ぶらぶら人生

心の呟き

如月末日

2018-02-28 | 散歩道
2月28日

今年の2月が終わる。

<歩ける>という幸せを確認するために、
昼前、散歩に出かけた。
施設の周辺を歩いて帰る。

今朝も朝陽は、
雲の中に姿を現した。





昼前には、完全な曇り日となった。
風はなく、寒さもなく
海辺へ出てみる。

<のたりのたり>の春の海である。
空も海も、ほぼ同色で、
水平線は、高島の位置で見当づける。



穏やかな海原と高島。



灯台やレストラン<とみ>のある岬。



渚では、小波が白いレース模様となっていた。



松林の中、砂地に咲く水仙の花。
丈短く。

海辺から引き返し、
再び、サボテンを見に足を延ばした。
往復3800歩の散歩となったが、
息切れもせず、
足が不平を訴えることもなかった。

サボテンはまだ実をつけたままだったし、
ブラシの木(?)にも変化はなかった。



この木は何?
と、眺めた木があった。
葉の姿に特色がある。
多数の垂れた葉の上に、花が咲くのだろうか?

他にも、白木蓮か、辛夷か、
花の咲く木があった。
(庭木の選択を、上手になさっているおうちのようだ。)



途中の道に咲いていた椿。

(ふと、<土田の椿邸>を思い出した。
主人の病状はどうであろう?
主なき庭の椿は、たちまち藪となってしまった。
病弱ながら、
「80歳の風景はどんなものでしょう?」
と、語っておられたが、
80歳を病床で迎えておられるはず。)

前回同様、川ほとりの道を歩いた。



河口の辺りで、浚渫船が作業中である。



その近くに、広い砂場がある。
そこには、グリーンの作業車が二台。
砂を海の方へ移動させているように見える。

私の近くに、男の人がやってきて、
作業現場の写真を撮られた。
作業中の業者の方であろう。

その方に尋ねたところ、
集めた砂を海に捨てているのだ、
と、教えてくださった。

浚渫しては海に捨て、また浚渫しては海に捨てるという
限りない循環作業が続けられるのだろうか?

「海と川の境目ってあるのですか」
と、尋ねたところ、
「あの標識から上(かみ)が、川ということになっています」
と、教えてくださった。

境界は、<あって無きごときもの>なのであろうけれど、
目印の標識だけは立っている。





2月27日という日

2018-02-27 | 身辺雑記
2月27日

散歩にふさわしい好天であった。
でも、一歩も外出せず、室内で過ごした。
階段の昇降運動も試みず……。

本を読んだり、空を眺めたり。
朝陽も夕陽も、
昇る位置、沈む位置が、移動した。

朝陽は権現山の右裾から昇っていたのに、
左の小山を飛び越え、
さらに左の名も知らぬ山の頂上辺りから昇った。
朝焼けの美しい朝であった。
今日も、なんとか無事終われそうな予感。







夕陽も、高山の左裾から右裾に、
沈む位置を移動した。
太陽の位置は、季節の表示である。

家にいるときは、
太陽の位置を確かめることはあまりない。
晴天雨天を確かめ、
部屋に差し込む日影の位置で、
お日様を感じる程度である。

一方、晴れの日であれば、河口の部屋では、
太陽の存在そのものを意識させられる。



今日の雲。





鉛筆画展と雛人形

2018-02-27 | <うつわ>便り
2月26日

<ギャラリーうつわ>にて、開催中の
『山田幸一鉛筆画展』
を見た。
かろうじて、会期中に間に合う訪問となった。

同じ絵画でも、
鉛筆だけで描く絵。
白黒だけでも、
内容豊かに表現できるものだ!

絵画としての表現の仕方は、
人により千差万別なのだと
つくづく思う。

山口幸一さんにとっては、
鉛筆でコツコツ描くことに
意味があるのだろう。
そして、ご本人にとって
自らの嗜好に合っているのだろう。

根気がなくては描けない細密な絵だ。
こういうことは、私には真似ができない。
真似のできないことに、
精魂を込められる人には、
ただただ感心する。

(しかし、私には私の、
老いてなお、
打ち込める愉しみがあるから
いいとしよう。)





<ギャラリーうつわ>には、
他にも楽しみがある。
店内の趣が、
その月々の匂いを漂わせて、
変化する。

花の節句前の今は、お雛さま。
Aさんは蒐集・保存がお上手だ。
喫茶室が、
和の、古風な色調で整えられている。
静かに心憩える空間である。



ネコヤナギ。



クチナシの実。

以下は、お雛さまほかの飾りもの。
(写真の並べ方が、いい加減になってしまった。
配列を考えねばと思いつつも、根気が続かない。
私が作成中のブログの画面上には、
写真は<記号>で表記されるだけなので……。)































囲炉裏端で、コーヒーとお菓子をいただく。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


私が、<ギャラリーうつわ>に入ったときには、Aさんと二人で話せる状態であった。
「Nさんと一緒に来れなくて…」
と、その理由を話そうとした。
Aさんは、すでに状況を知っておられた。
Nさんが、私と一緒の施設にはおられないことを。
娘さんが帰郷され、家の家具一切を処理された、と。


「Nさんは、今住むところが最高の場所です」
と、ずいぶん語気強く私に語られたことをAさんに話すと、
「とても強い人なの。強くならなくては生きていけなかったんです」
と、その家庭の事情を話してくださった。
(AさんとNさんとのお付き合いは、私の場合と違ってずいぶん長い様子。)


人はみな、喜びであれ哀しみであれ、人には語り難い「秘め事」を心に抱えて生きているということだろう。

昨年の11月ごろであったか、私が Nさんに、<うつわ>で、コーヒーを飲んできたことを話したとき、
「私も、うつわには、よく行っていたの」
と言われた。
さらに誕生月が同じなので、一月には、<うつわ>に行って、コーヒーでお祝いしましょう!ということになっていたのだ。
(しかし、Nさんは、一月中に、何もそのことに触れられなかった。Nさんの頭の中から、一時の華やいだ約束は、消えてしまっていたのかもしれない。一月は特に寒かったし、私自身、89歳のNさんを責任もって連れ出す自信がなかった。が、心の片隅では気になっていたのだが……。)

その約束は実らないまま、Nさんは施設を去られた。
Nさんの話では、娘さんが住んでおられる埼玉の近くに、施設が見つかったので、そちらに行くことになったと話された。
「娘はガンで先が見えているし、親娘にとって近くに住む方がいいのでしょう」と。


Nさんには、私と似た気性の部分が、あったようだ。
入居者と、積極的に接しようとはされなかった。
私とNさんとは、一年余り、同じ空間で過ごしながら、昨年の8月初旬、花火大会のころまで、言葉を交わすこともなかった。
したがって、正味、半年の付き合いであった。

本が好きだとおっしゃるので、幾度か数冊ずつ本をお貸しした。
貸借のとき、二言三言言葉を交わす程度であったが、語られる言葉に、ハッとするような芯(真)があった。
老いた人間の頭は、どうなっているのだろう?
忘却もありながら、とても確かなところもあるという不思議。


「大事なのは心です」
「心のない人は嫌いです」
と、話されたこともある。

<うつわ>で、Aさんの話を聞きながら、思い出した光景があった。

南廊下のソファーで話していて、それぞれの部屋に帰るとき、
<お暇ならきてよね、私寂しいの>っていう歌があったじゃない、またね」
と、音程確かに歌われたことを。
Nさんの、五月みどりの歌による心境の吐露が、私にとっての置き土産となった。

蕗の薹

2018-02-27 | <うつわ>便り
2月26日

<ギャラリーうつわ>へ行く。
寒さの厳しかった1月は、
河口の部屋に来ていても、
外出がままならなかった。
2月も、半ば過ぎまで寒冷の日が続いた。

昨26日は、
春めく一日であった。

「お庭の春はまだ?」
と、Aさんに尋ねると、
「蕗の薹が出ています」
と言いつつ、前庭に案内してくださった。
(そういえば、昨年も、同じ地に春を眺めた。)

植物の目覚め第一号だ!
若緑の色もいい。
成長は不揃いながら、
10個以上、姿を現していた。



公園の大欅

2018-02-26 | 散歩道
<ギャラリーうつわ>へ行くときには、
必ず、大欅のある公園に立ち寄る。
無数の実が地に落ちていた。
身近に見ると、実は思いのほか大きい。

大樹が大きく広げた枝枝には、
ムクドリたちがやってきていた。

今年も、大樹の四季に出会えますように!









欅大樹の上空には、トンビもゆったりと飛んでいた。

空と詩と数独と

2018-02-26 | <うつわ>便り
朝、起き出して、まず眺めるのは空である。
そして、雲の表情。
そして、山並み。
視界に入る樹々の佇まい。

(家並みを眺めるのは、
雪の朝くらいだ。)

空は沈黙していても、
多彩な言語を発する。
ひとりで対話を楽しむことができる。
人に対峙するときには、
どこかで気を遣ったり、
相手の心が読めなくて疲れたりする。

それに対して、空は私の心に干渉しない。


朝焼けの空。


昼過ぎの空。

家でも河口の部屋でも、
毎朝、『数独』(上級編)を一問解くことにしている。
解答は一つしかあり得ない数字選びの遊びである。
多少脳の老化防止に役立つかもしないという思いもある。
が、それ以上に、
一つのマスに一つしか入らない数字を推理する楽しみが大きい。
ひとり遊びには最高である。
用紙とフリクションがあればいい。

予定の一問があっけなく解けたので、
もう一問と欲張ったのが、今日の失敗であった。
一問目のように、さっさとは解けないのであった。
一箇所でも数字を間違えば、絶対に正解は得られない。
用紙を改め、やり直してもうまくゆかない。

諦めて、散歩に出かけた。
目的地を<ギャラリーうつわ>と決めて。

店主のAさんと話していると、
ほどなく来店者があった。
Aさんとの話が始まったので、
私は展示物をみてまわった。
喫茶室には、雛人形も飾られている。
(このことについては、項を改めて書くことにする。)

その来客は、詩集を出版されたのだという。
Aさんが、私に見せてくださった。

『ありがとうの色』
栗田好子さんの第二詩集とか。



初対面の方で、お顔も十分見なかったが、
話される語調やお人柄の雰囲気は記憶に残った。

私は、コーヒーをいただきながら、詩集を読んだ。
まず、あとがきから読む。
<あとがき>を読めば、詩の背景を推察できる。
<石見詩人>に所属しておられることも分かった。

<石見詩人>の創始者・キムラフジオさんが生存中は、
毎号、寄贈してくださったので、読ませてもらっていた。
会員になるよう、積極的な勧誘も受けたが、
私自身は詩を書くつもりはなく、
すでに別の同人雑誌に属していたのでお断りをした。
20代前半の若き日のことである。
詩集をいただいたり、リルケの本をいただいたり、
まだ自宅でコーヒーを淹れることの珍しかった時代、
(この田舎町にも、駅周辺に、
「ヨシタケ」「白鳥」などの喫茶店ができ始めたころ。)
挽きたてのコーヒーをいただいたり……。
いつも長い手紙が添えられており、
その行為が、若い私には負担だった思い出がある。
(一昨年、身辺整理をしたときに、全て処分してしまった。)


栗田好子さんは、子供や孫に恵まれた主婦でいらっしゃる。
詩のテーマは、ご自分を取り巻く周辺のことがらが主となっている。
構えずに、読める詩であった。
現代詩の難解さとは無縁である。
小難しい言いまわしなどない。
それでも、視座がしっかりしていて、
詩の中に<栗田好子の世界>がある。

詩でも文章でもそうであろうが、
その作者でなければ、書けない世界があればいい。
個性のないものは面白くない。
(それは大変難しいことだと自覚しつつ……。)

題字は、Aさんのご主人が書かれたもの。
味のある墨蹟である。

実は、昨日来、もう一冊の詩集を読んだ。

『現代の詩人12 吉原幸子』(中央公論社)



河口の部屋に来るとき、
滞在中に読みたい本を持参している。
前回の『谷川俊太郎』に続いて持参したのが、
『吉原幸子』詩集である。

書棚にはもう一冊『吉原幸子百人一首』(現代詩訳)がある。
が、それも十分読んでいない。
詩人・吉原幸子という人については、無知に等しい。
まず、年譜・肖像(「ふたつの秘密」谷川俊太郎)・自作について(作者)を読み、
そのあと、詩を読んだ。

吉原幸子さんは昭和7年生まれ、私は8年生まれだが、学年は同じである。
それだけで、急に親しみを覚えた。(吉原幸子さんは、2002年、70歳で死去。)

ただの詩人ではない。
秀才で、多芸多才。さらに美人(きりりとした西洋的)。酒豪でもあったようだ。
私にないものだらけである。

この本は、昭和58年に出版されているので、
51歳までの詩である。
首肯ける詩が、かなり多かった。
気に入った詩に付箋をつけたが、
その中から、短い詩を一つ引用しておこう。


□□□ふと

なにか□とてもだいじなことばを
憶ひだしかけていたのに

視界の左すみで
白い芍薬の花が急に□耐へきれないやうに
無惨な□散りかたをしたので

ふり向いて
花びらといっしょに
そのまま□ことばは□行ってしまった

いつも□こんなふうに
だいじなものは□去ってゆく
愛だとか
美しい瞬間(とき)だとか
何の秘密も□明かさぬままに

さうして□そこらぢゅうに
スパイがいるので
わたしはまた□暗号をつくりはじめる
ことばたちの なきがらをかくして

(□は、一字空きの印)


朝、解けなかった数独は、帰宅後完成できた。
いい加減は大敵だと自覚した。
慎重さを欠くとろくなことはない。

『暗夜行路』を読み終える

2018-02-25 | 身辺雑記
2月25日

河口の部屋は、とても便利に作られている。
時には、部屋を喫茶店の雰囲気に変えて、
読書に励む。
CDで、音楽を流しながら。



今朝、志賀直哉『暗夜行路』を読了。
後編の最後の部分を読む。
以前から魅せられていた文章に出会い、改めて感銘する。

『暗夜行路』は、
大正10年1月から昭和12年4月にかけて書かれた作品である。
(その間、17年。)
完成からは、81年を閲している。
それでも古びない文章である。

志賀直哉の表現の魅力は、
精緻な観察眼から生まれるものように思う。
人間の心理描写にしても然り。

ただ今、『志賀直哉全集』にあわせ、
『群像 日本の作家「志賀直哉」』も読んでいるのだが、
後者では、諸家が、志賀直哉を論じておられる。

高井有一さんの「美しい晩年」と題した文章に接した。
その終わりに、
<志賀直哉の作品から何か一編を選べと言われたなら、
私は、「豊年虫」を挙げたい気がする。>
と、書いておられた。

早速、短編の『豊年虫』も読み返した。
高井有一さんは、志賀直哉の<描写の冴え>を指摘しておられ、
なるほどと思った。
豊年虫(蜉蝣)の細密な観察から生まれた表現の確かさ、豊かさ!

もうしばらく、志賀直哉の小説の世界を楽しもうと思っている。

サボテン見学に

2018-02-25 | 散歩道
バスの車窓から見える庭に、
大きなサボテンがあるのに気づいたのは、
いつであったか?

薄曇りの日曜日、
その場所まで歩けるかどうか、
試みた。

バス停を三つ越え、
左に曲がると、
大サボテンが見えてきた。

案ずるに足らぬ、1000歩の先にあった。

私の背丈より大きなサボテン。
宮崎あたりの公園でしか見たことのない
怪物サボテンである。





肉厚の葉の一端に赤い実がついている。
地面にも、同形のものが二つ落ちていた。
触ると、ぶよぶよした。
(中をのぞいて見たい衝動にかられる。)





サボテンの後方にある木も見たことがあるように思った。
ブラシの木ではあるまいか。
ブラシ状のものが残っているのは、前年のものであろうか?
緋色の花がつくかどうか、
これも楽しみである。



帰りは、別の道を歩く。
野の花が目覚め始めた。
白い花は、ハコベであろうか?

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし


島崎藤村の詩を口ずさみつつ、
野を歩く。

信州と違って、当地は春が早い。
野良仕事をしている人の姿も見え、
春の足音はそこまで聞こえている。



オオイヌノフグリは、家の近くの空き地にも咲いていた。
大地の春をいち早く告げる紫色のかわいい花。



野辺の傍に咲く黄色い水仙。





栴檀の木に、
ムクドリが多数、実をついばみにきていた。
木の下に人の気配を感じるや、
一斉に飛び立つ。
上の写真には、
逃げ遅れた一羽だけが止まっている。



私の部屋の窓から、
黄色味を帯びて見える樹木は、
栴檀の木の群生なのだろう。

2800歩の散歩となった。
少々汗ばむ程の運動量であった。



植物の名前を調べる

2018-02-24 | 身辺雑記
先日、草花舎で、赤い実の名前を確認したのに、
(山寄りの道端などではよく見かけるのに)
その名が思い出せないまま、数日が過ぎた。

昔は、赤い実より、その蔓がつける丸い葉に馴染んでいた。

柏餅の季節。
家では、<まき>と言っていた。
(<まき>という言い方は、当地の言葉なのか、家の言葉なのか?)

母が作ってくれる<まき>は、格別美味しかった。
私の大好物であった。
その<まき>を包む葉は、
<まき>という植物だと、なんとなく思っていた。

実は正式な名前が、サルトリイバラだと知ったのは、
ブログを書くようになってからであり、散歩を日課としてからであった。
(10余年前)

老いて学習したものは、なかなか身につかないし、
思い出すのに時間がかかる。

植物図鑑を調べようにも、分類がわからない。
索引から検討をつけようと努力したり……。

河口の部屋に戻って、
根気よく調べ、
やっとその名を思い出すことができた。

その名は、サルトリイバラ
図鑑は、『被子植物門・単子葉類・ユリ科シオデ属』であると、教えてくれる。
[落葉つる性]であることも学んだ。

<ハマサルトリイバラ>というのもあり、
こちらは[常緑つる性]で、
暖帯南部から亜熱帯に生える植物のようだ。


<サルトリイバラ>と<ハマサルトリイバラ>のページ。


河口の部屋に置き、利用している植物図鑑。

家での生活では、雑用が多く、ブログの投稿も溜まっていた。
昼前に河口の部屋に戻り、帰宅中に、し残した用を果たす。

住所録の整理

2018-02-23 | 身辺雑記
旧知のWさんから、住所変更のはがきが届いた。
早速、パソコンの住所録を訂正しておく。

PC画面に、住所録を開いているところに、ソコロシステムズのSさんが来てくださった。
この月は、2日に来てくださる予定であったが、インフルエンザに罹患され、来宅日が今日に延びたのであった。
頑健そうな人にも、容赦しないのが病原菌なのであろう。
今は完全に快癒なさっていて安心した。
インフルエンザの流行も、下火になっているのだろう。

ウイルス点検などの作業をしていただく前に、住所録の印刷をSさんに頼んだ。
自分ですればいいことなのに、文字の大きさなど考えて、手際よくやっていただけることが分かっているので。

151名の氏名と住所を、4ページに印刷してくださった。
70歳になってPCを習い、その後に作った住所録である。
近年になって交流の始まった人は名簿に入れていない。
(特に、最近は、正確な住所は知らないままに、メールやLINEで通信し合う人もある。)

151名は、15年前当時から、賀状や便りの交換のあった方々である。
しかし、この中には、すでに故人となられた方もある。
PCの名簿から名前を除去するのは簡単なことだが、気持ちの上でそれができない。
名前を消去することで、思い出まで一緒に除去するような寂しさを感じてしまうのだ。

今晩、紙面上で、交流のあった故人を偲んだ。
印刷物の住所録には、もはや通信の不可能になった故人には印を入れ、消息を確かめようのない人の名前には「?」を付けたりした。

私の住所録には、私より若い人の方が多い。
が、故人は年長者ばかりではない。
生死不定を思いを深めつつ、名住所録を眺めた。

今年になって、すでに二人の訃報に接した。
5歳年長の女性と、5歳年下の男性と。
二人とも、同じ職場で働いた思い出がある。
若やいでいた日々が懐かしい。

今日も、ソコロシステムズのSさんには、いろいろと難題を語っては対処していただいた。
この<ブログ作成>にあたっても、『簡易プレビュー』が廃止され、不自由になったことを訴えたり……。
PC上の愚痴ではあるが、機械音痴の言い分を、Sさんは穏やかに聞いてくださるのであった。