ぶらぶら人生

心の呟き

ご馳走をいただいて

2018-12-31 | 旅日記
 ゆっくり温泉に入った後、夕食をいただいた。

        

        

 <先付け>や<御造り>(上掲の写真)を美味しくいただいたら、あとの料理はほとんど食べられなかった。
 好きな釜飯さえも。
 年越し蕎麦(細い細い蕎麦だった)も、一箸いただいただけ。
 珍しいお料理なのに、胃がもう結構というのだから仕方ない。
 

 今朝、仏壇の前に座ることができ、転倒による怪我(?)はほとんど癒えている、と感じた。
 食欲は確かに落ちているけれど、これは多分歳のせいであろう。

 平成最後の大晦日は、間もなく終わる。
 訪れる新たな年も、一日単位で、心穏やかに(!)、生きていきたい。
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2018年の大晦日

2018-12-31 | 旅日記
 85歳の人生で、初めて大晦日を家を離れて、迎えることにした。
 師走の半ば過ぎ、駄目でもともとと考え、湯田温泉の『セントコア山口』に電話してみた。
 大晦日の夜から元旦にかけては、ホテルの宿泊客が多いと聞いている。
 ベッドの部屋が空いていると知って驚いた。多分キャンセルがあったのだろう。

 大晦日の夜に備えて、例年行なっていることは午前中に済ませ、昼前のバスで駅前に出た。

 今日も天候に恵まれた。
 グリーンホテルモーリスの二階に上がってみた。簡単な昼食がとれるよう書かれた案内板が、入り口にあったので。
 しかし、準備中で、少々待つことになった。(ホテルのロビーで、本を読みながら。)

 初めて利用して分かったのだが、セルフサービスで、コーヒーやジュースが飲めるようになっていた。幾種類か、パンも置いてあった。
 コーヒーと小さなパンを一ついただいく。

 本を読みながら自在に過ごせる絶好の場所である。
 いつもこんなふうに空いてのであろうか?

 山口線の<特急スーパーおき>に乗るまでの間、モーリスのレストランが使用できて、大いに助かった。
 
 待ち時間、本を読んで過ごす。
 大晦日の午後、コーヒーを飲みながら、本を読む暇のある人など、いないのかもしれない。

           モーリスのレストランから見た駅前
         
       列車が到着しない限り人の動きのない、寂しい駅前。

            
                駅前広場
   (欅が一本立っていて、一片の雲を宿らせた、冬の青い空がある。)

            レストランの窓辺に置かれた鶴
         (誰の作品だろう? あちらこちらに鶴がいる。)
            

              今日持参した本は、
          宗左近著『小林一茶』(集英社)
            

 丁寧体で、語りかけるように書かれた本が、一年の疲れを引きずっているような今日の読書にはふさわしく思えた。
 一茶の句を紹介しながら、その句の意味あいや価値だけでなく、一茶の生い立ちや生き方についても書いている。山口線の車中では、時おり窓辺に走る風景を眺めたりしながら。

             車窓から眺めた稲荷神社と十種ヶ峰
          

          

 県境には、先日来の寒波が残した雪が、家々の屋根に名残をとどめ、針葉樹林には白鷺が羽を休めているかのように、点々と残ってはいたが、この程度ならと思える量であった。
 穏やかな新年が迎えられそうである。

 山口駅に下車。
 チェックインの時間には少し間があるので、久しぶりにお菓子屋の懐古庵に入った。

             「懐古庵」
  (いつもの席が空いていたので、そこに座り、コーヒーをいただく。)
        

        

           

  目の前の庭に、ソヨゴの木を眺めながら。
 赤い実がまばらについている。
 この木で染められたスカーフをRさんにいただいて愛用しながら、不義理をしたまま新年を迎えることを思い起こしながら、その赤い実を眺める。
        

          

        

 井筒屋まで歩く間、珍しく、小説の書き出しを思いついた。
 いつか小品を書いてみる気が起これば………と、思いながら。
 街のタクシー乗り場から乗車して、大晦日を過ごすホテルに着く。

 カーテンを開けると、目の前の街は、すでに日陰になっているのに、遠山に日が当たっている。
        

         遠山に日の当りたる枯野かな

 を思い出す。(高浜虚子の句)
 虚子とは、立ち位置が全く異なるけれど。
 私はホテルの6階にいて、遠い山をながめている。
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『日本語練習帳』

2018-12-30 | 身辺雑記
           大野晋著『日本語練習帳』

           

 2008年に88歳で逝去された筆者は、国語学の碩学として有名だ。
 上掲の本は、その豊富な知識をもとに、1998年に、まとめられたものである。

 改めて読み直し、文章を書くにあたって学ぶことが多かった。
 著書名に<練習帳>とあるように、章ごとに練習問題が提示してある。文章を書くとき、あるいは鑑賞するとき、参考になる質問が設けられている。 
 解答に戸惑うようなものはなかったけれど、私自身の筆力に老いを感じるようになった今、短文の勧めや助詞の遣い方など、参考になることが多かった。
 文例を挙げつつ、説得力のある書き方にがしてある。
 今後も、多くの方に読んでいただきたい本である。日本語で表現する側の人にも、日本語で書かれた文章を味読する側の人にも。

 実は、この本は家に帰る前、施設にいるときに読み上げていた。が、ひと言の感想を添えるため、後回しになってしまった。
 もう少し詳しく書きたいけれど、それを果たそうと思うと、年が変わりそうだ。
 簡単な紹介文で、完読したことを書き留めておくことにする。
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庭掃除など

2018-12-30 | 身辺雑記
 明日は出かけるので、今年、家で夜を過ごすのは最後である。
 そこで、各部屋のカレンダーを取り替えたり、仏壇のお供えをしたり、玄関に注連飾りをしたり、一通りのことは済ませておいた。

 居間にいても、冬日が障子に届いている。
 そうだ、庭や玄関の掃き掃除もしておこうと、外に出た。
 天気予報で、寒さ続きを覚悟していたのに、思いのほか過ごしやすい。
 私にとっては、夏より冬の方が性に合っていて、少々の寒さは気にならない。十分着込んでいるから、寒いと感じることもなく。

 山法師の木は、一葉も残さず散ってしまた。吹き溜まっている葉を片づける。
 いまだにたくさんの葉を残しているのは、紫陽花である。落ちた葉は嵩があるので、木の周辺や溝を汚している。が、大雑把な掃除にとどめ、そのあとは、乏しい花や実をつけた木々を、私の仲良しの友達のように、気づかいながら眺めて歩く。

 シコンノボタンが、また一つ咲いた。
 (残りの蕾はあと一つ。お正月に、時を計って咲いてくれるつもりかもしれない。)

        

 丸く剪定された木陰には、山茶花もまだ咲いつづけている。
        

 昨日は蕾だった臘梅が、一つ開いた。
 つつましく蕾んだ形のままで。
        
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会食と買い物

2018-12-29 | 身辺雑記
 妹、妹の孫AYAちゃん、そのお母さんのJ子さん、私の4人で、今年最後の食事をした。
 (甥は仕事の都合で会えなかった。)
 妹に、場所選びを頼んだ。
 年末のこの時期、意外に閉店のところが多く、結局『柿の木』へ行った。
 11月に、Kさんの紹介で一度行った食事処である。

 あの時と同じように、曇り日の今日であった。
 その上、雪のおりおり舞う日であった。
 白波が幅を広げ、高く立ち上がっては砕けていた。
 水平線さえ、ギザギザして、沖の彼方まで相当荒れている模様である。
 冬の日本海は豪快で、許容を拒む迫力がある。
 一方、沖の小島「高島」は、少々寂しげであった。

        

 平素から、食材のうち、牛肉と生野菜は警戒して食す。喉をつつく感じがして噎せやすい。
 今日は、それらの食材ではなく、ハンバーグに添えてある、柔らかい馬鈴薯に噎せた。
 嚥下力の弱りが原因だろう。
 こうなると、牛肉、生野菜、さらにすべてのものを口にするとき、要警戒ということになる。

 老いは、様々な形で現れる。うっかり調子にのって食べるのはいけない。
 食べることに意識を集中させなくてはならなくなった。
 (二度の転倒以来、無造作には歩けなくなったのと同様に。)

 赤ちゃんのようによく転び、食べ方も下手になった。
 85歳は大方こんなものなのか、私が特に劣っているのか?
 個人差は、様々であろう。
 三浦雄一郎さんのように、86歳になっても、南米大陸の最高峰アコンカグアへの登頂に挑戦しようという人もおられるのだから。

 夕食は、今晩もお粥にした。(施設から帰ってからは、お粥が主食になっている。)
 その方が食べやすいし、胃にもやさしい。


 今日は予定外の買い物をした。
 お正月らしい気分に浸るために、花を求めた。(お供えの花のほかに。)
 花色の調和が新春らしくて、玄関に置く。
 毎日水やりして、美しさを保つのは、一週間くらいだそうだ。
 それも、私にとってはありがたい。 
 <サンフラワー>のお店の方が、親切に花の名前をメモしてくださった。

          

          

          
             ラナンキュラス
    (品のいい花。かつて、色違いの花を育てたことがある。)

          
            アリウム・コワニー
        (白い小花は、無条件に好きである。)

          
             サンダーソニア
          (色と提灯型の形が個性的。)

         
        (これも、サンダーソニアの部分。)
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雪と臘梅

2018-12-28 | 身辺雑記
 年末の大寒波がやってきて、帰省客にも影響が出始めているようだ。
 雪の少ない当地にも、瞬間的に吹雪いたり、木の葉や花壇の乾いた土を一瞬白くした。が、雪の好きな私を存分愉しませてくれるものではなかった。

             午後、ひとときの雪        
        

        

 一日のうちに幾度、裏口のドアを開けて外を眺めたことだろう。温暖な地に降る雪を期待しながら。

 雪の気配のない裏庭に、黄色いものを見つけた。
 臘梅である。
 寒気の中に、ぽつんぽつんと咲き始めた。
       

 (家の臘梅は遅咲きで、年内に咲くことは今まではなかった。年の瀬に咲くとは思わなかったので、観察不足であった。これからは、一つ一つの蕾の膨らみや開花が、日々気になるだろう。)
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おまけの晴れ間

2018-12-27 | 身辺雑記
 25日の好天で、年末まで晴れ間はないだろうと思っていた。
 天気予報が、そのように報じていたので。

 ところが、今日は思いのほか晴れ間が広がった。
 施設の窓から見える空にも、荒々しい雲の隙間に青空がのぞいていた。(9時半)

         

         

 昼食を済ませて帰宅。
 午後はさらに暖かくなった。
 庭には、水仙が咲き、季節外れのシコンノボタンが咲いていた。
 蕾がまだ二つある。
 明日からは本格的な寒さがやってくるらしい。
 特に、寒さに弱い木である。寒冷の中でも開花し得るかどうか?

            

         


 施設から家に帰ると、どっと疲れが出る。
 それだけ、目には見えない緊張感をもって生活しているらしい。
 個室での生活といえ、ホテルの一室で過ごすようなわけにはいかない。
 施設は、老いた人の集まりである。
 偶然の出会いには、心の躍るようなものは少ない。
 個室での生活とはいえ、最近は、<ひとり>を楽しむことができにくい。
 私は、よほど集団生活に向いていないのだろう。
 食生活の問題さえなければ、家で過ごすに越したことはないのだが……。

 年が改まるところで、余生の過ごし方、施設での生活の在り方を、もう少し考えてみようと思う。

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憩いのひと時

2018-12-26 | 身辺雑記
 昨日は、好天に恵まれた。
 妹とイオン前で会う。AYAちゃん(妹の孫)も一緒だった。
 三人で、リバティーに行くことにして、曙橋を渡る。
 が、お店に着くと、あいにく早々の閉店。

 予定を変更して、コメダ珈琲店へ行く。
 品数が多いので、AYAちゃんに、私と妹のケーキを選んでもらう。
 AYAちゃんは、若者らしい飲み物と食品を選んでいた。
 コメダ珈琲店には、好みで選べるメニューがたくさんある。
 老女は、冒険できなくて、コーヒー+AYAちゃんお勧めのケーキで済ませる。


        
             オタフクナンテン
    背丈の伸びない、葉の美しい植物名を、妹に教えてもらう。

           
              コメダ珈琲店前


 雑談のあと、イオン前に引き返す途中、文華堂にも立ち寄る。
 フリクションなどを求める。

            文華堂前の花(寄せ植え)
             小さな花園さながら。
           名前を知らない花がたくさん。
           

           

           

 年の瀬に、もう一度会い、一緒に食事することを約束して、4時前タクシーで施設に帰った。

 2018年最後の好天。
 冬の日差しを楽しみながら、4000歩の散歩となった。

 明日から年末にかけては寒波が南下するとの予報が出ている。
 青空は、当分望めないらしい。
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好天ゆえの自然美

2018-12-25 | 身辺雑記
 山陰の冬の空は、概して暗い。
 鉛色で覆われる日が多い。
 が、今日は例外であり、残り少なくなった師走の最後の好天と思われる。

 新聞を読みに南廊下に行ったとき、しばらく河口の風景を眺める。

       
           4階の窓から(午前)

 好天に誘われて、午後、街へ出る。
 バス停に佇むと、空が明るい。空が晴れると、たちまち風景の全てが明るむ。

       
          バス停にて(午後・空と山と川)

       
          バス停にて(川面・銀波と鴨)

 4時過ぎ、タクシーで施設に帰る。
 車窓から眺めた空が、雲の戯れで美しかったので、下車後、部屋に戻らず河口に行った。
 以下は、そのとき目にした空の光景。

 自然と遊ぶとき、人事の煩わしさなど全く忘れて、無心になれる。
 世に、そして、私の心に、不幸せなど全くないかのような、無邪気な幸せを感じるひと時。

       

       

       

       
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夕暮れて

2018-12-24 | 散歩道
 人との付き合いにはほどほどの節度をもちたいと思うけれど、施設では思うようにゆかないこともある。
 今日は、昨夜半分読んだ大野晋さんの本を読み上げるつもりであったが、朝のうちに、二問解くことを日課にしている数独の一問が思うように解けず、数字をにらんでいるときに、
 「今日もお勉強? コーヒー飲まない?」
 と言いつつ、隣室のOさんが、ノックするなり入ってこられた。

 しかし、午前中の時間は少なく、午後に延長された。
 お昼の休憩の後、再び来室。
 そこへ、Oさんのお隣のKさんが、ノックするなりドアを開けられた。
 Oさんに聞きたいことがあったのであろう。
 「いい?」と言いつつ入ってこられた。
 毎日のことではないからと思いつつ、椅子をすすめる。

 84、85、86歳の会話には、ああ楽しかったというような華やぎも輝きもない。
 それでも、話したくてこられるのだから………と、計画倒れの一日を過ごす。
 どうせ大した一日になるわけではないのだが……。

 明日は、Oさんはデイサービスに出かけられる。
 今日読めなかった本は明日読めばいいと諦める。
 そして、夕方の散歩に出てみた。

 外に出て、小雨が降っていることに気づき、川の見えるところまで行って、水面に広がる暮色を眺めて引き返した。

        

 せっかく外に出たのだからと、川を背にして施設の端まで歩く。と、真正面に、実のなっている木があるのに気づいた。
 近づいてみると、海桐花(トベラ)である。
 すでに実の、赤くはじけたのものもある。

 土田海岸で初めてこの植物に出会った。
 海岸に多い木なのであろう。

        

 Kさんが施設に残して行かれたイルミネーションが,今夕、点灯されていた。
 エスカレーター前で点滅する光を眺め、そうだ、今日はクリスマスイブなのだと思う。
 そこだけに、心安らぐものを感じながら。

            

            

            
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