ぶらぶら人生

心の呟き

晩秋の旅<東京 その2(二つの美術館)>

2017-11-30 | 旅日記
11月29日 水曜日

以前は、美術館に行くのが、一つの楽しみであった。
最近は、一所に大人数でいるのが、苦手になった。
多分に、精神的なものもあるのだろう。
息苦しくなって、名画に会う楽しみも失せてしまう。

混雑がなく、いい美術館として思い出したのが、
山種美術館根津美術館
いずれも、一度訪れて気に入っている。
あらかじめ催しものについて調べて見た。

山種美術館では、『川合玉堂展 ー 四季・人々・自然 ー』(没後60年記念)
根津美術館では、『鏨の華 (たがねのはな) ー 光村コレクションの刀装具 ー』

山種美術館の往路は、坂道になっていて、美術館に入る前に疲れた。
喫茶室で、まず休憩。
そのあと、展示会場を巡る。
10年前に行ったときには、美術館所有の名画にたくさん出会った。
今回は、川合玉堂の作品の数々。
なんの違和感もなく、ごく自然な形で心に寄り添ってくれる作品。
古風なようで、古びない風雅な趣を覚える。

根津美術館では、紅葉を眺めながら、軽い昼食をとることも考えていた。
美術館そのものが芸術的であり、広い庭の眺めもいい。
『鏨の華』には、あまり興味を感じなかったが、
展示物に接し、細工物に込められた、手を抜くことを拒否した技に感動した。
ゆったりとのぞき込んで眺めることができ、
細やかな技は、拡大鏡で見ることができるようになっていた。

以下は、私の撮った根津美術館の趣。












この風景を眺めながら、昼食。




美術館、それぞれの入場券。


ホテルから眺めた朝の光景。
日比谷公園と皇居のあたりを遠望しつつ。




ホテルのロビー。

晩秋の旅<東京 その1(墓参)>

2017-11-30 | 旅日記
11月28日 火曜日

午後、墓参。
谷中の秋も、深まっていた。

桜並木の落葉は、平年並み?
銀杏の大木が、枝を露わにし始めていた。

師との永訣は、12月5日だが、
近年は、時期を早めて墓参している。
昨年の墓参の折、来年は、無理だろうと思った。

が、一昨年や昨年に比べ、今年の後半は、体調が比較的いい。
かといって、来年も大丈夫、などとは思っていないけれど。

<では、また>という確信はないけれど、
<では、また>と、お別れする。

「次は、谷中の桜が満開のころにおいで」
と、師の声が聞こえた。
「では、桜のころに…」

数か月後の春、現状が維持されているという保証はないが、
とりあえず、来春の無事を願っていよう。
(以前は、春と初冬にお参りしていたのだが……。)

谷中の風景。







晩秋の旅<京都 その2>

2017-11-30 | 旅日記
11月27日 月曜日

まる一日、京都で過ごす。
幾度も訪れているけれど、
南禅寺の方へでも行ってみようと、
10時過ぎに出かけた。

途中、気まぐれに立ち寄り、東照宮の一角を見学。
この季節に限り、特別に見学できる場所のひとつとして、
金地院の方丈とお庭を案内してもらう。

小堀遠州作の<鶴亀の庭園>は、
説明を受け、浅薄な理解はしたが、
感動一入(ひとしお)とはゆかない。
(折から晩秋の日差しが降り注ぎ、
鶴亀をかたどった庭の風情を撮り得なかった。
鶴を表す松の枝は伸び、手入れは行き届いていない。)

創られた当時のままに、
その姿をとどめることは困難至極。
時を経た美しさを伝えうるものもあれば、
そのようにはゆかないものもあるものだ。

今まで、画集でしか見たことのなかった
「猿猴の襖絵」(長谷川等伯筆の原画が見られたのは、喜びの一つ。
その他では、やはり小堀遠州作の「八窓席」(茶室)に興味を持った程度。

折角の案内付きなのに、もう少しうまく説明ができないものか? と、思う。
丸暗記の機械的な解説では、おもしろくない。
(そう思う人は、私ばかりではあるまい。
しかし、批判は易しいけれど、
人の心を惹きつける話は、
決して容易なことではないと、分かりつつも……。)

庭内を歩いていて、出会った紅葉。






南禅寺へ向かって歩く。
いつものことながら、人が多い。
バスも車も、多すぎる。
ひっそりとした晩秋を味わうことなど難しい。

手摺のない階段の昇り降りが困難になったことに気づく。
齢(よわい)84歳の悲哀!

以下、南禅寺周辺の紅葉。
楓の紅葉は盛りを過ぎている。
今年は、晩秋の訪れが早かったのだろう。









調子に乗って歩き続けるのはまずいと思い、
昼食でひと休み。
ご馳走を存分食べたいと思わなくなったのも、悲哀?!
それでも、昼食に鰻をいただいた。
(と、夕食が全く欲しくない。これがかなしい。)

路地を入って、喫茶店<フランソワ>で憩う。
以前、訪れれたお店。
今どき珍しい、昔ながらの音楽喫茶店である。
座席は多いが、他人の気にならないところがいい。
有名店の一つなのだろう、お客の出入りは、頻繁である。

コーヒーとケーキをいただきながら、
昔さながらの雰囲気を懐かしむ。









好きな眺め。
(水路の落ち葉)


ホテルの部屋から。
(夕景)





晩秋の旅<京都 その1>

2017-11-30 | 旅日記
11月26日 日曜日

昼過ぎホテルに到着。
宿泊の手続きを済ませて昼食。

あてのない旅。
遠くへ行くのはやめ、近隣をぶらぶら。
伏見稲荷神社に行ってみる。
奈良線で二駅先。

人の多いこと。
外国人の比率が高そうだ。
中国語が耳に届く。
(看板の説明によると、日本で一番観光客の多い場所…とか。)









(千本鳥居の奥までは歩かず……。
無理はしない。
それでも、日頃歩いたこともない8500歩の散歩。

昨年に比べ、体調が良さそうだ。
ここ数年は、万一に備え、折りたたみ杖を持ち歩いたのに、
今年は初めから持参せず……。)


高層階に泊まり、目の前に京都タワーを眺める。



晩秋の旅<車窓の眺め>

2017-11-30 | 旅日記
11月26日から
11月30日

墓参を第一の目的とした
気ままな旅に出る。

欲張らない旅。
無理をしない旅。

日常の場を変え、
生活のスタイルを変えて。

《無事に帰宅し、
簡単に、メモを留める。》



26日、福山城。
(数度訪れた思い出を懐かしみながら……。)



26日、姫路城。
(福山城同様、思い出の多いお城。
来し方を思う。)




(上の写真を拡大。)

<帰途(30日)の車窓からも、福山城、姫路城を眺める。>


28日の伊吹山。
<帰途は、雲中にあって姿見えず。>



28日の富士山。
完璧ではない姿、またよし!





30日、帰途の富士山。
探し絵のように目を凝らし、その姿をやっと見つける。



旅の終わり、山口線の車窓には、
10日あまりかと思えるお月さまが、
見え隠れしながら供をしてくれた。

前庭と空

2017-11-25 | 小庭の四季
11月25日 土曜日
小春日和。
ぽかぽか陽気というほどではないが、
風が凪いでいると、
ずいぶん暖かく感じる。

散歩日和。
草花舎へ出かけようかと思ったが、
行動に移せず、家の庭をぶらぶらする。

前庭と空


横庭の山茶花(蕾)


崖のコンクリートに映った樹影(椿)


土曜日なのに、子どもの姿も声もない。
近隣の人影も、全くない。

物言わぬ日々。
発声器官が、衰えてしまいそうだ。

名作の朗読でもしようか、
童謡でも歌おうか。

今年最後の歯科検診

2017-11-24 | 身辺雑記
11月24日 金曜日

M歯科医院で、
今年最後の歯科検診を受けた。

治療室から、晩秋の庭を眺める。
今日は風の冷たい一日だったが、
鯉たちは、悠然と泳いでいる。
水温は、まだあまり低くないらしい。



赤く色づいた楓が美しい。
銀杏の葉は、すでに大方落葉して…。

歯の状態は良好であった。
一年間、現状を維持。
この歳で、なんでも美味しくいただけるのだから
ありがたい!

以下は、M医院前の花。
菊やシクラメンなど。









久々に、<ロン>で食事をしようかと躊躇したが、
木枯らしが冷たく、早く家に帰ることにした。
買い物を済ませ、タクシーで帰宅。
今月は、郵便局へ出かける機会がなかったので、
途中、寄り道してもらい、
年賀状やポチ袋を求め、
さらに家まで送っていただいた。

街へ

2017-11-21 | 散歩道
11月21日 火曜日

久しぶりの小春日和。
散歩に出かける。
諸用を兼ねて。

二つの川の、晩秋の景を眺める。



バス停にて。
高津川河畔(鴨島大橋を望んで)。
風景との対面も、常に一期一会。



文華堂からイオンへ。
曙橋を渡る。
前を行く人が、橋下をのぞいていた。
何があるのだろう?
と、私ものぞいてみたが、澄んだ川底が見えるばかり。
なおのぞき込んでいると、頭部だけを水面に出し、
水鳥らしいものが、水中に身体を沈めて、
川下に流れて(泳いで)いった。
鴨だろうか?
不思議な、やや不気味な光景であった。

文華堂では、極細芯のフリクション、その他を求めた。
文房具屋の品々を眺めるのは、なかなか楽しい。
狭い場所に、用途ごと、様々な品が並んでいる。

文華堂へ行くついでに、コメダ珈琲店にも立ち寄った。





コーヒーをいただきながら、
カズオ・イシグロ著『夜想曲集』中の<老歌手>を読む。
今までに読了した長編とは、
まるで趣の異なる短編。
ペーソスあり、ユーモアあり、
華やかな人生の末路に漂う悲哀。



自分の空間が保て、公の場で<ひとり>でいられる愉しみ。
店内には、かなりのお客があり、雑談が人語の波のように耳に届く。
それはひとりでに慣れられる音。
読書に何の弊害もない。

突然、赤ちゃんの泣き声!
これには、ちょっとまいった。
どこの席から聞こえてくるのかもわからない。
赤ちゃんは、エネルギッシュに泣き続ける。
お母さんが、子どもを抱っこして外に連れ出す気配もない。
かなり長時間、我慢を強いられた。

イオンまで歩き、総数2500歩の散歩となった。
午前中にしたためた、レストラン<ノブ>のUさん宛の手紙を投函。

施設の暮らしで、品切れになりそうなものを求め、タクシーて帰る。

『浮世の画家』

2017-11-20 | 身辺雑記
11月20日 月曜日



カズオ・イシグロ著『浮世の画家』
(ハヤカワ文庫・初版2006年11月30日・2017年10月16日8刷)


私にとっては、カズオ・イシグロ作品、二冊目の読書となる。
すでに2006年に翻訳されているのに、10余年、私はカズオ・イシグロさんの存在を全く知らなかった。
(初読の『遠い山なみの』でも書いた気がする。)

最初に読んだ『遠い山なみの光』といい、今回読んだ『浮世の画家』といい、日本人作家の作品かと思ってしまうほど、日本的な小説である。
小説の舞台が日本であり、登場人物も日本人である。
そのせいもあるだろう。
また翻訳者(この本の場合は、飛田茂雄)の翻訳のうまさも、日本文学的な味付けをしているのだろう。

今、ブログに感想を記そうとして、もう一度本のページをめくると、最初のページに、<両親に>と書かれているのに気づいた。
ああ、そうだったのかと思った。
私自身、この小説を読みながら、教師であった私の両親やその世代を生きた人々の心境を、頻りに考えずにはいられなかったからである。

カズオ・イシグロさんの生まれは、1954(昭和29)年である。
この小説には、見出しとしての<章分け>はないけれど、〈1948年10月〉〈1949年4月〉〈1949年11月〉〈1950年6月〉と、年月によって区切られている。
昭和でいえば、戦後間もない昭和23年から25年にかけての話である。

私の生い立ちでいえば、戦後制度によって生まれた中学校と高等学校にまたがる時期が背景となっている。
戦時下の子どもとして生き、12歳で終戦を迎えた私は、がんじがらめに縛られていた束縛から解放され、心的に輝いて生きていた時代である。受験勉強に追われることもなく、伸びやかに。
胴乱を肩にかけて、植物採集に出かけたり、石川啄木の『一握の砂』『悲しき玩具』の暗誦を楽しんだり……。
まだ、生活物資(特に食糧)には恵まれない時代だったけれど。

主人公は、戦時下、戦争に加担する側の作風で有名になった画家の小野である。
この小説は、主人公<わたし>が、戦中の回想、戦後の現実を語る形で描かれている。
形式は、<私小説>風である。
登場人物は、主人公を中心に、家族、上司、同僚、教え子など多数である。
戦後風景、復興への兆しなど、その時代背景も、実に細やかに、具体的に描かれている。
戦後、<わたし>に向けられる冷ややかな視線の中にあって、主人公の心は揺れ動く。
その動揺のさまが、次女の結婚話などを背景に浮き彫りされる。

国を戦争に駆り立てた上層部でなくても、何らかの形で戦争に加担した当時の大人たちには、戦後を生きてゆく上で、それぞれに苦悩があったのだろう。
作者にとっては、完全に出生前の出来事であり、見聞や資料によってしか知り得ない世界のはずだが、心理的な世界ばかりでなく、情景も実によく描けている。

書きたいことはたくさんあるのだが、私の脳はかなり弱っていて、書けば書くほど支離滅裂になりそうだ。
この辺りで擱筆。

<贅沢な時間>(レストラン「ノブ」にて)

2017-11-19 | 身辺雑記
11月19日 日曜日

施設のKさんと、
いつかレストラン「ボンヌママン ・ノブ」で一緒にお食事しましょう、
ということになっていた。

Kさんに予約していただき、
今日、実現した。
(Kさんの車に乗せていただいて。)

小春日和の暖かい日に、
と話していたのだが、
真反対の天候になった。

全国的に寒くなり、
当地は海風も強く、
時に、小雨が窓に吹きつける日となった。

しかし、美味しい食事をいただいて、
心満ち足りた時間を過ごすことができた。

レストラン<ボンヌママン・ノブ>を訪れるのは、
私にとっては、三度目である。
≪2001年10月≫開店、ということだから、
その回数は多くない。

二度目に訪れたのは、第一子の誕生から、ほどないころであった。
シェフに抱かれた赤ちゃんに対面したこと、
<心ちゃん>という名前だったことは覚えていた。

私たちのテーブルに、その心ちゃんが、お母さんと一緒に……。
赤ちゃんだった心ちゃんが、早くも5年生だという。

シェフ夫妻に流れた11年の歳月、
心ちゃんの歳月、私の歳月を思う。
(第二子は男の子で、小学校の3年生とか。)


シェフのUさんは、遠い昔の知己である。
15歳の少年の未来像は、確かなものであった。
シェフになりたい、と。

フランスでの修行時代に、
こういうお店を持ちたいという夢が生まれたという。
フランスの田舎町、そこに存在した小さなビストロ。
そのビストロに漂っていた<贅沢な時間>。
それは、心に深く残るものだったようだ。
その再現を夢見つつ、Uさんは夢を実現。
(人の生き方として、立派なお手本だと思う。)

シェフの故郷の、海を見はるかせる場所に、
幼い時から尊敬した祖母の名(ノブ)を店名にし、
2001年の開店。
以来、16年が閲したことになる。

レストランの窓辺には、四季折々の日本海が広がっている。
眼下の山陰本線には、
今年から、豪華列車トワイライトエクスプレス<瑞風>が走るようになった。
シェフのUさんが、車内料理の監修に選ばれたことは、聞き及んでいた。
<瑞風>の乗客に、山陰の美味しい料理が届けられていることだろう。

最近、つくづく思う。
料理の美味しさは、食材の新鮮さで決まる、と。
(生活の場を二箇所に持ち、帰宅したとき、
冷蔵庫に保存している買い置き野菜を使うことがある。
料理のまずさを、鮮度のせいだと、
料理下手の言い訳にしている。)


今日は、美味しいランチをいただいた。
鮮度抜群の素材を生かした、心のこもったお料理に満足。

下の写真は、メインディッシュとデザート。







その他、前菜、パン、スープ、ジンジャーエールをいただく。

室内の一部。





レストランの窓から。
(冬の日本海)





様々な<幸せ気分>の詰め込まれた<贅沢な時間>を過ごさせてもらった。