85歳の人生で、初めて大晦日を家を離れて、迎えることにした。
師走の半ば過ぎ、駄目でもともとと考え、湯田温泉の『セントコア山口』に電話してみた。
大晦日の夜から元旦にかけては、ホテルの宿泊客が多いと聞いている。
ベッドの部屋が空いていると知って驚いた。多分キャンセルがあったのだろう。
大晦日の夜に備えて、例年行なっていることは午前中に済ませ、昼前のバスで駅前に出た。
今日も天候に恵まれた。
グリーンホテルモーリスの二階に上がってみた。簡単な昼食がとれるよう書かれた案内板が、入り口にあったので。
しかし、準備中で、少々待つことになった。(ホテルのロビーで、本を読みながら。)
初めて利用して分かったのだが、セルフサービスで、コーヒーやジュースが飲めるようになっていた。幾種類か、パンも置いてあった。
コーヒーと小さなパンを一ついただいく。
本を読みながら自在に過ごせる絶好の場所である。
いつもこんなふうに空いてのであろうか?
山口線の<特急スーパーおき>に乗るまでの間、モーリスのレストランが使用できて、大いに助かった。
待ち時間、本を読んで過ごす。
大晦日の午後、コーヒーを飲みながら、本を読む暇のある人など、いないのかもしれない。
モーリスのレストランから見た駅前
列車が到着しない限り人の動きのない、寂しい駅前。
駅前広場
(欅が一本立っていて、一片の雲を宿らせた、冬の青い空がある。)
レストランの窓辺に置かれた鶴
(誰の作品だろう? あちらこちらに鶴がいる。)
今日持参した本は、
宗左近著『小林一茶』(集英社)
丁寧体で、語りかけるように書かれた本が、一年の疲れを引きずっているような今日の読書にはふさわしく思えた。
一茶の句を紹介しながら、その句の意味あいや価値だけでなく、一茶の生い立ちや生き方についても書いている。山口線の車中では、時おり窓辺に走る風景を眺めたりしながら。
車窓から眺めた稲荷神社と十種ヶ峰
県境には、先日来の寒波が残した雪が、家々の屋根に名残をとどめ、針葉樹林には白鷺が羽を休めているかのように、点々と残ってはいたが、この程度ならと思える量であった。
穏やかな新年が迎えられそうである。
山口駅に下車。
チェックインの時間には少し間があるので、久しぶりにお菓子屋の懐古庵に入った。
「懐古庵」
(いつもの席が空いていたので、そこに座り、コーヒーをいただく。)
目の前の庭に、ソヨゴの木を眺めながら。
赤い実がまばらについている。
この木で染められたスカーフをRさんにいただいて愛用しながら、不義理をしたまま新年を迎えることを思い起こしながら、その赤い実を眺める。
井筒屋まで歩く間、珍しく、小説の書き出しを思いついた。
いつか小品を書いてみる気が起これば………と、思いながら。
街のタクシー乗り場から乗車して、大晦日を過ごすホテルに着く。
カーテンを開けると、目の前の街は、すでに日陰になっているのに、遠山に日が当たっている。
遠山に日の当りたる枯野かな
を思い出す。(高浜虚子の句)
虚子とは、立ち位置が全く異なるけれど。
私はホテルの6階にいて、遠い山をながめている。