草花舎でお会いするごと、<家に来て>と誘われていた。私の家から、100メートルも離れてはいないのに、誘いに応じないのは、なんだか壁を作っているようで、気になっていた。心に壁はないのだけれど、私とスーザンさんの間にあるのは、言葉という壁である。
しかし、それに拘っていたら、永久に訪問は不可能であろう。
そこで、今日は庭に咲いた<キョウカノコ>と<シモツケ>の花を届けたのであった。
あわせて、昨日、近所からもらったグリンピースのおすそ分けと。
さらに、大いに迷った挙句、今朝炊いた<豆ご飯>を、お結びにして二つ。
スーザンさんの家に近づくと、彼女は飛び出してきて、歓迎された。挨拶用語は、日本語で話し合うからいいとして、後の接ぎ穂がうまくゆくかどうか、やはり心配だった。
なんという幸いだったろう!
いつも日本語会話の勉強に付き合ってくださっている、草花舎のTちゃんが、来訪中だったのだ。Yさんの弟さんと一緒に。昨夕、求められたテレビの設置中だった。
早速、スーザンさんは、住まいを案内してくださった。
ここはオフィス、ここは応接間、ここは居間と…。ベッドルームからキッチンまで、5部屋全てを案内してもらった。
全体の印象は白のイメージ。空間が広々としていて、ゆとりが感じられた。白という色がかもし出す雰囲気なのだろうか。
私の部屋のように、ごみごみしていない。
小さな山の木々や竹やぶだけが見える窓、まだ整備は不十分なお庭の見える窓、屋並の見える窓と、変化に富んでいる。スーザンさんが気に入っておられるわけを十分理解できた。
カラスが飛び、雀が来る。そんな鳥たちとの会話も楽しんでおられるふうだ。
私がカラスは苦手だと話すと、スーザンさんは京都で道に迷ったとき、カラスが道案内をしてくれたと、その利口ぶりが気に入っている様子であった。
知り合いからもらったものだと、一羽の雀を描いた絵を見せてくださった。雀も好きな鳥らしい。
ゴマ入り煎餅と紅茶をいただきながら、キッチンのテーブルで話す。
早速、学習ノートを開いて、<キョウカノコ>や<シモツケ>の名をメモしておられた。
グリンピースや豆ご飯は、あらかじめTちゃんに、スーザンさんのお口に合うだろうかと、尋ねてから渡した。
ご飯はお好きなのだと、電気釜も置いてあった。
私は、料理が下手なので、豆ご飯は美味しくないかもしれない、と断っておいた。
実は昨夕、隣家から沢山のエンドウ豆をいただいた。莢のついたまま。
昨晩はテレビを見ながら、小一時間をかけて、莢を取った。案外手間のかかるもので、手際よく莢から実を出せるようになった時には、残りわずかとなっていた。
豆の量の多さを眺めながら、新鮮なうちに食べきれるだろうかと、案じた。
そこで、スーザンさんにすそ分けし、Tちゃんにももらっていただくことにした。
十二時のサイレンを聞いて、辞去した。
スーザンさんは再度の来訪を促し、散歩も一緒にしましょうと、玄関に佇み、私が道の角に姿を消すまで、手を振っておられた。
心奥に、芸術家としての個性と独創生を秘めながら、一方、気取りのない、人懐こいアーティストである。
(添付写真は、五月初旬に撮ったエンドウの花。)