昨年から花をつけ始めた小木。(写真)
札には、<紅 妙蓮寺>と記されている。例えば白色など、他の色の妙蓮寺もあるということなのだろう。
今、あちこちで、山茶花が咲き始めている。
晩秋から初冬にかけて、山茶花がしばらく目を楽しませてくれ、一足遅れて椿の季節がやってくる。
山茶花は冬の季語だし、椿は文字の旁が示すとおり春の季語である。
両者は、花の形も葉の雰囲気も、素人目には似ているけれど、花の咲き時がずれているのは嬉しいことだ。
妙蓮寺は、季節を違えたのか、この時期に咲く性質の椿なのか?
過日(10月15日)、草花舎で、スーザンさんと日本語会話を勉強した日のことであった。この日のメインは、<~に~を~する><~を~に~する>といった構文であった。「テーブルの上に花瓶を置く」「花瓶をテーブルの上に置く」といった類。
しかし、話題はしばしば枝葉の雑談となる。
私が、
「K さんのところ、家を解かれましたね」
と、Y さんに言った。
スーザンさんは、目を丸くして、私の言葉を耳ざとく聞き、
「いえを とく?」
と、その意味を尋ねられた。
話題が、草花舎までの道のりで見かけている光景だと判断されたようだ。
先日来、時間をかけてK さん宅が取り壊され、柱などの材がまとめられ処理される様子を、草花舎への行き帰りに眺め、後はどうなるのだろう? と、気になっていた。
K さんは数年前に、老人ホームに入居され、家は空き家となって久しい。後継者もなく、高齢のため、再び帰宅のめども立たず、命のあるうちに家を処理されることになったのだろうか?
解かなくても、借家にだってなるだろうのに…、など勝手なことを考えたりしながら、作業員の仕事を横目にみて通過していた。
ところが、15日には、家の周りに張り巡らされていたテントも取り払われ、完全な更地があらわになっていたのだ。
それが、言語表現の問題に発展したのだった。
<家を解く><建物(ビル)を解体する>
<解く>という和語と、<解体する>という漢語表現の内包する意味の微妙な違いについて。
存在していた家を取り払うやり方は、一様ではない。
K さん宅は、瓦一枚一枚を、柱の一本一本を、大切に解いてゆかれた。
私の家が20余年前に壊されたときは、具体的に見ていたわけではないが、機械が取り壊し、家はたちまち廃材となったように記憶している。
一部改築した部分の床柱など、まずまずの材が使われていたような気もするが、それを生かす方法も取られず、見る影もなく形をなくしていったように思う。かなり高額の取り壊し料を支払って。
K さん宅の場合は、<解く>であり、わが家の場合は、<解体する>という表現が合うように思う。
<解く>=<解体する>
と、単純には結べない。二つの語に接点はあるし、意味の重なりあう部分も大いにあるのだけれど。
英語の場合も、表現は一通りではないだろう。
内包する意味が微妙に異なる。それを正しく使いこなすのは容易なことではない。
<解体>は漢語とは言いながら、中国から伝来した古い言葉ではなさそうな気がする。その語が意味する内容から、比較的新しく日本で作られた漢語の可能性が高いのでは……。そんな思いの中で、ふと思い浮かんだのが、「解体新書」(1774年刊)であった。それが<解体>という言葉の使い始めではなかったであろうかと…。
その場で、電子辞書を引きながら、私は勝手に想像を楽しんだ。
中国語では、なんと言うのだろう? とも考えた。
が、私の持参していた新しい電子辞書には、中国語辞典が入っていない。
そこで、帰宅後、調べてみると、<拆卸(chaixie)>が、日本で用いる<解体>の語に一番近い表現ではないかと思えた。
現代の中国で、<解体>が、もし同じ意味で使われているとすれば、日本からの逆輸入の形の、新語である可能性が高いと考えられる。
以上の考察は、あくまで私の乏しい言語知識からの類推に過ぎないけれど……。
スーザンさんとの勉強で、私自身、日本語について考える機会が思いの外多い。
K さん宅の裏には、白い花の咲く見事な椿の木があった。それも、家と同時に処理されたようである。Y さんと、それを残念なことだと語り合った。
以前のブログにも書いたが、故人となった母が病床にあったとき(20年ほど前)、K さんが、見舞いに白い椿を届けてくださったことがある。
私は、花の後、その枝を鉢に挿して育て、その後、庭師に植え替えてもらった。それが、今はかなり大きくなって、わが家の裏庭にある。
元の木が伐採されてしまったのなら、なおさら分身を大事に育てなくてはと思いつつ、人の命も植物も、薄命なものだとの思いに駆られたのだった。
草花舎で、食事の後、トルコ茶とトルコ菓子をご馳走になった。
T ちゃんが上手に入れてくださったお茶は、美しい紅茶色をしていたのに、写真では、その色がうまく出せなかった。
お茶、お菓子とも、初めてのトルコ風味を楽しませてもらった。
草花舎で開催の「キリム展」は、昨日で終了した。
その最終日の夕方、T ちゃんと一緒に、スーザンさんの日本語勉強の手伝いをした。
(スーザンさんは、アメリカ原住民について書かれた分厚い本を持ってきておられ、そこに図示された絵柄から、原住民の言語は、日本の語順と似ていたようだと話された。私には、正否を云々する力はないけれど、そういうこともあろうかと思った。
今日の勉強は、家の中と外。中から外に出る・飛び出す。「飛び出す」と「飛躍する」との違いなど。
また、<~に~して~する>(椅子に座って見回す)と、いった構文など。
言葉の学習の進捗は牛歩だが、その間の文化論、振り付け家としての独特な捉え方など、スーザンさんから発せられる枝葉の話が面白い。毎回のことであるけれど。)
その後、カヨコさん(キリムの提供者)の作ってくださったトルコ料理をいただいた。食材は、この地で入手できるものだが、調理法(スパイスや食材の生かし方)に、トルコ風が潜んでいるようだった。
美味しくいただいた。
一緒に食事をしたのは、スーザンさん、<石州和紙会館>勤務の赤星さんと私。ご馳走は、各自の大皿に盛られたトルコ料理。(写真)
赤星さんは、グラントワ勤務から、石州和紙会館のオープン(2008年10月1日)を機に、つい最近、転職されたのであった。それを記念しての集いでもあった。
赤星さんは、心身ともに、たおやかな好青年である。
これから石州和紙とどう関わってゆかれるのか、その前途が楽しみでもある。
スーザンさんも赤星さんも、草花舎を通しての知り合いだが、今は、三人とも同じ町内の、目と鼻の先に住んでいる。考えてみると、奇縁である。
途中から、Y さん、T ちゃん、カヨコさんもテーブルにつき、食事と雑談に加わられた。二時間ばかりの、和気藹藹の会食だった。
スーザンさんと私は、赤星さんの車に乗せてもらって帰宅した。
浜田市三隅町の中央公園内にできた<石州和紙会館>のパンフレットを赤星さんにいただいた。
「ぜひ来てみてください」と。
近いうちに会館を訪れ、古くから石見に根づいた伝統工芸、和紙の世界に触れてみたいと思っている。
昨夕は、草花舎でトルコ料理をご馳走になった。
その際、Y さんにお借りしていたCD(アンドレア・ボチェッリの「アベ マリア」他)をお返ししたつもりであった。ところが、就寝前、空のプレーヤーに 、新たにCDを入れようとして、お返ししたはずのアンドレア・ボチェッリのCDが取り出されていないことに気づいたのだった。
なんのことはない。Y さんにお返ししたのは、CD不在の、空のケースだけだったのだ。
なんという間抜けなことか!
先刻、Y さんに電話し、お詫びを言った。
まだ中身の不在には気づいておられなかった。
もう一度楽しんで聞けということなのかもしれない。中身を返し忘れたのは……。
そう思いながら、このブログを書きつつ、改めてボチェッリの伸びやかで艶のある歌声を聞きなおしている。
<指揮者は、チョン・ミョンフン(韓国)だった? ように思う。>
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
我ながら驚異と思える失策を演じた。
今日は午前中に、「ひまわりカイロ」に出かけ、身体の手入れをしていただいた。
全身がほぐれ、生き返ったような気分になったまではよかったが、頭の芯まで腑抜けてしまったらしい。
先生はいつものように、駅前まで車で送って下さった。
M レストラン前での下車寸前に、先生は穏やかにおっしゃったのだ。
「代金は、今度にしましょうね」
と。
吃驚仰天! そして、穴があれば入りたい恥ずかしさ!
私は治療代を支払っていなかったのだ。
慌てて、財布を取り出し、代金を支払った。
大丈夫か知らん? 私は?
先生はきっと、「代金を~」というのは、言い難いことだったであろう。余分な気遣いまでさせてしまった。申し訳ないことである。
昨日来、へまばかり!
固有名詞が思い出せないばかりでなく、悪意なく、人様に迷惑をかけるようになるのではあるまいか。クワバラクワバラ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昼食を食べて帰宅しようと、M レストランに立ち寄った。
カウンターに、小さな柿のたわわになった一枝と風変わりな花が活けてあった。
名前を尋ねると、
「エビモドキ?」
と、半信半疑の答えが返ってきた。
「エビに似てるものね」
と言いつつ、これくらいは覚えているだろうと思いながらも、メモをした。
<もどき>は接尾語で、<似たような、まがいもの>といった意味であろう。
帰宅後、ネットで調べた。
検索のとき、「エビ」と打つべきところを「カニ」としていた。
しばらくして、カニではなくエビだったと気づき、検索しなおした。
カニとエビを一緒にしてしまうなど、若いころには予想だにしなかった、なさけないへまである。
検索結果、「カニモドキ」も「エビモドキ」も出てはいたが、植物名ではなかった。
結局、エビの形に似た、この花の正式名は、よく分からないままである。
昨日は、<一日労働者>になった。
朝から、家の内外の掃除をしただけのことであるけれど……。
しかし、私にとっては、かなりの労働であった。
長い間、動かしたこともない洋間の大小のソファを移動して掃除をしたり、萎れ始めた紫苑を鎌で刈ってみたり……。
掃除というのは、し始めるときりがない。
明日のない人間のように働いて、夕方にはぐったりした。
私は、実に要領の悪い人間だとつくづく思う。
大邸宅ではないのだから、もう少し計画的に、自分の力を慮って、計画性をもってやればなんということはないのだ。それができない。
草を刈るとき、背筋を痛め、どうなることかと思ったが、今朝起きてみると、意外に痛みは薄らいでいた。それより、平素使わない筋肉を労働のために使ったらしく、身体のあちこちが痛む。明日になれば治るだろうけれど。
昨日は労働(掃除)が、今日は髪のお手入れが、一日仕事となった。
昨日、働きすぎた疲労もあるのだろう。今日は心身ともに、快調とはいかなかった。
パソコンを開くのも、夜になってしまった。
今朝カレンダーをめくり、捨てる前に、16日分に記載してある印刷文を読んだ。
<悲しみ苦しみは人生の花だ>
と、記してある。
坂口安吾の言葉である。
読みつつ、そんな生き方は、私には至難のことだなと思った。
悲しみは悲しみ以外のなにものでもなく、苦しみは苦しみ以外のなにものでもない。悲しみや苦しみを人生の花に昇華するなどでっきこない、それが朝の感想だった。
夜の今も、その思いに変わりはない。
安吾の言わんとすることは、理解できるけれど。
この人生訓は、何に出ているのだろう?
坂口安吾と言えば、「堕落論」「白痴」くらいしか読んでいないのでは?
書棚から、文学全集を取り出して、ぱらぱら拾い読みをしてみたけれど、そんなことで、日めくりカレンダーに出ていた言葉が見つかるわけはない。
ふっと『日本名言名句の辞典』(小学館)には出ているかもしれないと思い、<作家作品別索引>で調べてみ。
坂口安吾の言葉は、かなりたくさん載っていた。
もちろん、前記の名言も。
出典は、『悪妻論』(昭和22年)ということも分かったが、私の持っている坂口安吾集の中にはその作品がない。
どういうくだりに、その名句が出てくるのか、今は調べようがない。探してまで読もうという気はないけれど、何かの弾みで『悪妻論』に出会えたら、読んでみようと思っている。
夕刻、家に帰ってみると、今朝はまっすぐ立っていたコスモスが、お辞儀の形をして、私を出迎えてくれた。<お帰りなさい>と言わぬばかりに。(写真)