ぶらぶら人生

心の呟き

9月終わる

2018-09-30 | 身辺雑記
 日本列島各地が、台風24号のなんらかの影響を受けた一日。
 当地は、雨の降り続ける陰気な日であったが、自室にこもっているかぎり、不安を感じることもなかった。
 9月、終わる。

 丸谷才一著『横しぐれ』を読む。
 昭和53年に出版された講談社文庫。
 カバー装画は、奥村土牛の「鳴門素描」(山種美術館所蔵)

        

 複雑な小説。簡単には感想が綴れないので、稿を改めて書きたい。


 タブレットに、ニュースが入った。
 [沖縄知事に玉城氏当選確実]と。
 翁長さんの意思が受け継がれることに安堵する。

芭蕉の一句

2018-09-29 | 身辺雑記
 何気なく読んでいた句が、ある日、共感をもって非常に身近に感じるときがある。
 松尾芭蕉(1644〜1694)の句。

     この秋は何で年寄る雲に鳥

 没する半月ほど前に詠まれた句という。
 病いに加え、老いからくる衰えを自覚して詠まれたのであろう。


 老いというものは、非常にゆるかにやってくると感じるときと、高い階段を一段すとんと落ちたように感じるときとある。猛暑に耐えた今年などは、後者の方である。それだけに、芭蕉の句が心にしみるのであろう。

気の向くままに

2018-09-28 | 散歩道
 今日は秋日和。
 今晩遅くから雨になり、台風24号の影響も加わって、明日からさらに翌日にかけて、雨の日となるようだ。風も吹くかもしれない。
 街へ出かけるなら今日と、午後、バス停に向かった。
 行き先を決めないままに。
 益田川のほとりを歩いて、久しぶりに<ギャラリーうつわ>に行ってみようかと思ったが、イオン前でバスを下りると、喫茶店でくつろぐ気分でもないように思えた。
 結局、イオンの中をぶらぶらし、口慰みになるものを求めたり、花屋さんで、花を眺めたりした。

 果物売り場に、柿が並んでいる。柿の季節になったのかと、嬉しくなる。
 小ぶりの柿が目に止まった。筆柿とある。私は食したことがない。一パック求めてみた。

          

 花屋をのぞくと、ハーバリウムが二つ置いてあった。
 結局は安くて小ぶりのものを求めた。<陽>の雰囲気を部屋に添えるために。(写真)

             

 ハーバリウム(herbarium)とは、「ドライフラワーなど入れ、オイルで満たした観賞用の小瓶」ということのようだ。本来は、「植物標本、植物標本室」の意。

 もう一つ、観葉植物の名前を覚えた。
 よく見かけるし、先日Kさんにいただいたフラワーアレンジメントの中にもあった「アンスリウム」。

         

 大塚には曼珠沙華がないと、散歩の折に思っていたが、バス停の近くで見つけた。
 もうあの魅力的な燃え盛る色は失われているけれど。

         

             

 曼珠沙華の群れて咲く姿を見ると、必ず木下利玄の歌を思い出す。今日は秋の陽射しの濃い日でもあった。

   曼珠沙華ひとむら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径


               今日の朝陽
         
                6時5分

         
                6時15分

 朝陽を眺めつつ思うことは、「今日こそ、<まるく丸く>」だが、なかなか心穏やかに生きられない。
 施設には、隣近所の境があってなきがごときものである。傍若無人な話し声に、集中力が削がれてしまう。
 




雲、悠々自適

2018-09-27 | 身辺雑記
 11時の空。
 雲は悠々と山の端を散歩。
        

 施設の中の人が、みんな一斉に転居したかのように、人語も物音もなく、これは一体どういうことなのだろう? 深夜の施設の静かさだ。
 私が、タブレットのキーを押すかすかな音だけが聞こえている。右隣のSさんが、デーサービスの日で不在であることは分かっているけれど……。
 私は静寂が好きなので、一向に構わないけれど、一瞬、黄泉は、こんな世界なのだろうか? と考える。私の魂だけが、一切との交渉もなく、ゆらゆらしているような……。しかし、幽冥界への連想は、昼食配膳車の音で、間もなくかき消されるであろう。

 (今日こそは、22日以来の未投稿ブログを完成しようと考えている。)

        
            早朝、6時20分の空
 朝日の昇る位置が、平家山を遠く離れ、権現山に近づきつつある。

波音の高い海辺

2018-09-26 | 散歩道
 廊下端のソファに座った人の私語が、あまりに耳障りなので、夕食前の散歩に出かける。
 南廊下のテーブルにT夫妻の姿が見えた。初対面のご主人に挨拶する。昭和3年と6年生まれのご夫妻らしい。
 (90歳まで命永らえることのできなかった、昭和3年生まれの兄と同年の男性が、私の知るかぎりでは、4階に3人はいらっしゃる。)

 雑談を交わした後、階下に降りて、海辺を歩く。
 今日は、波音が高い。
 白浪が威勢よく、磯に打ち寄せている。
 9月も下旬、吹く風は心地よい。

        

        

        
            海を背に眺めた空
            怪しげな雲の広がり

        
            コスモスと小さな黄花
              (人家の庭)
    海辺から大塚神社の方向に歩き、施設を一周。2500歩の散歩。

            

        
             施設内の曼珠沙華
              黄みの濃い花

 散歩途中には曼珠沙華が見当たらない。草刈機は能率的で有能な機械だが、秋の風情も一緒に刈り取ってしまうのが残念だ。昔の野辺には当然のごとく存在した秋の七草が、なかなか見つからない。

河口の部屋に戻って

2018-09-26 | 身辺雑記
 家にいると、食生活がいい加減になる。
 いい加減といえば、家の内外の掃除などもそうである。
 すべきことはたくさんある。
 が、もう少し心身ともに調子のいいときもあるだろうと考え、常会費の支払いも済ませたし、台風が来るかもしれないし………と、口実をいろいろ考えて、お昼前に施設へ戻った。

         
        Kさんからいただいたフラワーアレンジメント
             私の部屋の唯一の華やぎ
            (無事に咲き続けていた。)

         
        帰宅前に求めたカランコエの白い花も咲き増えて

            
            散歩のとき、持ち帰った野の花
               薄紫の小さな花

   タクシーを待ちつつ、庭をぶらぶら。横庭で見つけたマメ科植物の実。
                        ヤブツルアズキの実

完全休養日

2018-09-25 | 身辺雑記
 23日、24日と知己・血縁者との対話が続き、平素はひっそりと暮らしているので、少々疲れて、今日は完全休養日。

 目覚めたのは6月半だったが、今日の新聞を読んだ後、不在中にたまっていた新聞を読了。
 ベッドを離れたのが、10時半であった。

 4時間も同じ姿勢でいたので、腰にこたえた。腰骨が硬直した感じ、動かそうとすると痛い。が、10分もすると、回復。平常の動きに戻る。

 朝食兼昼食の食事を12時に済ませる。
 が、なんだか気だるく無気力である。最近テレビはほとんど見ない。(昼と夜のニュース以外は)
 騒々しいのが嫌になった。みんな大きく口を開いて笑っているような番組が多すぎる。嫌なら見なければいいのだ。そもそも人生の半分近くは、テレビのない時代を生きたのだから。

 題名だけ入れたブログがたまっているけれど、書く気にもなれない。
 秋晴れの好天なので散歩に出かければいいと分かっていても、それにも気分がのらず、結局、椅子に座って様々に想いを反芻するだけ。視覚聴覚を休ませたい感じだ。ボーとして過ごす。

 朝日新聞には、瀬戸内寂聴のエッセイ『残された日々』が、毎月第二週目の木曜日に掲載されている。
 今朝、ベッドで読んだのは、13日のものだったのだろう。

 (私は、不在中にたまった新聞を読まずに資源ごみに出そうとは、今のところ思わない。大方は、ニュース性を失った記事となるが、読み物として楽しめる記事がかなりある。読まずに反故にするのはもったいない。スポーツ欄などは斜め読みし、<カープ6連敗>という記事には、そうそう6連敗があったと、その不甲斐ない連敗を思い出し、優勝が目の前なのに、最近も勝てないなと、想いを巡らせたりする。新聞や本は、物言わぬ静かな同朋! であり、話し相手の感じである。)

 <………この執拗なわが生命は、この世に見苦しくしがみついている感じで、私の美意識に反することおびただしい。何とか、もういい加減にこの世におさらばできないものかと、真実思い悩んでいる。………>

 全く同感である。1922年生まれの寂聴さんより11年遅くこの世に出てきた私なのだが、思いは同じである。世のため人のためになるわけでもなく生きている今が、決して快くはない。寂聴さんの方は、老いてなお大いなる仕事をなさっているのだが……。

 昨日、妹たちと、リンドウの花は、十分開花しないのだろうか? と話した。
 お供えした花の水換えをしようとして花立てを手にすると、桔梗のようなぱっとした開き方ではないけれど、少しだけ花芯を見せていた。

        
               お供えの花
             リンドウの花の半開き

 完全休養日は、食事にも消極的で、いい加減になる。
 遅い夕食を済ませ、庭に出てみると、冴え冴えと月が出ていた。
 一日遅れのお月さまを眺める。

        
             10時過ぎのお月さま

墓参の日

2018-09-24 | 身辺雑記
 お彼岸の墓参。
 甥夫婦の車で、今秋もお墓参りをすることができた。まだ此岸にいて。総勢6人。

                墓地周辺
        
               ミズヒキソウ
            (ずいぶん丈高く伸びて)

            
             ススキの穂はまだ若く
         (終日の曇り日。夜、中秋の名月はなく)

        
            レストラン<とみ>で昼食
           希望者には、鮎を添えてもらって

               前庭のオクラ
        
             写真の左よりに蕾
         野菜のオクラと違って花はピンクとか。
         蕾の先端に、ピンク色がのぞいている。

        
               オクラの実

        
               いただいた実

        
               割って種を乾燥

 6月が撒き時とか。
 大事に保存しておいて、命あれば撒いてみよう。
 かつてヒマワリを育てたように、うまくゆけばいいのだが、育てるのは、そう簡単なことではないだろう。


 イノダ珈琲店に場を移して、語らいの時を持つ。
 特別若いAYAちゃんが退屈そうで、気になった。
 私と二人の妹は、半世紀以上もの年長である。面白くないのも当たり前。
 みんなが和める場づくりというのは、難しいものだ。


        
         駐車場のそばに咲いていたヘクソカズラ

<まるくまん丸>木喰仏

2018-09-23 | 身辺雑記
 久しぶりに日曜美術館を見る。
 内容は、木喰仏について、であった。

 いくつもの木喰像を見ながら、どれだけ心が和んだことか!
 日ごろの自分を省みることにもなった。

 木喰像を黙々と彫み続けた木喰上人についても、もっと知りたくなった。
 柳宗悦の『木喰上人』もぜひ読んでみたい。

 (生活の場が二箇所になったため、アマゾンへの注文がしにくくなっている。
     長く在宅するとき、忘れぬように注文したい。)

 心がやんちゃを言うとき、木喰上人の歌を口ずさみたい。

 みなの人の 心はまるく  まん丸に どこもかしこも まるくまん丸

 丸々と まるめまるめよ わが心 まん丸まるく まるくまん丸

珊瑚樹の実

2018-09-23 | 身辺雑記
 帰宅して、常会費をNさん宅に届ける。
 ひとりでに、珊瑚樹の垣根に目を注ぐ。
 と、濃い緑の茂る葉蔭に、赤いものが見える。
 珊瑚樹の実が、見事に色づいたのだ。

 赤いつぶつぶが集まって、豊かな房となっている。
 (4月〜9月まで、常会費を届けるたびに、N邸の珊瑚樹と仲良くした。)