郵便局へ出かける用があったので、帰途、草花舎に寄り、カレーライスをいただいた。
昨日と一昨日は、午前中、お腹具合がよくなかった。
が、今日は快適。食事も、おいしくいただいた。
考えてみるのに、町内会の集金常会や懇親会など、気のすすまぬことを前にして、神経性の不具合が生じていたらしい。
前々から、気のすすまないことを義務づけられると、決まってお腹に不具合を生じていた。
無職になってからは、ストレスも少なく、比較的その症状が減じていたのだが、町内会という組織の中で、否応なく人に接しなくてならない。それが苦手な私には、心の負担になるらしい。
昔は、多くの人に接する職業だったから、人との付き合いにはなれているはずなのに、今は気遣いが負担になる。
これも、歳のせいかもしれない。とにかく、気心のしれた人以外とは、なるべく距離を置きたい。
もう二月(ふらつき)、2月・3月は、その苦手なことに耐えなくてはならないけれど、先が見えてきた。
今日は、先日求めた杖を、初めて使ってみた。
歩行が、ずいぶん楽である。
鼻歌が出そうなほど。
草花舎で、YさんやTちゃんに、杖を披露した。
不得手な方の手でも、使えるようにしておいた方がいいですよ、とTちゃんに言われた。
帰途、左手で杖をついてみたけれど、つき心地が非常に悪い。
今のところ、平坦な道なら、歩行に支障はない。
が、本当に杖が必要になってからではまずいらしい。今のうちに、左手でもつけるように訓練しておこう。
杖は、自立のための大切な道具である。
草花舎の常連客・Kさんも来ておられ、Yさんと3人で、老いに伴う失敗談を話して、よく笑った。
KさんYさんは、私よりはずっとお若いのだが、そろそろトンチンカンはあるらしい。
若くて聡明なTちゃんの目には、Yさん(お母さま)の物忘れや判断ミスなど、親子ゆえに許しがたく、しっかりして欲しいとの思いが強いらしい。
無理もない。
私も若いころには、自分のすることに間違いなどないと、自信過剰な時期があった。
他人のミスが、愚かしく思えていたときもある。
が、今は自らの言動に自信が持てない。
それと同時に、意地を張らなくなった。人のミスにも寛大になった。
それは、老いた証拠なのかもしれないけれど。
昼食代をお財布から出し、支払いの用意をしてから、さらにYさんとの話が続いた。(Kさんは先に席を立たれた。)
つい最近、長崎新聞社から出版された『本島等の思想』という本を見せてもらった。
そして、銃撃された長崎市長の話になったのだった。本島氏は現存の人、死亡されたの誰だったか?
記憶は混乱気味である。
そこで、草花舎から帰って、パソコンで調べた。
元長崎市長・本島等氏は、「天皇に戦争責任はあると思う」との発言(1988年)で、右翼団体幹部に銃撃された人。しかし、今も健在(90歳)で、その代表的な論文や講演、発言録がまとめられ、今回、出版されたのだという。
<銃撃された市長>ということで、すぐ思い出したのは、現市長(田上富久氏)の前の人である。
「核兵器は人類と共存できない」との発言もあった伊藤一長氏。
伊藤氏は、2007年、4選を目指しての運動中に、右翼団体に銃撃され、61歳で死去されたのであった。
広島や長崎の市長は、毎年の原爆記念日に、テレビを通してお目にかかるし、その演説も聞く。
したがって、全国の市長の中では、知名度が高い。
それでも、時間が経つと、記憶は曖昧になる。
インターネットは、朧な記憶を鮮明にしてくれた。
次回、草花舎に行ったとき、『本島等の思想』を読ませてもらおう。
Yさんに、パソコンで調べた結果を、電話で知らせた。
カウンターに出しておいた昼食代を、Yさんに手渡したかどうか、それも確認した。
無意識に、支払いを済ませたらしい。
そのとき、Tちゃんも電話に出て、パソコンの<言語バー>の回復法を教えてくださった。
前回のブログを書くとき、手書きで漢字を表記したいのに、<言語バー>が消えていて、その出し方が分からず困った。
Tちゃんに尋ねてみたが、即答はなかった。
が、その後、回復法を調べてくださったのだった。
来月初めに来宅予定の、ソコロシステムズのTさんに教えてもらおうと考えていたのだが、Tちゃんのお蔭で、今夕、解決した。
今日の草花舎 前庭の花水木