8月が終わる。
猛暑と豪雨の繰り返される8月であった。
昨日今日は、雨のため、暑さがおさまり、凌ぎやすくなった。
少しずつ秋が深まるのだろう。
暑さ嫌いには、ありがたいことだ。
なだいなだ著、 『とりあず今日を生き、明日もまた今日を生きよう』を読了。
お盆前に、アマゾンに注文した、なだいなだ著の3冊のうち、『とりあえず…』の配送が一番遅く、入手は28日となった。
このエッセイ集の発行は、作者の生前には間に合わなかったようだ。
初版は、2013年6月21日。(私に届いた本は、第2刷目である。)
なだいなださん(1929~2013)の逝去は、今年の6月8日であった。
著書読了の後、ブログのあることを知って、PCを開いた。
「第4楽章の始まり」と題したブログが、2011年5月3日に投稿されている。
それは、前立腺がん、発覚の日のようだ。
そのブログの最後は、<終楽章の始まり。時限爆弾を抱えたようなもの。終りの始まりを意識する。カルペ ディエム>で、結ばれている。
が、その後、2年間は、あまり問題もなく、フランスへ旅立ったり、著作、講演など、多忙な日々を過ごされた様子だ。
膵臓へのがん転移が判明したのは、今年の5月末だったのだろう。
5月29日、 「これから病床日記を始めます」が投稿され、 「がん告知は」 (5月31日)、 「さまざまな知恵」 (6月3日)、 「きつい一日」 (6月6日)と続いて、なだいなださんのブログは、永久に閉じられてしまった。
エッセイの中に、 「とりあえず主義」と題した文章もあり、 「カルペ・ディエム」 (とりあえず≪今日を生きよう≫というラテン語の格言)は、なだいなださんの人生の指針であり、アルコール中毒の患者などに接するときの姿勢でもあったようだ。
晩年のエッセイ集なので、人が80歳という老年になって、初めて体験する老いの実感は、私の今と相通じるものが多い。
またほぼ同時代を生きてきたということは、生きた時代背景かかもす空気感に類似性があり、親しみやすい。
深刻ぶることなく、著者の考え方や生き方が語られており、気楽に読めて、しかも読み応えのある一冊であった。
ブログによると、本の題名『とりあえず今日を生き、明日もまた今日を生きよう』は、作者の意図を汲み、編集者によってつけられた様子である。
私も、とりあえず今日を生き、明日もまた、今日を生きよう。
なださんに倣って、「カルペ・ディエム」と呟きつつ、最期(命の終わる日)に向かって、全くの見通しもないまま、人生最晩年のくねくねした険しい道を歩んでゆこうと思っている。
猛暑と豪雨の繰り返される8月であった。
昨日今日は、雨のため、暑さがおさまり、凌ぎやすくなった。
少しずつ秋が深まるのだろう。
暑さ嫌いには、ありがたいことだ。
なだいなだ著、 『とりあず今日を生き、明日もまた今日を生きよう』を読了。
お盆前に、アマゾンに注文した、なだいなだ著の3冊のうち、『とりあえず…』の配送が一番遅く、入手は28日となった。
このエッセイ集の発行は、作者の生前には間に合わなかったようだ。
初版は、2013年6月21日。(私に届いた本は、第2刷目である。)
なだいなださん(1929~2013)の逝去は、今年の6月8日であった。
著書読了の後、ブログのあることを知って、PCを開いた。
「第4楽章の始まり」と題したブログが、2011年5月3日に投稿されている。
それは、前立腺がん、発覚の日のようだ。
そのブログの最後は、<終楽章の始まり。時限爆弾を抱えたようなもの。終りの始まりを意識する。カルペ ディエム>で、結ばれている。
が、その後、2年間は、あまり問題もなく、フランスへ旅立ったり、著作、講演など、多忙な日々を過ごされた様子だ。
膵臓へのがん転移が判明したのは、今年の5月末だったのだろう。
5月29日、 「これから病床日記を始めます」が投稿され、 「がん告知は」 (5月31日)、 「さまざまな知恵」 (6月3日)、 「きつい一日」 (6月6日)と続いて、なだいなださんのブログは、永久に閉じられてしまった。
エッセイの中に、 「とりあえず主義」と題した文章もあり、 「カルペ・ディエム」 (とりあえず≪今日を生きよう≫というラテン語の格言)は、なだいなださんの人生の指針であり、アルコール中毒の患者などに接するときの姿勢でもあったようだ。
晩年のエッセイ集なので、人が80歳という老年になって、初めて体験する老いの実感は、私の今と相通じるものが多い。
またほぼ同時代を生きてきたということは、生きた時代背景かかもす空気感に類似性があり、親しみやすい。
深刻ぶることなく、著者の考え方や生き方が語られており、気楽に読めて、しかも読み応えのある一冊であった。
ブログによると、本の題名『とりあえず今日を生き、明日もまた今日を生きよう』は、作者の意図を汲み、編集者によってつけられた様子である。
私も、とりあえず今日を生き、明日もまた、今日を生きよう。
なださんに倣って、「カルペ・ディエム」と呟きつつ、最期(命の終わる日)に向かって、全くの見通しもないまま、人生最晩年のくねくねした険しい道を歩んでゆこうと思っている。