ぶらぶら人生

心の呟き

十六夜の月

2013-01-29 | 身辺雑記
 昨夜、就寝前(11時過ぎ)の玄関が、ほのかに明るい。
 お月さまかしら?
 と思いつつ、鍵を開けた。

 雲の流れの隙に、月影があった。十六夜の月だろうか?

        

 身支度をせずに寒気に触れと、凍てつく寒さだった。

 今日は、今のところ(午前10時)、快晴の冬日和だ。
 だが、最近のお天気は定まらない。ひとときの晴れ間におわるのかもしれない。
 
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1月の庭 (束の間、晴れて)

2013-01-28 | 草花舎の四季
 郵便局へ出かける用があったので、帰途、草花舎に寄り、カレーライスをいただいた。
 昨日と一昨日は、午前中、お腹具合がよくなかった。
 が、今日は快適。食事も、おいしくいただいた。

 考えてみるのに、町内会の集金常会や懇親会など、気のすすまぬことを前にして、神経性の不具合が生じていたらしい。 
 前々から、気のすすまないことを義務づけられると、決まってお腹に不具合を生じていた。
 無職になってからは、ストレスも少なく、比較的その症状が減じていたのだが、町内会という組織の中で、否応なく人に接しなくてならない。それが苦手な私には、心の負担になるらしい。

 昔は、多くの人に接する職業だったから、人との付き合いにはなれているはずなのに、今は気遣いが負担になる。
 これも、歳のせいかもしれない。とにかく、気心のしれた人以外とは、なるべく距離を置きたい。
 もう二月(ふらつき)、2月・3月は、その苦手なことに耐えなくてはならないけれど、先が見えてきた。
 

 今日は、先日求めた杖を、初めて使ってみた。
 歩行が、ずいぶん楽である。
 鼻歌が出そうなほど。

 草花舎で、YさんやTちゃんに、杖を披露した。
 不得手な方の手でも、使えるようにしておいた方がいいですよ、とTちゃんに言われた。
 帰途、左手で杖をついてみたけれど、つき心地が非常に悪い。
 今のところ、平坦な道なら、歩行に支障はない。
 が、本当に杖が必要になってからではまずいらしい。今のうちに、左手でもつけるように訓練しておこう。
 杖は、自立のための大切な道具である。
 
 草花舎の常連客・Kさんも来ておられ、Yさんと3人で、老いに伴う失敗談を話して、よく笑った。
 KさんYさんは、私よりはずっとお若いのだが、そろそろトンチンカンはあるらしい。
 若くて聡明なTちゃんの目には、Yさん(お母さま)の物忘れや判断ミスなど、親子ゆえに許しがたく、しっかりして欲しいとの思いが強いらしい。
 無理もない。
 私も若いころには、自分のすることに間違いなどないと、自信過剰な時期があった。
 他人のミスが、愚かしく思えていたときもある。

 が、今は自らの言動に自信が持てない。
 それと同時に、意地を張らなくなった。人のミスにも寛大になった。
 それは、老いた証拠なのかもしれないけれど。

 昼食代をお財布から出し、支払いの用意をしてから、さらにYさんとの話が続いた。(Kさんは先に席を立たれた。)
 つい最近、長崎新聞社から出版された『本島等の思想』という本を見せてもらった。
 そして、銃撃された長崎市長の話になったのだった。本島氏は現存の人、死亡されたの誰だったか?
 記憶は混乱気味である。
 そこで、草花舎から帰って、パソコンで調べた。

 元長崎市長・本島等氏は、「天皇に戦争責任はあると思う」との発言(1988年)で、右翼団体幹部に銃撃された人。しかし、今も健在(90歳)で、その代表的な論文や講演、発言録がまとめられ、今回、出版されたのだという。
 <銃撃された市長>ということで、すぐ思い出したのは、現市長(田上富久氏)の前の人である。
 「核兵器は人類と共存できない」との発言もあった伊藤一長氏。
 伊藤氏は、2007年、4選を目指しての運動中に、右翼団体に銃撃され、61歳で死去されたのであった。
 
 広島や長崎の市長は、毎年の原爆記念日に、テレビを通してお目にかかるし、その演説も聞く。
 したがって、全国の市長の中では、知名度が高い。
 それでも、時間が経つと、記憶は曖昧になる。
 インターネットは、朧な記憶を鮮明にしてくれた。

 次回、草花舎に行ったとき、『本島等の思想』を読ませてもらおう。

 Yさんに、パソコンで調べた結果を、電話で知らせた。
 カウンターに出しておいた昼食代を、Yさんに手渡したかどうか、それも確認した。
 無意識に、支払いを済ませたらしい。
 そのとき、Tちゃんも電話に出て、パソコンの<言語バー>の回復法を教えてくださった。

 前回のブログを書くとき、手書きで漢字を表記したいのに、<言語バー>が消えていて、その出し方が分からず困った。
 Tちゃんに尋ねてみたが、即答はなかった。
 が、その後、回復法を調べてくださったのだった。
 来月初めに来宅予定の、ソコロシステムズのTさんに教えてもらおうと考えていたのだが、Tちゃんのお蔭で、今夕、解決した。


       
           今日の草花舎  前庭の花水木 
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1月の庭 (寒風の空)

2013-01-26 | 草花舎の四季
 午前中は、雪が舞っていた。
 が、午後、晴れ間が見られるようになったので、草花舎に出かけた。
 昨日よりは、少々しのぎやすい日ではあったが、日本全体に、この冬一番の寒波が襲来していて、戸外は寒い。
 草花舎の上空にも、寒い風が吹いていた。 

    
         草花舎と空

                   
                       中庭の空

 コーヒーとケーキをいただく。
 カウンターの小さな鉢には、椿と蝋梅の小枝が挿してあった。
 春を告げる花ではあるが、まだまだ春は遠い。

     
         

 以下、今日、草花舎で出合った花々。

      
         

     
         

      


 
 Tちゃんが、『船田玉樹画文集』(下の写真)を見せてくださった。
 Yさん・Tちゃんは、昨日と一昨日、草花舎のお休みの日(木・金)を利用して、広島に出かけられた由。
 そして、現在、広島県立美術館で開催中の画展を観て来られたのだ。
 なかなか魅力的な画集である。
 名前すら知らなかった船田玉樹(1912~1991 78歳没)の絵に、初めて接した。
 <異端にして正統 孤高の画人生>と、サブタイトルにあるとおり、その絵画は目を惹くものがあった。
 静謐であり、華やかでもある。
 実物を見ればさらに、感動は深まるだろう。 

                      


 先日、<ぶらぶら美術館>で、会田誠(1965~ 現代作家)の絵画(森美術館で、画展開催中)を観て、やはり感動と驚きを覚えた。緻密さと大胆さの交じり合う絵画世界。

 知らないだけで、この世に、異才は多い。

 過日、草花舎で、<131313 三木俊治 彫刻展>(1月13日~1月20日)が開催されたという。
 案内状を送ってくださったようだが、届いていない。
 あるまじきことだが、年賀状の季節、どこかに紛れ込んだのだろうか。
 展示された新作を、今日いただいた案内状のはがきで想像した。

      

 草花舎には関係のないことだが、今日は、往路帰路、空の彼方から聞こえてくる飛行機の轟音に、不快を覚えた。
 悪評のオスプレイ? 自衛隊機?
 虚空に機影は見えない。
 沖縄に住む人々の不安や苛立ちを思いながら、空を見上げた。
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傘寿となる

2013-01-22 | 身辺雑記
 80歳になった。傘寿である。
 こんな年まで生きてしまって…と、なんだか妙な気分だ。
 若い日には考えたこともない、80という高みに達したのだが、格別の感慨もない。
 馬齢を重ねるだけの歳月であったような気もする。
 
 70代最後の一年は、体調が下り坂にあり、少々息苦しかった。
 老いは、限りなく死に近づくこと。
 その死に向かって歩み続けるのは、思いのほか大変であることを実感させられる年でもあった。
 若いときには、想像もしなかった心の風景である。

 しかし、誰しもの辿る道。
 これからは一日一日、のんびりと暮らしてゆきたい。
 いよいよ深まる老いの道を楽しむくらいの気分で。

 <傘寿>は、人生の一区切りなのだろう。
 次の賀(米寿)まで、元気で暮らすのは至難である。
 長寿老人は増えてきた。が、元気老人でいられる保証は全くない。
 老いてますます元気な人、それは数少ない、特別な人である。
 私の余生がどうなるか、それは不明なことである。
 不明をむしろ楽しみに、時を刻んでゆきたいと思う。
 できるだけ苦痛の少ない老いの日々であるようにと念じつつ。
 
 
 朝、戸外に出てみると、裏庭の臘梅の花が、一つ咲いていた。
 今日を選んで咲いてくれたのを、自然の贈り物と喜ぶ。
 この冬は、いずれの花も、咲きが遅い。
 臘梅も、例外ではない。
 ただ花期がずれているだけの事なのに、その偶然に感謝。


     

 あちらこちらから、傘寿の祝いをいただいた。(下の写真は、その品々)
 ありがたいことである。
 Sさんは、絵手紙を添え、文具のいろいろを贈ってくださった。
 橋原ノートや橋原製の一筆箋(竹久夢二の<いとし藤>)など。
 Sさんはいつも、気の効いたプレゼントをしてくださる。
 さて、この美しい資質の、豊かなページに、何を記すことにしようか。今考え中である。

 同市に住む妹夫婦は昼過ぎ来宅。
 M料亭のご馳走を持参し、歓談しながらの食事をプレゼントしてもらった。
 プリザーブドフラワーの鉢も添えて。

 大阪在住の妹二人からは、有田焼の万華鏡(香蘭社)が届いた。
 必需品ではないけれど、欲しいと思っていたものなので、ありがたい。
 万華鏡の世界は、不思議に満ちている。
 その理屈を分かろうとは思わない。
 不可思議をそのまま楽しめるのが嬉しい。
 退屈をさせない鏡だが、のぞきすぎると疲れるだろう。
 上手に楽しみたい。

 妹の孫の彩ちゃんからは、ベーグルクッションをもらった。
 中学生なのに、申し訳ない。
 これは実用の具として、ありがたい。
 広げても閉じても使える便利なグッズである。(今は、椅子の背に置いて、姿勢を正しくすべく使っている。)

 その他、心のこもった言葉のプレゼントも届き、新たなスタートの励ましとなった。

   

           
          
          

          
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天候急変

2013-01-17 | 身辺雑記
 昼前、かかりつけの病院へ行き、定期検査と採血をしてもらった。
 血圧やや高め。(147~78)

 山形の<啓翁桜>という種の鉢が置いてあった。
 もちろん初めて見る桜である。
 昨年暮れから咲いて、今は終わりに近い。
 花に次いで、若々しい葉を楽しめるのだそうだ。

          

 シクラメンの鉢(紅白)もあった。
 窓辺の光を受けて咲いていた。

   


 買い物をして帰途につくと、にわかに空が曇ってきた。
 激しい雨となり、雨は霙に変わり、やがて吹雪となった。
 風景は一変して、雪景色となった。

  
                       
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今月購入の本

2013-01-16 | 身辺雑記
 山口に出かけた。
 井筒屋・文栄堂・モリイケ(文房具店)などで、所用を済ませる。

 本を3冊、求めた。
 五木寛之の『選ぶ力』(文春新書)と長谷川櫂の『四季の歌』(中公新書)。
 さらに、『現代用語の基礎知識 2013』(自由国民社)。

         

 新書2冊は、楽しみながら読めそうだ。
 『現代用語の基礎知識』は、座右に置いて、政治経済や日ごろ曖昧に聞き逃していることなどを、暇々に確かめたいと思う。
 私の所有する辞書類には出ていない新語なども掲載されているので、大いに助かる。

 この類の本は、数年おきに求めている。
 前回は、2007年に朝日新聞社出版の『知恵蔵』を求めた。
 6年の間には、世界も日本も、甚だしく変貌している。
 比較しながら読むのも、なかなか面白い。

 世の移ろいの中で生まれる新語を調べるのには、特に役立つ。
 前回の『知恵蔵』にはなかった新語がたくさん載っている。

 今回求めた2013年の方は、<大字版>なのが嬉しい。
 老人にとっては、文字が大きく、活字の濃いほどありがたい。
 とにかく、この分厚い本は、知恵の宝庫である。

 モリイケでは、鉛筆削りや鉛筆B、封筒類を求めた。
 <数独>を考えるのに、濃い目の鉛筆や鉛筆削りが必要なのだ。

 井筒屋では、諸々の用を達した。
 初めて、杖を買ったことは、特記すべきこと。
 「転ばぬ先の杖」は、比喩としてではなく、実生活の問題である。
 勾配のある道を散歩するときには、杖の助けを借りようと考えている。

                  
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水仙の里へ

2013-01-12 | 散歩道
 昨日、お昼の地方ニュースで、<水仙の里 ウォーキング>(1月20日)について、紹介していた。
 旬日先の行事である。
 その日、果たして、ウォーカーを楽しませるほど、水仙は咲いているのだろうか?
 テレビ画面には、かつて見たこともない、みごとに咲き満ちた水仙の風景が、紹介されていたけれど。

 昨日は風もなく、散歩には、最適な冬日和であった。
 蛇岩のある唐音まで歩くのは無理かもしれないが、沿道の水仙を眺めながら、歩けるところまで行ってみよう。
 そう思って、外出すると、近所のHさんも、ちょうど散歩にに出かけようとされていた。

 一緒に唐音まで歩くことになった。
 青い空、碧い海をながら歩いた。
 海に向かって傾(なだ)れる径は、決して平坦ではない。かなりの上り下りがある。
 帯状疱疹を患った昨年春以後、3キロ以上歩いていない。
 途中で、挫折するかもしれない。
 帰途の道程を計算して、ゆけるところまで行ってみようと考えて歩いた。
 
 水仙の咲き具合は、まだまだ覚束ない。
 ところどころに、ぽつんと咲いている状態であった。
 ウォーキングの日までには、まだ10日ある。
 10日という日数は、水仙の開花を促すに十分だろうか?
 みごとな成長を期待するだけだ。
 (全体的に、水仙の葉や茎は、伸び悩んでいる。昨夏の猛暑続きによる水分不足が、矮小の原因らしい。)

 水仙は、行事にあわせて咲いてはくれない。
 年々の気象状況などの影響を受け、花期には、かなり大きな幅がある。
 昨年は、咲き残りを眺めながら、今年は多分、咲き始めの初々しい花を眺めながらのウォーキング、ということになるのかもしれない。

 往路は、喘ぎ喘ぎの歩きとなった。
 足よりも、心臓が苦しい。
 今まで経験したことのない荒い息となった。
 Hさん(60余歳)と一緒でなかったら、おそらく途中から引き返していただろう。
 唐音の駐車場まで歩けたのは、Hさんのお蔭だった。

 水仙公園には、お年を召した、ガイドの男性が、一人おられた。
 胸に、水仙をデザインしたマークをつけておられた。

 <唐音水仙公園案内板>は、昨年もあったかどうか。
 年々、環境は整えられている。
 樹間に眺める海の風景も、以前よりはずいぶん開放的になった。しかし、まだまだ雑木に視界は遮られる状態である。もう少しは、視界が開けてもいいのかもしれない。
 
 駐車場の脇、唐音の蛇岩に降りる径近くに、たくさんの杖が置いてあった。
 ガイドの話によると、材は<五三竹>というのだそうだ。
 Hさんから、杖を借りて帰っては…、と勧められる。
 明日、ご主人が、ガイドとして水仙公園に出かけられるという。
 その際、杖置場に返してもらうことにし、杖を借りた。

 帰途は軽やかに歩くことができた。
 今度は、杖のお蔭である。
 杖というものが、こんなに重宝なものとは知らなかった。
 実にありがたい。
 杖の必要な年齢になったのだ。
 でも、年齢的には、まだ健脚の方だと思いたい気持ちもある。
 少々辛くはあったが、昨日は5キロ近くを歩き終え、ささやかな満足感に浸ることができた。

 花の咲き満ちるころ、昨日のようなお天気に恵まれれば、もう一度訪れたいと思っている。 

 
                 
                  眼下に眺めた土田海岸

   
         高島の見える海               道々見上げた空

   
         水仙の園(花はまだなし)          唐音の蛇岩

   
         水仙公園の案内板            ガイドのマーク

         
            花、まだ少なく          五三竹の杖
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一日が過ぎれば…

2013-01-11 | 身辺雑記
 今日の読売新聞に、歌人・永田和宏氏のエッセイ「挽歌 君を忘れじ」が掲載されている。
 その文中に、次の歌があった。
 
   一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 もうすぐ夏至だ

 歌中の<君>とは、妻であり、今は亡き歌人・河野裕子さんのことである。
 哀しいけれど、いい歌だ。
 ガンを病む妻と共にある時間は、残酷にも刻一刻と減ってゆく。
 夏至が訪れ、さらに季節は巡りゆくであろうけれど、<君>との共有時間には、やがて終止符の打たれる日がやってくる。
 そんな痛切な思いが、さりげない言葉で詠われている。

 「一日が過ぎれば一日減ってゆく」
 とは、老いの身には、残酷さを突きつけられているような一面をもつ表現である。
 が、ごく当たり前の、否定し難い真実であり、切実に共感を覚える詩句でもある。

 
 昼前届いた郵便物の中に、一枚の寒中見舞いがあった。
 差出人は、小学校の5・6年生のとき担任だった師のご子息で、師の訃を知らせてくださったものである。
 「旧年中にお知らせを申し上げるべきものを年を越してしまいましたご無礼をお許し下さい」との言葉がそえてあった。
 元日には必ず賀状を届けて下さっていたのに、今年は、その賀状がなく、心配はしていた。(過日のブログ「淡雪の庭」に既述。)

 昨年の十月に八十八歳で他界なさったという。
 教えを受けた私たちの、わずか8歳年上だったわけだ。
 戦時下の特殊な時代、先生はずいぶん若く、師となられたことになる。
 しかし、子供心にも、信頼できる、毅然としたところのある先生であった。
 ついにお別れの時が来たのかと、生前に、お会いする機会を持ち得なかったことが悔まれる。


 私は私の、今日という一日を大事に生きなくてはならない。
 <一日過ぎれば一日減ってゆく>のだと、心に呟きながら、あまり天気がいいので、外に出てみた。

 小山の上に、小さな富士のような雲がかかっていた。
 
       
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山茶花と青い空と

2013-01-06 | 身辺雑記
   

               

 わが家にある2本の山茶花は、毎年、あまり花をつけてくれない。
 今年も、花数が少ない。
 しかし、前庭の木は、葉隠れにいくつかの蕾をつけているし、開花したのもある。(写真 上)

 午後は、青空も広がった。(写真 下 東の空)
 冬の一休みである。
 散歩にでも出かければいいような冬日和であった。
 が、今日は、家にこもりきりであった。
 妙に物事に凝る癖が私にはあり、読売新聞の数独やクロスワード、朝日新聞の<漢字抜け熟語>63問(1月5日掲載)に挑戦し続けたのであった。

 
 実はその結果、文字が見えにくいほど目が疲れ、頭が疲れたので、庭に出てみたのであった。
 それが、山茶花や青空との出会いとなったのである。
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淡雪の庭

2013-01-05 | 身辺雑記
      

 昨日の朝、雪がうっすらと、庭を白くした。(写真)
 この淡雪は、たちまち消え去る淡雪であった。
 昨年末、師走24日以来の雪。
 
 今日は寒の入りである。
 これからますます寒さは厳しくなるだろう。

 
 届くはずの賀状は、大方届いた。
 今年はその中に、全く思いがけぬ賀状が1枚あった。
 小学校の卒業以来、一度も会ったことのない幼友達からのものである。
 5年・6年生の2年間、同クラスで学んだ人であり、近所に住んでいた友達である。
 住所は、広島県の大竹市となっている。
 現在の姓の横に、( )書きで旧姓も記してあった。
 名前と旧姓から、賀状の主が<Kちゃん>だと、すぐ分かった。

 私の同級生は、みな八十路を迎えている。
 歳月を重ね、突如、懐旧の思いが、Kちゃんの心をよぎったのであろうか。
 私も、昔を懐かしむ折はしばしばあるけれど、賀状や便りをしたためることはしてこなかった。
 が、Kちゃんの賀状は嬉しく、すぐ返信をしたためた。
 いつかお会いできる日があるのかどうか?

 一方、届かない賀状もあった。
 特に、恩師からの賀状のないことが、気がかりである。
 恩師は当然、私よりは高齢である。
 年々、多くの師とお別れし、ここ数年は、小学校の5・6年生の担任だった先生ひとりになっていた。
 その師の賀状が届かないのだ。
 当時非常にお若い先生ではあったが、少なくとも、七つ八つは年上のはず。そろそろ卒寿に近いお年なのだろう。
 昨年の賀状を見たとき、手書きの文字に力がなかったし、宛名書きが歪んでいた。
 筆力や表記から、先生の老いを感じたことを思い出した。
 それから一年が過ぎたのだ。
 病床に臥しておられるのだろうか?
 枚方市にお住まいの師の情報を知る術はなく、安否が気がかりである。

 年賀状の季節は、喜びと悲しみが入り交じる。 
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