ぶらぶら人生

心の呟き

源田山の朝焼け

2006-08-31 | 散歩道
 朝、出かけるときには、小雨が降っていた。
 安物のビニール傘をさして、歩き始めた。上空はそう暗くない。そのうち雨は上がるだろうと判断し、持ち重りしない傘を選んで。
 果たして、五分もたたないうちに、傘をたたむことになった。
 昨日の、蓮の花の咲いた池をのぞいてみたくて、今日も昨日と同じコースを歩いた。
 国道9号線は、朝から車が多い。しかし、私の歩く範囲の歩道は、幅員が広くなっていて、大型車が通っても、威圧感を受けなくてすむ。風圧からも身を守りやすい。

 真正面の空が、明るんでいる。
 源田山の上が、朝焼け色に染まっている。
 地元の人しか、その名を知らない、標高の低い平凡な山、それが源田山だ。謂れのある山かどうかも知らない。昔は村境の役目を果たしていたのだろう。今は、市町村合併が進んで、H市とM市を境する山ということになる。

 昔々、源田という、慈悲深い、とても優しい、人思いの爺さんが住んでいて、いつも村人に目を配り、困った人があれば助け、源田爺さんのお蔭で、村人はみな幸せだったとサ、そんな話でも語り継がれていそうな、穏やかな山だ。

 その稜線の上が、今朝はきれいな朝焼けなのだ。
 <夕焼けは大日の元 、明日はいいお天気ですよ>と、夕焼け空を見ながら、昔、母が言っていた。逆に、朝焼けは、天気の崩れに関係あるのだろうか。

 追記 改めて、「故事 ことわざの辞典」<小学館>を開いてみたら、朝焼け、夕焼けに関して、次のようなことわざがあった。
 「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」「朝焼けはその日の洪水」「夕焼けに鎌を研げ」
 
やはり朝焼けは、昔から、お天気の崩れる兆し、と考えられてきたようだ。
 日常誰もが眼にする自然現象に対しては、表現の違いこそあれ、洋の東西を問わず、似たような意味のとらえ方が、されてきたのだろう。)


 国道をそれて、海の見える県道に曲がった。
 やがて蓮池が見えるはずの道を歩いたが、昨日のように、畑の向こうから、仄かな紅色をのぞかせて、手招きしてくれる蓮の花の姿を、見ることはできなかった。
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蓮の花、あれこれ

2006-08-30 | 身辺雑記

 小学生の頃、借家住まいをしていたことがある。
 その家の横に、大きな蓮池があった。
 あの大きな蓮の葉は、子どもには馬鹿でかくて、お化けのように見えた。
 その池に夏が来ると、水面から高々と茎を伸ばして、美しい蓮の花が沢山咲いた。子ども心にも、清らかで気高い花に思えたものだ。
 池の水は、庭への水撒きなどにも使っていた。お風呂場の横に、深い井戸があったが、今、水道の水を自在に使うほどの水量がなかったのかどうか、一部は池の水に頼っていたように思う。水汲みは、子どもの仕事だった。
 池の中には、遊び仲間がいた。ミズスマシやアメンボウなど。
 ミズスマシは、器用に水面をくるくる滑走し、アメンボウは、長くて細い足で、軽やかに飛ぶように、水面を滑走していた。音のない静かな世界だった。
 美しく咲いた花は、後に実をつけた。漏斗形の上部には黒い穴があって、そこに実ができた。生のままで食べた記憶があるわりには、味の印象が薄い。甘味があって、いささか濃厚な味ではなかっただろうか。
 桑の実や山桃の実のようには、その味を鮮明に思い出せない。
 歳時記には、「熟しきった実は、巣孔の中から飛び出して水中に落ちる。」とある。
 面白そうだが、それを見た経験はない。私たち子どもは、飛び出す前に、実を取り出して食べていたのだろうか。
 蓮の花は、夜明けに開花するとき、ぽんと音を立てると言われている。それは俗説らしいが、あの大きな花なら、弾け咲くとき、しじまの中で、耳を澄ませば聞こえるほどの、澄んだ音を放っても不思議ではないような気がする。

 今朝、散歩の途中で蓮の花に会い、子どものころを思い出したり、蓮にまつわる事柄を考えながら、帰途の道を歩いた。
 まず、子どもの頃の思い出についで、頭に浮かんだのが、遍照の有名な歌だった。

 はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露をたまとあざむく

 中原中也の詩にも蓮のことがでてきたと思うのに、詩題も関連の詩句も思い出せない。詩集「山羊の歌」は、かつて諳んじていたはずなのに、と記憶の不確かさを嘆いた。
 帰るとすぐ中也の詩集を開く前に、私自身が、丁度十年前に編集した「中原中也全詩・語彙索引」を開けてみた。
 師の中也研究の手助けをするかたわら、師の助言もあって、随分時間をかけて編集した本である。
 こんなところで役立つとは、と思いながら<語彙索引>のページを繰った。
 すぐに出所を確かめることができた。
 <初期詩編>中の「黄昏」という詩だった。
 詩集を開く。

 渋つた仄暗い池の面で、
 寄り合った蓮の葉が揺れる。
 蓮の葉は、図太いので
 こそこそとしか音をたてない。

 音をたてると私の心が揺れる、
 目が薄明るい地平線を逐ふ……
 黒々と山がのぞきかかるばつかりだ
 ――失はれたものはかへつて来ない。


 と、詠われている。
 この二連の後に、三行ずつ、更に二連が続く。14行からなるソネット形式の詩だが、今は「黄昏」詩を問題にすることが目的ではないので、引用は、蓮に関わる最初の二連だけに留める。
 一連の叙景は、文字通り、読んで意味がとれ、蓮池の様子をよく表現しているが、中也は、単に蓮池を詠うことが、ねらいではないだろう。
 二連の最後は、<失はれたものはかへつて来ない>と、詠っている。
 まさしく、失われたものはかえってこない……のだ。

 昨年の十二月、上京した折、上野の不忍池の湖畔を散策した。
 お天気はよかったが、風景は冬の蕭条とした趣だった。
 不忍池の一部を埋めつくす蓮は、佇んだままの枯れ色だった。

 そんなことも、今朝見た蓮の花は、思い出させてくれた。

 

 

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蓮の花

2006-08-30 | 散歩道
 散歩の途中、畠の奥に薄桃色の花が、一つ揺らいでいた。
 視線を送ると、<おいで、おいで>と、招いている。
 蓮の花に違いない。そう判断すると、田んぼの、草に覆われた畦道を歩み始めていた。朝露にズボンの裾を濡らしながら。
 近づいてみると、紛れもなく蓮の花である。
 久しぶりに見る蓮の花であった。
 携帯に収めたが、Lサイズに設定するのを忘れたまま撮ったので、小さな写真になった。
 とりあえず、今日のブログに留めておこう。

 朝の散歩を三日続けた。

 健康のために歩くというのは、あまり気が進まない。
 この頃、せっせと歩く人が多い。健康志向の塊みたいで、なじめない。
 おかしな性質で、良いと分かっていても、流行に乗るのが嫌いなのだ。
 しかし、年々、体の弱りを自覚し、私なりの健康法を考えなくてはいけないと思い続けてきた。
 「田中式 ストレッチング・ステッパー」という足踏み器を買ってみたりもした。いつでも踏めるように、目に付くところに置いてあるのだが、日に一度、五分程度、器械に乗ればいい方で、全く無視の日の方が多い。
 
 父は、晩年、ひたすら歩いた。このことは前にも書いたが、日記に歩いた距離を記し、地球を一周したと、嬉しそうだった。私はその姿を、内心冷めた目で眺めていた。そこまでしなくてもいいのではないだろうかと。しかし、96歳の死の日まで、自分の足で歩けたのは、足を鍛えぬいたことと無縁ではないかもしれない。それに、父の時代、まだ歩く健康法など、唱える人はいなかった。あれは父自身が、自分の健康のために考え出した、独創的な健康法だったのだ。
 その点、母は70過ぎに病臥の身となったせいもあるが、再起に向けて努力する人ではなかった。介護者の愛を存分受けて、89歳で死去するまで、布団の上での余生を楽しんで、それなりに幸せそうだった。
 私の場合、母のようには生きられないのだから、何とか自分で自分の身を守らなくてはならない。が、それにしては、自覚も努力も足りないままに、今日まで来てしまった。
 
 歩くのが、手っ取り早く、誰にでも実践しやすい、いい方法だとは聞いている。父の姿もみてきた。が、依然として自分流儀の考え方に固執し、歩く気にはなれないで過ごしてきた……。
 別な目的を設けて歩くのはどうだろう?
 そんなことを考えていた矢先、「オムロン体脂肪計」という簡便な測定器を貰った。
 早速量ってみると、体脂肪が「やや高い」と表示され、「かくれ肥満」とある!
 これは大変! 何とかしなくては、という気持ちになった。
 ここ三年の間で、体重が3キロも増え、気にはなっていた。
 オムロンの器具に添えられた「体脂肪チェックで健康管理」を読むと、BMI値が、普通でも、「かくれ肥満」は、あり得るというのだ。私のBMI値は、「やせ」に近い「普通」なのに、「かくれ肥満」間違いなし、らしい。
 そう指摘されて、私の体躯を自己分析すると、筋肉らしい筋肉が乏しく、骨量が少なく、その小さな骨を覆っているのは、専ら、脂肪と水分なのである。「オムロン体脂肪計」が示す評価は肯けるというものだ。
 やはりなんとかせねばならぬと、思い始めた。
 歩くために歩くのではなく、自然を眺めることを主体の散歩、ということにでもすれば、楽しみながら継続できそうな気がして、早速、実践を開始した。
 「オムロン体脂肪計」のお蔭で、三日間、散歩を続けた。
 そして、今日は、蓮の花に出合うという喜びに浸ることができた。

 そこで今朝、ブログに新たなカテゴリー「散歩道」を設けた。
 散歩の途次で見つけた、季節のうつろいなど、小さな発見を書きとめてゆくことにすれば、書くという、自分の好きな行為のためにも、歩くのが楽しくなるかもしれない、と考えて……。

 (蓮の花については、もっと書きたいことがあるが、稿を改めることにする。)
 
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坪野哲久の歌

2006-08-29 | 身辺雑記

 岡井隆編「集成・昭和の短歌小学館)
 坪野哲久(1906~1988)<菱川善夫選より>

  http://shikakankounavi.jp/rekishi_09_tsubono.html

 哲久は、<てっきゅう>と、読むそうだ。著名な歌人らしいのに、そして、その歌は、表現の底に、深い思いのこめられた歌が多いのに、この歌人の秀歌に触れるのは、今回が初めてだった。私の浅い知識では理解困難な歌もかなりあったが、肯いて読むことのできた歌を引用しておくことにする。
 石川県、能登半島の志賀町を古里にもつ人で、そこには、同じく歌人の、妻・山田あきと、二人の歌碑があるようだ。(上記の参照)
 山田あきという歌人は、「集成・昭和の短歌」にこそ取り上げられてはいないが、哲久のよき理解者であり、歌人としても活躍した人のようだ。

 魂(たま)さわぎ内発せんとするものをおし怺へつつ年月隔(としつきさか)る
 阿(おもね)りてあやしきこゑを笑ふゆゑおぼるるごとく孤(ひと)りとなりつ
 戦場に征(い)でたつ友らうらわかし大きなげきをこめつつゆけり
 きはまれるわが渋面をまざまざとみむさだめかや妻としいへば
 木琴をたたきてあそぶ孤(ひと)つかげ秋しばしだにやすらぎあらせよ
 曼珠沙華のするどき象(かたち)夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべき
 母のくにかへり来しかなや炎々と冬濤圧(お)して太陽没(しづ)む
 死にゆくは醜悪(しうを)を超えてきびしけれ百花(びゃくげ)を撒かん人の子われは
 少年貧時の哀しみは烙印のごときかなや夢さめてなほも涙溢れ出づ
 全体のまへに滅すべき個といへどあはれ若者のゆめはつぶすまじきぞ
                       (昭和15年、甲鳥書林刊「桜」より)
 子よなぜに顔に手を当てねむるのかたわいもなきに父はぎょっとする
 仮装せずとルイ・アラゴンはつよく言ふわれら仮装して生きねばならず
 わが父よりわが子に及ぶ苦しみか人生は黄金比のごとくあらず
 眠りつつ悲泣することわれに似て犬のいのちもまた激しきか
 蟹の肉せせり啖(くら)へばあこがるる生れし能登の冬潮の底
                       
(昭和33年、白玉書房刊「北の人」より)
 われ一生(ひとよ)に殺(せつ)なく盗(とう)なくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は
 ひとりおそるる内の狂気のおりおりに異形(いぎょう)のうたをわれくちずさむ
 カルテット肉の肉なる若きこえ直接にしてわれ古びゆく
 卒然と寝に入るつまをあたらしき存在としてその息をきく
 はろばろし銀河流域の学説を話題としつつ老いゆくふたり
 「文学と政治」あに二元なるらめや一身透過のあぶらしたたる
                       (昭和46年、タイガー・プロ刊「碧巖」より)

 昭和15年刊の「桜」には、当然の如く、戦時という時代を投影した歌があり、全体的にも、叙景の歌より、社会詠、人生詠が多いようだ。そうしたところに、この歌人の特色がうかがえる。
 古里である能登を詠ったもの、肉親への情愛を詠んだ歌などには、特に共感を覚えた。
 「子よなぜに……」の歌のような口語調もあるが、文語的な表現の中には、漢語調の言い回しが時折あって、これも、この歌人の特色だろうかと、思った。

 ※ 「蟹の肉せせり……」は、歌碑に刻まれている歌。

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今日の朝日

2006-08-29 | 散歩道
 昨夜は雨が降ったらしい。
 朝の散歩に出かけようと思ったら、地面が濡れている。
 明け方に降ったのか、真夜中に降ったのか、全く気づかなかった。
 空はどんよりしているが、散歩の途中に降り出すことはなさそうなので、傘も持たず、帽子もかぶらずに出かけた。

 30分ばかり歩いて、家に向かっていると、山の端を離れようとする太陽に気づいた。赤く大きな太陽だ!
 朝の遅い私が、昇る太陽を見るのは珍しい。私は完全に落日派(!?)だ。
 思わず携帯電話のカメラを太陽に向けた。(写真・太陽らしいものがわずかに見える)

 朝日の昇りつめた日中は、残暑の厳しい一日となった。
 先刻、珍しく、法師蝉が庭木に来て鳴き始め、今なお鳴いている。
 相変わらず、法師蝉の声はもの悲しく、妙に焦燥感をかきたてる……。
 この蝉が鳴かなくなると、夏は完全に終わる。
 <それまでに、やるべきことを果たしなさいよ>と、急かされているような気分になる。夏は終わるのだからと、けじめを強要されている感じだ。
 昨日、電話してきた妹が言っていた。
 「子どもたちには、ツクツクホーシが、<宿題すんだか、宿題すんだか>と聞こえるそうよ」と。
 「なるほどね」と、言いつつ、法師蝉の声を聞けば、子どもたちも、急かされているような気分になるのだな、と思った。きっと、残り少なくなった夏休みを惜しみながら。

 ツクツクホーシの声に、過ぎ行く季節への哀愁と焦燥を覚える点では、大人も子どもも同じらしい。
 
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葛の花

2006-08-28 | 散歩道

 朝の散歩中に、葛の花を見つけ、携帯電話のカメラに収めた。(写真)
 秋の七草との出合いは、撫子、女郎花についで三つ目である。

 猛々しく茎を伸ばした葉陰に、紫紅色の葛の花が咲いていた。
 家裏の崖を覆う葛には、まだ花が咲かない。
 土地土地によって遅速があるのだろう。

 「葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。この山道を行きし人あり」
 
釈迢空の歌を口ずさむ。他に葛の花を詠った詩歌を知らず、バカの一つ覚えのように、葛の花を見れば、釈迢空ということになる。

 葛の花が、ほのかな香を放つことを知ったのは、そう遠い昔ではない。よほど近づかないと、気づきにくい香である。
 歳時記の中に、
 「葛の花むらさき色の匂ひせり」
 
という気に入った句があった。作者は菊池阿津子という人。
 自己主張の乏しい香を「むらさき色の匂ひ」と表したところがいいな、と思う。この場合、<むらさき>を<紫>と漢字表記しなかったところもいい。

 電線上に一羽、小型の鳥がいて、「ピーピー チュツピー」と声高に鳴いていた。
 何鳥だろう?
 私が遠ざかり、電線上の姿が見えない距離に移動した後も、「ピーピー チュツピー・ピーピー チュツピー」の声は、追いすがるように耳に届いた。  

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NHK交響楽団演奏会

2006-08-27 | 身辺雑記

 「グラントワオープン1周年記念事業として、いわみ芸術劇場大ホールで、NHK交響楽団演奏会」が行われた。

 曲目  モーツアルト    フィガロの結婚序曲
      ラフマニノフ    ピアノ協奏曲第2番ハ短調      
      チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調
 指 揮 アンソニー・ブラマル
 ピアノ  ミハイル・ペトコフ


 夕方五時から七時過ぎまで、N響の生演奏を堪能した。
 なじみの曲3曲が、途中に一度の休憩を挟んで演奏された。
 テレビの演奏を聴いたり、CDで聴いたりするのと違って、時には、それぞれの楽器から流れる個々の音色を楽しんだり、総合的な音の塊に圧倒されたり、楽しいひとときだった。
 「グラントワ」ができたお蔭で、音楽や絵画を楽しめる機会が多くなった。とてもありがたい。

 今日、チャイコフスキーの交響曲5番の演奏を聴いたところで、久しく聞くことのなかったチャイコフスキーを聴いてみたくなった。
 まずは、若い日を思い出しながら、交響曲6番をCDで聴いた。
 私が働き始めたころ、「白鳥」という音楽喫茶があった。勤めの帰り、その「白鳥」に、よく立ち寄った。コーヒーが好きだったし、音楽を聴ける楽しみもあったので。
 「今日は何にいたしましょう?」と尋ねられると、決まったように、「今日も《悲愴》を……」と、リクエストしたものだった。
 大抵、客は私一人だった。まだ喫茶店に憩う人の少なかった時代である。
 ぬれた傘の落とす水滴が、小さな濡れ色を広げる様を眺めながら、やはり《悲愴》を聴いていたことがある。
 あの日の傷心は、なんだったのだろう? 
 若き日は、年を重ねた今より、ずっと心が傷つきやすかったように思う。
 あのころ、チャイコフスキーの、何に惹かれていたのかよくは思い出せない。
 今も、この曲のすばらしさをどう表現すればいいか分からないが、やはり心に染みて、私の目は潤みがちとなる。
 チャイコフスキーは、この曲が初演された五日後の、1893年11月6日に、53歳の生涯を閉じたという。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、最近就寝前に毎晩聞いていた曲である。勿論ボリュームを下げて。そのまま眠りに落ちてもいいつもりで。
 この曲は旋律が美しい。ラフマニノフの才能のままに、難なく産み落とされた作品かと思っていたが、そうではなかった。その前の作品、交響曲第1番、ピアノ協奏曲第1番は、ともに不評で、強度のノイローゼに陥っていた数年があったのだそうだ。
 この曲は、1901年、ラフマニノフ28歳の時の作品で、この曲によって、作曲の自信を取り戻したのだという。名声はたやすく得られるものではないということだろう。
 ラフマニノフの没年は1943年。

 私の持っているチャイコフスキーのCDは、ほとんどが、カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニーのもの。
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、サージェント指揮、ロイヤル・フィルハーモニー、ピアノはリンパニーのもの。

 今日の指揮者、アンソニー・ブラマルは、初めての人だった。指揮者の善し悪しなど全く分からないが、燕尾服のよく似合う、細身、長身の姿は、ステージ上の雰囲気として心地よく、統べる力も十分のように思えた。
 ピアニスト、ミハイル・ベトコフも初めてだった。が、ラフマニノフのピアノ曲を、存分楽しませてもらった。

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「う」の字型と「し」の字型

2006-08-26 | 身辺雑記
 夕方、近所への届け物を思い出して、外出した。
 日の暮れが、気づかぬ間に早くなっていた。七時を過ぎてはいたが、もう黄昏の感じだ。
 西の空には、わずかに夕焼の名残があり、その空に、片仮名の「ノ」の字をそっと置いたような、オレンジ色の月があった。三日月よりは、なおほっそりとした月であった。少し離れた位置には、宵の明星も明るんでいた。
 なんという繊細な美しさだろう! 
 外へ出る用を思いつかなかったら、ついに見ることのなかった黄昏の風情に、心を打たれた。これこそ日本的な情趣、言葉では言い尽くせない静謐な美であると。

 そんな風景に遭遇できたひとときに喜びを覚える一方、月らしくない色の、オレンジ色の不思議な月を眺めながら、心の中で、<「う」の字だから、上弦の月>と呟いていた。
 高校の地学で、月のことをを学んだ日以来、欠けた月を見るときは、<「う」の字だから上弦、「し」の字だから下弦>と、必ず心の中で呟いて眺める習慣がついてしまった。今では、月の形を「う」や「し」に置き換えなくても、上弦か下弦かくらい、見分けることができるのに。

 地学の先生は、「君ら、上弦の月と下弦の月の見分けがつくか」と尋ねられた後、一瞬の間を置いて、黒板に平仮名の「う」と「し」を書き、「上弦の月は、上(うえ)の「う」、下弦の月は、下(した)の「し」と覚えておきなさい」と教えてくださったのだ。
 「う」の字、「し」の字の欠けた部分に線を補足し、反対向きの三日月を作りながら。
 学習内容の全体から考えれば、枝葉末節の話だったと思う。
 それなのに、月を見ると高校時代の教室の風景と、月の判別方法が蘇るのだから、面白い。

 今、話題の惑星のことも、地学の時間に学んだのだろう。
 冥王星が、矮小惑星に変更されたことなどご存じなく、先生はすでに鬼籍の人である。
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石見太郎

2006-08-25 | 身辺雑記

 今朝、先日注文しておいた「マルチシャープメイト」が届いた。
 <ソフトなタッチでなぞるだけ!驚きの研磨力!>という宣伝文句につられて、これなら私にも使えそうだと思ったのだ。家には、昔ながらの砥石がある。が、使ったことがないし、使い方を教わったこともないので、万一刃物の刃を損傷したら、本も子もないと考え、試みてみようと思ったこともない。

 代金を送金するため、郵便局に行ってこようと計画した。今日を逃したら、来週の月曜日まで払い込みができないので。
 ついでに返信の遅れている手紙四通をしたため、午後の日盛りの中を出かけていった。
 昨日よりは湿気があって、蒸し暑い感じだが、やはり炎暑の続いたときのことを思えば、外歩きも楽になった。
 それでも道行く人の影はなく、行き過ぎるのは車ばかりだ。

 郵便局で、思いがけない人に出会った。
 かつては親しくしていたのに、私の不在期間が続き、あまりに長い空白ができたため、何となく会いがたく、積極的な出会いを避けてきた人である。
 驚きと喜びの綯い交じった声と一緒に、私は肩をたたかれた。私の方は、とっさに誰だか分からなかった。が、真正面に向き合うと、間違いなく、なじみの知己だった。
 十年ぶりの出会いだった。
 地元に落ち着いてからの二年間、随分近くに住みながら、偶然は今日までお預けだったのである。

 郵便局で、随分長く立ち話をした。一緒に局を出た後、<ちょっと家に寄って>と誘われたが、先刻、明日はソールに発つ、と旅の予定を聞いたばかりだったので、<またお帰りになってから>ということで別れた。
 帰途、スーパーに寄って、買い物をした。美味しそうなノドグロ(正式名か否か? 名前のとおり喉が黒い)を見つけて買ってきた。煮つけがとても美味しい魚だ。
 家の近くまで帰ったとき、向かいの山の上に、美しい夏雲を見た。
  入道雲避け来し人に出会いけり
 と、口ずさんでいた。口からの出まかせである。初句の入道雲は、視覚が捕らえたもの、それに続く七五は、先刻体験したことである。その関連のない二つのものを並べただけでは、俳句とはいえないだろう。
 私は佇んで、入道雲の白い輝きを、暫く見ていた。

 今晩のおかず用に求めてきたノドグロを料理することにした。例の「マルチシャープメイト」で、暫く使うことのなかった魚包丁をまず研いだ。
 鱗をとり、腹を開けたくらいでは、切れ味のほどは、よく分からない。求めた道具をうまく使いこなしているのかどうか?

 お魚の準備が済んだところで、デジカメを持って外に出た。
 しくじった!
 風景は変化していた。自然界の事象は、刻々と変わってゆくものであることを、ついうっかり忘れていた。
 入道雲は、すでに山の稜線に沿いながら、平べったく崩れていた。(写真)

 歳時記を開いてみた。
 夏雲は、「夏の雲」と「雲の峰」の二項に別れている。
 「雲の峰」の方は、言い替えがいろいろあって面白い。

 「夏の雲」 夏雲
 「雲の峰」 積乱雲・入道雲・坂東太郎・丹波太郎・比古太郎・信濃太郎・石見
        太郎・安達太郎・雷雲・鉄鈷(かなとこ)雲・夕立雲・峰雲

 
「太郎」の意味の一つとして、<最もすぐれたもの><最も大なるもの>の意がある。広辞苑には、東大寺の大鐘を奈良太郎、利根川を坂東太郎などと称する類、と説明している。
 「坂東太郎」は、利根川を意味したり、場合によっては、「雲の峰」を意味することにもなる、ということらしい。
 夏雲は、様々ある雲の中で、特に威勢がいい。姿、形が見事である。「太郎」の名の冠せられる値打ちが、十分ありそうだ。
 前記の出鱈目句を、
  石見太郎避け来し人に出会いけり
 と言い換えてみた。すると、そこから一つの物語が創造できそうな気がしてきた。
 今日も、空想癖を楽しんでいる……。
 

 

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鉢の朝顔

2006-08-24 | 身辺雑記
 妹夫婦が鉢植えの朝顔を届けてくれたのは、お盆の後だった。
 鉢の中に五本の朝顔が植えてあり、円筒形の柵にそって、絡まっている。
 私へのプレゼントとして育ててくれたというわけではなく、たくさんある鉢の一つを持参したものらしかった。地元産の葡萄を届けるついでに。

 妹宅の庭はさながら花園である。二人とも花を育てるのが好きなのだろう。それだけに育て方も上手だ。私の家で枯死寸前の状態になったボケの鉢も、預けておくうちに息を吹き返し、今年は立派な花を咲かせた。私にとっては不思議千万だが、名医同様、手当てがどこか違うのだろう。 
 花を眺めるのは好きな私だが、育てるとなると、栽培の労を厭うところがある。だからうまくゆかないし、毎年同じ位置に、ひとりでに咲いてくれる花を好むことにもなる。

 ここ数日、朝の庭に降りたつ楽しみは、朝顔の鉢の前、野牡丹の木の前に行って、それぞれの花を眺めることである。カレンダーに、その日咲いた花の数と累計を書き込むという、子どもじみたこともしている。

 今朝は、庭に降りたった時、外気の感触が今までと異なるのに気づいた。爽やかであった。秋だなと思うと、うれしくもあり、一面、炎暑の衰えを寂しくも感じるのだった。
 朝顔が六つ咲いていた。六個は最高で、今までにも一度あったが、今日のは彩がよかったので、カメラに収めた。
 概しておとなしい花色が多く、しかも、花びらが薄手で大輪のせいか、どこかなよやかである。私の好きな濃紺色の花も二つ咲いたが、それは小花であった。
 野牡丹は三個咲いていた。これは紫紺一色に決まっているが、朝のうちはみずみずしく、命みなぎるといった風情だ。夕方になると、花芯を残して一枚ずつ花びらを散らす。地面に落ちた花びらも美しい。

 昼間外出したが、汗が吹き出ることはなかった。日盛りの午後を歩いていても、秋の近づく気配を感じた。
 蝉の声も主流が法師蝉に移ったようだ。時折他の声も混じるが、盛夏に鳴くミンミンやジージー、シャーシャーの声は、とみに少なくなった。ひぐらし蝉は、もう鳴かなくなったような気がする。
 幾種類かの蝉のうち、最後に出現するのが法師蝉。ツクツクホーシは、どんなに威勢よく鳴いても、どことなく物悲しい。夏の衰微を告げる蝉だからだろうか。
 
 
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