森敦 作『月山』は、1973(昭和48)下半期の
芥川賞受賞作。
森敦(1912・1・22〜1989・7・29)77歳没。
高齢(62歳)の受賞ということでも話題となった。
が、のち(2013年)には、もっと高齢(75歳)の黒田夏子さんが『abさんご』で受賞された。
黒田さんの小説は横書きであった。その新しい試みにも驚いた。
私自身、ブログは横書きにしているけれど、日本語表現(特に自筆)の場合は、縦書きが自然だと思っている。だから手紙や葉書を横書きしたことは一度もない。
黒田夏子さんが、自作に横書きを選択された意味もよく分からなかったし、受賞作としての良さも理解できなかった。私の頭が老いて、読解する力が衰えたせいもあるだろう。
文章の細部に輝く宝石のようなものを感じることはあったけれど。
黒田夏子さんの作品を読んだのを最後に、最近の芥川賞受賞作品は読んでいない。小説そのものを読むことが少なくなった。エッセイの類が多い。
(河口の部屋での生活を始めるようになって、かつて読んだ小説を読み返すことが少々増えたのは、自由な時間を得られるようになったせいもあるのだろう。)
<蛇足の方が長くなってしまった。>
昨日、『月山』を再読した。
「です・ます調」の文体で、主人公の語りの形式で書かれている。昔読んだ印象は薄れており、新しい作品を読んでいるかのように新鮮であった。
作品の舞台となっている月山を中心とした地方(出羽三山、鳥海山、庄内平野一帯)を一度だけ旅したことがある。私の場合は、夏旅であったが、小説では、雪深い集落での冬ごもりが描かれている。現代離れした世界ではあるが、それだけに懐かしい。土俗的な雰囲気も、確かな筆致で描かれている。
この小説の会話には、方言が多用されている。それが少々私にとっては読みづらかった。耳で聞く朗読や会話では、それなりに方言の持つ味わいが楽しめる。が、活字で読むときは意味を解しかね、本筋ではないところで、読解に時間がかかりすぎ、それが少々難儀だった。しかし、これは非常に個人的な思いであり、方言が作品にもたらす情趣も否定はできないだろう。
(どうでもいいことなのだが、森敦さんの生月日は私と同じで、没月日は母と同じである。ちなみに、父の亡くなった月日は、中原中也と同じ10月22日である。)
今日は、凶会日。
人生には予期せぬことが起こるものだ。
気分を転じるしかないが、
うまくできるかどうか。
上二枚、朝、8時半の空。(自室より)
尋常ならざる雲の動き。
上二枚、夕方6時。(自室より)
終日暗雲。
夕方6時15分。(自室前の廊下より)
水平線上に光の筋。