半藤一利 著
『日本のいちばん長い日』
<降伏か、本土決戦か。
運命の24時間を再現した
大ベストセラー
不朽の名作> (帯のことば)
文庫本のカバー下に、<AUG.15,1945>とある。
ここに描かれた内容は、終戦直前の一日(1945=昭和20年8月14日正午から翌15日正午まで)の記録である。
私たちの日常にある、ごく平凡な一日ではなく、歴史の大転換に関わる特別な一日が、特に、戦争に関わりのあった政治家や陸海軍兵士らに関わる記録である。
登場する人たちの行動や心情が、精緻に描かれている。
<その日>について、考えるとき、私自身は、記憶喪失者ではないかと疑いたくなるほど、当時(当日)の記憶が不鮮明である。
終戦は、女学校に入った年で、12歳の夏であった。
<その日>から、76年間、私なりに多忙な人生を生きてきたのだが、ふと振り返ると、当時のことが、非常に曖昧模糊としている。<その日>のことが、具体的に思い出せないのだ。
その日、どこにいて、どんな思いで、天皇の玉音を聞いたのか?
同じ環境下にあった友人の思いを聞いてみたいけれど、親交のあった友人はみな、今は幽冥界を異にし、語り合うことさえできない。
肝心な日のことは思い出せないけれど、子どもながらに、戦争は嫌いだった。
江津に住んでいた幼少期、よく遊んだ石見カルタには、「浜田連隊 強い兵」と記されていたけれど、私は、家前の道路(当時は舗装もされていなかった)を行軍する浜田連隊の兵士を折々目にして、強そうだと一度も思ったことがない。背嚢を背負い、鉄砲を肩に担いで、砂埃の中を行進する姿は、少女の目にはもの悲しくさえ映った。私は兵隊さんはかわいそうと涙ぐみつつ行軍を眺めていた。
軍服のカーキ色は、あの当時から一番嫌いな色になった。
石見の片田舎で暮らしていたので、戦火にまみれることはなかったし、疎開生活を体験することもなかった。戦時下らしい苦労は微細なもので、被災地の人たちに比べれば、申し訳ないほどのものであった。
桑の皮剥、蚕の餌やり、薪負いなど、勤労奉仕の名のもとに、学業を割いての作業をした日々を別に不満に思ったわけでもないけれど、ただ、戦地の兵隊さんに慰問文を書いたり、戦勝祈願に神社へお参りに行くときなど、子ども心にも、なんだか一心になれず、うまく説明できないまま、矛盾のようなモヤモヤした気持ちを抱いていたことを折に思い出す。
女学校に入ってからは、すでに耕されていた校庭にサツマイモを植えたり、塩田を作るために、バケツに松原湾の海水を汲み、プールまで運ぶ作業をしたりした。私は虚弱だったので、かなり苦痛な作業であったことは覚えている。が、お芋ができたのか、果たして塩が精製されたのかは、何も覚えていない。
私たちの学年は、入学して4か月で終戦を迎えたので、幸運であったとも言える。
しかし、本土決戦に備え、護身用の錐を首にかけて登校したり、藁人形を対戦国の人に見立てて竹槍で突く練習をしたりの、いかにも無意味としか思えないことから解放され、自由にのびのび暮らせらようになったのは、とても嬉しかった。
ただ、戦中よりも戦後、食べるものに困ったことだけは、田舎といえども変わらなかった。女学校で実際にあったお弁当泥棒事件など、悲しい思い出は忘れられない。
ほっとした気分で、新たな日々を迎えたことは確かである。
しばらくは、進駐軍の兵士(大方は黒人)のいる光景があたり前になったりしたが、強いられた生活から解放された喜びは大きかった。
今回改めて史実の詳細を知り、考えさせられることが多かった。
思想は簡単に統制されることの怖さを感じるし、若い兵士などの心に、強引に叩き込まれた思想や生き方は、容易に変えがたいものであることなど、改めて強く感じた。
戦時下の子どもであった私なども、奉安殿に毎朝毎夕最敬礼をしたり、教育勅語を丸暗記したりはしていたが、それらは案外簡単に脱ぎ捨てることのできる衣であった。
が、軍隊で叩き込まれた思想や信念は、そう簡単に片付くものではなく、終戦を前に、死を選ぶという悲惨な出来事も、また本土決戦こそ歩むべき道と決起した若い兵士たちもいて、<その日>には、その日でなくては起こり得ない出来事がたくさん刻まれたのであった。その詳細を作者は克明に書き残している。
時代が大転換するにあたって、その前後にどんな経緯があったのか、私は詳細を知ろうともしてこなかった。それだけに、今回の読書は、とても意義あることに思えた。また、その史実を掘り起こし、一冊の本に書き残された半藤一利さんの仕事にも、敬意を表したいと思った。
戦中から戦後へと時代が大きく変わる時代を体験した人々の数は、次第に少なくなっている。
現に、著者の半藤一利さんも、今年1月に他界された。(その死が、私にこの本を読ませる契機となったのだが……)
『日本のいちばん長い日』が、単行本として出版されたのは1995年。文庫本化は2006年とある。以来版を重ね、多くの人に読まれているのは嬉しいことだ。
若い人にとっては、昭和はすでに<過去の歴史>かもしれない。が、遠いようで近い歴史こそ、しっかり学ぶことが大事であると、私自身、この本を読んでつくづく感じた。特に、若い人たちに勧めたい本の一冊である。
(今回も、思いを理路整然とまとめられなかった。本論から外れて、私事の思い出を挟みすぎたりして、脱線の多い文になってしまった。が、根気がかなり失せてきたので、要領の悪いまま、擱筆する。)