日常の中で、あまり日にちや曜日を意識することがない。
が、ボケ防止に、今日は、<◯月◯日◯曜日>と言ってみることはある。
河口の部屋では、一仕事(?!)を終えると、
立ち上がって、窓辺に佇んで外を眺めたり、
屈伸運動をしてみたりする。
10時過ぎ、窓を開けると、拡声器からの声が聞こえてきた。
左前方に見える小さなグランドで、地区の運動会があるらしい。
(今日は霞がかかっていて、レストラン<とみ>も、高島も見えない。)
(グランドの向こうにある山も、うっすらとしか見えない。)
双眼鏡を取り出しグランドをのぞいてみる。
テントが8張り。
(町内会別のテントだろうか。)
一縄が張られ、旗がなびいている。
小規模ながら、運動会の風情である。
今日は土曜日であるという自覚はあったが、【昭和の日】(祝日)であるとは、意識になかった。
ふと、29日は、義姉の誕生日であることを思い出した。
お祝いのメールを送る。
しかし、返信は期待していない。
私より身体的には不自由が多い。
心身ともに、難儀だろうと思う。
自立しているつもりの私だが、老いを生きるのは大変なことだと、心弱くなる日もある。
ここに来る前日、姪からレターパックが届いた。
手紙とポーチ(下の写真)が入っていた。
手紙によると、友達の妹の作品で、ネットでも販売されているとか。
軽くて、柄も品良く、気に入っている。
早速、ネックレスやイヤリングを入れて、河口の部屋に持参した。
病気がちな母(私にとっては義姉)への気苦労が多い上、叔母の私への気遣いまで、大変なことだ。
<余録>
河口の部屋で暮らすようになって、4か月が過ぎた。
同じ階の人たちに会えば、挨拶をするだけ、簡単に誘いに乗ったり、誘ったりはしない生き方を選択している。
長い過去を背負った人たちと、容易に仲良く睦まじくとはいかない。
自分流で、生きるのが一番!
と、最近やっと気づいた。
幸い、やりたいことは沢山ある。
心の萎えることはあっても、退屈を覚えることはない。
4階の人たちの、しかも一部の人のことしか知らない。
二部屋の人が、自立できなくなって部屋を出られた様子だ。
そのうちの一人(男性)は、車椅子生活だった。
一度だけ、落日を眺めながら、話したことがある。
ここには自治会のようなものはないので、新参者の私には、様子が分からない。
たまたま廊下で会った人から仄聞するだけである。
全く周囲への気遣いが、必要ないのは楽である。
(家の方の自治会には、なんの協力もできず、絶えず負い目を感じているけれど…。)