを「カニ」としていた。
 しばらくして、カニではなくエビだったと気づき、検索しなおした。
 カニとエビを一緒にしてしまうなど、若いころには予想だにしなかった、なさけないへまである。
 
 検索結果、「カニモドキ」も「エビモドキ」も出てはいたが、植物名ではなかった。
 結局、エビの形に似た、この花の正式名は、よく分からないままである。 

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与勇輝の人形 (「ごめん下さい」)

2008-10-22 | 身辺雑記
 10日ばかり前に、「与勇輝展」(今井美術館)へ行ってきたと、ATさんから、絵葉書セットをいただいた。
 この人形作家の作品を写真で見るごとに、郷愁を伴う親しみを覚えてきた。

 8枚の絵葉書、それぞれに味わいがあった。が、その中の一枚・<ごめんく下さい>と名づけられた人形(写真)を眺めているうちに、ある風景が思い浮かんだ。
 風呂敷包みを両手で抱きかかえた少女は、内に向かって来訪を伝え、家の中からの反応を待っている。
 <いらっしゃるのかしら?>
 <もしかしてお留守?>
 そんな不安げな眼差しをして佇んでいる。

 いつの間にか、この少女が、私の幼い日の姿に変わっていた。
 祖母のお使いで、よく祖母の父の家にお使いに行った。屋敷に入る門から玄関に辿り着くまでに、随分長い道を歩いたような気がする。
 夏には、草いきれのする小径が長く続いて……。
 子供時代には、全てが事実よりは過大に見えやすい。曽祖父にまつるわる思い出も、子供の目に映った過大化された風景が、今なお、心の風景となっているだけなのかもしれない。
 嬉しいお使いではなかった。
 そこには、長い、真っ白な顎鬚のおじいさんがひとり住んでいて、私は祖母からの預かり物を届けねばならなかったので。
 私も、<ごめん下さい>と、声をかけ、中の様子をうかがったに違いない。
 少女時代は、私も着物を着せられていることが多かった。赤い鼻緒の下駄を履いていたこともあるだろう。
 引っ込み思案の私は、大きな声さえ出せずに、おじいさんの気配を窺っていたように思う。
 屋号を「ようろや」と言った。どんな漢字で書くのか知らない。
 豊かな、白いひげの長さは、20センチ以上あったように思う。しかし、これも子供の目に焼きついたものであり、実際とは異なるのかもしれない。

 曽祖父の風貌と古い屋敷の情景に合わせ、おじいさの大きな手が私の頭をなで、お使いをねぎらってくれたとき、やっと安堵の思いに至ったことなども、この人形は思い出させてくれた。
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一日仕事  (家のコスモス)

2008-10-17 | 身辺雑記

 昨日は、<一日労働者>になった。
 朝から、家の内外の掃除をしただけのことであるけれど……。
 しかし、私にとっては、かなりの労働であった。
 長い間、動かしたこともない洋間の大小のソファを移動して掃除をしたり、萎れ始めた紫苑を鎌で刈ってみたり……。
 掃除というのは、し始めるときりがない。
 明日のない人間のように働いて、夕方にはぐったりした。
 私は、実に要領の悪い人間だとつくづく思う。
 大邸宅ではないのだから、もう少し計画的に、自分の力を慮って、計画性をもってやればなんということはないのだ。それができない。

 草を刈るとき、背筋を痛め、どうなることかと思ったが、今朝起きてみると、意外に痛みは薄らいでいた。それより、平素使わない筋肉を労働のために使ったらしく、身体のあちこちが痛む。明日になれば治るだろうけれど。

 昨日は労働(掃除)が、今日は髪のお手入れが、一日仕事となった。
 昨日、働きすぎた疲労もあるのだろう。今日は心身ともに、快調とはいかなかった。

 パソコンを開くのも、夜になってしまった。
 今朝カレンダーをめくり、捨てる前に、16日分に記載してある印刷文を読んだ。
 <悲しみ苦しみは人生の花だ>
 と、記してある。
 坂口安吾の言葉である。
 読みつつ、そんな生き方は、私には至難のことだなと思った。
 悲しみは悲しみ以外のなにものでもなく、苦しみは苦しみ以外のなにものでもない。悲しみや苦しみを人生の花に昇華するなどでっきこない、それが朝の感想だった。
 夜の今も、その思いに変わりはない。
 安吾の言わんとすることは、理解できるけれど。
 この人生訓は、何に出ているのだろう?
 坂口安吾と言えば、「堕落論」「白痴」くらいしか読んでいないのでは?
 書棚から、文学全集を取り出して、ぱらぱら拾い読みをしてみたけれど、そんなことで、日めくりカレンダーに出ていた言葉が見つかるわけはない。

 ふっと『日本名言名句の辞典』(小学館)には出ているかもしれないと思い、<作家作品別索引>で調べてみ。
 坂口安吾の言葉は、かなりたくさん載っていた。
 もちろん、前記の名言も。
 出典は、『悪妻論』(昭和22年)ということも分かったが、私の持っている坂口安吾集の中にはその作品がない。
 どういうくだりに、その名句が出てくるのか、今は調べようがない。探してまで読もうという気はないけれど、何かの弾みで『悪妻論』に出会えたら、読んでみようと思っている。

 夕刻、家に帰ってみると、今朝はまっすぐ立っていたコスモスが、お辞儀の形をして、私を出迎えてくれた。<お帰りなさい>と言わぬばかりに。(写真)

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